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アニメスタジオで働いて

テレビアニメの放送が始まった頃のエピソードの数々
(著)多田 信
仕様:オンデマンド (ペーパーバック)
ページ数:138
ページサイズ:12.8 x 1.0 x 18.2 cm
出版社: デザインエッグ社
定価:¥2,400+税

アニメスタッフに興味ある方にオススメ

1
アニメ業界大騒動はあの「鉄腕アトム」から始まった。
Point.
2
実力のあるスタッフは高額なギャラで引っ張りだこ。
Point.
3
手書きだからこそのアニメの魅力。
Point.
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手書きだからこそのアニメの魅力。

作品概要

目次 「昭和三十年代」 日本での近代アニメーションの始まり。アニメで東洋のディズニーを目指した東映本社。マンガの神様手塚治虫がやってきた。 まんが映画からテレビアニメへ。テレビアニメ製作には省略化が必要だった。テレビアニメとソロモンの指環。手塚は安請け合いをした。手塚が連れてきた天才。アニメに移ってきたチャンバラ映画のスタッフ。コンテの絵が描けない演出家。採用テストを通過しても。アルバイトは同業他社の仕事だった。会社には極秘の地下組織。バイト仕事で水増し請求。二度の乗艦沈没を生き延びたアニメータ。 「昭和四十年代」 守れないスケジュールで四苦八苦。製作担当プロデューサーは常に平常心。困ったときの総集編。いこいの休憩室。食堂とお風呂は隣地の東映東京撮影所へ。ゼロックスのトレスマシーン。衝撃だったタイガーマスクのオープニング。悪気たっぷりの似顔絵バトル。退職金前借りで夢のマイホーム。あの監督も社内恋愛。同僚をお客にして小口金融で稼ぐ。マイカー時代の到来。恋が始まる給湯室。アニメの通信教育を始めました。先進のフレックスタイム。キイハンターがやってきた。一枚描いて五〇円の出来高制度。一ヶ月で三千枚の動画を描いた凄い女性。儲かるはずのプロダクション経営が……。超えてはならぬ三.五〇〇枚の壁。動画枚数が多くて嫌われた演出さん。夢の島にはお宝が埋まっている。十人以上の親兄弟を殺したアニメータ。深夜のスタジオに怒号が響く。ウエイトレス目当てで喫茶店廻り。酒とギャンブルと未払いで消えていったアニメータとプロダクション。フリーランスの憧れは一本請け。一ヶ月でたったの二枚。 「合理化の時代」 賃上げ交渉でストライキ。ああ、ロックアウト。濡れたアニメポスター。アニメを専門に教える私立の学院。無慈悲なスケジュール。丸と四角と線でアフレコする。上手いとか下手とか。虫プロ倒産の激震。宇宙戦艦ヤマトのとんだとばっちり。産業スパイとは縁遠いアニメ業界。キャラ表そっくり事件。残念なキャンディキャンディ。日本のアニメに学んだ韓流ドラマ。韓流ブームの元を辿ればキャンディにあり。演出助手から製作担当を経て会長に。まさかのキン肉マンが大ヒット。ベルサイユのバラの監督交代劇。 「平成の時代」 ディズニーとは路線が違う日本のアニメ。なぜ、日本のアニメは外国人に受けるのか。駄目だ、逃げちゃ駄目だ、税金から逃げていたエヴァンゲリオン。分かっているわ、税金は払うしかないのよ、だって儲かっているンだから。戦車同士が戦う戦場で黄色い声あふれるガルパン。アニメマニアが資料として集めたセル画や動画がお宝に。有能なスタッフは短命だった投資としてのアニメスタジオ。

 

著者より

令和の時代になって最初のNHK朝ドラは広瀬すず主演でアニメーターを目指す女性の物語である。この物語の舞台になった東京は練馬区大泉にある東映動画スラジオでは長編アニメ映画「白蛇伝」を始めテレビアニメでは「狼少年ケン、少年忍者風のフジ丸、ハッスルパンチ、宇宙パトロールホッパ」などが作られ「タイガーマスク、マジンガーZ,デビルマン」と続いていく。当時若者だったスタッフのしでかした数々のエピソードを紹介する。

著者紹介

多田 信
千葉県柏市在住
1952年 四国は阿波藩に生まれ。
1970年東映動画株式会社 美術課勤務、その後フリーアニメーターとして
多くのアニメ作品に参加した。
多田 信
千葉県柏市在住
1952年 四国は阿波藩に生まれ。
1970年東映動画株式会社 美術課勤務、その後フリーアニメーターとして
多くのアニメ作品に参加した。