年賀状クイズの答え

年賀状クイズの答えをここにまとめます
2016年申年=さるなぞみや 2017年酉年=とりなぞみや2018年戌年=いぬなぞみや 2019年亥年=ちょなぞみや
2020年子年→QRコード 2021年丑年→QRコード

2021年 丑年

今年は丑年。牛に乗っているのは学問の神様、菅原道真です。道真は、丑の年の丑の日の丑の刻に生まれたという伝説があり、牛に乗った道真が描かれることはよくあります

さて、背景はなぜ梅なのか?

それが今回のクイズのヒントです。

道真は、中級貴族の学者の家柄に生まれましたが、宇多天皇に寵愛されて公卿にまで栄達しました。宇多天皇は、権勢を誇る藤原氏に対抗させるため道真を登用したとされ、息子の醍醐に譲位する際も「道真と藤原時平の助言を得て政治をしなさい」と訓じています。

このため道真は右大臣に就任できましたが、こうした出世が貴族たちの反発を呼び、ライバルの藤原時平は「道真があなたを廃して娘婿の斉世親王(醍醐の弟)を即位させようと企んでいる」と醍醐天皇に讒言、この言葉を信じた醍醐天皇は、九州の大宰府へ道真を左遷。2年後の延喜3年(903年)、無念の涙をのみながら道真は59才で死去しました。

その後、ライバルの時平を含め、関係者が次々と変死・怪死・早逝。この頃から洪水、長雨、干ばつ、伝染病など変異が毎年のように続くようになり、「道真が怨霊となり、祟りをなしているのではないか」と噂されるようになりました。

醍醐天皇もこれは道真の祟りではないかと考えるようになり、道真の大宰府行き(左遷)を命じた勅書を破棄し、その地位を右大臣に戻したうえ正二位を追贈しました。

しかし、それでも清涼殿落雷事件など、不幸は終わり無く続き、とうとう醍醐天皇は体調を崩し、皇太子の寛明親王(保明の弟)に皇位を譲り、その年のうちに崩御してしまいました。

時を経て942(天慶5)年、平安京の右京七条二坊十三町に住む多治比文子(たじひのあやこ)に、道真の霊が乗り移り、道真は自分を祀るように強く求めたそうです。そこで朝廷は、平安京内の右近馬場の地に北野天満宮を創建することを容認します。ちょうどこの時期、平将門の乱や藤原純友の乱などが続発しており、都の貴族たちは不安にさいなまれていたからでしょう。

北野天満宮は、学問の家柄である菅原一族が管理することになり、朝廷がこの神社を保護して勅祭の社にしたことにより、繁栄するようになりました。道真は生前、学問に優れていたことから、雷神という怨霊から詩文の神と意識されるようになり、鎌倉時代や室町時代になると、北野天満宮で歌合わせや連歌の会など文化的な行事が開催され、人々も学問や芸能の進展を願ってこの社に詣でるようになりました。

こうして怨霊として恐れられた道真は学問の神となり、全国に道真を祀る神社は12000を数えます。

 

さて、道真は太宰府に左遷される際、大切にしていた自邸の梅を前に語りかけるように歌を詠みます

   東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな (拾遺和歌集)

この歌には「流され侍りける時、家の梅の花を見侍りて」という詞書が添えられており、よく知られています。

現代語訳としては

《春風が吹いたら、匂いを(京から太宰府まで)送っておくれ、梅の花よ。主人(菅原道真)がいないからといって、春を忘れてはならないぞ。》

ということです

「東風」は漢字を見ると東の方角から吹く風のように思えますが、当時の知識人の一般常識として東風は春風を意味します。他に古歌の「東風」の用例としては、『夫木和歌抄』に「こち風にとけ行く池の氷うすみ鴛の羽ぶきも春めきにけり」という歌がありますが、これは『礼記』月令の「孟春之月・・・・東風凍を解く」を踏まえています。つまり中国には「東風、つまり春風が吹いて氷が解ける」という理解があり、それがそのまま古人の季節理解となっているのです。中国の自然哲学「五行説(五行思想)」では万物は「木・火・土・金・水」の5種類の元素に分類され、方角や季節などすべての概念がそれぞれの要素に結び付けられています。

