プレゼント

 悪いことに手を染めるときは、特に罪悪感はなかった。

 今の立場で昔と同じことをしたら、批判がすごいだろうな。いや、どんな立場でも悪いことは悪いのだが。

 あの時は何も考えてなかった。どちらかと言うと、どうしたら奴らに気に入られ、自分がより良い居場所にいられるかを探し、そのために自分を殺した。殺す……じゃないな。自分が一ミリも見えないような、完璧な着ぐるみを着た。

 しかし、私がそれを着ていることを見破った人がいた。でも相手はそんなものには興味がなかったのだろう。いや、着ていようが着てなかろうが、相手のすることは変わらなかったのだろう。

 あの人はいつも、何を考えているかわからなかった。そして今もわからない。したいことは何となくわかったが、なぜそんなことをしたのか。

 しかし、あの人がいたから私は普通になれたのだろう。

 こうやってふとあの人のことを思い出す。

 

「今日からこいつよろしくね」

 そう言われて、誰が見ても不機嫌な顔をする人。髪は短く、前髪はセンターに分けている。

「そんな嫌な顔すんなって」

「よろしくお願いします!」

 小さな少年が、元気よく挨拶するが相変わらずその人の顔は変わらない。

「だからそんな顔すんなって」

 何も言わずに歩き出したその人に、ついて行っていいかわからずどうしようかおどおどしていたら、紹介した男の人が「ほら、行け」と背中を押したため、少年は駆け足でついて行った。

 ついて行くと、ある大きな扉の前でその人は止まった。

 少年はここに来て二年ほど経つ。この扉の存在は知っていたが、この中がどうなっているのかは知らなかった。

 その人が扉を開けて中に入ると、中には大量の本があった。天井ほどの高さの棚が壁一面に詰まっているが、それにほとんどが入りきらずに、床に縦に積み上げられたり、散らばっていたり、無造作に本が置いてあった。

「わあ、すごい……この部屋って本が置いてあったんですね」

 そう感心して辺りを見渡しながら言うが、その人は何も言わずに本を漁ってる。少年の背をゆうに超えてる本を見上げる。部屋は薄暗く、あまり換気をしていないのか埃っぽく、本独特の紙の匂いが漂っている。

 キョロキョロしていたら、どさっと少年の目の前に丁度背の高さほどの量の本を置いた。

「これを読め。読み終わるまで私に話しかけるな。読めない字はそこら辺の辞書でも引いて勝手に読め」

 わかりました。と言う少年の声を遮って、その人は強い口調で言った。

「あと、お前汚ねえ。二度とその姿を見せるな」

 そして重い扉が閉まった。


 一週間も経たないうちに、少年はその人に本を読み終わったと報告をした。

「どれも面白かったです。僕の知らないことが沢山知ることができました」

 そう笑顔で言う少年の顔を見もせず、そしてまた話している途中に「あそこの部屋の電気切れてただろ、替えとけ」とだけ言った。

 簡単に言えば少年は、その人の使用人だ。元々は、その人が少年の教育係であるが、まるでこれが教育だと言わんばかりに、少年をこき使う。

 しかし少年はいつも笑顔でそれに応える。

 食事を用意したり、服を用意したり、その人が要求するものは全て少年が用意する。そのほかにも、その人が少年の服装、髪型が気に食わなければ、その人がいいと言うまで変えなければならない。

 変えるといっても、それは次の日だ。その日会った瞬間その人は点数をつける。

 これは他のことをする上でもそうだ。その人は常に点数をつけている。点数はおおよそ一から五点だ。

 あまりに低い点数に、少年はなぜその点数なのか、その人に聞いたことがある。

 はじめは「なんの話だ」と答えなかったが、そんな態度に慣れてきていた少年は、臆せずにその場で「あまりにも低すぎます」「どこがダメなのか言ってください」と言った。するとその人はこう答えた。

「その頭の硬さ」

「硬さ?」

「何点満点か知らずして、与えられた数字を高い低いと勝手に決めつけている」

 それを聞いて少年は目を輝かせて聞いた。

「何点満点ですか?」

「一〇〇。社会不適合者」


 少年は鏡の前で自分の姿を見ていた。

「汚い」と指摘され、少しは身だしなみを整えようと努力したが、生地の薄いTシャツとズボンしかない少年には、これ以上身だしなみを整えることは難しかった。

 数日前まで、汚い身だしなみでも何も言われずにいたし、逆に小奇麗にしている同年代はいなかった。

 少年は改めて自分の姿を見ると、なんともみすぼらしい姿なのだろうと思った。

 整えた今でこのように思うのだから、出会った時は相当汚かったのだろう。その人の言っていた言葉は、決して誇張したものではなかったのだろうと気づいた。

 少年は、自分の姿が恥ずかしく思えてきた。しかしこれ以上どうすることもできないし、もう朝食を届けなければならない。

 今できる精一杯に身だしなみを整えて部屋を出た。


 その人は、普段通りほとんど少年と目を合わせないし、言葉も少ない。

 いつも通り何事もなく朝食を届け、その人が食べ終わってすぐにお皿を下げれるように、十一分タイマーをセットする。

「あ、いたいた!」

 バタバタとした音とともに、声が聞こえた。

「おら、これ」

 そう言って少年より少し年上であろう男の子が少年に袋を渡した。

「これは?」

 そう聞くと相手は「さあ?」と首を傾げた。

「お前に渡しとけっておっしゃってたから」

「どなたが?」

 そう聞くと、彼は黙って顎を動かした。顎が向いたのはその人の部屋だった。

「んじゃ」と言って彼は来た方を急いで引き返した。

 彼も誰かに仕えているのだろう。

 少年が袋の中を見ると、その中には上下いくつもの服が入っていた。

 少年は思わず口を開け、急いで自分の部屋に入って乱暴に服を取り出して眺めた。

 しばらくそうしていると、タイマーの音が鳴り響いたので少年は大きく肩を揺らした。

 もらった服に着替えて行こうと思ったが、どれを着たらいいのかわからず、いつもその人が着ているようなシャツと黒いパンツを着た。

 その人との違いといえば、シャツをパンツの中に入れたことだ。

 急いだがいつもより遅れてお皿を取りに行った。

 その人が自分の格好を見てなんて言うか緊張していた少年だが、本人は一切少年の方を見なかった。

「あの!」

 そう少年が声をかけてもその人は「なんだ」と返事をするだけで少年を見ない。

「服ありがとうございます!大切に使います!」

 するとその人はゆっくりと少年の方を見た。

 まさかこっちを向くとは思っていなかった少年は、心臓が飛び出そうになった。

「七点」


 その人と居るように言われ二週間が過ぎたある日「これを売ってこい」と言われた。それは白い粉。法律で罰されるものだ。

 ここに来てすぐに銃を持たされ、売ってくるように言われたことがあった少年にとっては、「結構遅かったな」というのが正直な感想だった。

 そもそも少年が、ここに来た理由、いや、連れてこられた理由は、この粉を売らせるためだ。

 この国では十五歳未満の少年少女は何をしても罰せられない。そのためギャングは少年少女を誘拐してくる。

 そう、少年は誘拐されてここに来たのだ。

 沢山あった粉を全て売り切った少年は、そのことを告げるとその人は「三点」とだけ言った。

「どうしてですか」

「〇点。自分で考えろ」

 〇点を出すことはほとんどないため、少年は黙るというより、言葉が出なくなった。


「二点。気分じゃない。お前、好物さえ出しときゃいいとでも思ってんのか」

 そう言われたのは酒を買ってくるよう言われ、買って来た時だった。こう言われるのは珍しい。ほとんどが点数だけなので、理由を言ってくれると、少年としては嬉しいのだ。

「いいよ、気分じゃなくても、飲まないってわけじゃないからさ」

 と言ったのは他の幹部の男。

「そんなツンツンするなよ~、今までで一番いい子じゃん。逃したら損するよ~」

 など、大きなソファに一緒に座ってる男たちが言う。

 しかしその人は「さっさと去れ」とだけ言い、少年は返事をして部屋から出た。

「お前すごいな」

 部屋から出ると、少年より二つ以上年上であろう人が話しかけて来た。

「何がですか?」

「俺は二週間も耐えられなかったわ」

 その言葉の意味を最初はわからなかったが、「超理不尽だろ?あの人」と言ってやっとわかった。

「大変じゃないと言ったら嘘になりますが、今まで自分が知らなかったことを沢山知ることができるので、とても勉強になります」

 とう少年が言うと「ほお~、俺より年上みたいだな、お前」と言った。


「お前はまるで中学生の書く、読書感想文みたいだな」

 その人がそう言ったのは、ビリヤードを楽しんでいる幹部らに少年が飲み物とおつまみを持って行った時だった。

「思ってねえことを、ベラベラと並べて、あたかも偶然今の自分だからこそ心を動かされたと言う。書いてるのは自分であって自分ではない他人。心動かされる本なんか滅多に出会わねえだろ」

「中学校行ってたんですね」

「ここにいる奴らの中では、教養はある方だからな」

「意外です。覚えておきます」

「6点」

「何がですか」

 その人の下について3ヶ月が経ち、少年はいくつか気づいたことがあった。その中の一つが会話だ。

 その人は失礼なことを言っても、特に怒りはしない。失礼なことというのは、思ったことを素直に言うこと。どちらかと言うと相手を持ち上げるような言葉を嫌う。もし、素直に出た言葉が相手を持ち上げるようなものだったら何も言わない。きっとその人にとっては、それが失礼な言葉に当たるのだろう。

 つまり、その人は嘘か嘘じゃないかがわかるのだ。

 一度その人に言われたことがある言葉。

「嘘をつくときは、言葉でなく感情に嘘をつけ」

 少年は、初め聞いたときはよくわからなかった。しかし今はなんとなくだがわかりつつある。

 もう一つは言葉。

 その人の言葉は理不尽なものが多い。そう思っていたし、そうであるものもあるが、全てではない。

 そのときは理不尽だと思っていても、後々言っていたことがわかってくる。先ほどの言葉のように。


 ベルが鳴ったのは、少年が朝食を用意しているときだった。このベルが鳴ったと言うことは、戦争になる。と言うのはものの例えだが、案外間違いではない。ここのナワバリに赤いネクタイが侵入して来たのだ。

 なぜ敵対しているのかは少年は知らないが、ここに来たときからそうなのだ。何人かは銃を持って外に出る。その中に少年も含まれている。

「相手は帽子屋で目撃されています。その場所からして隠れている可能性は、二番街の横階段。それから……」

 少年は粉を売っている時に赤いネクタイの動きを耳にしていたため、幾分か冷静にことを分析することができていた。

 少年は、銃を指で回しているその人に言うが、本人はどうでも良さそうだ。ここには来ないと思っているのか、来ても問題ないという自信か。そしてその人は振り返って言った。

「9点」

 そしてなぜか銃口を少年の顔に向けている。そして引き金を引いた。音が爆発した。

「マイナス二〇点」

 その人は、少年の耳に当てていた自分の手を離して言った。 

 少年は、どさりと音がなった足元を振り返って見ると、そこには血を流している人が一人寝ていた。

「忘れ物は死んでもするな」

 そう言ってその人は、少年の手の中に耳栓を置いた。


 本当に呆気なかったよ。

 将来の夢を警察と語ってた俺。

 この国の法律を利用して、多くの子供を犯罪の道具として使ってたことは知っていた。じゃあ法律を変えるには政治家になればいいと思っていたが、強い光には濃い闇。それはどの国でも良くあることだと知った。この国は上が腐ってるらしい。

 なら警察であったほうが少しは人を助けることができる、と思いこの国を俺が変えてやると鼻高々に言っていた。

 しかし、実際に銃口を向けられ「死にたくなければ……」と言われたらあっさりと頷くことしかできなかった。何も満たない自分が嫌だった。まあ、満たないからそうされたんだけども。

 できたことと言ったら、大粒の涙を流しながら、心の中でそいつを殺したことくらいっだった。

 俺はここに連れて来られて、できるだけうまく生きようとした。

 最初は怯えているように見せ、徐々に心を開いていき、純粋さと素直さを前面に出す子供になった。年を重ねると、少しそれを抑えたり、と子供なりに考えた。

 案外大人は単純で、俺は子供の中では一番気に入ってくれた。こんなもんかと、冷めたようで、しかし大人を操ってるという優越感もあり、それが暖かく感じた。

 その中で俺に対して、好意も嫌悪も示さなかった人がいた。いや、最初はすごく嫌な顔をしていた。どうせこいつも俺のことを気にいるだろうと思っていたが、態度は変わらなかった。

 どちらかというと俺はこいつが嫌いだった。

 初めは言い方が気に食わなかった。何様だよと思う言葉遣い。理不尽なことばかり言うし、点数つけるし、本当に存在が嫌いだった。

 しかし、ずっと居ると、そいつの言って居ることは矛盾してないし、なるほどと思うことがほとんどだと気づいた。理不尽と思っていたことが、実はそうではないのではないかと考え始めた。他の幹部より、話すのが楽になった。ほとんど、本当の自分で接していたと思う。

 だが、それはそれで気に食わない。何とひねくれた性格なのだろうと自分でも思う。人間としては好きだが、そいつは好きではない。まあ、それはギャングだからだろう。うん。


 今日の買い出しに行こうかと思い、最終確認として食料や、そのほかの洗剤や、備品を見ようと歩いていたら、広いリビングから幹部たちの声が聞こえて来た。

 いつもなら素通りするが、自分の名前が聞こえて来たため、俺は足を止めた。

 なんだろうと聞き耳を立てていると、内容はまさかの俺の誕生日プレゼントについてだった。

 俺はホッとした。俺は今年で一四になる。ほとんどの子供が一五でここを去る。もう用済みだからだ。しかし全てではない。

 ある日の会話を聞いたが、俺はここに残されるようだ。

 だから俺は決めた。一五になる前に、ここから逃げ出す。今考えてるのは、一四になった次の日だ。

 逃げた俺に、奴らがどんな反応するかを見れないのが惜しいがな。心で笑って居ると、そいつの声が聞こえてきた。

「誕生日ねえ、これでいいだろ」

「酒?結構太っ腹だなお前」

「あ?この瓶だよ。飲み干した後の」

「うわ、まじゴミ」

 はーはー。俺は血管を浮かび上がらせた。ま、期待してませんけど!そう、心の中で口を歪ませて吐き捨てて、俺はその場から立ち去った。

 そんなことより今は、ここを逃げる方法を考えなければならない。外に出ることは簡単だ。監視も何もない。問題はお金だ。

 全てカードで支払っているため、何を買ったかが全てわかる。なので移動するための現金が必要となる。

 現金は、大きな金庫にある。金庫は開けられるが、監視されている。最近は、粉を売るのは年下がほとんどしているため、自然に金庫に近づくのが難しい。

 一度くらい大丈夫であろうか。不安はあるが、しないという選択肢はない。今はまず、逃走の経路を頭に叩き込まないと。


「わあ、ありがとうございます」

 誕生日当日、俺は幹部らからプレゼントを受け取った。高そうな腕時計や、財布、服やバイクなどをもらった。これを換金したら十分すぎる現金が手元にできるだろう。しかし問題は換金する場所だ。

 俺はまだ十五になっていないから、正式な場所で換えるのは無理だ。かと言って、裏でするには、顔がバレてるからできればしたくない。

 なんて考えながら、部屋に大きなもの以外のプレゼントをしまっていると、昼食の時間になった。

「やる」

 昼食を作り、そいつに持って行くと、この前言っていた通り、からのお酒の瓶を渡してきた。

 まじで渡してきたぞこいつ。

「あいがとう、ございます?」

 よくわからない風に言えば「割ってストレス発散にでもしろ」と言われた。

 明日ここを出る俺にとっては、どうしようもない高級なものよりかは、こっちの方がいいのかもしれない。

「そうさせていただきます」

 その日の昼食は一〇点だった。


 バリンと、大きな音が壁と合わさって鳴ったのは、夕食後の片付けが終わった時だった。

 それが思いの外気持ちよく、スッキリしたが、そいつの思い通りになったようでイラッとした。プラスマイナスゼロだな。いや、その後片付けいけないと考えると、むしろマイナスか。

 そう思って飛び散った破片を見ると、破片以外のものが紛れていた。紙のようなものだ。

 また何かの命令か?何年一緒にいると思ってんだ。今日のそいつの機嫌からして、要求されてるお酒とタバコは把握している。なんならつまみだってわかる。

 そう思いながら筒を開けると、紙の他にコロッとしたものが二つ出てきた。それは耳栓だった。

 なんだこれ。謎解きでもしろってか?ミッションが書いてあると予想した紙を広げた。

 その紙の内側には一番高価な現金一枚と、その下の紙は、この街から一番遠い街までの飛行機のチケットだった。


 次の日、俺はそのチケットを使って飛行機に乗った。今日は誰にも会っていない。昨日の夜は俺の誕生日ということで、食事は作らなくていいと言われた。なのでそいつと最後の会話は昼食の最後の「今日は何もしなくていい」という言葉に感謝の言葉を返したものだった。

 俺は何も思わずこのチケットを使った。これを使ったら行き先がバレるのではないかと気づいたのは、遠い街について遅めの朝食をとってる時だった。お金も入っていたものを使った。

 何も考えずに使ったチケット。そいつが俺の行動を把握している恐怖などは感じなかった。それはなぜだかはわからない。そいつの考えていることも、俺自身なぜ何も感じないのかも、全部わからなかった。


 これから何をするかは決めていない。警察に行って、今までのことを話し、保護してもらうか、仕事を探すか。

 警察に行った方がいいが、なぜだかそんな気にはならなかった。

 そいつのせいか、今までまあまあいい環境に置かれていたからか。俺はなんとなくホテルで一晩過ごすことにした。

 何年ぶりだろう、こんな時間から何もしなくていいのは。

 することもなく、シャワーをゆっくり浴びて、バスローブに身を包み、柔らかい椅子に腰掛けた。テレビをつけようかと思ったが、なんだかその気にもならなかった。

 心ここに在らずというように、ボーッとしていたらテーブルに置いた耳栓と、なぜか捨てなかった割れたガラス瓶の筒状の部分が目に入った。

 そういや、この耳栓を忘れて闘争に行ったな。

 そのことを思い出したことを皮切りに、そいつのことを思い出した。

 点数結局一〇〇点もらえなかったな。最高が一〇点だ。俺が出て行くこと知ってたら、最後に一〇〇くれてもよかっただろ。まあ、一〇からいきなり一〇〇に上がったも、意味わかんないか。

