カトリック神戸中央教会の紹介
カトリック神戸中央教会は、阪神大震災後 中央区の3つの教会(灘、中山手、下山手)を統合し
神戸の教会新生の要として、新たに中山手の地に生まれました。
 
2004年10月には、旧中山手教会の地に聖堂が建て直されました。
キリストの心を生きる弟子としての養成を大切にし、信仰感覚で選び、生き方を通して証する教会

誰もがありのままを受け入れられ、敷居の低い開かれた教会

みんなで創造的に取り組み、柔軟性のある夢を紡ぎ続ける教会。イエスに従って歩む教会

神の国の実現を求め、とりわけ社会のひずみに苦しむ人たちと共に歩むことを優先する教会

野菜サラダのような多様性の一致を大切にする交わり・分かち合いの教会

教会施設の紹介

外から見た聖堂
カトリック教会らしい象徴的な景観を都市空間の中に作る事を目指して、主聖堂を交差点に配し、鐘楼は象徴的に入り口に置かれました。
また、開かれた教会として誰もが自由に訪れ易い様に、聖堂の外壁に添って歩くと自然に聖堂の入り口に誘われます。
聖堂の外壁は三位一体を象徴した3枚の壁で囲み、箱船にもイメージを重ねています。その形は伝統的な切妻型(切り妻= 棟を境にして両方にふきおろした屋根)の単純な形でありますが、平面形の特性から祭壇に向かって上昇する内部空間を持っています。
主聖堂

 主聖堂の内部は三つの教会が聖霊降臨の記念日に一つの教会になったことを大切に考え、聖堂空間は聖霊に包み込まれ浸される、明るくも静寂な落ち着きのある祈りの空間になる事を目指しています。
 内部の壁は白煉瓦の壁で穏やかに囲み、信徒席は内陣に向かって勾配をつけながら椅子の高さも変化させる事で信徒に自然な一体感を持たせています。
聖堂の重心に有る祭壇から結んだ位置に16 枚のステンドグラスの窓があり、正面左右の2枚は天地創造を表し、正面の壁面に柔らかい光を与えています。
信徒席を囲む14 枚のステンドグラスは、イエスの受難の物語である十字架の道行きを表しています。
 このステンドグラスは聖堂に足を踏み入れた時には、白煉瓦の壁に映える光のみが感じられ、直接目には触れない事で空間に静けさを与えていて、朝の青い光から、夕方の赤い光に移ろう中で時間によって聖堂内部の表情を変化させています。
 しかし、ひとたび典礼の動きの中で祭壇前に進み出て振り返る時、すべてのステンドグラスの力強い光を一斉に受ける事でダイナミックな光の変化を受容できます。
 祭壇上部には聖霊降臨を象徴する天窓をしつらえていて、各ステンドグラスから三角錐の天井を天窓に向かわせる事でさらに祭壇を中心に感じる事ができます。音饗的にも壁のある内壁とこの天井で拡散の効果を得ています。
 聖堂正面のキリストの復活のご像は彫刻家の二藤氏が一年半の歳月をかけ、深い信仰に満たされて製作され、その後ろの壁を浮き立たせて自然のカーブで十字架のシルエットが浮かび上がるようにしつらえられ、ご像を神秘的に浮かび上がらせています。


小聖堂
朝のミサや個人的な祈りのためにあります。
正面に向かって壁を少し開き、正面も外光をうける傾きを持っています。
天地創造を表す7 枚の小さな
ステンドグラスのある壁は、上に向かって傾斜し上端にスリットを切る事で小さい聖堂ながら広がりを持たせています。
また、後方に光溜まりの場所を作り、格子越しの柔らかい光が聖堂全体を包み込み、閉ざされている空間でも明るくなっています。
十字架の道行があります。

ご復活のイエス像

彫刻家の二藤氏が一年半の歳月をかけ、深い信仰に満たされて製作されました。後ろの壁を浮き立たせて自然のカーブで十字架のシルエットが浮かび上がるようにしつらえられ、ご像を神秘的に浮かび上がらせています。

主聖堂の聖母子像

ご復活のイエス像と同じく、彫刻家の二藤氏によって製作されました。主聖堂の後方にあり、信者、教会を訪れる方々のお祈りの場で、心の憩いになっていることでしょう。

庭園の聖母子像

阪神淡路大震災の後に寄付され、鐘楼の下に移植された、復活のオリーブの木の隣にあります。いつまでもイエス様と共にお守りくださることでしょう。

ステンドグラス

信徒館ロビーのメモリアルコーナーには、旧カトリック中山手教会の正面にあったステンドグラス3 枚が移設されています。
1965年にフランスのシャルトル(パリの南西100㎞)で作られました。ガブリエル・ロワール氏のアトリエの作品であり、中山手教会のために特別制作されたものです。