季節の「春」は、方角の「東」と同じ「木」の元素に結び付けられており、東風は春風を意味することになるのです。

従って、クイズの答えは

  春風

です。

ちなみに、「おこせよ」は漢字で書くと「遣こせよ」。「起こせよ」ではありません。

「送る」の意味です。「遣唐使」の「遣」ですね。

また、鎌倉時代中期の宝治元年頃(1247年頃)に成立した『源平盛衰記』の32巻には、「住みなれし故郷の恋しさに、常は都の空をぞ御覧じける。頃は二月の事なるに、日影長閑に照らしつつ、東風の吹きけるに思し召し出づる御事多かりける中に、こち吹かばにほひおこせよ梅の花 あるじなしとて春を忘るなと詠じければ、天神の御所高辻東洞院紅梅殿の梅の枝割け折れて、雲井遥かに飛び行きて、安楽寺へぞ参りける。」と、道真を慕って都の梅の枝が飛んできたといういわゆる「飛梅伝説」が記されています。

2020年 子年

図案アップの方式が煩雑になり、未だ図案を入れられません(涙)
今年の図案は、明治のころ、実際に使われた年賀状から頂戴しました。

原図には「年月を まつにひかれて 経ふる人に 今日鶯の 初音きかせよ」の句がついていましたが、わかりやすすぎるヒントなので削ってしまいました。

国宝「初音の調度」の解説種々(以下A,B)を読むとこの意匠が源氏物語「初音」の帖にちなんだものであることが窺われます。

源氏物語「初音」の帖は「超訳 源氏物語」(以下C)でどうぞ。

そういわれてみれば、ネズミさんの袴の裾には小松の模様が。舞は男踏歌なのかな?

というわけで私は勝手に「バックの色は鶯色に違いない!」と考えこのクイズを作りましたが、転載を繰り返したり、PCの相性によって印刷される色調は変わりますし、原図の作者はそこまで意図していなかったかもしれません。

なので、萌黄色も答としてはありだと思います。

ちなみに私は鶯色も萌黄色ももっと違う色調と勘違いしていたのですが、鶯色は「日本の色の一覧」によると「灰色がかった緑褐色」、萌黄色は「芽吹いたばかりの若葉の色。さえた黄緑色」だそうです。

 

 

A.『初音の調度(はつねのちょうど)

『源氏物語』第二十三帖「初音」の帖の情景と「年月をまつにひかれてふる人に今日鶯(うぐいす)の初音きかせよ」の歌を意匠としている。物語では、この年の正月元日がちょうどおめでたい子(ね)の日であった。春の訪れを告げる鶯の「初音(はつね)」と「初子」(はつね)を重ねた題材で、まことに 婚礼調度にふさわしい。』

 

B.『・・・・寛永16年(1639)9月20日、三代将軍家光の長女千代姫が数え年三歳、今日で言えば満二歳六ケ月で尾張徳川家二代の光友に、まことにみごとな蒔絵の婚礼調度を携え嫁ぎます。

 その婚礼調度は、意匠によって三分類に大別できます。一つは『源氏物語』の「初音」の帖に題材をとった初音蒔絵調度、二つは同じく「胡蝶」の帖に因んだ胡蝶蒔絵調度、三つは初音・胡蝶以外の種々の意匠の香道具や刀剣類など・・・「初音の調度」とはそうした千代姫婚礼調度の総称の通称です。その豪華さは終日見ても見飽きることがないと讃えられて、「日暮しの調度」とも異称されました。

 貝桶をはじめとして厨子棚・黒棚・書棚などの三棚や化粧道具、文房具などが現存しています。これらは大名の婚礼調度の中心的な道具です。たとえば貝桶とは、本来は婦女子の遊戯であった貝合の貝を納めるための一対の容器です。蛤のような二枚貝は一つの組み合わせの貝でなければ蓋と身が合わないために、婦人の貞節の象徴として婚礼調度では最も重要な意味を持っていました。

 初音蒔絵の意匠は、正月元日、源氏が年賀のために六条院を訪問した時の情景と、明石の上が詠じた「年月を松にひかれてふる人に今日うぐひすの初音きかせよ」の和歌に基づいています。当時の年中行事に、正月の子の日(ねのひ)に小松を引き抜いて長命を祝う風習があり、源氏が訪れたその日は、初子(はつね)の日がたまたま偶然に元日に重なった格別にめでたい日でした。初音(はつね)は初子(はつね)に通じる吉祥の題材であり、婚礼調度を飾るには最適な主題と考えらます。この和歌の文字が画中に見え隠れするように金銀の彫金の文字で散らされています。

