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終戦から70年以上経ち、当時を知る人もどんどん少なくなっています。
日本がどこと、なんのために戦っていたのか、なぜ私たちは戦争を放棄すると誓ったのか。
次の世代にも伝えていかなければいけません。
『わたしたちもみんな子どもだった』は、体験者が戦争を語る、オーラルヒストリーをまとめた本です。
10代の子どもたちに読んでもらいたいと、戦争に関する用語解説を載せ、この1冊で戦争の概要がわかるようになっています。
この本をベースにした平和学習授業を開催しています。
対 象 :中学1年〜大人
対応人数:30〜100名くらいまで(応相談)
授業形態:対面またはオンライン(対面推奨です)
授業時間:45分〜ご都合に合わせます
※講座開催価格はご予算に応じますので、まずはご相談ください。
若い人たちにも興味が持てるよう、本書の体験談を元にお話をします。
戦争の悲惨な体験ばかり聞かされていると、興味を失ってしまうかもしれません。
開戦に至る理由がひとつではないのと同じく、敗戦の理由もたくさんあります。そこで生きた人たちの体験も、ひとつではありません。
もちろん戦争は起こしてはいけないことです。二度と同じ過ちを繰り返さないために、「まずは興味を持ってもらうこと」から始める必要があると考えます。
テニス、茶道、ジャニーズ、ハリウッド映画など、生徒の身近なものをフックに話をつなげていきます。講座の前にヒアリングし、受講者のみなさんの興味に合わせて内容を調整いたします。
受講者の興味に合わせた楽しい授業
意外と知られていない、戦争のあれこれ
樺太の残留日本人について知っている人はあまり多くありません。樺太で育った近藤孝子さんは、日本語、韓国語、ロシア語が操れます。なぜそんなことになったのでしょうか。樺太の歴史を知ると、その理由が見えてきます。
そのほか、風船爆弾を作る工場で働き、そこで将来夫となるひとと出会ったかたのお話など、体験者のお話をダイジェストでご紹介します。
また書籍に載せたこと以外にも、長崎の戦跡「無窮洞」「魚雷試験場跡」などの現地紹介や、日系アメリカ人が戦時中、どんな環境にいたのかなど、様々な視点でお話することが可能です。
2022年7月2日開催、静岡サレジオ中学校
「今まで戦争というワードを聞くと、原爆や死ということを連想していましたが、他にも色々なことが起きたと知ることができました。場所によって経験したことが違うということも知り、もっと戦争に興味を持ち始めました。色々なことについて自分から調べてみたいです」
「(和久井が)何度も大学に入っていたり、色んな職業をしていることを知って、私も何事もチャレンジしていきたいと思いました」
「どんなことも固定観念を持たずに視野を広げないといけないなと思いました」
「ジャニーズの話が面白かった」
「紹介されたマンガ、読んでみます!」
教員の声(静岡サレジオ中学校・高等学校教員 山田邦彦先生)
研修旅行の事前指導として特別授業をお願いしました。書籍のエピソードだけでなく、研修旅行先と絡めたお話を生徒の興味に配慮しながら貴重な資料と軽快なトークで授業を行ってくださいました。和久井さんの特別授業により、青春時代を生きた一人一人の大切なストーリーがあることをきちんと受け止めた生徒が多くいたと思います。偏った知識だけを持ってはいけないと感じた生徒も多くいました。教員である私たちにとっても大切な視点を教えてくださったと感じています。当時の人々の思いを次に伝えることが平和につながると強く思いました。平和教育の大切な視点を教えられました。
ソニーの元副社長で、錦織圭選手や西岡良仁選手を育てた盛田正明さん。終戦間際、特攻隊に志願しました。どうして、どんな気持ちだったのでしょうか。戦後、ソニーに入社するまでの激動の少年期を語って頂きました。
「私は軍人の息子です」という佐藤さん。自身も強い意志を持って陸軍士官学校へ進学しました。戦争とは何か、軍人とはどういうものか。そして彼らの戦後は……?
小学館の幹部にまで上り詰めた林四郎さん。彼がエリート校の海軍兵学校へ進学したのは、「非国民」が理由でした。そして彼が見た広島の原爆は……。
現在も大人気の宝塚歌劇団。戦時中も、少女歌劇が大好きだった少女がいました。彼女は戦後、ある意味で戦時中よりもひどい目にあったのです。今も昔も、変わらない女の子たちの物語。
ボクシング連盟元会長・山根明さんは朝鮮系日本人として大阪に生まれました。戦後、家族とともに朝鮮に帰ると朝鮮戦争が始まり、命がけで日本へ戻ってきました。日本が大好きだった少年の物語。
満州の首都だった新京(現・中国の長春市)では、どんな生活が営まれていたのでしょうか。最先端の設備を備えたマンションでの生活、そしてソ連の侵攻……。
小学校もなかなか通えなかった少女は「かっこいいこと」が大好き。都心に憧れて進駐軍のハウスメイドになります。現在も現役で佃煮屋さんを経営。嵐の松潤ファンとして有名な、佃煮屋さんの現役店長さん。
小学館の幹部にまで上り詰めた林四郎さん。彼がエリート校の海軍兵学校へ進学したのは、「非国民」が理由でした。そして彼が見た広島の原爆は……。
横山さんは、鹿児島で終戦を迎えました。当時13歳。長男として一家を支える役目でした。大空襲の後、横山さんが見たものは……? 当時学校で教えられた「常識」とは……?
樺太に終戦後、取り残されてしまった日本人がいます。総勢400名。なぜ、そんなことになったのでしょうか。樺太が背負う複雑な環境と戦争が、「サハリン残留」という悲劇を生みました。
最高齢現役薬剤師としてギネスブックにも載っている比留間さん。女性の社会進出などあり得なかった時代に、資格を取って自立をする道を選びました。その理由は……?
フワフワと太平洋を渡りアメリカ本土を攻撃した風船爆弾は、学校へ通うべき年齢の少年少女たちによって作られました。その工場で生まれた恋がありました。しかし彼女には親に決められた許嫁がいたのです。初恋の人か許嫁か……。戦争が、彼女の人生を決めてしまいました。
茶道裏千家の前お家元、千玄室大宗匠は戦時中、特攻隊員でした。「行かせてください」と懇願する千さんですが、彼に出撃命令は下りませんでした。仲間を見送った彼の思いは……?
満州で何不自由なく暮らしていた姉妹は、終戦と共に困難な引き揚げが始まりました。思春期の女の子にやってくる「月経」にも苦しめられます。
日本の芸能界は戦後の「進駐軍慰安」なしには語れません。 ハリウッド でヘアメイクアーティストとして活躍し、日本人初のエミー賞を受賞したカオリさんは、戦時中に習い始めたタップで戦後、一家を支えることになりました、
満州の前線で警備をしていた田中さんは終戦も知らず、数ヶ月に及ぶ敗走を続けます。武装解除して投降して連れていかれたシベリア。しかし意外なものが帰国のきっかけになるのです。
最高齢現役薬剤師としてギネスブックにも載っている比留間さん。女性の社会進出などあり得なかった時代に、資格を取って自立をする道を選びました。その理由は……?
満州国、樺太、韓国併合、戦艦プリンス・オブ・ウェールズ、闇市、ワシントンハイツ、進駐軍、引き揚げ、特別攻撃隊、東京大空襲、学徒勤労動員、風船爆弾、戦時下の学生生活、海軍兵学校、陸軍士官学校など……
当時を理解するのに必要な用語解説をつけています。