開創 一遍上人(建治3年、1277年)
岩代(現福島県)の地に伊達氏によって創建される
第1世~第18世 不明
専念寺があった場所に2説あり。
① 伊達郡粟野村
② 伊達郡大森村(安永風土記に記載あり)
第19世 道浄
第20世 了山 伊達成實公が幼少期より師と仰ぐ
第21世 了山
伊達成実公が慶長7年(1602)に亘理要害に移った際、
師である了山和尚を呼び寄せ、慶長11年(1606)現在の地に開山
その際、成実公は菩提寺大雄寺と専念寺が向かい合うように
建立するよう命じたと伝えられている
実際に東向きの大雄寺本堂と西向きの専念寺の本堂は向かい合って
建つ(西向きの本堂は珍しい)
第22世または23世または24世 莫林
第25世 了感
第26世 善応
第27世 檀應
正徳年中(1711~1716)上町一帯大火、本堂鐘楼焼失
伊達家より寄進あり再興
元文元年(1736)、寛保2年2月9日(1742)に類焼のため、
殆どの記録が焼失
寛保3年(1743)大火 神仏無事、屋根全消失
伊達家より寄進をうけ再興
一遍上人、二祖上人像を安置
寛延3年(1750)示寂
第28世 哲道
岩手県長徳寺から転住
明和4年(1764)7月23日示寂(位牌あり)
第29世 禅岌(ぜんきゅう)
天明4年(1784)6月15日示寂(墓石あり)
第30世 泰道
第31世 真柳
文政13年(1830)10月18日示寂
第32世 是訓
天保3年(1833)10月23日示寂(墓石あり)
第33世 哲須
第34世 親善
第35世 泰充
嘉永(1848)~文久3年(1864)11月川口法蓮寺へ転住
第36世 奥山教充
嘉永6年(1853) 第36世専念寺住職就任(本山からの許状あり)
明治35年(1902)3月10日示寂
明治3年(1870)伊達家 北海道開拓団移住
本丸詰門を専念寺へ移転
明治12年(1879) 本堂大改築工事
熊野證誠殿大権現宮殿再建工事
第37世 渋谷教圓
大正元年(1912)12月28日示寂(墓石あり)
明治43~45年(1910~1912)本堂屋根改築
茅葺を土瓦に葺き替え
第38世 穴戸泰善
大正7年(1918)11月4日示寂(墓石あり)
大正2年(1913)古材で山門改築・土瓦葺き替え
第39世 河野定運
大正9年(1920) 山下東光寺から転住
靜雲(せいうん)の名で俳句会主宰、俳誌木犀を創刊
大正12年(1923) 博多称名寺へ移動
第40世 永濱秀道
大正14年(1925)越後矢田より着任
半年の居住にて新潟県円通寺へ転住
第41世 岡 弌音
大正14年(1925)12月1日 越後専念寺より着任
昭和34年(1959)2月10日示寂(墓石あり)
第42世 岡 恵音
昭和42年(1967)7月22日示寂(墓石あり)
第43世 現住 岡 英夫
先祖は根、私達は幹、子孫は葉。先祖の根を大切にしてこそ幹も大きく 成長し葉は栄えます。 亡き方へのお参り、ご供養において大切なことです。それはお 参りを通して、改めて自分の命がご先祖さまから頂いた大切な命である ということに気づき、いまを生かさせて頂いていることに感謝の念をも ち、命をつないで下さったご先祖さまの恩に報いる為にも自分の命、人 生を大切に生きようと誓いをたてることです。 亡き方へご報恩のまごころをそえた、ご供養をいたしましょう。 庫裡玄関に今年、年忌にあたっている方のご法名とお名前が貼ってあります。どうぞご確認ください。
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◎入堂の際、手指の消毒をお願いいたします
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そして
誰かにうつさないために