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カトリック神戸中央教会の紹介
カトリック神戸中央教会は、1995年の阪神大震災後で被災した3つの教会
(灘、中山手、下山手)を統合し、神戸の教会新生の要として誕生しました。
2004年10月には旧中山手教会の地に、現在の「聖霊にささげられた聖堂」が献堂されました。
カトリック神戸中央教会 設立の思い

・誰もがありのままを受け入れられ、敷居の低い開かれた教会

・キリストの心を生きる弟子として、養成を大切にし、信仰感覚で選び、生き方を通して証しする教会
・神の国の実現を求め、とりわけ社会のひずみに苦しむ人たちと共に歩むことを優先する教会
・みなで創造的に取り組み、柔軟性のある、夢を紡ぎ続ける教会

・野菜サラダのような多様性の一致を大切にし、交わり分かち合う教会

教会施設の紹介

外から見た聖堂
カトリック教会らしい象徴的な景観を都市空間の中に作る事を目指して、主聖堂を交差点に配し、鐘楼は象徴的に入り口に置かれました。
また、開かれた教会として誰もが自由に訪れ易い様に、聖堂の外壁に添って歩くと自然に聖堂の入り口に誘われます。
聖堂の外壁は三位一体を象徴した3枚の壁で囲み、箱船にもイメージを重ねています。その形は伝統的な切妻型(切り妻= 棟を境にして両方にふきおろした屋根)の単純な形でありますが、平面形の特性から祭壇に向かって上昇する内部空間を持っています。
主聖堂
 聖堂の内部空間は、聖霊に捧げられたこの教会にふさわしい、明るい静寂さに包まれた空間をイメージして作られました。聖霊降臨を象徴する天窓の真下には、この聖堂の中心である祭壇が置かれ、それを取り囲むように信徒席が配置されています。

オランダ産の白煉瓦で作られた壁面には、信徒席を取り囲むように14枚のステンドグラスの窓があります。それはまた、イエスの受難の物語をたどる信心業である「十字架の道行き」の14のステーションにもなっています。

最初 聖堂に足を踏み入れた時、このステンドグラスはほとんど目に入りません。白煉瓦の壁に映るわずかな色だけが感じられ、落ち着いた静けさに包まれた空間だけが広がります。

しかし、聖体拝領などで祭壇前に進んで振り返った時、初めて全てのステンドグラスの力強い光が目に飛び込んできて、そのダイナミックな光の変化を感じることができます。

正面左右の2枚のステンドグラスは天地創造を表し、晴れた午後には美しい色彩が正面の壁面とご復活のキリスト像に流れます。



小聖堂
朝のミサや個人的な祈りのためにあります。
正面に向かって壁を少し開き、正面も外光をうける傾きを持っています。
天地創造を表す7 枚の小さな
ステンドグラスのある壁は、上に向かって傾斜し上端にスリットを切る事で小さい聖堂ながら広がりを持たせています。
また、後方に光溜まりの場所を作り、格子越しの柔らかい光が聖堂全体を包み込み、閉ざされている空間でも明るくなっています。
十字架の道行があります。

ご復活のイエス像

彫刻家の二藤氏が一年半の歳月をかけ、製作されました。後ろの壁を浮き立たせて自然のカーブで十字架のシルエットが浮かび上がるようにしつらえられ、ご像を神秘的に浮かび上がらせています。

主聖堂の聖母子像

ご復活のイエス像と同じく、彫刻家の二藤氏によって製作されました。主聖堂の後方にあります。

庭園の聖母子像

阪神淡路大震災の後に寄付され、鐘楼の下に移植された、復活のオリーブの木の隣にあります。

ステンドグラス

信徒館ロビーのメモリアルコーナーには、旧カトリック中山手教会の正面にあったステンドグラス3 枚が移設されています。
1965年にフランスのシャルトル(パリの南西100㎞)で作られました。ガブリエル・ロワール氏のアトリエの作品であり、中山手教会のために特別制作されたものです。

