ゆうき公式



ようこそ!「ゆうき」と申します。

私は、貧乏育ちの高卒ですが努力の末に、年商5億円のIT事業で成功しました。

現在は、夢である「都会の田舎に保育園とカフェ併設で、たくさんの人との楽しい時間」を実現するために更なる事業活動を展開中です。

このページは、そんな私の事を知って1人でも多くの方が「夢に向かって頑張ろう!」と勇気を出して行動できるキッカケになればいいと思って作りました。

あなたに、「見て良かった」と思って頂けたら幸いです。
私は、あまり裕福な家庭に生まれたわけではありません。九州の田舎町で、厳しい父と愛情とユーモアのある母親に育てられました。

父は農業、母親はスーパーのパートで働いていました。スーパーでは、ダンボールを扱うことが多く、母の手はダンボールに油分を吸われて常にヒビ割れていました。

子供ながらに、「なぜ両親は、こんなに頑張って働いているのに裕福になれないのか」と何度も思った事を思い出します。

私が小学生の頃、「パソコン」が世に出始め、私の通う小学校にも数台のパソコンが導入されました。

授業の一環として、パソコンを触る機会があり、先生の言うがままに文字を入力したり、画面に線を描画しました。

そして少年だった私は知ります。

なかなか買ってもらえず、友達の家でしかやったことのないゲーム機(当時はファミコン時代)の真実。

ゲームはパソコンでプログラムされている

①パソコンは小学校にある。
②ゲームは買ってもらえない。
③でもゲームをしたい。

だったら「自分で作っちゃえ!」

そう考えた私は、学校の先生に頼み込み、クラブ活動の一環として、パソコンの時間をもらってプログラミングの勉強を始めました。

毎日のように、「もうそろそろ帰りなさい」と言われるまで、夢中でやりました。

しかし、少年には難しい世界。

私の作ったプログラムは、なかなか意図した動きになりません。そうしているうちに中学生になりました。中学校でも先生にお願いして、パソコンを使いゲームを作り続けました。

そして、卒業間近となった三年生で、遂に「スーパー〇リオ」には程遠いながらも「ジャンプして障害物を避けるゲーム」が完成しました。

この頃には進路も決まり、情報処理専門の学科に通えることになりました。

そして高校三年間。

小学校から鍛えたプログラミング技術と論理的思考で「情報処理技術」をさらに伸ばします。その頃は、高校の教師も情報処理技術は参考書頼みな点もあり、教師にプログラミングを教えた事もあるほどです。

こうして、貧しいながらも高校に通い、生き抜くスキルを身につけられたのは、苦労して育ててくれた両親や、パソコンを使わせてくれた教師によるものが大きく、特に両親には感謝してもしきれません。
高校三年生。

周りの同級生が、大学入試や専門学校を目指して進路相談を始めた頃。
私にも「君の実力なら、〇〇大学にも通えるだろう」と、先生からの熱いメッセージ。
ですが、少しでも早く両親に楽な生活を送ってほしいと考えていた私は、「一刻も早く、プログラミング技術を活かして大儲けしたい!!」と考えて、企業への就職を希望しました。

ですが、その頃のIT企業は買い手市場。更には田舎には存在すらしない分野の企業です。
担任の教師は、めぼしい企業を東京を中心に熱心に探してくれました。

なかなか高卒の田舎者を受け入れてくれる企業はありませんでしたが、ようやく入社試験の約束を取り付けてくれたのが、現在所属している会社です。

入社試験の競争倍率は3倍以上でした。
日本全国からITの専門技術を持った専門学生や大学生と肩を並べての入社試験。

入社論文では、「絶対に私を採用してよかった!と思って頂けるよう頑張ります。」と、生意気なことを書いたことを、その後の面接で「君の論文は下手ですね」と言われ恥ずかしい思いをしながらも、「絶対に合格して成功する!」と心に強く思いながら、熱心に自分の思いを伝えたことを今でも覚えています。

程なくして、合格通知が郵送されて来た時は、両親や妹と飛び跳ねて喜びました。

そうして単身上京して仕事についた私は、都会の慌ただしさに驚きながらも、同期入社の友人達と失敗という名の成長の階段を登ります。

今でこそなくなりましたが、その頃のIT企業はブラックそのものでした。

徹夜や休日労働は当たり前でした。
怖い上司やお客様には、作った資料を目の前で破られたり、ボールペンを投げつけられる事もありました。

仕事の厳しさに、同期入社の仲間も次々と会社を辞めて地方に戻って行きました。

私は、体力とチャレンジ精神と「両親への想い」を忘れずに、がむしゃらに仕事を頑張り続けました。

20代は小学生から積み上げてきた「プログラミング技術」と「論理的思考力」、そして母譲りのコミュニケーション能力、父譲りの行動力を武器に、実力・知名度・影響力をグングン伸ばしました。

そして気がつけば30代。

意を決して新規事業立ち上げを会社に提案した承認。社内で最年少の責任者となりました。

立ち上げた事業は、スタートアップして3年という速さで、年商5億円を超える社内トップの事業へと成長しました。

こうして、サラリーマンの平均以上は稼いでいける基盤・基礎作りに成功しました。
「平均的なサラリーマン以上の年収」や「最年少事業責任者というポスト」などの多くを得た私はその後、人生の相棒と出会いました。

全く異なる価値観の二人が数年の月日を過ごし、お互いを理解し、そして、二人の夢ができました。

「動物や植物と身近に触れ合える保育園と、カフェを併設させた、子育て世代からシルバー世代まで、たくさんの人が集い、楽しめる場所」

を作ることです。

ですが、私はサラリーマンの限界を知っています。どれだけ会社の成果を出したとしても、会社規則の範囲の中でしか昇級しません。さらに、会社に勤める以上は「場所や時間」に囚われてしまいます。

このままでは夢は叶いそうにありませんでした。

幸い、責任者という「会社を変えやすい」立場ではあったため、会社を変えることに熱を注ぎ、遂に「在宅ワーク化」に成功し、今現在は「場所や時間」の自由度が格段に上がりました。

そして、「夢を実現する資金」を求めて会社の外にも目を向けるようになります。

個人で活動されているものや企業体など、様々な事業活動に参画し、経験を増やしてきました。

こうした経験を経て、ようやくたどり着いた事業に、現在、本格的に取り組んでいます。
突然ですが…
あなたに夢はありますか?

子供の頃に描いた夢、大人になって新たに得た夢を、今も持っていますか?

多くの人は「現実は、そうはいかない」、「無理だと分かっていて挑戦したくない」

こう思い、なんとなく今のまま。現状維持の毎日を過ごしているのではないでしょうか。

でも、
夢があるのなら・・・
夢があったのなら・・・

やらないで後悔するよりもやって後悔した方が幸せなのではないか?

と、私は思います。

私は、一度きりの人生を自由に思う存分に楽しみたい!!

そう願い、生きてきました。

あなたは、どう思われますか?
もし、あなたが
「日々、なんとなく生きている」
「夢はあるが、諦めた」
「夢に向かって頑張っているが、なかなかうまくいかない」
とお思いでしたら、夢に向かって全力で取り組んでいる私とメッセージのやりとりをしてみませんか。

夢を掴むヒントが得られるかも。

人生に大きな意味を持てるかも。

失うものはありません。
必要なのは、私にお付き合い頂く勇気と時間だけです。

私にとっては、
夢に向かって頑張る仲間が増えて嬉しいので、喜んであなたのメッセージにお応えします。