戦後中国残留婦人考
問縁 ・ 愛縁

制作年数6年半
中国人監督王乃真が歴史の証人である
日本人女性の悲喜劇を記録した長編ドキュメンタリー映画

映画名:「戦後中国残留婦人考」 問縁 ・ 愛縁
上映時間:135min
出演者:岩本くにを 田中信子 桂川きみ 伊藤イク 西岡瑞江 池上静江 神崎菊枝 西野文子 神田さち子 小林千恵
企画·監督·撮影·制作:王乃真
制作期間:6年半(2012年10月~2019年3月)
撮影場所:日本 中国 撮影距離:30万㎞ 撮影素材:2500時間

英語版:Research of The Left-Behind Japanese women in China after World War Ⅱ
中国語版:戦後遺華日本女性考

2018中国(広州)国際ドキュメンタリー映画祭 12月12日プレミア上映特別招待作品
2018年12月中国大学映像学会ドキュメンタリー部門「学院賞」教師作品最優秀賞受賞
2019年5月東京新聞TOKYOWebに掲載されました。詳しくはこちら
2019年東京ドキュメンタリー映画祭長編部門にノミネートされました。
2019年12月3日(火)東京ドキュメンタリー映画祭にて上映決定。詳しくはこちら


上映スケジュール


2019年5月10日(金)JT東京研修センターにて上映会実施
2019年6月15日(土)JT東京研修センターにて上映会実施
2019年12月3日(火)東京ドキュメンタリー映画祭上映決定

活動詳細はfacebookに掲載

苦しみは去っても歴史は残る
平和を願い未来を望む

この映画は、人間性ついて考えを巡らせ、戦争によって引き起こりえる様々な問題や事柄をいろんな人の立場で想像して頂きたく制作いたしました。客観的な立場で歴史や戦争を捉え、人類の共通認識と して戦争はNOだと感じて欲しいです。「残留婦人」という言葉を初めて聞いた人、その人々の実態を知らない人、戦争に反対な人、平和を大切にしたい老若男女の皆様にご覧いただき、また様々な方と共に映画を通して交流の場を持ちたいと考えています。

作品紹介

1972年日中国交正常化後始まった残留邦人帰国支援政策の下、当時の日本政府によって、1945年8月15日日本の敗戦当時、身元が分かっていた邦人の内、満13歳以上の女性は自らの意思で中国に残った「残留婦人」とされ、12歳以下の残留孤児と区別されました。このドキュメンタリー映画は在中国日本人留学生小林千恵が視聴者の立場から、敗戦後から未だ中国で生存する「残留婦人」と家族を連れ日本に帰国した「残留婦人」合わせて8人を訪ね、特殊な時代、特殊な運命を生きた、特殊な人々の今を追い、考察します。また同時に女優神田さち子が舞台作品『帰ってきたおばあさん』を通して「残留婦人」を物語るという三つのストーリーライン(「残留婦人」、女優神田さち子、日本人留学生小林千恵)が展開する作品です。

問縁(前半) 歴史を振り返り、おばあちゃんたちに問う
愛縁(後半) 縁と縁から出会いが生まれ、出会いの中で愛を尽くす

出演

岩本くにを(中国名:劉秀清)

1932年(昭和7) 3月19日長野県飯田市泰阜村生まれ
1940年(昭和15)春「樺川県大八浪泰阜村開拓団」として父母兄弟6人で村人と共に“満洲三江省”(現黒竜江省)に移民
1954年(昭和29) 中国人夫劉煥年と結婚 4人の子供を産み育てる
1997年(平成9)~ 夫、子供家族全員を連れ、長野縣泰阜村に定住

田中信子

1930年(昭和5) 9月13日静岡県天竜川村落生まれ
1943年(昭和18) 8月15日 家族6人と共に「天理開拓団」として黒竜江省ハルビン市郊外にある「天理村」(現天里村)に到着
1947年17歳の時弟妹を連れた信子引き上げ隊に取り残され、劉家に身を寄せるその後十歳年上の中国農民劉文太と結婚
1989年(平成元) (当時59歲)夫劉文太(当時69歲)を連れて帰国定住四代合わせて50余りの親族が日本大阪の地で暮らす

桂川きみ(中国名:呂淑君 桂川君子)

1925年(大正14) 12月9日岐阜県下呂市萩原町生まれ
1942年(昭和17) 17歳父母兄弟一家6人と共に長野県第三次「朝日開拓団」として“滿洲東安省伊蘭県”(現吉林省)に到着
1945年8月9日 ソ連軍東北侵入により父母兄姉と離散 以後父母と永別
1947年(昭和22) 中国名呂淑君として夫郝庭貴と結婚夫の転勤により暉春、伊通、公主嶺、瀋陽などに移動1958年(昭和33) 3月 中国政府貧困地区支援政策により、夫と共に安徽省合肥市へ移住
2016年(平成28) 11月30日 日本に長期帰国(定住予定)
2018年(平成30) 1月20日 中国合肥へ戻る