小聖堂の十字架

旧中山手教会にあった十字架。
震災後に、この小聖堂に置かれました。

小聖堂の聖櫃と
聖母子像

旧中山手教会にあった、聖櫃と聖母子像。
震災後に、十字架と共にこの小聖堂に置かれました。

小聖堂の
十字架の道行

旧灘教会にあった十字架の道行。
四旬節に入ると、この小聖堂で静かに十字架の道行のお祈りが行われます。

信徒館ロビーの
ファティマの聖母像

ファティマの聖母。
阪神淡路大震災の後に、フィリピンの方から寄付されました。

主聖堂 入口

聖堂に捧げられた教会堂にふさわしく
Veni, Sancte Spiritus
「聖霊来りたまえ」の文字が刻まれています。

聖霊のドア

聖堂入り口のドアの取っ手には、聖霊を象徴した鳥がオリーブの枝をくわえています。

洗礼盤

聖職者によって祝福された聖水で、洗礼を授けて頂く時に使用します。

告解室

司祭のもとで自分の罪を告白し罪のゆるしを願うことにより、神からゆるしと和解を得ます。信徒は年に1回以上の「ゆるしの秘跡」を受けることを勧められています。

パイプオルガン

主聖堂を入ってすぐ、らせん状の階段を上がるところにあります。主日のミサや、結婚式、葬儀のミサなどで、美しい音色を奏でています。

集いの部屋

教会の開いている時間はいつでも開放されていて、信徒、教会を訪れる方の憩いの場所です。

集会室

パーティー、聖書の勉強会、各グループの集まりなどで使われています。

キッズルーム

教会学校の子どもたちが、聖書のことを学んだり、遊んだりして過ごしています。

鐘楼

フランスから贈られた旧中山手教会の3つの鐘が吊るされています。
鐘楼の足もとには四福音使徒を象徴したモザイクタイルが埋込まれています。

鐘楼の足元

四福音使徒の象徴である天使(マタイ)、獅子(マルコ)、雄牛(ルカ)、鷲(ヨハネ)のモザイクが埋め込まれています。

聖書のみ言葉

イエスのみ言葉「私があなたがたを愛したように 互いに愛し合いなさい」が刻まれています。

旧カトリック下山手教会の
鐘楼記念台

旧下山手教会で、長い時代使われていた鐘が、記念として神戸中央教会に飾られました。

中山手カトリック教会から伝わるステンドグラス

旧中山手教会のステンドグラスは、1965年(昭和40年)にフランスのシャルトル(パリの南西100㎞)で作られました。ガブリエル・ロワール氏のアトリエの作品であり、伝統的な技術を伝えるガラス作りの職人によって中山手教会のために特別制作されたものです。
戦前にも当教会にステンドグラスはありましたが、1945年(昭和20年6月5日)の神戸の空襲で全焼した教会に、もう一度新しいガラスをつけようとデュレク神父によって注文されました。

 聖堂の中には、聖書に記されている20の物語からなるおよそ40枚のステンドグラスがはめ込まれていました。キリストの誕生に関するいくつかのエピソード、キリストの受難(入口の薔薇の窓)、キリストのご復活、ご昇天、聖霊降臨、キリストの母マリア、キリストの教えの一部などです。
ロワール氏は、厚いガラスをセメント材で固める「ダル・ド・ベール」という特殊な製法でこのステンドグラスを作ったため非常に頑丈で、震災で聖堂が半壊になっても、ステンドグラス自体は無事でした。
 ステンド・グラスは聖堂の解体工事の際に取り外され、旧聖堂の祭壇後ろ部分に設置されていた部分は、2004年に献堂されたカトリック神戸中央教会の聖堂で再び光の輝きが通過するようになりました。
他のステンド・グラスの一部は、2008年に高松のカトリック桜町教会に設置されました。
残る部分は長く倉庫に保管されていましたが、2015年10月、新しく完成した宮崎市のカトリック宮崎教会の新聖堂に再び光の輝きと共に設置されています。