 そう思いながら、今まで一〇点もらったものを、指折り数えていく。

 両手の指が全て一度だけ曲がり、過去の会話が蘇る。

 俺が思い切ってそいつに問い詰めた時。

 そして、俺に耳栓を渡した時。

 初めて会った時に、たくさん本を読まされた。

 仕事とは全く関係ない、いろんな分野の本だった。あれらの内容になんの意味があったのか。

 本当にそいつは何を思っていて、何を考えているかわからない。

 しかし、ここに連れてこられそうになった時と同じように流れる大粒の涙と、今俺が抱いている感情は、そんなに悪くないと思った。


「あなたはなぜそんなに出来た人なの?」

 職場の女性の同僚にコーヒーを渡した時に、不機嫌そうに眉間に皺を寄せて言った。

「出来た人という概念がよくわからないのから、なんともリアクションしづらいな」

 私は苦笑いをしながら彼女の横のデスクの椅子に腰を下ろす。

「身だしなみも清潔で、他の男みたいに先入観と偏見の塊じゃないし、頭が回るし、気がきく。それであってそれを鼻にかけてない」

 私はカップに口をつけながら、彼女の言葉を耳に入れる。

「それが鼻につく!」

 人を殺せそうな目つきだが、どちらかというと立場としては守るほうだが。

「まったく、こんなクソみたいな治安と国の中で誰がどう教育したらあんたみたいな人間が生まれるんだか!」

 フン、と鼻を鳴らしてそっぽ向く彼女を見て、あの人となんだか似ているような気がした。

「さあ、誰がどうしたのかね」

 私は首から下げている、紐に通されているガラスを人差し指でなぞった。

タコの腕

 仕事が始まるまでの時間、テレビの前に四人が集まって流れているニュースを見ていた。

 今流れているのは視聴者提供の動画で、暗闇の中で撮った動画はひどく荒い。右上に表示されている文字には「本物の妖怪?」とある。動画が流れ終わり、キャスター人たちが意見を言い合う。

 黙って聞いてた四人のうち一人が口を開いた。

「俺らだって本物の妖怪だっつーの」

 呆れたように言ったのは、タレ目なのにどうも目つきが悪い金髪の植本。

「言うなれば、妖怪っていうより幽霊の方かな」と半分しか目の開いてない横石。

「消えてたしね」と大きめの赤いパーカーを着た津田。

「そうですね」とツインテールの宮﨑。

 動画で流れていたのは、一反木綿のようなヒラヒラした何かがいきなり姿を消すというもの。

 一反木綿の妖怪は実際に存在するが消えることはない。生物と同じだ。

「本当に消えたのかな?」

 津田が独り言のように言った。

「どうだろうな。今じゃこんな動画作ろうと思えば作れそうだしな」

 植本がそう言い終わったと同時に、部屋に一つしかないドアが勢いよく開き、壁にぶつかって大きな音をたてた。

「みんな!大変だ!墨絵がなくなった!」

 大きな音に負けないくらいの声で館長が言った。

 そんなに広くない館内を走っただけで息が切れてる館長をみんな数秒何も言わずに見る。

「へえ、よかったじゃん」

「どこが!?」

 植本に食い気味で言う館長。

「うん、よかったんじゃない?こんな何もない博物館から盗むなんてさ」

「確かに。一応市の博物館だし、ニュースに取り上げてくれるんじゃない?」

「まあ取り上げてくれたらここの存在だけでも思い出してくれそうですね」

 植本に続いて、横石、津田、宮﨑が口を揃えて言った。

「それはそれでいいかもしれない……じゃないよ!勿論これで少しでもお客さんが来てくれたら嬉しいけど、うまくいかないかもしれない可能性が高い、て言うか、まず取り返せるかも……」

 歯切れの悪い館長に四人は首を傾げた。

「ちょっと面倒なことになるかもしれない」

「とりあえずまずは警察だ」と言って館長は携帯を耳に当てて廊下に出た。

 館長がいなくなった部屋で、四人の頭にはクエスチョンマークが浮かんでた。

「あの絵って確か。作者死亡による未完成の作品だったから寄贈されたやつだよね?」

 津田の言葉にみんな興味なさそうに「へえ」と音のような返事をした。

「タコみたいなやつだったっけ?」

 横石が首を傾げて言うとすかさず植本が「タコの吸盤が全部目玉になってるやつな」と言った。

 館長の言っていた言葉の意味が分からなかったが、追求するほど興味もなく、みんなテレビに視線を戻す。テレビではまだ《本物の妖怪》と言うものに議論を交わしている。どうもここ最近日本各地で目撃されているとのこと。

「そういや植本はなんの妖怪だったっけ?タヌキ?」

 先ほどの植本の言葉を思い出して横石が聞いた。

「俺はキツネ」

「へえ、誰かタヌキじゃなかったっけ?」

「タヌキは私!」

 そう手をまっすぐ上げたのはソファに座ってる津田。彼女は両手を固く握りしめた。するとヒュンとタヌキの姿になった。

「わあ、可愛い!」そう言ったのは目つきの悪い植本。

「服も一緒に小さくなったりしないんだ」

「化けるとき、煙とかでないんですね。なんかシュール」

 横石と宮﨑は冷静にそう言ってタヌキの姿になった津田を覗き込む。身長はいつもより半分くらいになってる。

 津田と同じ目線になるように膝を床について、いつもの表情のかけらもなくデレデレしてる植本は、よほどタヌキの姿の津田が気に入ったのか「いつもこの姿でいなよ」と言った。

「う~ん。この姿だと生活するのが面倒なんだよね。身長的にもそうだし、妖怪用の服って案外少ないし。尻尾邪魔だし」

 彼女はそう言って人間の姿に戻った。植本は残念そうな顔をしている。

「確かに。妖怪って言ってもいろんな種類があるから、それぞれに合う洋服ってなかなか難しいね」

「妖怪の姿になった時に、洋服も一緒に伸縮したらいいですよね。できそうな気もしますけど」

「どうなんだろう。でも外にいる時はずっと人間の姿だからね」

 するといきなり「よし!」と植本が大きな声を出して立ち上がった。

「服、作ろうぜ」


「みんな、今から警察署の方に行かないといけなくなったから。ここ長く開けるけどよろしくね」

 館長が職員室に顔を出すと、みんながいつもより生き生きして何かに取り組んでるの見て「え、みんな何してるの?」と言うと、津田が館長を見て口を開いた。

「服作ってます」

「服!?」

「て言うか館長いたんですね」

「いたよ!」

「ずっといなかったから、もう存在を忘れてました」

「ひどい」

 眉を八の字にする館長にその他の職員は「いってらっしゃい」と言うだけだ。館長は悲しくなりつつも、このいつもの職員の対応に慣れて来てるのもあって「いってきます」と鞄を持って部屋を後にした。


 館長は墨絵が誰に盗まれたか心当たりがあった。犯人の顔も知ってるし、会ったこともある。なんなら話したこともし、連絡先だっって記録にある。警察にもそのことを話した。言っておくが、心当たりであってまだ確定というわけだはない。しかし犯人の確率が高い人がいた。

「あんな誰もこない博物館に飾られるより、あの絵を心から好きな一人に渡った方が、作者の人も絵も嬉しいと思いますがね」

 そして、犯人は彼の予想通りだった。

 今犯人と向かい合っているが、見るからに気弱な彼は見事に肩を狭め、力がこもった両手は揃えて膝の上にある。

「しかし、作者本人からの寄贈ですし……」

「作者は俺の依頼で描いたんですが」

 犯人は墨絵を描いて欲しいと依頼した者。墨絵が博物館に寄贈されると決まった時にもこの争いは起こっていたのだ。

 絵を依頼したが受け取れなかった依頼人。

「そう言われましても、私の博物館は目立ったものはなく、あの知る人ぞ知る咲坂先生の絵はとても譲れないものでして」

「じゃあ先月のお客さんの数教えてくださいよ」

「……」

「どうせ片手で数えきれるほどでしょう?」

 犯人のつり上がった色素の薄い目を見ると、何を言っても言い返されてしまいそうで言葉が詰まる。

「だいたい市の博物館なんだから人がたくさん来ても来なくても給料は変わんないんでしょう?ていうかあの絵があってもなくても変わらないような気もしますけどね」

 館長は同席している警察の顔をチラッと伺ったが、警察は特別こっち側を擁護する様子もない。今一度拳に力を入れて唾を飲み込んだ。

「そもそもこの件は一年前に解決しています。あなたは作者に払った前金を返してもらうことで納得したので、墨絵は博物館に寄贈されたんです。それを今になって「やっぱり返して欲しい」と言われても困ります。理由はどうあれものを盗むのは犯罪です!」

 警察の顔を見ると、先ほどより引き締まった表情になっていた。


「で、負けた?」

「予想はできましたね」

「まあ、どっちでも変わんないしね」

 みんなとは別の所長の机の周りを植本、津田、横石が囲んで、落ち込んで頭を垂れてる館長を見る。

「違うんだあれは」

「何が?」

 館長は灰色の髪をわしゃわしゃし、かけている丸い眼鏡が斜めになる。

「急に遺書を出して来たんだ」

「イショ?」

 一瞬で正しい漢字に変換に出来ずに、一同言葉を繰り返す。

「そう。作者が「やっぱり依頼者に絵は譲る」っていう内容の遺書を出して来たんだ」

「……意味がわかんないんだけど」

「へえ」という横石と津田とは変わって、理解できないという表情の植本。

 もともとは作者が生前「博物館に寄贈すると言っていた」と奥さんや弟子に言っていたとの証言をもとに墨絵がこの博物館にきたのだ。しかしそれから新しく遺書が見つかったとのこと。

「なんかツッコミどこが多いな」

 そう言って植本は腕組みをして天井に目線向ける。

「依頼人が遺書を持っているのはまだわかるとして、なぜ今更出してきた?」

「忘れてたって」

「遺書の立会人は?」

「それはわからない」

「筆跡鑑定は?」

「向こうは一致してるって言ってた」

「もし遺書が本物だ仮定して、なんで依頼者は盗みを働いた?」

「さ、さあ……?」

 植本が黙ったのを見て、話を横で聞いていた横石が目を輝かせて口を開いた。

「なになに~?事件?謎解き?いいね~」

 横石は口をいつも以上にニンマリと口を横に開いて「ひひひ」と笑ってる。

「取り返しましょうぜボス!」

「え、これはみんなでパターン?」

「勝手にやらしとけ。どうせすぐ飽きる」

「いや、今回はいつもの生ぬるい謎じゃないから最後までやり通すって!」

 すると部屋のドアが開き「買ってきました~。とにかくあるやつ全部」と言ってどこかに行っていたであろう宮﨑が入ってきた。続けて「慣れないですね。勤務中に仕事以外のことするのは」と言っている。

「なあ、宮﨑は協力してくれるよな」

「え?何がですか」

「ありがとう宮﨑。協力してくれて!」

「ど、どういたしまして?」

 宮﨑はなんのことか理解できずに流されて返事をした。

 一人喜んでる横石を横に「え?ん?何がですか?」と植本たちに目線を向ける。

「そんな大したことないし、すぐ飽きるだろうからちょっとの間付き合ってやって。あいつ一緒に探偵ごっこする相手欲しがってたし」

 彼女はここに勤め始めて一年も経っていないため、そう植本から言われてもイマイチ理解していない。

「さ、買ってきてくれた雑誌見ようぜ」

 そう言って彼らは小さな職員室には明らかにサイズ感のおかしいソファとテーブルのところに移動した。

 宮﨑は館長の机の前で止まったまま、少しでも今の状況を理解しようとしていた。

「みんなちゃんと仕事……ないね」

 館長は彼女を見上げて言った。

「宮﨑さんはそのままでいてね」

「あ、はい」

 館長の言葉はなんとなく理解し、彼女は短く返事をした。


 テーブルとソファとは別に、長い机が二つ向き合ってくっつけてあるデスクに横石は一人パソコンと向き合っていた。

 そのほかの三人はソファに座って向かい合って雑誌片手にそれぞれ服に関して話し合う。

「あの、服とは関係ないんですけど、私は横石さんと何したらいいんですか?」

 宮﨑はデスクの方にいる横石を見て「一人で勝手に進めてますし」と言って前にいる植本に言った。

「手伝って欲しい時に声をかけるんじゃない?」

 と雑誌から目を離さずに言う彼。するとすかさず宮崎の横に座ってる津田が「名前だけの相棒が欲しかっただけなんじゃない?」と言った。

「前から思ってたんですけど、津田さんって言葉鋭いですよね」

「そう?」

 大きな目を宮崎に向けて、首をコテンと傾げる。茶色いショートボブの髪がふわっと揺れた。

 宮﨑は「そう」と大きく頷いてツインテールをさらっと揺らした。

 再び雑誌に目を戻した時、デスクの方から「ねえ!これ見て!集合!」と大きい声が響いた。

「早く早く!」と急かしている横石の声から、いつもよりワクワクしているのが伝わってくるが、目はいつも通り半目なためどうも違和感があるな、と宮﨑は思いながら彼のデスクの後ろに回り三人パソコンを覗き込む。

「これは昨日の防犯カメラの映像なんだけどさ」

「そういやどうやって盗んだんでしょうね」

「確かに。見た感じいつもと変わった感じしなかったしね」

「見て驚け!」

「なんで自慢げなんだよ」

 少し強めにマウスをクリックして動画が再生された。

 流れているのは博物館の玄関。夜の三時で真っ暗だが、今日テレビで流れていた視聴者提供の動画よりか綺麗に映ってる。

 特に何も変わりない玄関の映像が数秒流れた後、白くふわふわしたものが視界の端から現れた。

「これってあの、今日テレビであってたやつじゃ」

 宮﨑は驚いて言葉がうまく出なかった。

「確かに似てるね」

 白い何かは扉の下の隙間から簡単に中に入った。横山は慣れた手つきで、次に施設のにある展示スペースの映像に切り変えた。

 白い何かは階段を登り盗まれた墨絵のところに向かった。そして重ねてあるガラスの隙間からまたも簡単に入った。

「あ~そこの隙間は結構あるよね」

「これからですよね」

 するとその物体は掛け軸の下を切り始めた。ハサミで切っている様子ではなく、カニのように物体そのものについているハサミのようなもので切っているようだ。

 絵の大きさは横長で、どちらの辺も大人の身長を超えるほど大きい。

 下を切った後、吊るしている上も切った。そして絵の部分だけを持って、入ってきた隙間から器用に出た。

「わあ上手!」

「そこですか?」

「俺も感動した!」

「だよね~」と津田と横石二人共感してる。宮﨑は「確かにそうだけど……」と困惑する。

「テレビであってたやつと似てるけど、明らかに知性があるな」

「そうですよね」

「テレビのやつはただ現れて消えただけだったが、こっちは意志がある」

 横石と津田は「特に下から切るって頭いいよね」とワイワイしている。

「ていうか見た目で判断していましたけど、これってテレビのやつに似てるだけで、普通の妖怪なんじゃないですか?消えてませんし」

「そうだよな。けどこんな妖怪でハサミを持ってるのは初めて見たな」

「ああ。そういえばあそこは謎でしたね」

 すると植本は後ろからマウスに手を伸ばし、盗んだ後の玄関の映像に切り変えた。映像を見ていた二人が悲しそうな声を上げたが、その声は聞こえていないような態度だ。

 物体が見えなくなるまで、カメラを切り変えて見た。

「最後まで消えないな」

「ハサミはないですね。手を変形してハサミにできる妖怪とか?」

 物体は大きい絵を少ない指の両手を使い引きずっている。

「探偵みたいだね。二人」

 座ったままの館長がこちらを見て言った。

 その言葉にビクッと反応したのは横石。

「えっ!待って館長!探偵は俺!」

「まあ、お前よりかは探偵っぽいことしてる自信はあるな」

「何!?」

「館長は見ないんですか?映像」

 そう津田が体を乗り出して館長に聞くと「みんなの声で全部分かったよ」と苦笑いで言った。

「もしこれが今テレビを賑わせてるやつと一緒だとしたら、今日館長が警察で会った犯人の仕業ってことになりますかね?」

「もし一緒だったらな」

 見た目はほとんど似ていたが、似ていない点も多くあるので一緒とは断言しにくい。

「よし!じゃあまず犯人に会いに行くか!」

 横石はそう言って勢いよく椅子を後ろに引いた。植本は華麗にかわしたが、宮﨑はうまく避けきれずにガンと横腹に椅子の背もたれが当たった。

 当てた本人はそのことに気づいていないようで、横腹を抑えてる彼女の横に館長に片手を伸ばした。

「犯人の連絡先教えて!」


 二つのソファが挟んでいるひざ下の高さのテーブルの上に、一〇冊以上のファッション雑誌がいろんな方向から重なり合っている。

「前から疑問に思ってたんだけどさ」

 そう言ったのは横石だ。

 犯人に電話をかけたところ明日相手の自宅で会うことになったようだ。

「このトレンドの意味がわかんないんだよね」

「どうぞ」

 植本の言うこの三文字の言葉をフルセンテンスでいうと「どうぞ続きを話してください」という意味だ。この中には「あなたの話を聞いてますよ」という積極的な感情も含まれている。表情筋は全く動いていないが。

「トレンドって流行って意味で捉えたらさ、別にまだ流行ってなくない?どちらかというと「業界ではこれを流行らせようとしていますよ」っていうことだよな」

「ならそういう意味でのトレンドなんじゃねーの」

 植本はさらっと流したが、宮﨑も横石と同じことを疑問に思ったことがあった。

「私もなんかそれ引っかかってました。何を持ってトレンドって言ってるんだろうって」

「トレンドって言われてるのは、数年後見返したらダサいってイメージがあるな」

「逆にシャツとかパーカーとかシンプルなものは廃れないよね」

 横石はそう言った後、植本と津田を順番に見た。植本は万年白シャツで、津田は万年パーカーだ。

「何にでも合うから楽だよな。考える時間もいらないし」

「同じく」

 そんなこんな雑談しながらそれぞれ雑誌を見ていると、一つの着物雑誌が宮﨑の目に留まり、それに手を伸ばした。

「着物も楽じゃないですか?着物着てる人見たら「古い」「新しい」とかより「着物着てる」ってことに目がいきますし、なんていうか同じやつ毎日来てても何も思わなさそう。周りが」