伊藤イク(中国国籍 中国名:伊藤郁子)

1925年(大正14) 10月21日岩手県盛岡地区(現盛岡市)生まれ
1945年(昭和20) 4月赤十字社看護婦として牡丹江市(現黒竜江省)日本軍第三陸軍野戦病院に派遣される
1945年8月 中国人民解放軍に入隊軍の前線で救助看護に当たる
派遣先の山西省太原市で療養中の宗序定(中国人民解放軍北京公安部隊幹部)と知り合う
1950年(昭和25) 宗序定と結婚し中国籍となり、伊藤郁子と改名
1954年(昭和29) 夫の転勤により江蘇省如皋に移住県人民医院にて看護師として1985年離休まで従事
1973年(昭和48) 11月15日日本女性として国交正常化後最初の探親帰国者となる

西岡瑞江

1927年(昭和2) 6月18日山口県下松市生まれ
1943年(昭和18) 一人で奉天(現瀋陽)に赴き日本炭鉱職員病院の「看護婦養成所」で学ぶ
1945年(昭和20) 8月 日本敗戦時ソ連や国民党軍によって看護師として働く
1946年(昭和21) 国民党軍病院にて従事中国人夫曾尚武(1924.2.4-1982.10.25)と出会い結婚
1948年(昭和23) 8月 夫婦共に解放軍の捕虜として拘置所に入れられる(当時妊娠3か月)
1949年(昭和24) 5月3日 長女西岡美子を拘置所にて出産
1949年9月 夫婦共に解放され、夫と共に「労働改造」政策の下夫の戸籍所在地である福建泉州農村に移住 
22歳から50歳まで農村にて農労働をしながら子供6人を産み育てる
1978年(昭和53) 51歳の時帰国、父母と再会子供6人から四代合わせて54人の親族を築き、それぞれ神奈川県横浜市と他の地区で暮らす

池上靜江

1921年(大正9)10月12日兵庫県豊岡市生まれ実父が早くに他界し、6歳の時母親の再婚で大阪に移り住む1941年(昭和16) 20歳の時家族と共に「満蒙開拓団」に参加朝鮮釜山(現韓国)を経由し黒竜江省牡丹地区に到着
1945年(昭和20) 8月9日ソ連軍東北地区侵攻後開拓団が捕虜として捕まりソ連国境まで連れられる
1945年冬 一部の日本人と極寒の牡丹江を数か月逃避行しハルビンにたどり着く
1948年(昭和23) 27歳の時、生存の為に中国人夫(靴職人)と結婚し一女を儲る
1974年(昭和49) 第1次日本親探にて一時帰国
1989年(平成元) (夫死亡後)娘を連れて大阪で定住一人娘及び外孫夫婦と共に大阪市平野区で暮らす

西野文子

1926年(昭和元) 4月熊本県生まれ
1943年(昭和18) 父母姉と共に“満洲”(中国東北地区)に渡る後に「満洲日本交通社」にて電話交換手として勤務
18歳の時日本敗戦により中国東北地区に残留
1945年(昭和20) 8月15日 敗戦の混乱の中国国民党軍官覃氏(一人目の夫)に救われ結婚
1950年(昭和25) 夫の故郷である湖南省常德市石門県の農村に移住中国国内の「労働改造」政策の翌年病により夫覃氏と死別、その後夫の弟に嫁ぐ1950年から(養子の息子夫婦と共に)湖南省常德市石門県に在住
1972年(昭和47) 日中国交正常化以降日本厚生労働省援護基金主催一時帰国制度により複数回一時帰国石門県地元の日中両国農業友好交流において精力的に貢献

神崎菊枝(中国名:張毓芝)

戸籍所在地神奈川県藤沢市
1924年(大正13) 6月15日奉天生まれ(現遼寧省瀋陽)中国人の父と日本人の母の間に生まれる
1945年(昭和20) 日本敗戦前まで“満洲国奉天銀行”で職員として従事
1958年(昭和33) 中国政府西北地区建設支援の呼びかけに応じる
中国人夫田宗武(舞台美術師)に付き添い山西省歌舞劇院(太原市)で1984年(昭和59)退職まで衣装担当として働く
多年にわたり日中友好と両国の舞台芸術交流に多くの努力を尽くす

