昭和25年(1950年)、現在の隅田公園(東京都台東区)の一角、当時「蟻の会」という労働者の生活共同体のあった地域一帯が、マスコミ報道などをきかっけに「アリの街」と呼ばれました。
当時この一帯には、「バタ屋」と言われる廃品回収などを生業とする戦災被害者たちとその家族が暮らしていました。彼らの生活は貧しく、当時の日本にはそうした人々が公共の土地に無許可で集落を形成する状況が各地にあり、この地域もそうした「バタ屋集落」の一つとみなされていました。
しかし実態は、正式に借地した土地を利用して事業をする者たちと、それに携わる労働者とその家族らが生活しているものであり、他のバタ屋集落と違って、不法なものではありませんでした。ですが、さまざまな事情から、当時の行政は集落の撤去を求め、一方、そこで暮らす人々の生活を守ろうとする人々は、この共同体を「蟻の会」と名付け、「住人たちによる町としての自力更生」を目指したのでした。
やがて「蟻の会」の活動がマスコミ報道によって全国に知られるようになり、この集落は「アリの街」と呼ばれるようになったのです。
この「アリの街」(蟻の会の活動)をひとつの事業モデルとして見ると、「リサイクル事業による自力更生」という、実に先進的な取り組みであったと言えるのではないでしょうか。