「確かに~。みんな似合うしね」

 宮﨑の隣に座ってる津田が、横から雑誌を覗き込む。

「着物……和服……」

 植本が腕を組んだ。そして

「うん。和服いいな」

 そう言って立ち上がり、自分のデスクの上にあるノートとボールペンを持って来た。

 無地のB5のノートを広げペンを走らせる。描いたのは横向きに立ってるタヌキのラフな絵。

「いろんな姿の妖怪がいるが、今回は尻尾のある妖怪に絞ろう。妖怪のほとんどが化ける奴つだからな」

 そう話しながら、そのタヌキの横に和服の絵を付け加えて描く。

「絵上手ですね」

「こいつは基本なんでもできるんだよ。目つき悪いけど」

「あと口」

 二人の会話に反応せずに描いていた植本が再び口を開いた。

「和服は普通開いている方を前に着る。けどあえてそれを反対にする」

 三人それぞれ、前後ろ逆に着たのを想像して「あー」と声をあげた。

「そのまんまだと見た目は不恰好だが尻尾は出る。これを不恰好じゃないようにデザインする。もしくはこの原理だけでも利用できるんじゃねえか?」

 妖怪に合った洋服とぼんやりしたものから、何となく方向性が決まってきたことに宮﨑はちょっと感動した。

「言っとくが、これはパッと浮かんだアイディアだからな。何かをモチーフにする時は、そのモチーフを徹底的に知らないといけねえ。だからまず俺らは和服知ることから始めないといけない」

「もっと和服の本買ってきたらよかったですね」

 一つくらいあったらいいかと思って買ってきたのを宮﨑が後悔しながら、雑誌を閉じて表紙をまじまじと見て言った。

「宮ちゃんが一冊買ってきてくれたから和服って選択肢が簡単に出てきたんだよ!」

「確かに。この一冊がなかったらこの最初のアイディアが出るのにもっと時間がかかってたかもしれないよね」

「一冊も、買ってきてくれた。だな」

「全肯定マン……」

 思ってもみなかった三人の言葉に宮﨑は感動と困惑が混じった不思議な感覚になって、口を両手で軽く押さえた。

「宮ちゃんってしっかりしてるけど、ちゃんと今時の子って感じだよね」

「全肯定マン……?」

「今のお前反応すごくついていけてないおっさんみたい」

 植本に向かってそう言った横石に、それを見て笑う津田を見て宮﨑も笑った。

 その様子少し離れたデスクにいる館長が見て柔らかく笑って言った。

「みんな、本業を忘れないでね」

 その言葉は四人の耳には届いてなかったが、それも館長は分かっていた。


 今の季節は寒くなり始めたと思ったら、また夏に戻ったように暑くなる。今日は昨日より少し寒い。

 そんな外の空気の中に横石と宮﨑はいた。横石は一つのヘルメットを宮﨑ん私た。

「はい」

「バイクで行くんですか?」

「うん」

 職員用の駐車スペースの端っこに置かれていたバイクを後ろに出したあと前輪の方向を変えてそのまま乗って出られるように動かす。

「宮﨑いつも徒歩でしょ?駅までも結構距離あるし、バイクがいいと思って」

 そう言って横石はヘルメットをかぶる。

「あ、宮﨑ツインテールだったね。崩れるね。じゃあ車で行くか」

「いえ、解けばいいので大丈夫ですよ」

「いい?せっかく結んできたのに」

 横石がいいの?と言う表情をしているが、宮﨑はためらわずに髪をほどいた。宮﨑自身、髪を結ぶのに三分もかからないので解くのは全然かまわなかった。

 ヘルメットをかぶり、二人バイクに跨って図書館を出た。


 十分足らずバイクを走らせ、着いたのはアパートやマンションが全部で5棟ほど建っているところの一つのアパートだった。

「今更ですけど、よく会ってくれましたね」

  バイクを止めたあと、アパートの階段を登りながら宮﨑は横石に話しかける。続けてまだ会ってはないですけど。と付け加えた。

「そうだな。もしかしたらなんかあるかもな」

 横石の口はニンマリとしている。

「ちょ、それ今言います?」

「ひひひ、まあいいじゃねえか一人じゃないし」

 そう言ってる彼を見て、宮﨑は植本の「一緒に探偵ごっこする相手欲しがってたし」と言う言葉を思い出した。危険を侵さなかったらいいんだけど、彼女は心で呟いた。

 二階の犯人の部屋(と思われる)扉の前で二人は足を止めた。横石がインターホンを押す。すると中から「はーい」と健康的な若い男の人の声が聞こえた。

 宮﨑は「あれ?ここで合ってる?」と首を傾げて横石を見ると、彼はいつもと変わらず口をニンマリとさせてる。

 ガチャッと音がしてゆっくりとドアが開いた。

「どちら様で?」

 出てきた男の人は裸足のままドアを開けた。彼の髪型は坊主で、目はつり上がってる。瞳の色素はとても薄い。

 宮﨑が想像していた顔とは違い、唾を飲み込んだ。

 しかし「博物館の絵を盗んだのはあなたですか?」と何事もなく横石が聞いたのにさらに驚いて思わず目を大きくして彼の顔を見た。

 さらに「ええ、そうですよ」とあっさり相手が答えたのにもまた驚いて目線を犯人に向けた。

「博物館職員の横石と宮﨑です」

「どうぞ中に」

「お邪魔します」

 宮﨑は状況を簡単に理解できず、立ち止まってると中に入った横石が手招きをしたので、恐る恐る中に入った。

 部屋の中は散らかってはいないが、リビングにある大き目のテーブルの上には参考書やパソコンやゲーム機などが広げて置いてあった。

 見たところ彼は学生だろう。二人がけソファに、横石と宮﨑は腰を下ろした。キッチンの方から「オレンジジュースか水かお茶どれがいいっすかー?」と彼の声が聞こえてきたので、宮﨑はお茶を、横石は水をお願いした。

「あの」

「ん?」

「彼になんて言ったんですか?」

「何が?」

「電話で職員が盗んだ人ですよね?って聞いて普通家に上げます?」

「うまく嘘をつくには少し真実を話すこと」

「嘘?」

「何の話ししてるんですか?」

 透明なグラスに注がれた茶色と透明なものを持ってきた彼にびっくりして、反射で「いえっ」と答えた。

「何で家に上げてくれたんだろうって気になったみたいで」

 宮﨑は本日三度目の大きな目で横石を見た。

「あ~なるほど。確かに。それは別に断る理由がなかったから、としか言いようがないかな?」

 私は手渡しされたグラスに少し口つけてテーブルに置いた。

「で、絵を盗んだ理由でしたよね?」

「そーそー。何で今更なのかな?あと絵の盗んだ妖怪が初めて見るのだったからなんて種類の妖怪なのかな?との二つですね」

 そう言う横石を横目で見て「全部真実じゃん」と宮﨑は思ったが何も言わなかった。相手は口を尖らせて唸った。

「二つ目の方から言いますと、う~ん信じてもらえるか分かんないっすけど」

 彼は丸い座布団を引っ張ってきて、その上に座った。

「オレ、描いた絵を具現化できる能力?を持ってるんすよ」

「……え?」

「へえ、そういう力がある妖怪ということ?」

「それが調べても分かんなくって。妖怪には人間にできないことできたりするけど、妖怪とも違う気がするし、かと言って人間ではないし」

 何なんすかね。と他人事のように言う彼。

「マツダくんの両親は人間?」

「オレマツダじゃないっすけど。親は人間っす」

 どんどん進む会話に、ついていかないとと思い「何でマツダ?」会話に入った宮﨑。すると「マツダっぽい顔だから」と言いた。マツダっぽい顔って何?って思って相手の顔を見たがよく分かんなかった。

「ネットで見たんすけど。親が人間で、生まれは人間でも突発的に妖怪になることもあるらしいですよ」

「なんか聞いたことがある気がする」

 横石はグラスの水を一気に半分ほど飲んだ。

「原因は証明されてないけど、一つ言われてるのが「もののけ」が乗り移ったとかだそうです」

「もののけ……」

「ならマツダくんの能力も一種のもののけの仕業みたいな感じ?」

「どうなんでしょうね。昔からなので特に気にしてないですけどね。学年上がるにつれて絵を描く機会少なくなって今は困ることもないですけどね」

 マツダは「俺は完璧な人間ではないってことは感じてます」と言い、その言葉を聞いて宮﨑は自分の腕を撫でた。

 横山は絵が具現化することってどんな感じなのか何となく頭でイメージした。

「具現化したら大変じゃないの?描いたものが出てくるんでしょ?」

「ああ、それは手で押さえたら絵に戻るので大丈夫っすよ」

 そう言ってマツダは手のひらをテーブルにピタンと音を立ててついた。

 今までの会話を聞いて宮﨑は聞いていいか少し迷って恐る恐るマツダを見た。

「なら、マツダくんが絵を描いて、具現化させた妖怪を使って絵を盗ませたってこと?」

 宮﨑の言葉を聞いてマツダはまたも少し唸った。そして「ちょっと長くなるんすけど」と前置きをした。

「オレは頼まれて絵を描いたんす」

 横石と宮﨑は黙ってマツダの次の言葉を待った。

「そもそもオレは絵を具現化できるんすけど、その絵に命令は出せないんす。ふわふわ動くだけ。そしてしばらくすると消える」

 宮﨑はハッと大事なことを思い出した。

「最近ニュースで流れてる本物の妖怪ってのもマツダくんが描いた絵なの?」

 少し大きな声を出してしまい、マツダは驚いて「あ、まあ、はい」と背筋を伸ばして言った。

「何でそんなことしてるの?」

 横石はそのことには興味がないのか水の入ったグラスをくるくると揺らしながら聞いた。

「これは頼まれたんです。描いてくれって」

「頼まれた?」

 二人の声が重なった。

「はい。まあ人に害を与えるわけではないし、自分の絵がどこに行くのかちょっと気になったからやったって感じっすね」

「誰に?って言うか確認だけど博物館の妖怪はマツダくんが描いた絵っていうことでいいんだよね?」

「はい。誰かっていうのは言っていいのかな?なんかあいつすごく人と関わるの苦手だしな……。ちょっと誰かは本人に聞いてからでいいすか?」

「うん。それはまあ知りたいけど後からでも」

「ちなみにそいつだけは、オレの絵に命令することができたな」

「え!?ちょ、ま、ん?」

 宮﨑は多くなった情報に、ちょっと整理しようと混乱してきた頭を働かせた。


 マツダは絵を具現化できる。

 ニュースを騒がせてる妖怪、絵を盗んだ妖怪はマツダが描いた。

 マツダは絵を自在に動かせない。

 友人?は動かせる。

 友人?に頼まれて絵を描いた。


 疑問はたくさんあるが、言葉にしようとすると詰まってしまい、頭を押さえる宮﨑。

「マツダくんは絵がうまいの?」

 しばらく黙ってた横山がちょっと話題を変えようと気を利かせてか、そう言った。

「いえ、下手ですよ。下手だからすぐ消えちゃうんですよね。透かして描くと長持ちするってあいつは言ってました。うまく描けるんで」

「へえ」

 宮横山のおかげか﨑は少し落ち着き、お茶を一口飲んだ。

「友人が妖怪を命令したってことは、絵はその友人が持ってるの?」

「ええ」

「そっかあ。まああの絵はもう博物館のものではなくなったから、こっちとしては何も言えないけど、最後にあの絵見たかったな」

「いつも掃除の時目にしてるけど、いざどんな絵かって聞かれたら全然思い出せないしな」

 横山と宮﨑は「ねー」と目を合わせて言った。

「ていうか複製とかできないのかね?本物は渡すけどコピーさせてもらってそれを博物館で展示するとかさ」

「確かに。館長そこまで頭回らなかったんですかね?」

「取り戻すか取り戻せないかの二択しかなかったんじゃない?追い込まれると視野が狭くなる人だし」

「今からでも遅くないかな?」と宮崎が言うとマツダが「聞いてみましょうか?」と言った。

「本当?あ、ごめん、誘導したみたいになって!ダメだったら最後に一目見るだけでもいいから!」

 宮崎が両手を左右に振って言うと「そんくらいはいいって言うと思いますよ」と迷惑そうな顔を一つせずに言った。

 彼女が最初に抱いた彼へのイメージがガラリと変わった。お礼を言い、そろそろおいとましようと思い残ってたお茶を飲み干し立ち上がった。

 玄関まで見送ってくれたマツダに二人お礼を言い階段を降りた。

 止めていたバイクのところに戻り、宮﨑は来る前とは違い気分が高揚していた。

「大分謎が解けてきましたね。あとはマツダくんの友人が何をしようとしているか、ですね」

 彼女がそう言うと、横石は「んー」と空返事をした。

「どうかしましたか?」

「んー一言で言うと」

「はい」

「飽きた」

「飽きた!?」

 本日四度目の大きな目をする宮﨑。

「ここまできてですか?」

「ここまできたからかな?終わりに近づくにつれてどうでも良くなって来ることない?漫画とか読んで」

「なりませんよ」

 ちょっと強めに彼女が言うが横石は「これがなるんだよね~」とのんびり言う。本当に興味がなくなったと、その声で宮﨑は察した。

 彼女は高揚していたが気持ちから、もやもやした気持ちに変わった。そしてその気持ちはそのままで博物館に戻った。


 博物館に戻り、職員室に入ると植本と津田が二人に気づいて「おかえり」と声をかけ、それに「ただいま」と返す横石と「ただいま帰りました」と言う宮﨑。

「あ、髪おろしてる」

 そう津田に言われて、そういや解いてたんだったと思い出し、宮﨑は慣れた手つきで髪を結び始めた。

「進展はあったか?」と植本に聞かれた宮﨑は「まあ、結構」と素っ気なく答えた。

 そんないつもと違う彼女の返事に植本はすぐさま「どうかしたか?」と聞いた。

「横石さんが」

「ヨコが?」

 彼女はチラッと横石を見て口を少し尖らせて言った。

「飽きた。ですって」

 すると植本は「ああ、それか」と言うような反応を見せた。

「あいつはハマりやすく飽きやすいんだよ」

 そう言われましても……とふてくされてる宮崎に植本は「安心しろ」と声をかける。

「あいつは興味ないものにしか役に立たないんだよ。それに俺らもいるんだからさ」

 植本の言葉に宮﨑は心がすっと軽くなって口角も上がった。

「そういや館長は出張ですか?」

 彼女は館長がいないことに気づき周りを見渡し尋ねると彼は「お勉強会ってよ」と言ってソファに腰をおろした。

「じゃあ話聞こうぜ」

「え~っと、まず初めにマツダくん自身の話からしますと」

「マツダ?」

「あ、犯人の子の名前……かは分かんないですけど」

「通称ってことか」

「はい」

 彼女はその子の能力のことから友人のことまでを一通り話した。

「つまり、マツダは犯人だが主犯は友人ってことか」

「そうなりますね」

 植本は腕組みをして天井を見つめて考えているようだ。

「今のでおおよそこれから友人が使用としていることが分かってきたな」

 その言葉に宮﨑は素直に驚いた。植本は携帯を操作し、一つのニュース記事を開いたページを彼女に見せた。

「さっき昼のニュースであってたやつだ」

 記事の見出しには『あの本物の妖怪?テレビ局に脅迫文を渡し消える』との文字。

「内容は見出しの通り。脅迫内容は「妖怪差別をやめろ。さもなくば妖怪の恐ろしさを知らしめてやる」ってな感じだ」

 宮﨑は画面をスクロールし、全ての文字を読んだ。

「これも友人の仕業としたらえらいことだな。そいつは人間なんだろ?妖怪でもない奴がこう言う正義感を示すのは大体「こんなことしてる自分」に酔ってる奴だ。こんなこと実際にしたら妖怪を信頼しなくなって逆効果になるだろうな」

 彼女は携帯を植本に返した。

「差別なんか感じたことないけどね~」

 津田がそう言いながら新しく買ってきたであろう和服の雑誌を見ながら、宮﨑の隣に腰をおろした。

「差別はないことはない。化ける妖怪は人間のフリができるが、そう出ない妖怪は見た目に圧倒的違いが出るから、差別を受けることもあるだろう」

「まあ人間同士でも差別とかいじめとかあるから、そりゃあるか」

 津田は他人事のように雑誌のページをめくりながら言った。

「なんで同じ人間同士でそんなことするんだろうね」

「同じもの同士じゃなかったらしていいっていう問題でもないがな」

 何か吐き出すように植本はため息をついた。

「ねえ、みんなお昼ご飯買う?俺今から行くけどついでになんかあるなら買ってくるよー」

「お菓子!」

「うどん」

「じゃあのり弁お願いします」

「はーい」

 そう言って横石は財布だけ持って部屋出た。

 宮﨑は横石がいなくなったて数秒ドアを見つめて言った。

「本当に興味がなくなったんですね」

「いつもそうだからな」

「期待しないのが一番だからね」

 期待してないけど。と宮﨑は心でつぶやくが、期待してるからガッカリするんだよな、と息を吐いた。

「それで話を戻すが、これから友人とやらがしようとしていることは「妖怪を使って何かをする」ってこと。それが、あの墨絵に繋がる」

「あの墨絵をマツダくんに描いてもらうってことですか」

「そうだろうな。自分は妖怪じゃない。絵を描いても出てこない。だけど出てきた絵は動かせる。ほら、マツダが「絵を透かして描く」って言ってたんだろ?」

「そっかあ!」

「なるほど!絵を盗んだ理由はそのためだったんですね」

 点と点が繋がり、津田と宮﨑は「すごーい!」と二人でワイワイするが植本はそのようなそぶりは一切せずに「で、次だ」と話を続ける。

「じゃあなぜ今更?って話だ」

 その言葉に宮﨑は「あ……」と小さく言葉を漏らした。

「聞くの忘れてました……」

 ここまで分かってきたのにと、彼女が頭を抱えたが彼は「いや、それは多分大丈夫だ」と言った。

「おそらくマツダに聞いても「分からない」と言うだろう。そいつは友人に言われたからやってるだけで、詳細は知らないようだからな」

 それを聞いて宮﨑はホッと胸を撫で下ろした。

「絵の問題があったのは約一年前。本当に作者が好きだった場合と、そう出ない場合だな。もし好きだったら、作者の気持ちを優先して寄贈を選択したが、心変わりして絵を利用しようとした。そう出ない場合は、最初からこの計画のために依頼した。しかし当時は何もできずに諦めた。そして計画を立てて絵を取り返すことにした」

「どっちか、それかどっちでもない可能性ももちろんありますよね」

「そりゃそうだよね」

 謎が解決したと思ったら、新たな謎に心がモヤモヤする。

「遺書の件だが」

 すっかり忘れていた話題に、宮﨑はバッ顔を上げた。

「はい」

「友人の命令する力がどれほどのものかが分からないが、マツダが作者を描いて、そいつにこう言う文章を書け、と命令すること可能なら本人直筆と近いものが作れるよな、とは思った」

