【ひとつ屋根の下の大家族】
《地球家族》は、「日本書紀」に記されている初代神武天皇の『建国の詔』に倣っています。こうあります。
『然(しか)して後に、六合(くにのうち)を兼ねて都を開き、八紘(あめのした)掩(おお)ひて宇(いえ)にせむこと、亦良からずや』
現代文にしますと、
「その後国中を一つにして都を開き、天の下を覆いて一つの家とすることは、また良いことではないか」
この「八紘一宇(はっこういちう)」が、あたかも軍国主義や侵略のスローガンと捉えられ、戦後GHQにより使用禁止とされた歴史から勘違いされておられる方もいますが、まったくの見当違いです。
「天地四方、八紘(八方)にすむものすべてが、一つ屋根の下の大家族のように仲良く暮らそうではないか」
といった意味です。どこが軍国主義なのでしょう?
神武天皇は、『元元(おほみたから)を鎭(しず)むべし』「人民を安ずべきである」
と、国民を指して「大御宝」と呼び、「皆で家族のように仲良く暮らそう」と、国造りに際して宣言されているのです。
【互いの志で支えあい調和する】
日本人は、山も海も川も神さまで、全ては神さまの分け命、分霊(ワケミタマ)と捉えていましたので、植物も動物も人間もすべて同胞として敬っていました。「万物同根」という意識です。大自然に対して敬意と感謝をもって、天の徳と地の恩を意識して、与えられた環境を受け入れ自己を活かして(役立たせて)いったのです。
「国家」と言いますね。国もひとつの「家」なんです。これは日本特有で外国語にはないそうです。
また「人間」と言うのも、生きがいも幸福も人と人との間にある、日本人は“間柄”を重視していることを示しています。人間は親から生まれて、初めから親とのつながりの間柄の中で成長していくのです。
〈他者とのつながりの中で生きる人間〉という日本人の人間観は、人間は共同体の中で生きるということを前提としています。「世間」「世の中」という群れの中で、互いが役割をもって支えあって生きていくのです。
また、明治天皇は『五箇条の御誓文』の中で、
『官武一途庶民にいたるまで各々其志(そのこころざし)を遂げ、人心をして倦(うま)ざらしめんことを要す』
とあります。「文官や武官はいうまでもなく一般の国民も、それぞれ自分の職責を果たし、各自の志すところを達成できるように、人々に希望を失わせないことが肝要です」という意です。
“各自の志すところ”とありますが、これは、一人一人が違う志をもつことを示しています。つまり、日本(大和)精神の根幹にある『和を以て貴しと為し』(聖徳太子)の「和」は、単に他者と等しくする、同じようにするではなく、それぞれが主体性をもって互いのもちあじを活かしあい全体で調和していくということです。
〈他者とのつながりの中で生きる人間〉だからこそ、尊重しあう「和」が重要なのです。
「小人閑居して不善をなす」と申します。各自が志をもって倦まず弛まず励んでいくことで、平安な暮らしが維持できるのです。これが本来の日本の“国柄”なのです。「八紘一宇」の精神があれば、世の中から差別・争い・いじめ・孤独はなくなるでしょう。この精神を《地球家族》で表しました。
【生かされていることへの感謝】
《エコロジー》を説明しましょう。
心身医学の分野で「生かされている命に支えられて生きていることへの感謝」をエコロジーと示しているところの意味あいからもちいました。心身医学の故 池見酉次郎先生(九州大学名誉教授)は、
『人間は、「生かされて生きるいのち」への目覚めがあってこそ、今ここでベストを尽くし、周囲の人たち、生きとし生けるものへの自然な愛(和)をもって、各人に与えられた独自の可能性を生かす生きざまになってくるものです。』
と述べておられます。
また、現在の地球環境問題は、近代以降、人間が自然に対して誤った態度を取ってきたことに由来するため、その対策も、社会構造そのものの変革によって図るべきであり、個人の、社会や自然に対する意識の変革「制度の改革ではなく内面性の改革という長期的視野」が必要。環境保護は、究極的には個人の自覚と覚醒が重要と指摘されています。
これは、不登校・引きこもり対策にもそのままあてはまるのです。
制度の改革が、ほとんどこれまで功を奏してこなかったことは既に明らかです。
国民は「大御宝」、子どもは「子宝」です。
存在(命)に対して敬意をもって接し、それぞれの天分(特性)を大切にし、決して我がもの(所有物)として支配(コントロール)しようとしないことです。それが内面性の改革です。
大自然への畏怖、感謝を忘れ、人類が自然を汚し、破壊してきたにも関わらず、「保護する」など、その無神経さ、傲慢さもはなはだしいかぎりです。
【家族バランスの乱れ】
《家族エコロジー》という造語にも意味を込めました。
家族も生態系(エコロジー)と同じように循環的に互いが影響を与え合っています。
例えば、子育ての場において父親の存在感が希薄ですと、母親が干渉的、保護的になってしまうものです。
その結果、子どもに日常からの逸脱行動が現れると、父親は母親を咎め、母親はそれに対して不満を抱き、夫婦(両親)間の諍いが生じることで子どもは、家族の健全な均衡を取り戻すために、さらなる非日常的な行動をあらわにしていきます。無言のシグナル(叫び)です。
不登校、ひきこもりは、家庭内のホメオスタシス(恒常性維持機能)の不全による現象なのです。
以上が、団体名に込められた意味です。
【和の国日本の復興】
日本は本来、あらゆるものに「いのち」を見出し、それぞれの存在の役割を認識し、その価値、意義に対して畏怖、敬意、信頼、感謝をもって対峙していく「和」の精神性をもった国柄なのです。
現代病である「ひきこもり」現象は、この和の精神が失われつつある結果としか思えてなりません。
いつの世も『修身斉家治国平天下』
自分の行いを正し、家庭を整え、国家を治め、世の中を平和にしていくことが基本ではないでしょうか。