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ご案内

 軽巡洋艦球磨記念館は、市房山神宮里宮の境内にある、軍艦球磨や日本海軍のことなどを紹介している展示スペースです。ご英霊をお祀りする忠魂社(招魂社)に付属する形で存在しています。
 里宮には他に、湯前城跡や湯前城陸軍陣地跡など、軍事関連の遺構が残っており、その一部が見学可能となっています。

開館日
ほぼ年中無休

開館時間
9:00~17:00

お問い合わせ
0966-43-3032

場所
熊本県球磨郡湯前町下城
(市房山神宮里宮内)


もくじ



【ピックアップ紹介】
菅野泰紀先生の軍艦「球磨」

館内では、有名な艦船鉛筆画家である
菅野先生の手による軍艦「球磨」の鉛筆画を
ご覧いただけます

軽巡洋艦「球磨」御朱印が本に登場

御朱印でめぐる九州の神社
週末開運さんぽ
(地球の歩き方 御朱印シリーズ)

軽巡洋艦「球磨」のご紹介


軽巡洋艦「球磨」のことを動画で紹介します


軽巡洋艦「球磨」の守護神としての市房山神宮


 今から数年前、艦内神社を研究する久野先生が、遠路はるばる青井阿蘇神社(熊本県人吉市)をおとずれ、宮司に軽巡洋艦「球磨」の守護神について質問しました。しかし、宮司はよくわかりません。
 それから数日後、郷土史家のK先生は宮司から久野先生の来訪のことを聞くと、軽巡洋艦「球磨」の守護神なら市房山神宮(熊本県球磨郡水上村)であることを告げます。
 K先生は戦前、出征する友人の武運長久を祈るため、友人と一緒に市房山神宮の里宮(熊本県球磨郡湯前町)に参拝したこともありました。市房山神宮が古来「武の神様」として、あつく信奉されていたことをよく知っていたのです。
 その後、くしくも広島県立図書館で大正時代の『呉新聞』に軽巡洋艦「球磨」の守護神が市房山神宮の神様であったと書いてあることが見つかり、K先生の言葉の正しさが裏付けられたのでした。


3宮で構成される市房山神宮


 市房山神宮は、本宮(市房山神宮)、中宮(一の宮神社)、下宮(市房山神宮里宮)の3宮で構成されています。本宮は山の中腹にあるので、そこまで参拝に行くのが大変な人は、下宮で祈れば本宮で祈ったのと同じになるという仕組みでした。下宮は参拝しやすいふもとにあります。
 軽巡洋艦「球磨」の時代、市房山神宮の宮司は、岡原霧島神社(熊本県球磨郡あさぎり町)の宮司が兼務していました。市房山神宮と岡原霧島神社の主祭神は同じニニギノミコトです。

市房山神宮里宮の公式サイト

慰霊祭


 例年1月11日近くには、市房山神宮里宮において、軽巡洋艦「球磨」戦没者慰霊祭が斎行されています。本宮の宮司と下宮の宮司が話し合った結果、下宮(里宮)で斎行することになったのでした。

球磨会のはたした役割


 球磨会は、人吉球磨出身の軍人たちが中心となって結成した組織です。会長は、相良子爵がつとめました。相良子爵は、鎌倉時代より球磨地方の領主をしていた相良家の当主です。
 相良子爵は、だいの海軍びいきでした。観艦式のとき、海軍省に招待され、実際に軽巡洋艦「球磨」に乗艦したこともあります。
(中略)
 いずれ公開可能なときがくれば、市房山神宮の神様が軽巡洋艦「球磨」の神様としてお祀りされた理由について記された資料が公開されることになるのでしょう。


軍艦「球磨」艦歌


学校に校歌があるように、軍艦には艦歌がありました
軽巡洋艦「球磨」の艦歌を現代風にアレンジです


軽巡洋艦球磨記念館のある市房山神宮里宮は
湯前城跡に建立されています
湯前城跡は先の大戦末期には陸軍の陣地にもなりました
それらも遺構もいくばくか残っています

暖かい時期は除草が間に合わず草ボーボーになっている場合もございます。
あらかじめ、ご了承ください。