「確かに!」

「もうそれできたら何でもできるじゃん」

「確かに……」

 ちょっと厳しいか。と植本が言って足を組んだ。

 三人沈黙して各々考える。

「て言うかさあ」

 明るい津田の声に二人は視線を向けた。

「マツダって子が嘘ついてる可能性は無いの?」

 宮﨑は今まで全ての考えがゼロになる音が聞こえた気がした。

「そりゃあ可能性はゼロじゃ無いぜ」

 もう一度同じ音が聞こえた。

「で、でもマツダくん嘘ついてるように見えませんでしたよ?絵複製させてくれないかな?せめてもう一度見たいな。って言ったら「大丈夫だと思います。聞いてみます」って言ってましたし」

「それじゃあ、館長が話し合いに行った時にもっと穏便に済ませられた気もするがな」

「穏便だったらまず盗むことなんてしないだろうしね」

 みんなが言うこと全てが、そうだと思ってしまう宮﨑。 

「まあ、明日解決しないといけないわけでも無いし、じっくり謎といてやろうぜ」

「そうですね」

 詰まったら他のことをするのは得策だ。そう言い聞かせて宮﨑は頭を切り替えた。

「服の方はどこまでいきました?」

「試作をいくつか作ってみた」

「早いですね」

「完成度は高くないけどね。実際に作って着てみないと分からないこともあるしね」

 植本が試作を着た津田の写真を宮﨑の携帯に沢山送った。

 テーブルに置いてある試作の数は三つなので、いろんな角度から撮った写真であろう。

「着てみてどうでした?」

 携帯を操作して写真を見ながら聞く宮﨑。

「そうだね~これはもうエプロンって感じ」

「ああ、確かに」

 尻尾の上と下二つ結ぶタイプのもので、尻尾は難なく出ているが服という感じはない。

「なんか……」

「なんか?」

「これ言っていいですかね?」

「いいよ」

 宮﨑は言いづらそうに口をモゴモゴさせた。

「金太郎っぽい」

 宮﨑が津田の顔を見ると、素直に衝撃を受けた表情をした。

「体型だな」

「え、まあ、それもあるんですかね?」

「ちょ、そんな太ってないよ!」

「人間の姿は普通だが、タヌキの姿はなかなかだぞ」

 津田はガーンとさらにショックを受けた表情をし、ソファにうなだれた。

「いいじゃんか、可愛いぞ」

「可愛いですよ」

「太ってないもん」

「トトロいたもん、みたいな」

 宮﨑は次の服を見た。

「これは袴ですね」

 別の写真を見てみると、下の袴の尻尾の位置に穴が空いているが、尻尾が降りている状態だとひだで隠れてまるで尻尾がないかのようになる仕組みのようだ。

「これは尻尾も汚れないで済みますね。あと尻尾が上がっても服が捲り上がることもなさそうでいいですね」

 痴漢で尻尾を使われるというニュースを思い出しながら宮﨑がそう言って「津田さん、この服どうでしたか?」と隣でいまだにうなだれてる津田に聞くと「うん、いいと思う」と言ったあと、ゆっくりと起き上がった。

「いいんだけど、できれば今っぽさが欲しいなとは思った」

「これは袴をただ妖怪ように改良しただけだからな」

「ならこれをマキシスカートに応用したら良さそうですね」

 何気なくそう言った宮﨑は、最後に三つ目の写真を見ようとしてた。

「それはいいな!」

「いいね!」

「え、なにがですか?」

「その別の服に応用する案」

「そんなにですか?」

「うん!なんか和服で作ること頭になかったからさ!」

 思っても見なかった反応に困惑しながら「それは、よかったです?」となぜが疑問形で返した宮﨑。そして彼女は最後の服を見た。

「これは普通のズボン?ですか?」

「ズボン風の袴ってとこかな?袴って、横が開いてるだろ?」

 植本は雑誌のページをめくり、宮﨑に向けてテーブルの上に置いた。

「開いてますね」

「ここを尻尾の位置に持ってこれないかって思ったやつだ」

「なるほど」

 それを履いてる津田の写真を見る。開いてるところは尻尾のところだけで、本来開いてるサイドはなにもない。

「袴っぽくしてるならサイドはいつも通り、というか本来通り開けてていい気がしますけどね」

「そうだね。作ってる側は袴って分かるけど、ほかの人から見たら分かんないかもね」

「そうか。じゃあそのパターンも作ってみよう」

「作ってみたら想像と違うかもしれませんけど」

「それでもいい。作らないと違うことすらも分からないからな」

「やっぱりいろんな人に聞いてみないと分からないこともあるね」

「客観的な意見はいつも必要だな」

 宮﨑自身はそんな大したことしたつもりはなかったが、そう言われて嬉しくなり頬を緩ませた。そうしてると、ドアがガチャッと開いた。

「帰宅ー」

 ドアの方見ると横石が大きくなった白いレジ袋を持っていた。

「おかえり~」

「おかえり」

「おかえりなさい」

 横石は袋をデスクの上に置き、ひとつひとつ中身を取り出してそれぞれに渡す。

「そういや、さっきマツダくんから電話来たよ」

「ずいぶん早いですね」

 数日後には来ると予想していた宮﨑は少し驚いた。横石は「覚えているうちにしないと面倒だからってさ」と言って宮﨑に買ってきたのり弁を渡した。

「で?なんて言ってた?」

 植本がうどんの包装をビリビリと剥がしながら聞いた。

「学校行ってないから暇なんだって。だからいつでもいいって言ってた。ってことだったからじゃあ明日行くわって言っといた」

「場所と時間は?」

「場所はマツダくんが連れてってくれるって。近いから。時間は午後二時」

 宮﨑はすぐさま自分の携帯のスケジュール帳にメモをした。

 みんなお昼休憩に入り、デスクやテーブルで昼食をとる。津田がテレビのリモコンの電源を入れる。いつも決まって見ている番組はなく、つけた時にあってる番組を見る。

 ちなみに今日はバラエティー番組だった。

 その番組にゲストとして招かれた最近ブレイクした芸人が出ていた。せっかくだから、という流れでコントを披露する。このコントは宮﨑は一度見たことがあった。内容は最初の聞き間違いから、後の話が全て噛み合わないというネタだ。見ている側からしたら面白いが、実際にあったらそうはならないだろう。そう思いながら宮﨑は見ていた。

「何か噛み合ってないのかもね」

 津田が買ってきてもらったポテトチップスをバリバリ食べながら言った。

「何がですか?」

「さっきまで話してた絵のこと」

 宮﨑は心の中で「噛み合ってない……」と心で呟いた。


 この博物館は三階建。一階は職員室。二、三階が展示スペースとなってる。ひとフロアの広さはそんなに大きくなく、自由に歩けるスペースは大きなグランドピアノを真ん中に置いたとしたら間を二人通れるくらいだ。

 人が来ないので展示スペースにピアノを置いたとしても音ひとつ鳴らない。

 そんな博物館だが、閉館して三十分以上は必ず掃除する。人が来ないからこそ綺麗に、というのがここの博物館の信条だとのこと。

 三階にあった墨絵がなくなった今、ぽっかりと穴が空いたように寂しい。

「久しぶりのお客さんが不法侵入とはね」

 そう言ったのは、汚れていても汚れが遮る展示物がないガラスを拭いてる津田だった。

「だけど、来てくれたのがなんか嬉しく思っちゃうんだよね。この博物館の存在が忘れ去られてなかったって思えて」

 そう少し嬉しそうに言ったが「墨絵はなくなっちゃったけど」と落ち込んだのは、お勉強会から帰って来た館長。館長も一緒にガラスを拭いている。

「新しいのを入れるチャンスだと思えば?」

 他人事みたいに言うのは掃除機をかけ終わった床をモップをかけてる植本。

「考えたんだけどさ、クラウドファンディングで資金募って有名なの買うか借りるかしたらいいんじゃない?」

 同じくモップをかけてる横石。

「それも一つの手だよね」

 そうは言うが、館長の声のトーンからは腰が重いことが伝わる。

「それは俺がずっと前から提案してんだよ」

「へえ、何を展示するんですか?」

 宮﨑は津田と館長が拭いてないコの字のガラスの一つを拭いている。

「モーツァルト直筆の楽譜」

 それを聞いた三人は「おお~」と声を上げた。

「そしてその作曲された時代のピアノを置いてピアニストにモーツァルトを弾いてもらう」

「それめっちゃいいじゃん!」

「面白いなそれ」

「いいですね!」

 植本は「だろ?」と口角を上げて言った。

 ワイワイ盛り上がってる四人に、館長が「そんなのどれだけお金かかるか分かんないよ」と落ち着かせるように言った。

「それにこんな博物館に貸してくれるとも思えないし……」

「こんな博物館だからやるんだろ?誰もが知るものがこんな博物館に来たら全国ニュースになるぜ」

 弱気な館長に、植本は強気で返す。館長は言葉に詰まる。

「確かにハードルは高いですね。でも国内にある海外の有名な絵くらいは貸し出してくれそうな気はしますけどね」

「ならここのスペースは貸してもらってる物を展示するスペースかな?今月はコレ!みたいな?」

 津田の言葉に植本は「まあ、悪くねえがもっとインパクトが欲しいんだよな」とのこと。

「植本の展示だけじゃなく、実際にピアノを持って来て聴く、って言う体験型はなかなかいいな」

「なら当時の歴史を知ってもらったらもっといいですね」

「じゃあ二階は歴史で、三階が展示プラスピアノだね!」

「歴史学者の人も呼んで説明してもらうか!」

「説明は音声ガイドを流したほうがよくね?途中から来たりしたら、聞く方も説明する方も大変だし」

 どんどん進む話を館長は黙って聞いていた。

 掃除の時間はこのように博物館のことについて話している。みんなの提案に館長自身いいなと思うことは多い。しかし理想と現実というものは常にあるので、なかなか実行という形にはならずにいる。なるべく理想に近いことで実現可能なところを探らなくてはならない。

 実現可能なは置いといて、職員が博物館のことについてちゃんと考え、話し合うこの時間が必ずあるのが、館長が職務時間に別のことをしていてもそこまで口を出さない理由だった。

 今日の来館者も〇人だった。


 長い髪が歩くたびに揺れる。今日は風が全く吹いてないので、歩みを止めたら髪は重量に逆らうことなく全て落ちるのだろう。宮﨑は勤務先である博物館に入る前に駐輪場を見た。

「今日もバイクで行くと思って結ばずに来たんですけど」

「なるべく解かないほうがいいと思ってさ」

 彼女が駐輪場を見た時、横石のバイクがなかったためまだ彼は来てないと思ったが職員室に彼の姿を見たとき彼女は思わず大きな声を出してしまった。

「いえ、どちらでもいいですけど、意思の疎通が全くできてないのがむしろ清々しいですね」

「一生合わなさそう」

 一連の流れを見ていた津田が笑って言った。今日は館長は出張じゃないようで、職員室にいた。

 宮﨑は髪を結び、三人が座ってるソファに座った。彼女の前に横石が座っており、彼はテーブルに置いたままの雑誌をペラペラと見ている。

「そういや横石さんは試作の服は見ました?」

 宮崎が聞くと短く「うん」と答えた。「どうでした?」と聞くと次はケータイを取り出した。

「この袴風?ズボン風?どっちか分かんないけどこれ見て思ったんだけど」

 ケータイもテーブルに置いた。画面は彼がいったズボンを履いた津田の後ろ姿だ。

「これって、タヌキの尻尾だから違和感ないけどさ、猫とか尻尾の細い妖怪には穴が大きすぎるんじゃない?」

 彼の言葉を聞いて三人は雑誌の袴を見た。

「そうだな。意外とサイド開いてるから、同じ大きさにしたらサイズが限られてくるな」

「これは改良したらいいと思うけどな」

 そう言って見せた写真は宮崎が「金太郎」と言ったものだった。

「コレですか?」

 驚いて彼女が聞くと「うん」となんでもないように言った。

「これって上下ひとつにしようとしてるけど、無理やりそうしないでしただけで考えたらよくなりそうな気がするけどな」

 彼はテーブルに置いてあった植本のノートを引っ張ってペンで絵を描き始めた。

「腰から始めて、尻尾の下で布を交差させて紐は結びやすいとこまで持って来て、横とかさ。それで結んだらいいんじゃない?」

 三人はしばらく彼の絵を見つめた。

「植本さん翻訳をお願いします」

「むしろ絵が説明の邪魔をしてる」

「ヨコ、もう一回最初から言え」

「誰一人伝わってない」

 横石の表情はそんなに変化がないように見えるが、どことなくショックを受けているようにも見える。

 横石がもう一度説明をして、それを元に植本が絵を描いた。

 絵から言うと、和服の形はほとんど変わらず腕を通す部分がない。本来襟の部分がヘソより高いお腹の位置にあり、交差する部分は尻尾の下だ。

「いいんじゃね?」

「和服らしさは残ってるし」

「無理矢理感はないですね」

 単純ではあるが、少しの改良でできそうなものだった。

「だがこれどうやって着るかだな。和服はまず内側で結んでそれから外側で結ぶ。前だったらまだしも後ろだと難しいな」

「そこはこれから考えるとこだね」

 すると津田がヒュンとタヌキの姿になった。そしてなんの手を加えてない和服をソファの上に立って服の上から絵のように巻きつけた。

「そっかあ、片方しか前に出ないからね」

 右から回した布を左手で持つ津田。

「あと、結ぶ場所が下になっちゃいますね。腰で結べたら一番いいですど」

 絵に描いただけでは気づかない問題点が次々に出てくる。

「穴開けたら?」

「この布をすごく長くするか」

 植本と横石の言葉で、津田が手に持ってる方の布を伸ばし、右腰に穴を開けることになった。


 太陽が高い位置にあるとき、宮﨑はその太陽が照りつけてる地面に足をつけていた。

 近くのスーパーにみんなの買い出しに出ていた。今日の午前中は七割服の話、三割博物館の話をしていた。

 今日出た博物館を盛り上げる案として出たのは、昨日の内容とは打って変わっていた。それは博物館のスペースを貸し出すというもの。津田は個展をする人にいいんじゃないかと言っていた。貸出料金をいただき、職員は個展の設営の手伝いをする。他にも入場料をいくらかもらう案など出ていた。個展のついででも展示品を見ていただけたらいいし、個展により博物館の場所を認知してもらうことができいいのではないかとのことだった。

 午後にはマツダの友人、事件の主犯のところに行く横石と宮﨑。

 彼女は開いに行く目的を思い返していた。それは複製をさせてもらうかどうかというもの。

 複製のことを調べた結果、複製は限りなく難しいであろうと感じていた。複製して欲しいものを依頼する場所に渡さなければならない。そして長い期間手元になくなるため、主犯の思惑が植本が言っていた通りであるなら、複製に応じる可能性は低いだろう。

 できることは写真を撮るくらいしかできないのか。何の目的で絵を盗んだのかは言及していいものか。向こうからしたら絵のことは解決しているわけで。

 宮﨑は数年前のある出来事を思い出していた。

 ある者が彼女を好奇な目で見て言い寄って来る。その者が彼女の腕を掴もうとしたので、彼女はとっさに腕を避けるが指がシャツに引っかかって捲れた。するとさらにその者は目を輝かせる。そして開きっぱなしだった口からついに言葉が漏れた。

「何か噛み合ってないのかもね……」

 川に架かる大きな橋の上から川を見ながら宮﨑は呟いた。

 どうしてもマツダが悪い人の様に見えないことが心に引っかかっている宮﨑。スッキリしない気持ちで彼女は小さめのスーパーに入った。店内は冷房がついていた。


 横石が運転する車でマツダのところに行き、乗車人数が三人になったところで彼の指示で友人の家へ向かった。

 宮﨑は車で正解だったな、と感じた。

 着いたのは小さい一階建ての家だった。しかし立派な日本の昔を思い出させる庭がついている。

「家というか、なんか公民館みたいだね」

 そう横石が言った言葉に宮﨑は深く共感した。

「ここは彼のおじいちゃんが使ってた習字専用の建物です」

「習字?」

 宮﨑が言葉を繰り返すと、マツダは「はい」と答えた。

「有名な書道家だったんです。今はもう亡くなっていますが」

 そんな会話をしながら敷地に入り、入口をノックした。すると中から「開いてるー」と大きい声が返ってきた。ドアを横に引くとコンクリートで埋められた寝るには十分の広さの玄関が目に入った。

「お邪魔します」と言って靴を脱ぎ一面畳の床に足を踏み入れた。手前に大きな白い紙が置いてある。

 周りを見渡すと、古いが立派な台所があった。中は広く、間に襖を挟んでもさらに奥に畳が続いている。襖の向こうには布団や本、ゲーム機などが見えた。

 マツダが「言ってた職員の方たち」と二人を紹介したので、二人は軽く自己紹介した。友人は奥からゆっくりと歩いて近づいて来た。

「こんにちは。アサヒです」

 すると彼が「飲み物用意しますね」と言ったが、宮﨑はそれを断った。

「写真を撮らせていただくだけですので」

「そう?じゃあ早速撮ります?」

 そう言って彼は床の四分の一ほど占めていた白い紙をめくった。下から覗いたのはあの盗まれた墨絵だった。

「立てかけましょうか?」

「できるんですか?」

「ええ」

 アサヒはマツダと両端を持ち、壁まで持って行った。

 壁には長い鉄が埋め込まれている様で、その鉄と数個のマグネットで絵を挟むと、墨絵は宙に浮いている様になった。

「こうやって作品を下げて見てたんです」

「そうなんですか」

 宮﨑は持って来たミラーレスのカメラで全体が入るくらいまで下がり何度かシャッターをおろした。そして近づいて、細かく撮りはじめた。

「これって何の紙使ってるんだろう?」

 横石は紙を横から触って言った。

「和紙じゃない無いと思います」

「そうなんですか?」

「はい。こんな大きな紙で大きな筆を使ったら紙が破れてしまうので」

「へえ」

「と言っても昔じいちゃんから聞いた話なので、今の時代は強い和紙があるかもしれませんけど」

 宮﨑は端の何も描かれていない場所を手を添えて撮った。

「アサヒくんはマツダくんと同級生?」

 横石がそう聞くと彼は「マツダ?」と首を傾げた。するとマツダが「オレのこと」と自分を指差して言った。

「いえ、俺がこいつの二つ上です」

「マツダくんて大学何年生だったっけ?」

「オレは一年っす」

「まあ俺は学校行ってないですけど」

「そういやそう言ってたね」

 横石はマツダを見ると、彼は軽く頷いた。

「仕事とかしてる?」

「いや、何も」

「いいね~。若い間もっと好き勝手しとけばよかったって思うしな」

 そう言う横石に、宮崎は「今も十分好き勝手してるけど」と思ったが口に出さずに写真を撮る。

「ですよね~。俺もそう思います。けど親は働け働けって言うんですよ。財産はあるっていうのに」

「そんなもんって言ったらそんなもんだけどね、親って。もし働くとしたらどんなとことかあるの?」

「ん~それは特に無いですね。とりあえずじいちゃんの記念館で働くかもしれないくらいかな」

「記念館があるんだ」

 横石はちょっと驚いた表情をした。普段から表情の変わらない彼からしたら、相当驚いた様だ。

 その後も男同士で楽しそうに話して、宮﨑は間に入るタイミングを伺ってから「終わりました」と声をかけた。

 そして二人はこれから彼らが何をするかは聞かずにアサヒ宅を後にした。

 アサヒはマツダをゲームしようと誘っていたが「課題があるから」と断っていた。「真面目か!」と突っ込まれていたが、それに対しては特に何も返しはしてなかった。

 三人再び車に乗り、マツダの住むアパートの道を進む。

 乗っている間、宮﨑は事件に対して聞いた方が良かったかどうか頭でグルグル考えていた。もし思惑通りのことを彼が企んでいたら、実行する前に止めた方がいいとは分かってはいた。何を起こすかは分からないが「恐ろしい」と感じさせることをするのは確かだ。