神田さち子

女優。旧満州で生まれ、自らも残留孤児となったかもしれないという思いから、中国残留婦人の生涯を描いた一人芝居「帰ってきたおばあさん」を23年間にわたり演じ続けている。
国内のみならず、ハルピン、長春、大連などで上演を重ね、2012年には北京での公演も実現。
2017年「第2回澄和Futurist賞」受賞

小林千恵

日本人留学生。女優。2012年9月から北京電影学院に演劇留学。ほどなくして本作監督王乃真と出会う。長野県満蒙開拓平和祈念館を訪れ、訪問者として残留婦人たちから話を聞き彼女たちと接していく。

制作者プロフィール

王乃真 | WANG NAIZHEN
監督

中国北京。北京電影学院教授 映画学専門
1986年 渡日し、1991年 日本大学芸術学部監督学科芸術研究所を修了戦後日本映画監督研究専攻。2003年から現在に至り、ISFVF北京電影学院国際大学映画作品際や横浜国際学生映画祭など数々の映画祭で審査員を務める。CCTV-6映画専門チャンネル「佳片有約」において日本映画専門家として作品を紹介。シンガポールシェルトン・カレッジ アジア映像学院学術委員会委員

著書:「アニメ辞典―世界アニメ経典」「日本漫画アニメ作家百名」「日本アニメ芸術美学と思想」

翻訳書籍:「日本映画の巨匠たち」1-3巻;佐藤忠男著「戦後日本映画史」上・下巻;小笠原隆夫著「愛の足跡―山口百恵映画芸術研究」小笠原隆夫著

2012年10月北京電影学院内で『戦後中国残留婦人考』の中で訪問者を担当している小林千恵と出会い、映画構想を開始、2013年1月より撮影を開始

小林千恵 | CHIE KOBAYASHI
女優
 奈良県出身。立命館大学を卒業後、表現者の道に進む。 2012年より北京電影学院演技学科で学び、2017年7月北京電影学院大学院修士課程修了。2017年度NHKEテレ『テレビで中国語』レポーターに抜擢され、得意の中国語を活かしたレポートで魅力的な北京の街を紹介。またNHKBSプレミアム『桃源紀行』(~2019.3)ではナレーションを担当するなどタレントとしても活躍。今回の作品は女優としてではなく、"日本人留学生・小林千恵"として出演。日本と中国二つの祖国を生きてきた中国残留婦人たちの複雑な思いに耳を傾け、その後の人生を見届ける「訪問者」の役割を担っている。

監督からのメッセージ

戦争は如何なる理由にせよ、是か非か勝ち負けに関わらず、道徳行為の規範、社会秩序を著しく破壊し、国と国とを敵にしてしまいます。誰もが相手の気持ちに立つことを忘れ、自分の事だけを考えるというスパイラルに陥り、老若男女全ての人が自分の運命を把握することすらできなくなります。中でも女性たちへの被害は最たるものであるかもしれません。しかし歴史はそんな女性たちを符号として分類し、区別してきました。私は戦争が中国(旧満州)にやってきた日本女性にもたらした運命と悲しみをこのドキュメンタリーを通して表現したいと考えています。
長く深い憎しみは憎しみでは解決することはできません。歴史を正視し、その歴史に学ぶ。人類の負の遺産を正の遺産に変えて伝えていく。これが今の時代に生きる者の責任だと考えています。私はカメラを通して、日中の特殊な時代背景(1931-1945)の下生まれた特殊な人々を客観的に記録してきました。戦後の混乱の中、中国人の夫と結婚し、家族四代にわたる血縁関係を築いてきた彼女たちの特殊な運命。ここには人間が持つ善と悪、愛と憎しみという私が長年考えてきたテーマがありました。戦後中国に残留せざるを得なくなった日本人女性の真実の状態を記録することで、戦争によって生み出された人間悲劇を振り返り、真実の映像によって今を生きる若者や未来を担う人々に平和の大切さを伝えようと思います。人間の本能にある天使と悪魔、それは善と悪であり、それが戦争や平和へとつながっていくのです。 “中国残留婦人”と呼ばれた人々は“加害者”と“被害者”という二つの身分を背負うことになりました。長い生存の軌跡にはどうしても避けて通れない悲しみと喜びがあったのです……。


                            
王乃真 | WANG NAIZHEN

制作者からのお願い

監督の完全自主制作映画で資金を制作費に使い果たしてしまったため、映画の上映資金がありません。スポンサーになっていただける方や機関、また招致頂ける教育機関などを募集しております

問い合わせ
メールアドレス:nodojiman1492@yahoo.co.jp 小林宛 
電話番号:+86 18210570741 小林宛

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