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今から数年前、艦内神社を研究する久野先生が、遠路はるばる青井阿蘇神社(熊本県人吉市)をおとずれ、宮司に軽巡洋艦「球磨」の守護神について質問しました。しかし、宮司はよくわかりません。
それから数日後、郷土史家のK先生は宮司から久野先生の来訪のことを聞くと、軽巡洋艦「球磨」の守護神なら市房山神宮(熊本県球磨郡水上村)であることを告げます。
K先生は戦前、出征する友人の武運長久を祈るため、友人と一緒に市房山神宮の里宮(熊本県球磨郡湯前町)に参拝したこともありました。市房山神宮が古来「武の神様」として、あつく信奉されていたことをよく知っていたのです。
その後、くしくも広島県立図書館で大正時代の『呉新聞』に軽巡洋艦「球磨」の守護神が市房山神宮の神様であったと書いてあることが見つかり、K先生の言葉の正しさが裏付けられたのでした。
市房山神宮は、本宮(市房山神宮)、中宮(一の宮神社)、下宮(市房山神宮里宮)の3宮で構成されています。本宮は山の中腹にあるので、そこまで参拝に行くのが大変な人は、下宮で祈れば本宮で祈ったのと同じになるという仕組みでした。下宮は参拝しやすいふもとにあります。
軽巡洋艦「球磨」の時代、市房山神宮の宮司は、岡原霧島神社(熊本県球磨郡あさぎり町)の宮司が兼務していました。市房山神宮と岡原霧島神社の主祭神は同じニニギノミコトです。
球磨会は、人吉球磨出身の軍人たちが中心となって結成した組織です。会長は、相良子爵がつとめました。相良子爵は、鎌倉時代より球磨地方の領主をしていた相良家の当主です。
相良子爵は、だいの海軍びいきでした。観艦式のとき、海軍省に招待され、実際に軽巡洋艦「球磨」に乗艦したこともあります。
(中略)
いずれ公開可能なときがくれば、市房山神宮の神様が軽巡洋艦「球磨」の神様としてお祀りされた理由について記された資料が公開されることになるのでしょう。