手紙コンテスト
第1回は
今はもう居ない大事な方へ
伝えきれなかった想いを
綴っていただきました
6月にお世話させていただいた
あるお家のご葬儀の
ご家族が書いておられたお手紙が
手紙コンテストを行うきっかけとなりました。
あたたかい言葉で送られるご家族の絆と想いが
言霊となって故人様を包んでいるようで
それはまるで宝物のように輝いて見えたのです。
心からの言葉を手紙として形にすると
口に出すのは照れ臭いけど
ずっと持っている相手への想いが溢れるものなんだと感じました。
大事な方にお声がけが出来なかった方も大勢いらっしゃると思います
伝えきれなかった心に残る想いがきっと沢山あるはず・・・
コンテストといっても優劣をつけるのが目的ではありません。
伝えられなかったままの想いを
ただ、どこかで語っていただける場所をつくりたかったのです。
体調が悪いとは聞いていたけど、あんなことになるなら無理にでも会っておけばよかった。
まだまだ長生きしてくれると思ってたから油断してたよ。
おじいちゃん、いつも会いたかったんだよ。
本当に、本当に、会いたかったんだよ。
ある時からぱたりと連絡が途絶えて、家にもあげてくれないし、電話にも出てくれなくなったね。
私はおじいちゃんに嫌われてるのかと思って悩んでました。
ちゃんとした社会人になれなかったから失望してるのかなって。
病気のせいだなんて知らなかった。
体の具合が悪いと聞いたのは随分後のことで、1人で全部抱え込むおじいちゃんがどんなものと闘ってるのかも私は知らないままでした。
伝えたいことがたくさんあったんだ。転職を考えてること、よく頑張ってるって褒めてくれるのがいつも嬉しかったこと。またママのお墓参りをまた一緒にしようって言いたかった。
おじいちゃん、間に合わなかった孫のこと、許してくれますか?
せめて今は痛いところがないといいな。
ママもおじいちゃんも天国に行くのが早すぎるよ。
私がそっちへ行くのは60年後くらいかな、それまで待っててくれますか?
頑張って生きます、二人が見ててくれると思うから。
胸張ってこんな風に生きたよ!
って言えるように、毎日生きるね。またね。
たまにおばさんちに行くと、いまだに、おばさんがいないのがなんだか不思議な感じがします。
「こんにちは」って言うと、おばさんが家の奥から出てきてくれるのが、まだ当たり前みたいです。
きっと私はこれからもこんな小さな違和感を重ねて、まわりの人を見送っていくのだろうなと思います。
もしかしたら自分の番が先にくるかもしれないけど、年の順でいったら、あとのほうだからね。
おばさん、覚えてますか?
昔、私がまだ幼い子供だったころは、よくおばさんちに遊びに行きましたね。
おばさんちは自然豊かなところにあって、虫や動物を捕まえるのが楽しかったのを思い出します。
あるとき私が木を触って、手に棘が刺さったことがありました。
結構深く刺さって私が痛みに驚いて家に駆けこむと、おばさんはおもむろに五円玉を取り出しましたよね。
そして私の手に五円玉を押し当てて、棘を抜いてくれました。
あの日のおばさんの手にある五円玉を、私はたまに思い返すのです。
ただの五円玉がおばさんの手にかかれば治療道具になるのかって、とても感動したのですよ。
おばさんはそんな生活の知恵に明るい人でした。
今では、もっといろいろなことを教わっておけばよかったなと後悔しています。
おばさんが亡くなってずいぶん経ちました。
私も、おばさんの子供たちも、もうとうに大人になってしまいました。
懐かしい環境が失われること、時間が流れてしまうことは、寂しいことです。
でもそれは希望でもあります。
新しい子供たちがやってくる希望です。
おばさんが可愛がっていたあの子は、もう二児のお母さんです。
変化は寂しさだけでなく、そんな希望も運んでくるんだなと感じています。
私はあのときのおばさんみたいに、子供たちにとっていいおばさんでいられるでしょうか。
少し不安に思います。
だけどおばさんがそうしてくれたように大切に愛情をもって接してあげて、子供たちにとってのいいおばさんになれたらと思うのです。
私の奮闘をそちらで見ていてください。
そしていつか、また会いましょう。
それじゃあ、また。
れあより
みーちゃん、あなたが火事で亡くなってから二十年以上が経つね。
あの頃私たちは小学校の入学を翌年に控えて、おしゃまな年頃だったよね。
前の年から一緒に習い始めたピアノ教室では、初めての発表会が年明けに予定されていて楽しみだったよね。
待ちきれなくて公園で発表会ごっこしたのを覚えてる?
ベンチをピアノに見立ててさ、曲を口ずさみながら、交代で演奏するふりをしあったよね。
みーちゃんがいなくなってから世の中は色々な変化があって、たとえば少し前にはエアギターなんていうものが流行ったんだよ。
楽器もないのにギターを弾くふりをするの。
幼児の私たちが遊んだ公園のエアピアノは時代を先取りしていたのかもね。
二人で通った週一回のお稽古の日のことはなぜかあんまり思い出せないの。
あの後も私は高校卒業までピアノを習い続けたからかな。
あの冬の日に火事があったってこと、私はしばらく知りませんでした。
母が新聞記者の人に取材を申し込まれたりもしたんだよ(断ったけど)。
洋裁の得意な母は発表会に向けて、みーちゃんと私に色違いのドレスを作っていたんだよ。
私は大好きだったピンク色。
水色の小さなドレスは、みーちゃんのお父さんにお願いして棺に入れてもらったって後から聞いた。
みーちゃんがお母さんと二人で逝ってしまってから、お父さんは別の街へ移ったらしいけど、今もきっとみーちゃんのことを大事に思っているはず。
2020年9月10日 | 第1回手紙コンテスト『あのとき届けたかった手紙』コンテスト締め切り |
---|---|
2020年9月29日 | 第1回手紙コンテスト受賞者発表 |
2020年11月 | 第2回手紙コンテスト開催予定 |
2021年1月 | 第3回手紙コンテスト開催予定 |
2021年3月 | 第4回手紙コンテスト開催予定 |
見出し | ここをクリックして表示したいテキストを入力してください。テキストは「右寄せ」「中央寄せ」「左寄せ」といった整列方向、「太字」「斜体」「下線」「取り消し線」、「文字サイズ」「文字色」「文字の背景色」など細かく編集することができます。 |