 

 一部には赤い珊瑚を紅梅の花に用いて、高蒔絵はじめ高度で複雑な漆工芸技法が凝らされています。幕府のお抱え蒔絵師である幸阿弥家十代長重が千代姫誕生に際して父の将軍家光から注文を受けたとの文献記録があり、寛永時代の大名婚礼調度の絶頂期の作で、江戸時代のわが国の蒔絵工芸の代表作でもあります。』

 

C.『episode23 源氏と六条院の新年    初音

 

 ◇初音ざっくりあらすじ

 

 お正月を迎えた六条院と二条院の様子です。それぞれの女君を源氏が訪ねます。

 宮中行事の一環で男踏歌おとことうかという行列が六条院にもやってきます。

 この時代の華やかな新年の様子が語られています。

 

【超訳】初音 玉鬘十帖

 

 ―― 六条院・春の町でのお正月 ――

 

 年が明けて新年になったの。一点の曇りのないうららかな一日。雪の間からは若い緑がのぞき、人々のこころものびやかな心地みたいなの。六条院のお庭はそれはそれは一段と素晴らしいのね。その様子を表す言葉がみつからないくらいにね。

 

 特に春の町は季節柄素敵な眺め・・・

 

 ・・・源氏が明石の姫君の部屋へと行くと、姫君付きの童女たちが新年の遊びをしていて華やかなのね。母親の明石の御方からもいろいろな贈り物が届いているの。明石の君から姫君宛てに新春のお手紙も添えられていたので、源氏は姫君に返事を書かせたの。

 

 ~ 年月を まつにひかれて 経ふる人に 今日鶯の 初音きかせよ ~

 

(あなたの成長を楽しみに待っているわたくしに今年初めてのお便りをお聞かせくださいね)

 

~ 引き分かれ 年は経ふれども 鶯の 巣立ちし松の 根を忘れめや ~

 

(お別れして何年か経ったけれど、産んでくださったお母様のことは忘れていません)

 

 こんなに可愛らしく成長しているのに、別れさせた日から会わせてやっていない明石の御方に対して「罪だよなぁ。悪いよなぁ」と源氏は心苦しく思うの。

 

・・・

―― 男踏歌おとことうか ――

 

 宮中行事に男踏歌というのがあるのね。男たちの行列が御所から朱雀院のお屋敷に向かって、さらには六条院にもやってきたの。音楽を奏でて舞を舞う催し物なのね。六条院の夏の町の花散里も玉鬘もみんな春の町に集まって見物するの。・・・』

2019年 亥年

2019年は歌川広重「名所江戸百景 びくにはし雪中」と鍬形恵(ほんとはもっと難しい字)斎「鳥獣略画式」の合体

山くじらは、猪(いのしし)の肉、別の名は牡丹(ぼたん)肉。この店は牡丹鍋で人気の「尾張屋」さんといわれています。当時、表向きは食べられていなかった獣肉ですが、実は「薬喰 (くすりぐ)い」と称し、滋養をつけるという名目で肉を食べる人々もいました。他に鹿肉(紅葉肉)、馬肉(桜肉)も食べられていたとか。その尾張屋さんはこの浮世絵のスポンサーだったのでしょうか。安政5年(1858)に描かれた歌川広重のヒット・シリーズの中の一点です。さて、タイトルのびくに(比丘尼)橋は、鍛冶(かじ )橋のすぐ近くにあった小さな橋。今でいうなら東京メトロ有楽町線銀座1丁目駅近くの高速道路が走っている周辺に位置し、JRの線路を挟んだ向かいには東京国際フォーラムがあります。この雪の中を行くのは「おでん燗酒屋さん」でしょうか。「おでん燗酒~、甘いと辛い~」という呼び声のおじさんが、今しも渡ろうとしているのがびくに橋です

橋を渡った右手には江戸城の堀の石垣が見えます。さらに遠くに見える火の見櫓(やぐら)辺りは南町奉行所でしょうか。ちょうど数寄屋橋御門の方向、今なら、有楽町駅の中央口の前付近、数寄屋橋交差点を見ていることになります。