「人間を襲え」「人間を食え」とかだったら人間はそりゃ恐怖を感じるに決まっている。

 しかし、そういうことをすることが可能な相手に迫ったらどうなるか分からない。

 横石とマツダが会話をしているが、その声は宮﨑の耳には入ってこない。

「ありがとうございました」

「こちらこそありがとうね」

 その言葉を彼女は一拍置いて耳に入ってきた。マツダは車を降りてドアを閉めた。

 宮﨑は慌ててマツダに続いて車を降り、「マツダくん!」と彼を呼び止めた。彼はふりかえり不思議そうに返事をした。

「あのさ」

「はい」

「マツダくんって」

「はい」

 彼女は混乱した脳に「何か言え」と命令する。言葉が出てこない彼女を黙ってマツダは黙って目を見ている。そして彼女は口を動かした。

「館長に会ったことある?」

「かんちょう?」と首を傾げる彼に、宮﨑は「私たちが勤めてる博物館の館長で、灰色のマッシュルームヘアで大きな丸メガネをかけてて」と手を忙しく動かして説明する。

 彼は彼女の目を見て言った。

「いえ、会ったことないです」


 横石と宮﨑が戻った時は午後三時過ぎだった。

 今朝話していた服の第二号が出来ていた。第一号は午前中のうちに出来ていてそれはまあ改善点の多いものだったが、第二号はちゃんと服として機能していた。

 博物館の営業は午後五時半までなので、あと二時間半でもう一着作るのは難しいだろう。

 撮ってきた写真を見て「そういやこんな絵だったね」など言いながらこれをどうするかなど話した。

「複製は難しいから、もう壁紙にしたら?インパクトあるし」と言う津田の意見が今のところ一番いいと言うことになった。

 それから試作の服を着て見ての感想や、客観的に服を見ての感想をいつもの様に言う。

「そういやさ、あの墨絵の描いた人について思い出したんだけどさ」

 タヌキ姿の津田が今日宮﨑が買いに行ったお菓子をつまみながら言った。

「あの作者って、一気に作品を完成させるって娘さんが言ってた。ほぼ飲まず食わずで数日かけて」

 津田はあの絵が寄贈される時に立ち会ったそうだ。

「だけどあの作品は作者が死ぬ一ヶ月前に描いていたし、普通に家族とご飯も食べてたって」

「つまり意図的に未完成にさせたってことか?」

「そうかもね。それか未完成であることで完成する作品、とか?」

「それ完成してんじゃねーか」

 宮﨑は持参したお茶を飲みながら津田と植本の会話を聞いていた。

「依頼人に渡したくなくなったんじゃない?だからわざと言い訳として未完成にしたとか」

 横石は試作の服を自分の腰に回しながら言った。

 その後もいろんな雑談をしながら服の製作に取り組んでいたらあっという間に閉館時間になり、掃除をしてみんな博物館を出た。

 みんなは自転車やバイク、車などできているが宮﨑は徒歩のため、彼女が敷地を出るときにはもう一人になる。

「おい宮﨑」

 しかし今日は違った。

 宮﨑が振り向くとヘルメットを被らずにバイクにまたがってる植本がいた。

「どうだった、今日主犯に会って」

 そう聞かれて彼女は「まあ、はい」ととりあえず言った。

「なんか言いにくそうにしてたから聞かなかったけどよ、ここでも言えねえ?」

 彼は両腕をグリップに乗せて聞いた。

 宮﨑は「主犯の子じゃなくてマツダくんに聞いたんですけど」と前置きした。

「マツダくん、館長に一度も会ったことがないって言ってました」

 すると植本は「あー今ので繋がったわ」と宮﨑いた視線を外して言った。

「何がですか?」

「ん?それはまあ後で言うわ、混乱するだろうし」

「で」と彼は視線を宮崎に戻した。

「宮﨑はどう考えついた?」

「それは、館長はなぜ主犯ではなくマツダくんの連絡先を横石さんに教えたのか。館長は……」

 宮﨑は言葉を探した。けど見つけることは出来なかった。

「共犯、だったのかな……って」

 最後の言葉はすごく小さくなったが、人の少ない子の場所ではちゃんと聞こえただろう。

「そう考えるのが自然だな」

「ですよね」

「マツダの連絡先教えても、どうせすぐバレそうな気もするがな」

「ですよね。それがよく分かんなくて。なんのために……」

 お互いの言葉が止まった。日が落ちてきたが今日はそんなに寒くない。

「宮﨑はどうしたい?」

 再び動き出した言葉。口の動かない彼女に植本は「絵、取り戻したい?」と続けた。

「はい」

「なら行こうぜ。早い方がいい。写真とれたってことはまだ絵はマツダになぞられてなかったってことだろ?」

「はい。あと今日はまだなぞられることはないと思います。ゲーム断ってましたし」

「バイクで行くか?」

「いいですか?」

 植本は「ああ」と返事して、駐輪場の端に置いてあるロッカーからヘルメットを取り出して「定期的に洗ってるから」といって渡した。

 宮﨑は髪を解いて受け取ったヘルメットをかぶった。


「ここで待っててください」

 そこはアサヒの家から少し離れたコンビニだった。

「一人でいいのか?」

「はい。一人がいいです」

 ヘルメットを外し、顔を上げた彼女の表情はいつもより引き締まっていた。しかしその表情はすぐに崩れた。

「なんて言ったらいいですかね?いきなり来て」

「壁紙にすることになったから、もう一度写真取らせてくださいとかでいいんじゃね?」

「なるほど」

 宮﨑は目を閉じて深呼吸をした。

「終わったらアイスでも食うか」

「コンビニアイスですか?スーパーより高いですよ?定価ですよ?」

「じゃあいつも以上に味わって食うんだな。奢ってやるから」

 それを聞いて宮﨑は「はい!」と笑顔で答えた。

「行ってきます」

「行ってらっしゃい」

 彼女はバッグを肩にかけて小走りでアサヒ宅に向かった。


 明かりが点いているのを見て宮﨑はホッと胸をなでおろした。そして敷地に入り、ドアの前で唾を飲み込んだ。ノックをすると「はーい」とアサヒの声が帰ってきた。

「博物館職員の宮﨑です」

 少し大きめの声で言うともう一度「はーい」と返した。

 日が暮れたためかドアの鍵は閉めていたようで、ガチャッと音がしたあとでドアが開いた。

「こんばんは。遅くにすみません!」

「こんばんは。どうしたんですか?忘れ物とか?」

「写真を撮ったあと、職員で話し合った結果写真を壁紙にするということに決まったので、撮り直ししたいなと思いまして」

「走って来たんですか?」

 バッグからタオルを取り出して汗を拭く彼女に、急いで来たのを察したようだ。

「はい、あまり遅いと迷惑かと思いまして」

 すると彼は笑った。

「明日も来てよかったんですよ?」

 宮﨑はハッと驚いた表情をして「そうでした……」と小さく答えた。

「なぜか今日中に撮らないといけないと思い込んでいました」

「まあ折角来たんですからどうぞ」

 快くアサヒは宮﨑を招き入れた。

「お邪魔します」と畳の上に上がった。墨絵はそのままで壁にかかっていた。

「お好きなだけどうぞ」

 彼はゲームの途中だったようで、座ってコントローラーを握った。

「ありがとうございます」

 宮﨑はカメラを取り出して写真を撮る。

 数枚撮ったあと、彼女はアサヒに雑談を持ちかけた。

「今ニュースで本物の妖怪の話が話題になっていますよね」

 撮った写真を確認しながら「脅迫文も送られたり」と付け加える。

「ああ、それ俺」

「え」

 宮﨑は彼の顔を見た。表情は笑っている。

「それは……え?」

「俺が送った」

 そう言って彼はコントローラーを置いて立ち上がり、ゆっくり宮崎に近く。

「だってよ、人間と妖怪って差別されてるじゃん。だから妖怪は本来の姿を隠して人間に化けて生きている。それっておかしいと思いません?」

「え、と、アサヒさんは妖怪とか?」

「ううん。全然。まあ、完璧な人間でもないけど」

 彼は触れそうなほど宮﨑の隣に立つ。

「ちょくちょく問題に上がってるけど、政府はなんの解決策も出さないんだよ?ちょっと痛い目に合わないと分かってくれないんじゃない?社会が変わるためには多少の犠牲はしょうがないよね?だって今まで散々無視してきたんだから」

 何も言わない彼女を覗き込み「どうする?通報する?」と笑って言う。

「あの……」

「ん?」

 宮﨑はうつむいてた顔を上げて彼の目を見た。

「嬉しいです!」

「え?」

 彼女は彼の左手を両手で強く握った。

「私実は妖怪なんです」

「あ、そうなの?」

「はい。幼い頃から人間になりたかったんです。だけど絶対に人間になることはできなくて……自分の本当の姿が嫌いなんです。だけど!」

 宮﨑は彼を見て目を細めて微笑んでみせた。

「アサヒさんのような人間の方がいてくれてとても嬉しいです。もし世の中が変わったら、自分も、自分の本当の姿を好きになれる時が来るかもしれないんですね」

「そう言ってもらえて嬉しいよ」

 宮﨑の気迫に圧倒されたのか、彼は少し引き気味でお礼を言った。

「私の姿見てくれますか?」

「ああ、もちろん」

 彼女は目を閉じた。そしてゆっくり目を開いた。

「ひいっ」

 彼は驚いて宮﨑から距離を取ろうとするが、彼女が彼の手を強く握っているのでそれ以上離れられない。

 宮﨑の開いた目は二つではなかった。彼女の顔中にはたくさんの目がある。顔を埋め尽くしている目を同時にパチパチさせすと、彼は離れない手を必死に解こうとするが全く解けない。

「なんで逃げようとするの?あなたは妖怪の救世主でしょ?ほら。私を見て。私の姿を愛して」

 顔にしかなかった目だが、徐々に首をも埋め尽くし始める。

「離せっ!」

「うっ」

 アサヒは宮﨑のお腹に足をめり込ませたことにより、彼女の手から逃れた。

「ちょっと暑いね。走ってきたからかな?」そう言って彼女はつなぎ風のシャツを脱ぎ腰に結ぶ。タンクトップに通された腕には目が敷き詰められてる。

 逃げようとする彼だが、足がもつれて畳に倒れる。

「腕の目は消えないの。それ以外の部分は消えるんだけどね。本当消えてほしい。ほぼ私は人間なのに。この腕のせいで完璧な人間になれないの」

 四つん這いになって必死に出口を目指す彼の腕を掴む宮﨑。悲鳴を上げる彼をよそに、彼女は彼の腕をまくる。

「すごく綺麗。目のない腕。素敵ね」

「やめろっ、離せっ!」

「そうだ」

 震えたアサヒの声とは裏腹に高く明るい声の宮﨑。

「あなたの腕ちょうだい?」

「離せ!化け物!」

 先ほどのことを学習してか足を振り上げるが、宮﨑はそれを足で踏んで止める。

「化け物じゃないよ」

 彼女の影に包まれているアサヒを見て笑顔を消した。彼女の視界には結んでないかみが流れ込んでいる。

「妖怪なの。本物の」

 暴れる彼を見て宮﨑は再び目がたくさんある顔に笑顔をつくる。

「女の人より男の人の方が力は強いけどね。男の人より女の妖怪は力が強いの」

 そう言うが、彼は最後のあがきか知らないが暴言を吐いているので聞こえてないかもしれない。目には涙が溜まってる。

 宮﨑はアサヒの顔に近づけると彼は声が止まった。

「ねえ。さっき君なんて言ったか覚えてる?」

 そう問うが何も返事はない。彼女は全ての目を同時に瞬きさせたあとに言った。

「明日も来てもいいんだよね?」

 彼は喉をヒュンと鳴らして胸を上げた。

 宮﨑は腕と顔の二つ以外の目を消した。

「楽しみだなあ」

 アサヒの腕と足を解放したら、それらはダランと畳に落ちた。逃げる気力はないようだ。

 彼女はシャツをもとに戻し、畳に置いたバッグを拾い肩にかけて玄関に向かった。ドアに手をかけ、出る前に振り返った。

「また来るね」

 彼女がいなくなった部屋は、しばらくの間音が消えた。


「おかえり」

「ただいま、帰りました」

 植本はバイクにまたがったまま何もしておらず、彼の背中に後ろからのコンビニの店内の光が降り注いでいる。

「アイス何にするか考えてきたか?」

「見てから決めます」

「グダグダ迷うなよ」

 そう言って二人店内に入った。

 外とは全く違う明るさに宮﨑は目を細めたが、すぐに慣れた。

 冷やされてるアイスを覗き込む。どうせなら普段食べないアイスにしようかと思ったが、結局はよく食べてるバニラのバータイプを宮﨑は選び、植本はフルーツのバータイプを選んだ。

 外に出てバイクに戻り、植本は宮﨑に座れとバイクの運転席を指して言った。ためらうと座り疲れたからと言ったため、彼女はじゃあ立って食べましょうと言い二人コンビニの横にもたれかかってアイスを食べた。

「取り返せそうか」

 二口ほどアイスを食べた時に植本がそう聞いた。

「どうでしょう」

 彼女はそう言ってまた一口アイスを食べる。アイスを食べるには少し寒い季節だ。

「手は尽くしたか」

「はい」

「ならいい」

 二人の視線は交わらない。言葉はそれ以上増えずにそれぞれアイスを減らした。

 食べ終わったアイスの棒と袋を捨ててヘルメットをかぶった。

「味わったか」

「覚えてません」

 植本が座ったあとに宮﨑が慣れたように後ろの席に座る。

「味わえって言っただろ」

 彼はそう言うが、声からは怒っているような雰囲気は感じない。彼女は「すみません」と言った。

「次、奢ります」

「ああ」

「コンビニで、定価で」

「楽しみにしてる」

 暗い道路をバイクで走る。結んでない髪がバシバシとなっているのを感じて宮﨑は切るか、と思った。

「家は?どっち」

「ここでいいですよ」

「あぶねーだろ」

 赤信号で止まっている車は私たちを除いて二台しかいない。

「いえ、私は大丈夫です。妖怪ですので」

「妖怪だから危なくねえとかじゃなくて、夜歩くこと自体があぶねえんだよ」

 宮﨑は三秒ほど口を閉ざした。

「あの、大きい提灯の看板のラーメン屋知ってます?」

「ああ」

「あのラーメン屋の横の道から奥に入ったとこです」

「了解」

 彼女は空を見上げた。見えない星に「田舎なのに……」と思った。しかし月はしっかり見えた。随分と低い月だった。


「あれ、早いねえ」

 職員室に一人コーヒーに口をつけながら立ってテレビを見ている植本に、入ってきた館長が声をかける。

「まあね」

 適当に返す彼の目線の先のテレビに館長も目を向けた。

 テレビにはニュースが流れている。そしてそのニュースはアサヒの姿とモザイクをかけられたもう一人が写っている。モザイクの方はマツダだろう。彼は未成年だったのだろう。

「捕まったんだ!」

「どうやって見つけたんだろう?」そう不思議に思ってる館長に植本は「自首だって」と答える。

「保護願いをしたって。そしてその理由として今までの犯行を自白したと」

 興味なさそうに、ニュースから仕入れた情報を淡々と言う。

「脅迫幇助とかあんだね」

「幇助……犯人は二人だったんだ」

「驚きだよね」

 植本はカップを置いて振り返り館長を見た。

「三人だと思ってた」

 館長の目が少し大きくなった。植本は「でも脅迫に関しては二人なのか」そう言いながらドアに手をかけた。

「見回り行ってきます」

 そして扉が閉まる時にもう一度館長を見た。

「ガラスの鍵が開いてたら大変だからな」


 宮﨑は博物館の三階にいた。

 一週間姿を消していた墨絵が空いていた席に戻ってきた。

 吸盤が目になっているタコの絵。タコが持っているものは全て足なのか。それとも腕なのか。このタコはどっちなのか。どっちもなのか。

 彼女は館長の行動について少し考えた。もしかしたら、絵と引き換えにアサヒの祖父の習字の作品と交換条件に持ちかけられたのではないか。そして彼は妖怪の命令がどこまでできるかの検証のために盗んだのではないか。