ステンドグラスは、キリストのメッセージを人々に伝える、信仰の教育の手助けの役を果たしています。肉眼で(目に)見える聖書の絵本のように信仰を生かす芸術的なものです。教会の教えを支えると同時に、祈りの雰囲気を助ける目的を持っています。
太陽の光が人間を照らすように、その光を通して私たちはまことの神の光に照らされるために目と耳を通して信仰の恵みをいただきます。教会の音楽や聖歌も同じ役割を果たすもので、信仰教育に欠かせないものです。
中山手教会は小さな建物ですから、聖書の中のわずかな場面しか描かれていません。しかし、信仰を深めるためには、聖書の光と神さまの言葉を直接にいただく必要があります。また、個人的な祈りによって神さまに結ばれるためにも教会は案内の役を果たします。
教会の中の儀式は人間の行いですが、神さまだけが私たちの中で目に見えない業を行われます。

教会の行事

復活節

待降節

クリスマスの
プレゼピオ

クリスマスの教会

洗礼式
七五三のお祝い
成人のお祝い
黙想会
バザー
コンサート
成人のお祝い
教会のあゆみ
カトリック神戸中央教会は、1999年5月23日、旧カトリック中山手教会、下山手教会、灘教会の3教会が統合されて誕生しました。
母体となった3教会のそれぞれの歩みは次のとおりです。

旧カトリック中山手教会の歴史

幕末の動乱の頃、フランスのパリ外国宣教会の一員として来日していたムニクウ神父は、1868年(慶応4年)7月、神戸に開かれた新しい港に上陸し、活動を開始。同年9月に居留地仲町37番地(現 大丸百貨店付近)の土地を手に入れ、2年後の1870年4月神戸初のカトリック教会「七つの御悲しみの聖母天主堂」が献堂された。これが旧中山手教会の母体となる。カトリック中山手教会は、その最初の聖堂が老朽化したため、ファージュ神父により1921年(大正10年)に現在の神戸中央教会の場所、中山手1丁目に移転されたもの。1923年(大正12年) 新聖堂が完成した。ゴシック建築を模した美しい教会堂であった。第2時世界大戦末期の1945年(昭和20年)6月5日、神戸大空襲で聖堂は全焼し、堂内にいたファージュ神父は二人の信者とともに犠牲となった。その10年後、1956年(昭和31年)、聖堂は、残っていた壁や柱を礎にして、フランスから新たに送られたステンドグラスとともに見事に修復され、その後 神戸を代表する景観の一つとして親しまれた。しかし、1995年1月17日の阪神淡路大震災によって聖堂は半壊、司祭館は全壊した。1999年(平成11年)5月23日、下山手教会、灘教会と統合されてカトリック神戸中央教会となる。2004年(平成16年)新聖堂完成。

旧カトリック下山手教会の歴史

パリミッション会のペリン神父により、1910年(明治43年)現在の中央区下山手7丁目に献堂。孤児院と幼稚園を兼ねた児童施設⎯⎯⎯幼きイエズス会の神戸女子教育院も隣接して建てられていた。ロマネスク様式の煉瓦造りの美しい建物で、神戸大空襲にも被災を免れ、神戸の教会建築を代表するランドマークであったが、1995年(平成7年)1月17日、阪神大震災により聖堂全壊。
1999年(平成11年)5月23日、神戸中央教会に統合される。

旧カトリック灘教会の歴史

戦後、信者数の増加にともない、神戸市内に新しい教会を求める声の高まりを受け、1951年(昭和26年)灘区(現 中央区)籠池通の土地に焼け残っていた建物を仮聖堂として始められた。やがて幼稚園も併設され、1958年(昭和33年)には待望の聖堂が完成、着実に活動を続けていたが、1995年の阪神淡路大震災を機に、神戸中央教会に統合されることとなった。

お世話になった司祭(2017〜)

ルスタラン バルテレミ神父
2019年12月3日フランスに帰国されました。

アウグスチヌス
傘木 澄男神父
2018年8月8日天に召されました。
永遠の安息をお祈りいたします。

ジョン ルク オマリー神父
2017年5月末 静養のためイエズス会ロヨラ修道院へ異動されました。

ブラッドリー・ロザイロ神父
(オブレート会)
2017年4月 梅田教会へ異動されました。