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教育や授業の設計・デザインの技術、方法論であるインストラクショナル・システムズ・デザイン(Instructional Systems Design)を専門としています。
反転授業研究グループでは田原さんと一緒にオンラインの設計授業設計ワークショップを何度か開催させていただきました。教える側ではなく、学習者の視点に立った効果的、効率的な学習の内容設計や学習方法、環境などをデザインするもので、成人教育や企業研修から学校教育までを広く対象としています。
学習することによって最終的に何ができるようになるのか、何ができるようになることが期待されているのかをまずもって明確に見極めて、そこに到達するためにはどんなスキル群(知識、技能、態度など)を、どのような順番で、どのような学習方法、環境で学べば最適なのかを分析して設計開発するというものです。
今回のワークショップのテーマ、田原さんが動画で示されている世界の経済格差、超高齢化社会といった人類にとっての危機的課題を背景に、身近なところでは私たちの住むこの日本の閉塞された状況を打破するには政治でもなく革命でもなく、ただ教育によってしか解決できないと信じていいます。可能性のある明るい未来を子供達に残そうではありませんか。皆さんの活発な議論を期待します。
今年1月、田原真人さんとはじめてZOOMで対話した時、私は、ぷれジョブをつくったともかちゃんのことをお話しました。田原さんは「胸が詰った」と仰いました。最重度のお子さんの「息」に触れて。
問3の動画に出てくる共存在サイクルの図は、この対話から生まれたと言われます。「工房」と「工場」と「変容」が、互いに含み合う、一つながりとしての円相を描いています。
私たちが新たに何かを生み出そうとした時、手づくりの「工房」的な働きが生まれます。次にそれが改善され「工場」的な最適化のプロセスへと移行します。やがてそれが時代に合わなくなった時、成功体験を手放して新しく実験する必要が生じますが、そこには必ず「変容」が求められるのです。
この「変容」という位置で、重度の障害のある人も赤ちゃんも死にゆく人も「いのちの火」を知らせる仕事をするのです。対話を通して、今も私の内に生きているともかちゃんの存在が、田原さんの存在に灯されたのでした。
障害者の就労支援が増えるほど最重度の人たちは置き去りにされる、という分断の構図の極みに、相模原の痛ましい事件が起きてしまいました。
私は、分断されてしまったこの社会を、もう1度つなぎ直すには、多分大きなことではなくて、小さなことこそ大切なのだと思っています。
だれしも自分が「暮らしやすい社会・幸せだなって思える社会
をつくりたいと思い、子どもたちにそれを贈りたいと思っている。ふつうのたくさんの人々の力をどうやったら組み合わせできるか。一生涯かけて考えるコト、この講座でみなさんと考えてみたいです。
すべては機縁、「何かのきっかけ」からです。
この講座もきっかけです。参加できる時だけ、部分の参加でかまいません。
まずは「第2の波の出現」の予感です。最近、私は学校を超えて集まる研修会に「初心者」が急激に増えたと実感しています。すでに、2~3年間授業改善・教育改革に関わっている人たちから見ると、一見後退したように見えるかもしれません。しかし私は、これは大きな前進の予兆ととらえています。
私はこの2~3年間、様々なイベントに参加し、マスコミ等に登場した授業者は全教員の「1%未満」と推定しています(日本における「教員」はおよそ100万人。反転授業コミュニティー参加者4,500人などが推定の根拠です)。これに対して、ようやく教員の20%に当たる人たちが動き始めるときが来たと理解しています。それは学習指導要領の確定(小中学校はすでに確定。高校も今年中に確定の予定)と、各教育委員会の積極的なリードと研修会等の増加によるものです。尚、20%は「組織構成は2,6,2」からの類推です。
この「第2の波」は「遅れてきた人たち」ではなく、大きな動きを形成する人たちです。地震波に例えれば、最初の「1%未満」の人たちは初期微動です。「第2の波」は主要動です。縦揺れをしていた「初期微動」が、うまく横揺れの「主要動」につながるかが、大きなカギになります。