 真相は分からないが、そうだと思えば心も軽くなるから、そう思うようにした。

 彼女は自分が伸ばした手を振り払うアサヒを思い出した。そしてもう一人、私の目を見ててを伸ばした者も同時に思い出した。

 ガラス越しの墨絵は、少し汚れていた。おそらく盗まれた時に引きずられたためだろう。

 彼女は下に目線をやった。そこには作者の生い立ちが書いてある。それがあることに彼女は気づいていたし、読んだと思い込んでいた。しかし最後の行は見落としていた。


「素敵な少女に会った」


「みんな仕事してくださいよ!」

「モニターさんのアンケート来たよー」

「わあ、気になります」

「ボロクソに言われてたりして。ひひひ」

「言われたろうがありがてえよ、開発段階はな」

 館長の机でうなだれているのは黒縁メガネに短髪の男性。

「そこに企画書置いといたから見てくださいよ」

「こんなのできるわけないでしょ!」

「今回は何出したんですか?」

 宮﨑が植本にそう聞いたら彼はニンマリと笑った。

「モナリザを貸してもらう案」

「モナリザはここ数十年どこにも貸してないのに、ましてやここに貸してくれるわけないですよ!」

「否定から入る人はモテないよ館長」

 館長は深いため息をついた。

「ここの館長がすぐ変わる理由が分かったよ」

「田舎だしねー」

「建物古いしな」

「場所が奥まってますしね」

「何より展示品だな」

「博物館のせいじゃないです!あなたたちのせいです!」

「今回の館長は元気でいいね」

 今日も博物館の一階は騒がしいほど音が鳴り響いてる。

呪い

 コンタクトを開発した経緯を考えると、とても恐ろしい。

 ガラスを目に入れようと考えるなんてどうかしている。

 佐藤は目の右手の中指で目の下を、左の中指で皮膚をひっぱり、コンタクトを入れた。

 視界がはっきりと映る。

 いっそのことレーシック手術をしてしまおうかとも考えるが、目を相手に預けるなんて信用できない。

 ましてや失敗でもされ、視力を失うことになったらたまったものではない。

 彼女は目元をタオルで押さえて、メイクに取り掛かった。

 必要最低限程度までしかしない彼女のメイクが終わり、仕事場に向かう。準備時間はおよそ十分。

 いつもと変わらないシンプルなパンツスタイルに、柄の主張が激しいスニーカーで仕事場に向かう。

 秘書から今日の日程を聞く。

 今日は話し合いが一つに、代行が二つ。

「ねえ聞いてよ~!昨日の子ダメだった~」

「了解」

「久々にいい感じだな~って思ってたのに、蓋を開けてみたら、僕をおびき寄せる為に雇われた女の子だったの!」

「了解」

「それで最終的には怯えられて逃げられちゃった!」

「了解」

 そして興味もへったくれもない男の話を聞く。

「どこかにいないのかな?僕の仕事を引かないで受け入れてくれる人!」

「了解」

「えっ!紹介してくれるの?」

「山田さん。同じ職種、もしくは関係者に適当に話しかけといてください」

「わかりました」

 早速今日一つ目の代行の場所へ向かう。


 一つ目の代行が終わり、佐藤は巻きタバコを田中に一本渡す。

「いらない」

「は?」

 口を尖らせて拗ねたように顔をそっぽ向ける田中。

「タバコは女の子ウケが悪いからタバコはやめたの!」

「別に今は私しかいないからいいじゃないのか?」

「匂いでバレるの!」

 今まで散々吸っていた彼がいきなりすっぱり辞めるのは無理だろう、と思いながらもう一度タバコを渡すが、拗ねた子供のように顔を背ける。

「そう。儀式だとかなんとか言ってたのに」

 彼の代わりに佐藤がそれを咥え、先端に火をつけた。

 一度だけ吸って吐いたタバコを、人が血だらけで横たわっている地面に押し付けた。

「君、タバコ吸えたんだ」

「好きではないが」

「じゃあなんで吸ったの?」

 私は背筋を伸ばして、もう一度倒れた人を見た。

「儀式を途中でやめたら縁起が悪いだろ」

「君はしたことないのに」

「お前と道連れだ」

 佐藤と田中はその場を離れた。

 彼女たちは人殺しを代行する仕事をしている。

 人を殺しても法で彼女たちは罰せられない。というのも殺されたら殺し返していい、という法律があるのだ。

 そんなこと言っても殺されたのなら、殺し返すこともできない。そのため、血縁関係なく被害者からして二親等までの人が、加害者を殺す権利を持っている。

 しかし、その権利を持っているが、身の都合上殺したくても殺すことができない人や、勇気がないという人などがいる。その人たちのための、彼女たち代行屋だ。

 言っておくが、人を殺し返していいという権利を持ち、実際に殺したのなら、次は自分が殺される側に回るのだ。

 それは代行屋を使ったからといって自分が殺される側にはならない、ということはないのだ。

 あくまで彼女たちはその人の代行でしかないのだから。

「それでも構いませんか?」

 佐藤と田中が並んで座り、机を挟んだ正面には夫婦が座っている。

 佐藤は千以上はしてきた説明を、二人の目を離さずに言う。

「はい。私たちは相手を殺すことでしか、息子を救えないと思っています」

 五〇代くらいの女性がうつむきながら小さく言った。

 佐藤は音を立てずに深く呼吸をした。

「あなたたちは相手を殺して、そして自分たちの命を捨てる覚悟はあるかもしれません。しかし、殺されるのはあなたたちの親戚にも及ぶのです。回避できる方法といえば、私たちがあちらの人を殺したのをあなたたちが目で確認し、そこでお二人で自殺することでしょう」

 夫婦は二人して神妙な顔つきのまま黙ってしまった。

 説明をしていた佐藤も黙る。すると田中が笑顔で話し始めた。

「この国は法律で殺人が一部の人に許されている。海外ではそんなことができなかったりする。僕、思うんだ。もしこんな法律がなかったら、身内が殺されたとしても殺したくなるほど憎くても、本当に殺そうとは思わないって。これを仕事にしてる僕らが言うのもなんだけどさ、権利があるからと言って「使ったほうが得」っていうことではないと思うんだ」

 田中は優しく微笑んで顔を上げた二人と目を合わせた。

「この仕事をしてるから依頼人の一部始終を見るんだ。殺した直後はすごく幸せそうなんだ。肩の荷が下りたって言う感じ?だけどね、何も得はしないんだ。殺されたから殺し返しました。どっこいどっこい、チャラになりました。だからこの話は終わり。ってな感じ。なんて言うかね、なかったことにされてしまうって言うのかな?」

「殺される側になるか、お金を貰うかのどっちかですよ」

 佐藤がガラスのコップに口をつけながら流すように言った。

「ちょっと、今いい感じなのに」

「どっちにしても言えることはあります。息子さんは帰ってこないし、殺したとしても、お金を得たとしても、何も満たされることはありません」

 山田はちょっと口をとがらせながらも「いつもこうなんだから」と諦めてる。

「今の私の言葉を聞いて「いや、私は殺すことで満たされます」と言うのであれば、私たちは仕事を承ります。今日は答えは聞きません」

「大丈夫ですよ。答えは聞くけど正解不正解はないですから!」

「今一度しっかりと考えてください。聞きたいことがありましたらいつでも連絡してください」

 いつも依頼人の表情を見て話す内容は変えるが、基本は二種類の中のどちらかのテンプレートだ。秘書が話すこともできるが、実際に代行をしている人、人を殺している人から話を聞くのとは違うのだ。

 喜ばしいことかはわからないが、殺しを思い止まる人が多い。殺したくなくとも、長年そういう家系に生まれたから、自分が勝手にやめていいのか?と悩むところもあるようだ。嫌な意味で、代々受け継いでいるのだ。まあ、それでも一日平均で二つは代行の仕事があるのだ。

 事務所での話し合いが終わり、佐藤たちは次の代行の仕事へと向かうためエスカレーターで地下駐車場まで降りる。

 二人が使う車のスペースに置いてあったのは、いつも乗る車より大きめのものだった。車のそばには一人の男性が立っている。

「佐田~!ひっさしぶり~!」

「お久しぶりです」

「ねえねえ!俺ちょっと変わったところがあるんだけど、何かわかる?」

「顔ですか?」

「ぶー!」

「頭ですか?」

「ぶぶー!」

「あ、わかりました」

「なになに?」

「口ですね。口臭が出てきましたね」

 愛想のいい表情で言った彼に、田中は目を見開き咄嗟に口を押さえた。

「嘘!俺口くさい?」

「臭いというか、おじさんの匂いがします」

「それ臭いやつじゃん!」

「ではお乗りください」

「乗れないよー!」

 そんなやりとりしてる二人には何も触れず、佐藤は車に乗り込む。

 田中はいまだに「ショックー……」と言って落ち込んでる。

 佐田は慣れた運転で、地上に上がる。

「佐藤もずっと臭いって思ってたの?」

「あまり。向き合って話さないからな」

「どうしよう……タバコの匂いが嫌われるからやめたのに」

「むしろタバコが口臭を緩和させてくれてたんだな」

 山田はものすごくショックを受けたようで、両膝に肘をつけてうつむいてる。

「酔うぞ」

「酔って吐いたら、口臭なくなるかな」

 佐藤はそれに何も答えずに佐田の名前を呼んだ。

「フリスク買っておいてくれ」

「わかりました」

 車はビルとビルの間を走り抜ける。

 目的地に着く前に田中が「酔った」と言って、コンビニで一〇分ほど時間が潰れてしまった。が、仕事の時間には問題なく間に合うことができた。

「では今から始めます」

 置かれたカメラの画面に映るようにして、二人は一人の男に一歩ずつ近く。

 綺麗に清掃された部屋には四人とカメラしかない。

 佐藤は男にはめられた手枷足枷を外す。

 男は何か言っているが、二人にとって特に何の障害にもならない。二人はまるで男の声が聞こえないかのようなに、お互いに仕事の流れを話す。

「はじめに左頬に三発。一発は頬骨を折るくらいで」

「は~い」

 男は来るなら来いよとでもいうように笑っている。

 それに対して二人は反応せずに、山田は男になんの躊躇いもなく男を三回殴った。

「倒れたところを、足で頭を踏みつける。中くらいの力で」

 しかし男は倒れていなかったため、佐藤は「倒れてください」と男に向かって言ったが、男が抵抗したため佐藤は素早く相手の喉をつき、よろけたところを足を使って倒した。田中は足で男の頭を踏みつけた。

「お腹を四回、そしてその流れで顎を蹴り上げる」

「は~い」

 そんなに広くない部屋に鈍い音と、男の苦しそうに堪える声が響く。

「しかしなかなか死なないので、関節を逆に曲げることにする。はじめは左腕、次右腕」

「は~い」

 山田は一発で相手の関節を逆にする。

「そして後は両指全部」

「は~い」

 田中はしゃがみこんで順番に、蟻を潰すくらいのペースで指を曲げる。

 その間佐藤は男の様子を見ながら、次のことを考えていた。

 依頼人の要望がない限り、基本被害にあった人と同じ殺し方で殺す。しかし、その通りにしても必ずしも死ぬわけではない。今回はなかなか死ななそうな気がしていた。

「終わったよー」

 田中の声を聞いて、佐藤も男のそばにしゃがみこんだ。

 髪を掴んで六回地面に叩きつけるので最後だ。

「ねえ」

「ん?」

 血を吐いて、ハアハア息切れしてる男が私に声をかけた。

「どうだった?俺を殺すの」

「どう?っていう質問する奴は頭悪いと思ってる」

 佐藤は男の男にしては長めの髪を片手で掴み、顔が見える程度まで持ち上げる。

「すげー聞きたかったことがあるんだね」

「どうぞ」

「どんな気持ちでこの仕事してんの?」

「無」

 彼女はそう答えた直後に、男の頭を死ぬ程度に叩きつけた。

 男が動かなくなってしばらくして、男の死亡を確認した。

 そして佐藤はカメラに近づいた。

「男の死亡を確認しました。顔を見ますか?」

 カメラに問いかける佐藤の顔は映し出されておらず、首から下しか向こうには届いていない。

 こちらの問いかけに、向こうからの反応はない。

「一度こちらが顔を確認して状態を伝えましょうか?」

「いえ。死んだのならいいです。見なくて」

「わかりました。では映像を終了します」

「はい。ありがとうございました」

 その声を聞いて、佐田はカメラを止めた。

 佐藤はタバコを一本ふかし、男の足元の床に押し付けた。

「あれ?この前入ったって言ってたアルバイトの女の子は?」

 田中は部屋をキョロキョロと見回しながら「あの子可愛かったのに~」と言った。

「ああ、あの子ならもういないですよ」

「え~残念。あのあと仕事なかったらご飯誘えてたのに~」

 そんなことを言っている田中を佐藤は見向きもせずに、部屋を先に出た。

 佐藤はタバコの匂いを感じ取り、田中を少し見上げた。

「お前タバコやめたんじゃなかったのか?」

 そう聞くと彼は「だって~」と口を尖らせた。

「タバコやめたって、結局女の子は若くてシュッとした男がいいんでしょ?」

「さあ、それは人それぞれだろ」

 彼女はそう言うが、それでも彼は「だって~」と続ける。

「ガタイが良くて、ダンディで、ヒゲが似合う人が好き♡って言っても結局彼女は俺には興味なしだよ?どう考えても当てはまるの俺しかいないでしょ!」

 いつものが始まり、佐藤は「了解」と答えた。

 彼女は以前までタバコの匂いに気づかないほどに慣れていたが、数日彼が吸わなかっただけでタバコの匂いを感じ取るようになった。人は慣れるのも早いが、リセットされるのも早い。

「ていうか同じ職種の人でも俺はなんか分類が違うって言われるの!いや、同じ職種じゃん!」

「山田さんも同行したんですか?」

「いえ、私は場所を案内したのち帰宅しました」

 田中は女の子と会ったあとブーブー言うが、特に一人に固執することはなく全て吐き出したらそれで綺麗さっぱりその子のことは忘れるタイプだ。

「ですが、彼女たちに山田さんに会って印象は聞きました」

 秘書の山田はセッティングをしたときにはいつも女の子たちに感想を聞く。

「彼女たち曰く、田中さんには落ち度はなかったとのことです。しかし……」

 彼はいまだに一人で喋り続けている田中をチラッと一度見て、私の方に視線を戻した。

「おおらかで、話も面白くて優しい田中さんですが、そんな人が代行屋でしかもその中でもトップとなると逆に怖い、とのことでした」

「なるほどね」

 仕事での田中しか知らない佐藤だが、話を聞く分ではプライベートでの彼もそんなに変わらないように感じる。

 いや、変わらないからこそ怖いのか。確かに可愛い動物を見る表情と変わらずに、人を殺しているのは確かにサイコパスみを感じる。

「やっぱり仕事のこと黙ってたほうがいいのかなあ?でも俺聞かれたら普通に答えちゃうし」

「了解」

「むしろ隠してて、あとでこの仕事してるって知られたら絶対引かれるよね?」

「了解」

「あ~!もう偏見のない世界になってほしい!」

 人を殺している人を何も思わない世界ってどんな世界だよ、と佐藤は思いながらも口にはしなかった。

 今日もいつも通り人を殺す話をして、人を殺す。終業時間少し前に、秘書の山田の携帯に、佐田から「綺麗にしておきました」と連絡があった。


「確かにあなたは人を殺す権利を持っています。しかしそれを実行した場合あなたが持つものは殺されてもいい権利に変わります」

「それはちゃんと分かっています」

 落ち着いて話すのは高校生の制服を着た女の子。長めの黒い髪は後ろの低い位置で結ばれている。

「父は私を守るために母を殺しました。とても優しい父でした。私は母とその親族が大っ嫌いです。そんな奴らに父を奪われたんです」

 彼女はいたって無表情だ。中学生なども相談しにくることはあるが、それは殺す権利を持つ自分に酔っている人の場合が多い。

 しかし彼女の表情、態度からはそんな雰囲気は感じられない。もうとっくの昔から殺すことを決めていたようだ。

 悲しみはない。悲しみの中にいる相談者にはまだ諦めさせる余地は大いにあるが、彼女のようなタイプは簡単には引き下がらない。

「あなたの意思が強いことはわかりました。そしてあなたは知っていると思いますが、未成年の代行は受け付けていません。なので三年経っても気持ちが変わらなかったのなら、その時また来てください」

「わかりました」

 彼女が秘書と部屋を出て、佐藤は相談者の書類に目を通していた。

 生活している中で精神的に責めることが多かった母がついに手まであげるようになった。ある日相談者の首を締めているところに、帰宅した父が母を殺すという形で救った。

「で、お父さんを殺したのは誰だったっけ?」

「母親の母親」

「へ~」

 聞いてきたにも関わらず田中は興味なさそうだ。

 相談者からしたら祖母に当たる女性が父を殺した。

 子が子ならば親も親、なのかと思ったらそういうわけではなかったようだ。

 祖母は祖母で自分の娘のヒステリックさを恐ろしく思っていたようだ。そんな祖母が相談者の父親を殺した。娘の仇をとった理由として聞いたのは「娘に怒られると思ったから」

 死んでもなお娘に怯えるなんてもうそれは呪いだな、と佐藤は書類をパサっと机に置いた。

「あの子は今誰と住んでるの?」

「施設にいる」

「へ~」

 施設に入ってもすぐに出ることになる彼女。どう生きるんだろうか。


 佐藤が起きたのは昼を二時間過ぎた頃だった。

 寝すぎてむくんでいる顔をしばらく冷水につけている時間は、彼女自身嫌いじゃなかった。

 汚いとまではないが、散らかっている部屋の中で彼女はカーテンを開けずに何もついていない真っ暗なテレビをしばらく見つめていた。テレビには自分の顔が割とはっきりめに映る。

「何か食べよう」

 そう思い立ち上がり、冷蔵庫や棚を開けては覗くが今食べる気分ではないものしかない。佐藤は財布を片手に外に出た。

 今日は平日なため、まだ仕事中の大人と授業中の学生がいないため、人通りは少ない。少ないと言っても、休日よりという意味だ。彼女はいつもこの時間帯に制服を着た学生がいるのを不思議に思っていた。

 スーパーに入り、佐藤はまっすぐお惣菜コーナに足を運ぶ。

 食べる気になるものが家にないからと言って、何を食べたいとかは特にない。一人暮らしする前だったら、母親が出すものを何も思わずにただ食べていた。出されたらなんでもいいのだ。