小聖堂の十字架

旧中山手教会にあった十字架。
震災後に、この小聖堂に置かれました。

小聖堂の聖櫃と
聖母子像

旧中山手教会にあった、聖櫃と聖母子像。
震災後に、十字架と共にこの小聖堂に置かれました。

小聖堂の
十字架の道行

旧灘教会にあった十字架の道行。
四旬節に入ると、この小聖堂で静かに十字架の道行のお祈りが行われます。

信徒館ロビーの
ファティマの聖母像

ファティマの聖母。
阪神淡路大震災の後に、フィリピンの方から寄付されました。

主聖堂 入口

Veni, Sancte Spiritus
「聖霊来りたまえ」の文字が刻まれています。

聖霊のドア

聖堂入り口のドアの取っ手には、聖霊を象徴した鳥がオリーブの枝をくわえています。

洗礼盤

聖職者によって祝福された聖水で、洗礼を授けて頂く時に使用します。

告解部屋

信徒は、罪の告白を通じて神さまからのゆるしと和解を聖職者から得ます。

パイプオルガン

主聖堂を入ってすぐ、らせん状の階段を上がるところにあります。主日のミサや、結婚式、葬儀のミサなどで、美しい音色を奏でています。

集いの部屋

教会の開いている時間はいつでも開放されていて、信徒、教会を訪れる方の憩いの場所です。

集会室

4つの部屋と、キッチンがあり、聖書のお勉強会や、子供たちのお勉強の部屋として使われています。集まる規模により仕切りの壁が外されて、大きな部屋として使われます。

キッズルーム

教会学校の子どもたちが、このお部屋で聖書のお勉強をしたり、遊んだりして過ごしています。

鐘楼

フランスから贈られた旧中山手教会の3つの鐘が吊るされています。
鐘楼の足もとには四福音使徒を象徴したモザイクタイルが埋込まれています。

鐘楼の足元

四福音使徒を象徴したモザイクタイルが埋込まれています。

聖書のみ言葉

教会のコンセプト「私があなたがたを愛したように 互いに愛し合いなさい」の文字が
刻まれています。

旧カトリック下山手教会の
鐘楼記念台

旧下山手教会で、長い時代使われていた鐘が、記念として神戸中央教会に飾られました。

教会の行事

復活節

待降節

クリスマスの
プレゼピオ

クリスマスの教会

洗礼式
七五三のお祝い
成人のお祝い
黙想会
バザー
コンサート
成人のお祝い
教会のあゆみ
新生されたカトリック神戸中央教会は
中央区の3つの教会(灘、中山手、下山手)が統合して献堂されました。

旧カトリック中山手教会の歴史

フランシスコ・ザビエルが1549年(天文18年)、
キリスト教宣教のため鹿児島に上陸した時から日本のキリスト教の歩みが始まります。

その後200年間続いた鎖国の後、フランスから来日した神父たちは、長崎、神戸、横浜、函館の港に上陸し、
ふたたびキリストの教えを伝えながら隠れキリシタンを発見したのです。
神戸に出来た新しい港に上陸した最初の宣教師であるムニクウ神父は、1867年(慶応3年)に
元町の外国人居留地に伝道場を建て、その2年後(明治元年)同じ場所に最初の教会を作りました。
現在の中山手カトリック教会はその最初の聖堂が老朽化したためファージュ神父が移転を考え、
国際都市神戸の発展とともに1921年(大正10年)に現在の場所、中山手1丁目に移転したものです。
そして、1923年(大正12年)に新聖堂が完成しました。
 しかし、新たにできた教会も、戦争の終わりが近ずいた
1945年(昭和20年)6月5日の神戸大空襲の際に全焼し、
聖堂内にいたファージュ神父と数人の信者は教会とともに尊い生命を失いました。
この悲しい出来事の後、残っていた壁や柱を礎にして教会の建物は修復され(昭和31年)、
フランスから素晴らしい芸術品でもある色鮮やかな新しいステンドグラスが送られ、
日本人も外国人も国際都市神戸の中山手教会を心の安らぎの場として救いを求めるために訪れるるようになりました。
しかし、1995年1月17日の阪神淡路大震災によって、聖堂半壊、司祭館全壊。
こうして、神戸に根をおろしたこの教会は、
神さまのみ栄えと人々の救いのために、市民とともに喜び・悲しみの道を歩みました。