1960年代から全国に吹き荒れた学生運動・革命運動は赤軍派の浅間山荘事件で終焉しました。これは「初期微動」が分裂抗争を繰り返し、「跳ね上がり」「大衆に見放された」結果です。似たような事例は歴史上に散見されます。最近の国内の教育界でも「カウンセリング」「キャリア教育」「道徳教育」にその傾向が見られます。この轍を繰り返さないでほしいと切望します。
そのために必要なことが、まさに「違いを学びの場にする」ことです。具体的には2つの側面があります。1つは「初期微動」の人たちが相互に深い理解をして力を高めることです。「仲間意識」が「対立を恐れ」、「異見を封殺する」、ことにならないよう気を付けることです。もう1つは、あとに続く人たちから「浮き上がらない」、「疎まれない」ことです。
この両面で必要なのが「対話」です。「対等な人間関係」「安全安心の場」を基盤として、「違い(対立物)」を統一して止揚することです。対話の簡単な定義は「一人ではできないアイデアや結論にたどり着くプロセス」です。今回のワークショップが、まさにそういう場になることを期待しています。それを実現できる場であることを信じて、推薦します。
高校英語教諭 一般社団法人オーガニックラーニング共同代表 (https://www.organic-learning.net/)
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完璧な学級経営に20年目にして出会った今日は熱っぽい。ろくにものも考えられない。
そんな朝、突然降りてきたことがある。さっき生徒に話したところ。学級経営の考え方が一気に変わってしまった。
今までは、20年間の教員生活の中で、
「狼の群れ」の時代:年齢も近く、姉さん姉さんと悪がきが一緒に歩いてくれた
「服従と強制」の時代:19世紀、産業革命の頃のようにわたし対下々だった
「説得と納得」の時代:それぞれにポジションがあり、成績上位者が下位者を教え導く、一見理想的な教室の時代
「Win-Win」の時代:7つの習慣をベースに力を合わせ助けあいながら進んだ
「???」今の時代:支配やコントロールを極力なくし、マインドセットをじっくりと育成することで自律的学習者が育った。
今まではこの経営手法だからこんな生徒がそだったと勘違いしていた。でも、そうじゃない。今のわたしを教え、導くためにその学級の生徒はご縁で集まっているのだ。
子は親を選んで生まれてくるというけれど、全くそれと同じだということに気づいてしまった。そうか!だから、完璧な女王の教室をやり管理指導していた時代は学級崩壊の夢をみていたのか!使命を持ち、わたしを教え導くことができる存在をないがしろにしたり、型にはめすぎていたから、様々な反応が出ていたのだ。
ここ数年あまり体調をくずすこともなく、やりたいことをやりたいようにできるようになってきたのはひとえにおゆだねできているからだった。自然の流れに身を任せる。ことごとく管理指導の中でそれをするのは難しいかもしれない。
まずは耳を貸すこと。信じること。もやっとしたら自分のニーズにじっくりと耳を澄ませること。
本当に大事な学びはどんな形態なのか、学校や塾やメディアに踊らされることなく真摯に問うていくこと。行動すること。行動すること!間違いなく、行動していなかったら見えなかった。20年目の今、なぜこんなことに今まで気づかなかったのかと熱にうなされながら職員室でにんまりとする。
さて、このタイミングで2017年を締めくくるにふさわしいイベントがある。完璧な学級経営に一歩近づく自分になる。言い方を変えれば本来の自分に戻るということにもなるかもしれない。参加することでおゆだね経営の感覚が降りてくるはず。年に一度だけの田原真人さん(自己組織化プロデューサー)による対話の場だ。もう一度教育とはなんなのか、めざすところはなんなのか、語り、共有し、あらたな世界を創っていく。
一般社団法人一休みの学校 代表理事
オルタナティブスペース「庭と冒険」KYOTOディレクター・モノづくり編集家。
プロトタイプに関わりモノづくりを編集するのが生業。機械論ど真ん中の機械製作会社に勤務しながら、多拠点居住と複業でつくる生き方と仕事を教育という切り口で見立てることができないか?実践研究中。