 しかし自分で好きなものを食べていいとなると、食べる気がおきない。

 佐藤はお惣菜を手に取らずに違うコーナーに行った。

 混ぜるだけでできるものがたくさん置いてあるのをボーッと見ながら、「似たようなものの中から選ばれる商品を作るのは大変だな」と他人事を心の中で漏らす。

「あ」

 驚いた声というより、たまたま見つけてしまったかのような声のした方に目を向けると、そこには一人の制服を着た女の子が立っていた。

「こんにちは」

「こんにちは」

「私、この前相談に来た上野です」

「存じてます」

 お互いそれほど興味のなさそうに、とりあえず挨拶したほうがいいかな?という感じのトーンで商品を見ながら会話をする。

「今日は休みなんですか?」

「ええ。あなたはなぜここにいるの?」

 そう佐藤が聞くと、彼女は悩むことなく「帰りたいと思ったから帰って、その途中にここに寄ろうってな感じです」と言った。手にはいちごのチョコレートがある。

「そう」

 佐藤はカルボナーラの素を一つ手にとった。

 二人の間に会話が止まり、二人してつなげようとも思ってなかった。

 十数秒の沈黙の後に「そうだ」と少女が口を開いた。

「佐藤さんはタバコを吸いますか?」

「まあ、たまに」

「一週間に一本とかですか?」

「いや、仕事ある日に二回くらい」

「回数なんですか?」

 佐藤と上野二人並んでレジに向かう。

「うん。一人殺した後に一回吸ってその場に置く」

「へ~」

 田中とは違う感心したトーンの声をあげる少女。

「面白いですね。まるで線香をあげるかのようで」

「線香か……。元はもう一人の奴がしてた儀式みたいなもんだったけど、タバコやめてね。代わりに私がやった」

 佐藤はカードを渡して、支払いを終える。

「すぐにまたタバコ吸い始めたから、もう吸ってないけど」

 支払いを終えた佐藤は、支払っている少女を待つ。

「タバコってどんな感じですか?」

「吸えばわかる」

「実際に吸っている人がどう感じながら吸うかが気になるんです」

「先生とかに聞いた方がいいだろ」

「なんとなくでいいんです」

 なんとなくか。と思いながら佐藤はタバコを吸った時の記憶を思い返していた。

「肺が満たされる感じ」

「美味しいとか聞いたりするんですけど、美味しいんですか?」

「美味しいとは思ったことはないかな。でも」

 少女は佐藤の顔を覗き込むようにして「でも?」と次の言葉を待った。

「なんだろう。空っぽの中の肺を満たしてくれて、満足する感じがきっと心地よく感じてるんだな、とは思う」

「佐藤さんは満足されないんですか?」

「満足っていうより、満たされてむしろ苦しいほうが強いかな」

 少女は「へ~」とゆっくり頭を上下に動かす。

 二人はスーパーを出て、帰る方向を確認した。

「あの私、佐藤さんのお話したいと思ってるんです。今日これからお話しできますか?」

 単刀直入の言葉に佐藤は「暇はあるけど、話す余裕はないな」とこれまた素直に答えた。

 すると彼女はごそごそとリュックサックを探り、文字が印刷された紙 三〇枚ほどの束を佐藤に渡した。

「私、小説家になりたいと思ってるんです。是非佐藤さんのお話聞きたいと思ってるんで、その証明っていうか、それ書いたので余裕があれば読んでください」

 佐藤はクリップで留められた束を受け取った。

「それは私が代行屋だから?」

「はい」

「そう」

 丸め込まない言葉に佐藤は苛立ちなどはなかった。むしろさっぱりした感じに交換が持てた。

「じゃあまたいつか今日みたいに偶然会えたらその時に話そうか」

 彼女が少し首を傾けて言うと、少女は「そのセリフ小説に使ってもいいですか?」と聞いた。


「すみません」

「はい」

 代行屋の佐藤と田中との仕事が終わったある日、佐田は一人の少女に声をかけられた。

「バイトの面接に来たものなんですけど、どこに行けばいいですか?」

「ああ、なるほど。突き当たり左の受付の人に声をかけたら案内されると思います」

「ありがとうございます」

 ペコッとお辞儀をして、少女は佐田の横を通り過ぎた。

 彼は代行後の清掃が終わったことを報告するために彼らの秘書である山田に電話をかけた。


「なぜ代行屋になろうと思ったんですか?」

 少女との約束から二週間ほど経った休みの日に、再びスーパーで会ったため、約束通り話すことになった。今いるのはそんなに人はいないファミレスの奥で端のテーブルの席にいる。

 少女は相変わらず一発目の質問から単刀直入だ。佐藤は悩むことなく口を開いた。

「殺したい人がいたから」

「そうなんですか。でも代行屋になったからと言ってその人は殺せないですよね?」

 B5のノートにボールペンでメモを取りながら、少女は質問を続ける。

「そうだよね。きっと本能的に逆らえない人に、自分は人を殺すことができるっていう強さが欲しかったんだと思う」

「逆らえない人?とは」

「父親」

「へ~」

 少女は流すように合図ちを打つ。もしかしたら少女にとってはそれが母親だったのかもしれない。親に逆らえないという気持ちが簡単に理解してくれたのか。

「父親を殺そうとは思ったことはありませんか?」

「殺そうというより、いつか父親に殺されるんだろうなって思いながらずっと生きてたな」

「なるほど。暴力とかを受けてたんですか?」

 その質問の時に注文していたケーキとピザが届いた。飲み物はセルフサービスのため、店内に入って最初にとったためすでにある。

「暴力っていうか暴言」

 佐藤はピザを一枚手に取る。チーズが少し伸びて切れた。

「いっその事殴ってくれたらありがたかったな。暴言ってなんか相談していいかわからない感じだし。しかも今よりDVがニュースで取り上げられるほどじゃなかったし」

 タラコとチーズのしょっぱさが彼女の口の中に広がる。

「そんな感じだったんですか」

 少女はいただきますと言って、チョコレートパフェにスプーンを突き刺す。

「そういや代行屋の中でもお二人は有名だと聞いたことがあるんですが、それって本当なんですか?」

「どこでそんなことを聞いたのかは置いとくが、そういうのは周りが言うほど大したことがないことが多い」

「ふ~ん。でも自身がそう言われてるってことはご存知なんですね」

「まあ、小耳に入るくらいは」

 少女はもう一度「ふ~ん」と言ってメモをとった。佐藤が少女に「代行屋の小説を書くの?」と何気無く聞いた。

「う~ん、それはまだ決めてません。けど、とりあえずいろんな人のいろんな話を聞きたいなって。まだ私は引き出しが少ないので」

「そう」

「ちなみに小説読みましたか?」

 少女は手を止めて佐藤を覗き込むようにして聞いた。

「ええ」

「ひ~どうでした?」

「よかったよ」

「本当ですか!」

「うん。まあ、もしミステリーとして応募するならもっとミステリー感を出した方がいいけど、街の様子とかキャラクターの顔が目に見えて来てよかった」

「嬉しい~」

 少女は顔をほころばせて目を薄める。

「実は人に読んでもらったのは初めてなんです。あ、応募はしたことあるんですが、選考に残ったことがないので本当に読んでもらってるのか実感がなくて……」

「そうなんだ。読みやすかったよ」

 少女は照れたように「えへへ」と笑った。

「上野さんはなんで小説を書こうと思ったの?」

 自分に聞かれたことを佐藤は少女に聞き返すと、少女はう~んと少し首をひねった。

「まあ最初は本が好きだったから、なんですけどね……」

「今は違うの?」

「好きであるのは変わりはないと思うんです。けど、今は呪いだと思ってます」

「呪い?」

「はい」

 少女はいたって表情を変えずにパフェを食べながら言葉を続ける。

「何度も応募しても全く賞に入らないんですよ。それどころか第一選考にすら残らない。なので書くのをやめようと思って一ヶ月ほど書くのをやめたりするんですけど、結局書き始めちゃうんですよ」

「へえ」

「生活していても、「この話題小説に使ったら面白そう」だとか考えながら生きてるんです。誰の目にも止まらないものしか書けないのに、書くことをやめられずにいる。まるで呪いですよ」

「そう、随分と暖かい呪いね」

「暖かい呪い……」

 そう佐藤の言葉を小さく繰り返して、少女は思い出したようにノートにペンを走らせた。

「なんで暖かいって思ったんですか?」

「それはあなたが楽しそうに話してるから」

 少女はゆっくりペンを動かした。

「そんなに楽しそうに話してましか?」

「ええ」

 すると少しの間表情がなくなった後に、ゆっくりと笑った。

「だったらますますこれは呪いですね」

 その表情を見て佐藤も頬を緩ませた。

「そうね」

 佐藤は自分自身のことを思い返した。そう考えたら、自分だって呪いの中で生きている。全て父親の呪いだ。父がどう思うか。父親にどう思われたいか。随分と気分のが悪くなる呪いだ。そして自分が小さく、子供のように思えてくる。父親中心で生きているようだ。

「佐藤さんは人を殺してる時何を思いながら殺してるんですか?」

 再び佐藤への質問に戻った。彼女はオレンジジュースで口を流した後三切れ目のピザを口に運ぶ。

「無、だね。殺してる時の自分と、こうやって普通に仕事してる時の自分は違うから」

「性格が変わるってことですか?」

「性格ね……どうだろう。きっと根本的なところは変わらないけど、多分変わってる、ていうか変えてるかな」

「意図的に変えてるんですか?」

 少女はパフェを半分くらい残したままノートにメモしてるので、どんどんアイスが溶けている。そのことを言うと、わざとアイスを溶かして下のコーンフレークをしなしなにさせてると言う。

「ええ。きっと仕事中に普段の自分を持ち込んだら苦しくなると思うから」

「苦しくなる?」

「人を殺してお金をもらって生きてるって考えたら、自分はなんてことしてるんだろうって」

 そういうと少女はすごく驚いた表情をした。

「そんなこと思うんですね」

「心がないとでも思った?」

「正直、はい」

「正直ね」

 佐藤は口と手をおしぼりでふいた。まだピザは残ってるし、すぐにまた食べ始めるのに。

「私みたいな人は、さっさとこの仕事をやめた方がいいと思う。ギリギリで仕事をしてる状態だから。もう一人のやつみたいに何も思わない人だけが残った方がいい。これは絶対に慣れる職業じゃない」

「じゃあ、なぜ佐藤さんはこの仕事を続けてるんですか?」

「そうね、きっとどこも受け入れてくれないでしょう。代行なんてやってた人を」

 彼女はグラスに口をつけた。

「それに……」

 最後の一切れを口に入れた。

「それに?」

 佐藤は口の中のものがなくなるまで言葉を止めた。

「この仕事がいつまで世間が許すかは時間の問題だし」

 全てのピザを食べ終わった。口と手を拭いた後に、オレンジジュースを飲み干し、もう一度口を拭く。

 少女はしなしなになったコーンフレークを飲み込むように食べている。

「もし佐藤さんが殺されそうになったらどうします?」

「代行屋は仕事以外で人は殺さない。だから抵抗するくらいじゃないかな。捕まえたりもするのかな」

「案外そんな感じなんですね」

「そんなもんだよ」

 二人はファミレスを出て「また会ったら話そう」という約束をして別れた。

 佐藤は最後の質問を思い出した。

 自分が誰かから殺されたら、と考えた時に一番最初に思ったことが「父親は自分を殺した被疑者を殺すのだろうか」だった。

 ああ、呪いが解けない。


 代行屋という職業は、世間からしては評判は悪くない。

 かといって親しみがあるというわけではないが、唯一殺人という滞在を許されているという特別感や、一種の憧れのようなものを抱いている。

 そして悪を滅してくれる正義のような存在でもある。

 水川はボーッとあるマンションを眺めていた。

 そのマンションから一人の四〇代の男が出てきたとき、彼女は素早く身を起こして男に近づいた。

「すみません。あの、ちょっと聞きたいことがありまして……」

 おずおずと背中を丸めながら問うと、男は振り向いて「なんでしょう?」と至って普通の表情と返事をした。

「人を殺したことあります?」

 男の黒目が左右に揺れた。

「あの、お時間がありましたら、お話しできないでしょうか?」

 そう聞くと、男は先ほどと打って変わって「ない!」と強く突き放して、触れるなとでもいうように手を払った。別に触ってないのに。

 彼女は男の後ろをトコトコとついていく。

「私、身柄捕獲係のものなんですけど」

「私は何もしておらん」

 ズンズンと大股で進む男に、彼女は小走りで正面に回り込んだ。

「大人しく拘束された方が、いいと思いますよ」

「だから私は何もやっておらんと言っているだろう!」

 そう言って男は手を振りかざした。

 水川はその手の力が動く方にさらに引っ張ると、男は簡単に地面に倒れこむ。そして倒れこんだ男の顎を容赦無く蹴り上げ、ふわっと浮かんだ顔を素早く踏みつける。

「大人しくしておいた方がよかったでしょうに」

 なんて哀れな人、とでも言うような目を男に向けた。

 彼女が男を手錠と足枷をつけた時に丁度車が横に止まった。車の横のドアが開き一人、運転席からまた一人男が降りてきた。

 男二人で、拘束された男を抱えて車に運び入れる。

「んじゃ、あとはよろしくお願いします」

「はい。ありがとうございました」

 車は彼女を乗せずに発進した。

「今日はこれで終わりか」

 彼女は小さくなった車をボーッと眺めながら思った。大人しく捕まったとしても、最後にはみんな死ぬんだけどね。


 秘書の山田が深刻そうな表情で、「関係ないかもしれませんが」と口を開いた。

「代行の相談にいらした女子高校生の上野さんのことを調べましたところ、お父様を殺した代行屋は佐藤さん田中さん、お二人でした」

「そうなんですか」

「へ~、頼んだ代行屋に次は殺されるのか」

「まだ代行は引き受けてない」

 佐藤が窓から見える景色を見ながら、田中の言葉を訂正する。

「それがどうしたの?」

「どうと言うわけではありませんが、このようなケースはあまりなく、あった場合亡くなる人が多くなります」

「引くに引けないってか」

 変な言い方ではあるが、顧客と言う現状に陥る。商売としては悪くはないが、それを未然に防げなかった場合、組織委員会から厳重注意を受ける。

 この仕事はあくまで最終手段、被害者の傷を広げないためのものなので、それが軽率に扱われるようになってはいけないのだ。

「まあ、三年は猶予がありますのでそれまで待ちましょう」

「わかりました」

 佐藤は少女のことを思い出していた。相談に来た時には固い意志を持っているように見えたが、休日会ってみたところそんなに祖母を恨んでいるようには見えなかった。

 もしかしたら、それを感じさせない域にまで恨むことが当たり前となっている場合もある。

 彼女は業界の中としては長くこの仕事に就いているが、一目で人を判断できることはできない。きっと無理やりこの仕事に合わせているせいだと思っている。所詮真似は本物には勝てないのだ。


 佐田と仕事するのは週に二回ほどだ。

 佐田は事務所に在籍しているが、仕事場所は二人とは異なる。彼の現場は刑務所内に併設されている一部のところだ。

 その場所で、代行屋は仕事をする。そこで仕事をする場合と、そうでない場合の違いは、依頼人が仕事の様子を見るか見ないかで変わってくる。見る場合になった時に、その施設で佐田がカメラを回すのだ。依頼人の方にも佐田と同じように勤務している人が向かう。

 一体見る人と、見ない人、どちらが正しいのか。佐藤は何度か考えたことがあった。深くというわけではないが。

 正しいとかの話ではないか。見る人は、何を思って見るのだろう。犯人が死ぬ姿を見て満足するのか?将来自分がこうなるかもしれないことを見ているのか?自分が人を殺したのだと他人事にしないため?

 まあ、今まで聞いたところどれも同じくらいの数だったような気がする。

「男の死亡を確認しました。顔を見ますか?」

「いえ、見ません」

「わかりました。では映像を終了します」

「はい」

 ここまで見るのに、顔まで見る人は圧倒的に少ない。最後の最後で目を背けるのだ。

 かといって、見る方が正しいのかなんて佐藤にはわからなかった。禁煙を辞めた田中は佐藤が渡したタバコを吸ったあと、死体の足元の床に擦り付けた。

 二人が部屋を出ると、扉のそばに人が立っていた。

「わあ、びっくりした」と、さして驚いてないような声をあげる田中。佐藤はチラと顔を見ると、それは女子高校生の上野だった。

「お疲れ様です」

 行儀よくお辞儀をして言う少女は、佐田と同じ作業服を着ている。

「ここでバイトしてるんですか?」

「はい。最近入りました。佐田先輩のお手伝い係になりましたので、これから会うことになると思います」

「そうですか。よろしくお願いします」

 佐藤はお辞儀をせずに言った。すると部屋の中から佐田がヒョコっと顔を出した。

「車の後部座席に白い袋をかけてます。その中にフリスクあるんで持って帰ってください」

「は~い。ありがとう!」

「お金はちゃんと事務所に請求しろよ」

「わかりました」

 二人は部屋を離れ、運転手の変わった車がある駐車場に戻った。


 基本代行屋や、それに関わる人は公に出ない。雑誌のインタビューを依頼されることはあっても、それは必ず断っている。

 しかし上野のように題材として話を聞きにくる人は事務所を通してインタビューに答える。

 上野の時は事務所を通していなかったが、まあ未成年に契約を迫るのは好ましくないと判断した上でのお話だった。少女の時のように、ガッチガチに規則が決まっていると言うわけではないのだ。

 元代行屋として著書を出している人もいる。

「お二人は仕事上では深く繋がりはあると思いますが、実際に会うことはあるんですか?」

 今回はアニメ映画監督と、脚本家の人から作品の参考にしたいということで身柄捕獲係、通称拘束屋の水川と、執行代理人、通称代行屋の佐藤と田中の三人での対談兼インタビューとなった。

「いえ、会うのは初めてです。拘束屋の方とは一人も会ったことがないですね」

「おーじゃあ記念すべき日ですね」

「もしかしたら知らないところで会ってたりしそう」

「委員会のパーティには行かれるんですか?」

「いや、行ったことないです。そもそも呼ばれてもないですね」

「嫌われてんの?俺たち」

 悲しそうな顔で田中が言うと、水川が「代行屋の方は誰も呼ばれてないのかもしれませんね。誰一人として会ったことがないので」と言うと。田中は「よかった。俺らだけが嫌われてんのかと思った」と胸をなでおろした。

 佐藤はその様子を見らずにジンジャーエールをストローで吸い込見ながら部屋を見渡した。

「どうかされました?」

 監督が不思議そうな顔をして佐藤に聞いた。

「盗聴器とかつけられてたらどうなるんだろうな、って思いまして」

 そう言うと監督と脚本の二人は焦った様子を見せた。

「あ、別についててもいいんですよ。けどもしついてたら何のためにつけるのかなあって思いまして」

 そんなに深い意味があるわけではないことを示すと、それはそれで二人は驚いた表情を見せた。

「そんな感じなんですね。何と言うか、そういう仕事をしてらっしゃるともっとこう、神経過敏といいますか、そんな感じなのかと思ってました」

「はは、そんなことはないですよ。私たち代行屋は指定された場所へ行き仕事をするだけなので、バレてはいけない情報などは特に握ってませんし。もし握っているとしたら拘束屋の水川さんの方じゃないですか?」