『鳥獣略画式』とは 1795年(寛政7年)に刊行された『略画式』シリーズの一つで、シンプルな線描によって愛くるしい動物の姿を描います。
 略画の作品集としては、葛飾北斎の『北斎漫画』が有名ですが、その20年も前に本書は出版されています。本書を手掛けた鍬形蕙斎は「北斎はとかく人の真似をなす、何でも己が始めたることなし」と語ったと言われています(他にも蕙斎は『江戸一目図』に観られるような鳥瞰図も北斎に先んじて描いています)。

そんなわけで、今年の賀状は「とんかつ屋の看板が豚のコックさん」と似たようなきつい冗談です。近頃おっちょこちょいで墓穴を掘りまくっているので自戒をこめて

2018年 戌年

歌川国芳:仮名読八犬伝 初編 裏表紙

江戸時代の半ばごろまでの読本は、薄青色の表紙に書名を記した紙を貼っただけの無表情なものでした。八犬伝は表紙の図柄に犬の子や、めでたい縁起物などを用いた、凝ったデザインの装丁で発売されました。この『八犬伝』の出版を契機に、やがて華やかなものが主流となっていったそうです

幾何学模様のバックがモダンですね。

館山市立博物館分館は八犬伝を展示のテーマとする専門博物館なのだそうですよ。

というわけで答えは②の8頭です。

2017年 酉年

2017年は葛飾北斎の団扇絵を拝借しました。

東京国立博物館所蔵の重要文化財です。

インターネットの解説では

「●「軍鶏図」絵・北斉為一筆(葛飾北斎)版元・辻安 辻屋安米兵衛(江戸南伝馬町2丁目)、天保6年(1835)重要文化財指定。北斉の代表的団扇絵である、見事な構成力で、いま見ても時代を感じさせない絵である。この団扇を見ると浮世絵師(名のある者に限るが)の確かな写実力を感じる。浮世絵師というと何か輪郭線のみを描く絵描きというイメージであるが、少なくとも肉筆浮世絵を残している浮世絵師は、北斉のように写実力にも優れていたと思う。
●北斉は、団扇絵(おそらく売られた団扇絵)にも群鶏のような力の入った作品を残した。 『軍鶏 のとさかや尾羽が入り組んで複雑なモザイクを織りなすさまは、伊藤若冲の『動植綵絵』(どうしょくさいえ)の中の同様な画題による1図を連想させる。強烈で幻惑的な装飾性という点で、両者は近しい関係にある。ただし、軍鶏の目つきの獰猛さは、北斉ならではのもの。』辻 惟雄記・・・」とのこと
北斎といえば墨田区亀沢の生まれで、93回もの引越しを繰り返した奇人だが、引越し先はほとんど近所だった。つまり今の墨田区に生涯住み続けた人なのだ。

出典・北斎のお墓があった: TMweblog

というわけで、クイズの答えは③です。

若冲の画像は12年前に使った気がします。

2016年 申年

2016年は

長谷川等伯の重要文化財「枯木猿猴図」(京都・龍泉庵蔵)と
牧谿「観音猿鶴図」の「猿」(京都・大徳寺蔵)を合体させました。
クイズの答えは肆。この部分だけ、牧谿作です。
等伯が牧谿を後追いしたのですが、等伯の方が画力が勝っていますね。

2015年 未年

2015年は羊の浮世絵で思うようなものが見つからず、背景は正倉院御物から、羊はウズベキスタン・サマルカンドのアフラシヤブ遺跡・宮殿壁画の想像復元図から拝借しました。

クイズをサボったら、大学時代の教官から「待っていたのに」とはがきをいただきました。

2014年 午年

2014年は様々な種類の馬を描いた、子供向けの「おもちゃ絵」の一種を加工しました。 画中の馬で、鞍の付いた馬は和漢の古典に登場する名馬だそうです。

クイズの答えは
・壱=丙=太夫黒(最上段左)…後白河法皇から賜った義経の愛馬。
・弐=丁=池月(生食)(最上段右)…源頼朝より佐々木高綱に下賜。
・参=乙=赤兎馬(上から2段目)…三国志における呂布の愛馬。 汗血馬とも。
・肆=戊=鬼鹿毛(中段左)…説話で有名な小栗判官の愛馬。 (武田信虎に同名の馬有り)
・伍=甲=磨墨(最下段)…梶原景季の愛馬。 宇治川の合戦では、池月と先陣争いを行った。

今の職場は、窓外眼下に乗馬クラブの馬が軽やかに跳ねています。