1999年5月23日、中山手カトリック教会・灘教会と統合されて
カトリック神戸中央教会となりました。
 

旧カトリック下山手教会の歴史

下山手カトリック教会は、建築学的にみても、
神戸の教会の歴史上から考えても神戸唯一の貴重な美しい教会といえます。

 1870年、まだ「キリシタン禁制」の時代に、居留地仲町37番地(現大丸デパート敷地)に
パリ外国宣教会ムニクウ神父が神戸発のカトリック教会を建設されました。
当時、聖堂はもっぱら居留地の外国人ためにされていたそうです。
 1873年、キリスト教信教の自由は認められたものの、禁制時代の気風はいっこうに崩れず、
主の御教えは受け入れられませんでしたが、宣教開始後次第に日本人の信者が増し
263人となりました。そうした時代に、下山手教会の誕生が始まりました。
 ペリン神父は日本人の布教の場を設けることを念願され、1885年から多聞通り、
さらに西出町にも日本人のための伝道所を開設、日本人信徒は400人以上に達したといいます。
ペリン神父はどうしても日本人のために聖堂がほしいと願われ、新聖堂建設を決意されました。
そして、ペリン神父をはじめすべての聖職者の熱意と祈り、数多くの方々の協力によって
1910年下山手天主公教会の聖堂が献堂されました。
 依頼、下山手教会は1945年6月、神戸大空襲により司祭館が焼失しましたが、
戦 をまぬがれ、美しい姿をとどめていましたが、
1995年1月17日、阪神大震災により聖堂全壊。

1999年5月23日、中山手カトリック教会・灘教会と統合されて
カトリック神戸中央教会となりました。

旧カトリック灘教会の歴史

編集中

中山手カトリック教会から伝わるステンドグラス

旧中山手教会のステンドグラスは、1965年(昭和40年)にフランスのシャルトル(パリの南西100㎞)で作られました。ガブリエル・ロワール氏のアトリエの作品であり、伝統的な技術を伝えるガラス作りの職人によって中山手教会のために特別制作されたものです。
戦前にも当教会にステンドグラスはありましたが、1945年(昭和20年6月5日)の神戸の空襲で全焼した教会に、もう一度新しいガラスをつけようとデュレク神父によって注文されました。

 聖堂の中には、聖書に記されている20の物語からなるおよそ40枚のステンドグラスがはめ込まれていました。キリストの誕生に関するいくつかのエピソード、キリストの受難(入口の薔薇の窓)、キリストのご復活、ご昇天、聖霊降臨、キリストの母マリア、キリストの教えの一部などです。
ロワール氏は、厚いガラスをセメント材で固める「ダル・ド・ベール」という特殊な製法でこのステンドグラスを作ったため非常に頑丈で、震災で聖堂が半壊になっても、ステンドグラス自体は無事でした。
 ステンド・グラスは聖堂の解体工事の際に取り外され、旧聖堂の祭壇後ろ部分に設置されていた部分は、2004年に献堂されたカトリック神戸中央教会の聖堂で再び光の輝きが通過するようになりました。
他のステンド・グラスの一部は、2008年に高松のカトリック桜町教会に設置されました。
残る部分は長く倉庫に保管されていましたが、2015年10月、新しく完成した宮崎市のカトリック宮崎教会の新聖堂に再び光の輝きと共に設置されています。



ステンドグラスは、キリストのメッセージを人々に伝える、信仰の教育の手助けの役を果たしています。肉眼で(目に)見える聖書の絵本のように信仰を生かす芸術的なものです。教会の教えを支えると同時に、祈りの雰囲気を助ける目的を持っています。
太陽の光が人間を照らすように、その光を通して私たちはまことの神の光に照らされるために目と耳を通して信仰の恵みをいただきます。教会の音楽や聖歌も同じ役割を果たすもので、信仰教育に欠かせないものです。
中山手教会は小さな建物ですから、聖書の中のわずかな場面しか描かれていません。しかし、信仰を深めるためには、聖書の光と神さまの言葉を直接にいただく必要があります。また、個人的な祈りによって神さまに結ばれるためにも教会は案内の役を果たします。
教会の中の儀式は人間の行いですが、神さまだけが私たちの中で目に見えない業を行われます。