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「アリの街」をご存知ですか?


昭和25年(1950年)、現在の隅田公園(東京都台東区)の一角、当時「蟻の会」という労働者の生活共同体のあった地域一帯が、マスコミ報道などをきかっけに「アリの街」と呼ばれました。

当時この一帯には、「バタ屋」と言われる廃品回収などを生業とする戦災被害者たちとその家族が暮らしていました。彼らの生活は貧しく、当時の日本にはそうした人々が公共の土地に無許可で集落を形成する状況が各地にあり、この地域もそうした「バタ屋集落」の一つとみなされていました。

しかし実態は、正式に借地した土地を利用して事業をする者たちと、それに携わる労働者とその家族らが生活しているものであり、他のバタ屋集落と違って、不法なものではありませんでした。ですが、さまざまな事情から、当時の行政は集落の撤去を求め、一方、そこで暮らす人々の生活を守ろうとする人々は、この共同体を「蟻の会」と名付け、「住人たちによる町としての自力更生」を目指したのでした。

やがて「蟻の会」の活動がマスコミ報道によって全国に知られるようになり、この集落は「アリの街」と呼ばれるようになったのです。

この「アリの街」(蟻の会の活動)をひとつの事業モデルとして見ると、「リサイクル事業による自力更生」という、実に先進的な取り組みであったと言えるのではないでしょうか。 

「アリの街のマリア」と呼ばれた北原怜子さんをご存知ですか?

戦災孤児らの救済に奔走された”愛の人”、
ポーランド人のカトリック修道士ゼノさんをご存知ですか?

ゼノ・ゼブロフスキー

ゼノ・ゼブロフスキー(Zenon Żebrowski 1891年~1982年4月24日)は、ポーランド出身のカトリック教会の修道士。「アリの街の神父」として知られた。長崎市への原子爆弾投下で自らも被災(被爆)したが、戦後、戦災孤児や恵まれない人々の救援活動に献身した。
Wikipediaより

北原怜子

北原怜子(きたはら・さとこ 1929年8月22日~1958年1月23日)は、キリスト教の教義に基づき献身的な活動を展開した社会奉仕家。「アリの街のマリア」と呼ばれた。東京都出身。
Wikipediaより

「ゼノさんと北原怜子さんとアリの街」
写真資料展


終戦の混沌から高度経済成長の時代にかけて存在した「アリの街」と、
そこで暮らし、人生を生き、大切なものを守ろうと活動した人々の事績は、
現在では忘れ去られつつあります。

当時の「アリの街」の様子を記録した貴重な資料写真を通して、
現代・未来を生きる皆さんに「なにか」を感じていただければと願う、
「ゼノさんと北原怜子さんとアリの街」写真資料展です。

開催概要

台東地区センター
いきいきプラザ 2階
ふれあい広場


2017年
 7/21(金) 13:00~18:00
  22(土) 10:00~18:00
  23(日) 10:00~18:00

入場無料です。

主催:アリの街写真展実行委員会
共催:フォーシーズンズ・フォトグループ(台東区民団体)
協力:石飛仁(記録作家。「風の使者ゼノ」著者)・東上野コミュニティ委員会

アリの街写真展実行委員会

代表 北畠 啓行

私は東京都台東区に生まれ育ち、幼い頃に東京大空襲を体験しました。
終戦当時、焼け野原となった東京は、大勢の罹災者があふれていました。そうした中、現在の隅田公園の一角にあたる地域に、皆で助け合い、協力し合って、地域の更生を目指す「蟻の会」という生活共同体が生まれ、その一帯は通称「アリの街」と呼ばれました。

私は記録作家・石飛仁氏の著書「風の使者ゼノ」との出会いがきっかけとなり、「アリの街」や、戦災孤児らの救済活動に奔走したポーランド人のカトリック修道士ゼノさん、20歳から病魔に冒され28歳で夭折するまで、実際に「アリの街」で暮らし、人々に奉仕して「アリの街のマリア」と呼ばれた北原怜子(きたはら・さとこ)さんのことを知りました。下町に生まれ育ちながら、この素晴らしい先達らの事績を最近まで知らずにいたことに、忸怩たる思いを抱かずにはいられませんでした。資料を求め、所縁の地を訪ねました。そして、知れば知るほど、この事実を埋もれさせてはならない、という思いを深めました。

ゼノさんや北原怜子さんの生涯、その舞台となった「アリの街」のことを、一人でも多くの方に知っていただくことで、さまざまな気づきや、より深い知的探求のきっかけにして欲しいと願います。

私の願いに共感くださった仲間や、ご縁があって石飛仁氏のご協力を得ることができ、このたび、貴重な写真資料をお借りして「写真資料展」を開催することになりました。どうか皆さまのご支援、ご助力を賜りたく、何卒よろしくお願いいたします。