 佐藤が話を振ると、水川は「そうですねー」とゆるく返した。

「外部には情報は出ないように徹底してます。住民に漏れなくとも、マスコミに漏れたら拘束に支障がきたす場合がありますからね」

「絶対僕だったら無理だな~秘密事とか。すぐ喋っちゃうもん」

 田中は苦い顔をして顔を左右に振りながら言う。

「言っても嘘だと思われる可能性もあるしな」

「言うことあるんですか?」

 脚本の人が開いたノートの上にペンを握った手を置いて、興味津々な様子で聞く。

「私は基本ないです」

「僕は普通に言いますよ。聞かれたらだけど」

「私には聞かれてないかもしれないですけど、私は言わないですし。絶対に言ってはいけません」

「聞いてますよ!」

 右手を上げてヘラっとして答える水川は、監督のその言葉を聞いてその手を頭の後ろにやって「よかった」と言った。

「意外でした。代行屋の方の方が守秘義務がありそうだと思ってましたが、むしろ拘束屋の方があるんですね」

 監督が口を尖らせて言った。

 すると注文していたそれぞれの食べ物が来た。佐藤の強い要望で会食は昼と指定したためこれは昼食となる。

「僕たちが警察だとしたら、水川さんは公安だね」

「そうですか?結局はやっぱり代行屋の方が大変そうだな」

「お二人はどう思いますか?」

 佐藤は手を合わせてから早速オムライスをつついていた。

「どっちがと聞かれたら難しいですね。どちらも大変ではありますが、大変さが違いますから」

 佐藤は一口食べた。普通だ。

 みんなそれぞれ注文したものを食べながら会話が続く。

「大変と言いますと?」

「肉体的か、精神的か」

 佐藤は「聞いたことがある範囲なので、間違いがあるかもしれませんが」と前置きをした。

「私たちの仕事は結構専門的に別れているんです。捕獲対象がどこにいるか探し当てる専門の捜索屋からの情報を元に、水川さんら拘束屋が対象を捕獲する。そして捕獲された対象を私たちが膝行する」

 監督、脚本の人は目を輝かせて聞いている。こう言う話が好きなようだ。

「そのため、拘束屋は捕まえるための疲労は肉体に集中するんじゃないでしょうか?私たちの仕事は肉体的には簡単なんです。しかしそのあとですね。自分たちの手で生死を決められるんですから」

 佐藤は気づいて言葉を付け加えた。「まあ、それを全く感じない例外がいますけど」と言った。

「もしかして僕のこと?」

 田中はカレーの上に乗ったトンカツをバリバリと鳴らしてながら食べてる。「そうかな~?佐藤とそんなに変わんないよー」とか言っている。

「むしろ、そう言う人しか残らないと思います。なので私もいつ辞めるかわかんないと思います」

 脚本の人は隅っこに寄せたノートにペンを走らせている。

「佐藤さんのおっしゃってた通りなんですか?拘束屋の大変なところは?」

 監督がスパゲティを飲み込んでから水川に話をふった。

「あーまーそんな感じですかね。今も必ず稽古をしてから仕事へ向かいます。拘束屋の義務ですねこれは。なので強いですよ」

 そういって力こぶを作る動きをするが、彼女がヘラヘラしているせいなのか、全く強そうに見えない。

「話聞いてて一つ似てるな~って思ったことはありますね」

 水川が口を尖らせて言う。

「お、どういうところですか?」

「自分の手で相手の生死が決まってるってところです。私たちが捕まえた瞬間、対象は死が決まるんです。もし私が捕まえなかったらこの人はこれからも生きて行くんだ、って思うことはあります」

 田中を除いた三人は不意を疲れたような感情を抱いた。確かにその通りだと佐藤は頷いた。

「水川さんと佐藤さんはそんなことを思いながら仕事をしてるときもあるってことですか?」

 そう聞かれて、二人は同時に「いえ」「はい」と返事が重なった。言った本人たちが「え?」とお互いに目線を合わせた。

「佐藤さんがいいえの方?」

「はい。私はオンオフ切り替えてるので、仕事中にはそう考えたことはないです」

「なるほど。それで水川さんが、はいですかね?」

「はい。私はすごく考えます。この蹴りを入れなかったら逃げるんだろうなーって。なんて言うのかな?その人の運命を自分が握っているっていうのがいいですね。きっと支配欲ってやつですかね」

 佐藤はそれを聞いて驚いた。同じことを思っていても感情が全く違うことがあるとに。佐藤とは真逆で、水川は人の運命を決める決定権が自分にあることに喜びを感じているのか。

「へー、面白いですね。似ていると思ったら対象的で」

「なんていうのかな……謝りながらも喜んで蹴りを入れる感じです」

「何それどんな感じ?」

 田中が目を輝かせて水川を見た。

「ごめんねーごめんねー。でも私の視界に入ったときから君は拘束される運命なんだよ。ってな感じです」

「よくわかんなかった……」

「それは残念」

 シュンとしてる水川だが、その話を聞いたあとだと、本当に残念だと思っているのかもわからない。

「でも皆さんの話を聞いていると、やっぱりプロなんだな~って思います」

「そうですか?二人はともかく私は……っていう感じがしますが」

 佐藤は本心からそう思った。二人は圧倒的にプロという感じだが、自分はただのついでのように思えた。プロには変人が多い。

「ええ、切り替えられるのがプロって感じがします。ほら、だらしないおじさんがいざ戦うとなった瞬間に別人に変わるようなギャップ萌えってやつです」

 脚本の人は本当に楽しそうに強く言った。きっとそういうキャラが好きなのだろう。

「おじさんに例えられるとは思いませんでした」

「あ、すみません!」

「いえ、わかりやすかったです」

 もしかしたら嫌味に聞こえたかもしれないと、言った後に佐藤は気づいたが、それは言わないでおいた。

 みんながご飯を食べた後、スイーツを食べるものは食べて、食べないものは飲み物を飲んで、話は続いた。終わったのは午後三時過ぎだった。


 佐藤は田中にタバコを一本渡し、彼は一口吸って倒れている人の足元に擦り付ける。

 佐田がカメラを切り、中に上野が入ってくる。

「今更だが、未成年にこの仕事をさせて大丈夫なのか?」

 佐藤が佐田に問うと「特に何も言われたことないです」と言った。

「まあ、高校生なのでいいんじゃないんですか?タバコも車も十六から大丈夫ですし」

「今はもう十六からだもんね~」

 今日の仕事がこれで終わりだったためか、いつもより長くその場に居座る二人。

「そう言えばさっき中森さんが佐田さんを探してましたよ。急ぎとは言ってなかったですけど……」

「僕が聞いてこよっか?流石に今ここを離れるのは無理だし」

「いえ、大丈夫です。優先はこちらなので」

「そっか」

「後はよろしく」

 そう言って二人は部屋を出た。

 車に向かう途中に、先ほど上野が言っていた清掃員の人にたまたま会ったため、佐田は断っていたが田中が声をかけた。

「ひさしぶり~中森さん。さっき上野さんから「中森さんが佐田さんを探していましたよ」って言ってたんだけど、どうかしたの?」

 二人を見て驚いた表情をしたあとに、中森さんは首を傾げた。

「私佐田さんを探していませんし、むしろ上野さんにも会ってませんよ?」

 二人はその言葉に「そうなんですか」「へ~」と答えてその場を後にした。

 佐藤は目が乾燥してきて、早くコンタクトを外したいと思っているところだった。その日の終業時間の数分前に、秘書の山田の携帯に連絡があった。

「綺麗にしておきました」

生きる

 先生はとてもすごい先生。

 みんながそう言ってる。

 天才、なんだとさ。この国を代表するとか、世界を代表するとか。まあすごいとは思うし尊敬する。しかし別に好きではない。嫌いほどではないが好きでもない。曖昧な気持ちとはっきりとした気持ち。だって会ったこともない人を好きになるなんて。これは僕だからそう思う訳ではないと思う。


 今日も先生を褒め称える声が聞こえてくる。まあ千人も入る食堂にいたら、誰かは先生の話をしていてもおかしくない。だってあの先生だもん。

 僕は一人で、無機質なコンクリートで固められてる外を眺める。遠く遠くに少しだけ海が見える。僕は食べ物の味を感じることができる。すごいでしょ。だって僕はあのすごい先生が造ったロボットなんだもん。造ったからすごい先生なのか、すごい先生だから造れたのかはわからない。僕が生まれた時には、先生は最初からすごい先生だった。

 いつも座っている場所が座られていたので、今日は変な感じだ。でも嫌ではない。そう思っていたらいつもは見えない建物が見えた。円柱の建物。僕が生まれたところ。そして今日も誰かを生もうと育ててるところ。

 特になんの感情もない。感情が作られてるのに何も感じない。これはすごい。何も感じないことを僕は感じているんだ。妙に感心しながら、なんの思い入れもない積み木のような円柱を眺めた。今日は空が緑だ。


「コソコソするから余計にバレるんだよ」

「俺なら二人以上で行動するな」

「バカじゃねえの?裏切られたらどうすんだよ」

「そういうこと言う奴が一番裏切んだよ」

 最近ここで流行っている『もし自分がスパイだったら』。周りに海しかないこんな閉鎖的な環境にいたら、遊び方が特殊なものになっていく。そして僕のようなロボットたちは、その遊びに加わらない。

 人とロボットの割合は7対3。割合で言ったら圧倒的に少なく感じるが、ここではロボットでも特別驚かれない。と言っても人間とロボットの境界線ははっきりしている。つまりこの遊びは外部から来た人だけがする遊びで、ここで生まれた僕らにはしない。できないわけじゃないけどスパイの可能性がないのでリアルさが出ないから。可能性があるから楽しいのだ。知らないけど。

 もし、先生がスパイで、僕ら全員が操られることは考えていないのだ。だってあの先生がするはずがないからだ。なんかこんなこと言ったら遊びに入れてもらえないことをひがんでいるようだな。

 そんなこと思いながら、僕はいつ敵が攻め込んできてもいいように、武器である鋼でできているものを手入れしている。大きさも形もフラフープそのまんまだ。投げたら遠心力で中から鋭い刃が出る。もし自分の方に飛んできたら、動きが止まるようになっている。位置情報もヘルメット内に表示されるので、見失っても問題ない。今日の雲は赤だ。

 

 今回も敵は大きなロボットを使って、攻めてくる。

 僕らとは違う、大きくて機械っぽいロボット。機械っぽいってなんだかおかしい気がするけど、本当の機械っぽい。

 こっちはそんな大きなロボットなどはない。人間型のロボットだけだ。視覚的には、敵の方が圧倒的に強そうに見えるが、勝利はいつもこちらだ。これも先生がすごいと言われる理由なのだろう。

 しかし、勝利すると言っても、被害はある。そして今回も戦いが終わったらいつも言われる言葉が脳に入る。

「いいよな、ロボットは死なないから」

 死なない。死ぬ、か。ロボットの死ってなんだろう。バックアップが取れるから、体が死んでも、死んだ僕が死ぬだけだ。

 しかし僕らは先生の作ったロボット。痛みも感じるので、敵が向かってきたら恐怖を感じる。そういう台詞を言われて、尖った鉛筆で刺されたぽどの痛みと汚れも心にできる。なぜこんな無駄な機能を作ったんだろう。コストもかかるだろうし。今日刺された鉛筆は紫だ。


 今日は全体の装備の点検日。訓練もなく暇なので僕はまだ青い海を見に外に出た。基地周辺はほとんど一般人は通らない。ゆっくりと、ゆっくりと、海を見下ろしながら歩く。ゆっくり、ゆっくり、右にある海だけを見て歩いていたので、視界に人が入ったのにもゆっくりと驚いた。

 一般人?見たことのない二〇代後半ほどの女性が少し高いコンクリートの上に座って足を海に放り出している。食堂の人かな?と思いながら、こんな至近距離で通り過ぎるのも変な感じがして「こんにちは」と声をかけた。ゆっくりと振り返る彼女の動きはこの空間にとても合っていた。

「びっくりした」

 全然そんな風には見えなかったが、彼女はそう言った後に「こんにちは」と言った。

「基地の方ですか?」

「ええ」

「食堂ですか?」

「いえ、研究員です」

「そうなんですか」

 僕はなんとなく、隣に座っていいような気がして、と言うか体が自然とそう動いた。彼女の外側にはねてる肩までの髪が潮風に揺れてる。

「私は戦闘要員なんですが、研究員の仕事とはどのような内容なんですか?」

「今は壊れにくいスーツを研究、開発しています」

「なるほど。いつもお世話になってます」

「ありがとうございます。でもまだ完璧ではないので、よりみなさんを守れるもの目指しています」

 正面の海を見ながら、右隣の彼女とゆっくりと話す。

「戦いは毎回どんな感じなんですか?」

「戦い、は」

 ロボットだから多数派の人が思っていることは違うんであろう。そう思い「どうなんでしょう」と変なことを言った。しかし彼女は「どうなんでしょうかね」と言った。

「怖いですよ。でも僕はバックアップが取れるので」

「人間も取れるよ」

 さらっと出た以外の言葉に驚き、思わず彼女の顔を見た。彼女の口調がタメ口になったことには気づかなかった。

「ロボットは、入れ物が変わって、人間は中身が変わる。そんくらいの違いしかないよ」

「それは、子孫ということですか?」

「ええ」

 僕は、間抜けに口を開けた後、思わず笑ってしまった。バックアップ。子孫をバックアップと言うなんて。

「面白いですね、その表現」

「ありがとう」

「そう言ったら人間もロボットも変わらないですね」

「ね、なんで血って鉄の味がするんだろう、とかさ」

「本当に鉄の味がするんですか?」

「うん」

「そうなんですか、それは知りませんでした」

 その後も、ポツポツと話しながら、潮風を浴びていた。今日の風は白だ。


 新しいスーツを着るときはドキドキする。単純に新しいものは嬉しいし、だけど今までの着慣れたものじゃないもので自分のパフォーマンスが下がるかもしれないという、不安感が混ざらず絡まり合う。

 彼女がこのスーツを作ったのかと思いながら体に合わせる。まあ今までのスーツ新調で改悪されたことはないので、問題ないだろう。戦いは嫌いだが、このスーツを実戦で使ってみたい気持ちが上回り、嫌いなものが少し好きになる。

 それは他の人も同じようでみんなの顔がいつもより輝いている。

 今日は新しいスーツに、体を慣れさせるために、午前中はそれを着て訓練し、午後はそれぞれの武器を持ち自主練となった。僕はスーツのまま武器を持って外に出た。昨日と反対側の海に行くと砂丘がある。僕はスーツが新しくなったら、いつもそこを走る。

 走りにくい砂の上。汗も吹き出す。しかし瞬時にスーツは汗を吸い取り、風を送り込む。改良されたものは、今まで以上に体に密着しているが、吸汗性も伸縮性もよく、抵抗が少なく快適だ。戦わないとわからないが、今までよりも外部からの衝撃にも強くなっているのであろう。

 スーツの機能を体感した後、武器を持って動いてみる。そうしていたら後ろから声が聞こえた。

「随分と古いなそれ」

 振り向くと、前髪を綺麗に切りそろえて、後ろ髪は高くくくってる女の人がいた。

「今日スーツ新しくしたんだろ?武器はしなかったのか?」

「ずっとこれで使い慣れてるので」

 ふーんと、彼女はさして興味なさそうな表情と声を出す。

「私が新しくしてしてやるのに」

「あなたが作ってるんですか?」

「ああ」

 僕の手にある武器をじーっと見つめる彼女。と思ったら黙ってどこかへ行ってしまった。不思議な人だ、と思ったが、僕は再び武器を振るう。

「おい、こっち来い」

 後ろから聞こえた声は、先ほどより大きく、命令口調だった。

「はい」

「お前のここの部分が鋼だろ?」

 そう行って、砂に木の棒で円を描く。棒を探しに行ってたのか。

「これはなんの役にも立たねえ。ただの無駄遣いだ。もったいねえ。だからここを他の素材にする。軽くて少し柔らかい、だけど丈夫な素材がある。軽量化にもなるし、投げた時に手首に負担がかかりにくい」

「そうなんですか。しかし、僕はこの重さに慣れているので、軽くなったらその感覚に慣れるまで時間がかかると思います」

「うるせえ。でも、でも、だってじゃねえ。してみるんだよ。時間がかかるなら勝手にかけろよ。こっちがより良いって私が言ってんだよ」

 戦闘要員より悪い口調だ。

「妙なプライドは捨てろ。どいつもこいつも」

「なら、そう造らないように先生に行ってください」

 勝手にそう造られたのに、僕が悪いみたいに言われムカッときて、いつもより強い口調で言った。

「なんで人間らしく造ったんですか?生産性が悪いじゃないですか」

「その方が生産性がいいからだろ」

 予想外の答えに、僕の脳の機能は遅くなった。

「死にたくないから、死なないようにするだろ?恐怖があるから生存率が上がるだろ?敵一人殺すより、味方一人生きた方がいいに決まってんだろ」

 世界の真理がひっくり返ったようだった。無駄だと思っていたことが、無駄ではなかった。いや、これはただの彼女の考えにすぎないのかもしれない。

「お前はロボットであることが嫌なのか?」

 そう聞かれて僕は初めて真剣に考えた。人間にとても似ているが、絶対になることができない、不完全な僕は、人間よりも劣っていると思っていたのだ。心の中で。

「ほとんど変わんねえじゃねえか」

「……確かに、でも人が死んだ時になんとなく思うんです。僕も死にたいって」

「ふーん。まあ、たまには生きるのを休みたいって思うだろうな、ずっと生きてたら」

「いや、生きるのをやめたいというより、なんていうんですかね、生きたいんです。だけど僕が死んで悲しんでもらいたいって思うんです。だって中身は死なないので」

「中身が死んだらいいのか?バックアップ消しといてやるよ」

 そう言われ、急に僕の死期が近づいた気がした。

「そんでお前の全部が死んだら、私の涙でお前の体を酸化させといてやるから」

 酸化って……。

「それは、時間がかかりそうですね」

「一日で終わらせてやるよ」

「涙で酸化させられるんですか?」

「さあ?」

「わかんないんですか」

「無理だったら、水に混ぜて酸化させてやるよ」

「どんだけ酸化させたいんですか」

 ちょっと呆れ気味で言うと、彼女はニッと笑って「お前を完全に殺すためだよ」と言った。なんて笑顔で言うんだ。

「錆びたた後は、綺麗に磨いて再利用だな」

「死んでないじゃないですか」

「死んだよ。お前は。そして新しい体になる。見事なバックアップだ」

「今度は中が死んで、外はそのまんまですか」

「悪くねえだろ」

 なんでそんなに楽しそうなんだ、と彼女の片方の口角だけが上がっていく顔をみると、なんだか僕が悩んでいたことが大したことないように感じてきて、僕も笑った。

「で、武器はどうすんだ」

 そういやその話をしてたんだった、と思い出し「お好きにしてください」と言った。今日の砂はピンクだ。


 改良された武器を扱ってみたが、予想通り、今までと違う重さと感触に違和感を拭えなかった。でも嫌ではなかった。むしろこの武器を自由自在に扱ってやろうと燃えて、いつも以上に集中して打ちこんだ。そして集中しすぎて、他の人の武器が飛んできたのに反応が遅れ、頬に軽い切り傷を負ってしまった。

「すまん!大丈夫か?」

「ああ」

「診てもらったがいいんじゃないか?」

「このくらい平気さ」

「いや、一応言ったほうがいいよ。人だったら大丈夫だが、ロボットだから何かあるかもしれない」

 心配してくれた同じ戦闘要員にそう言われ、医務室に行くことにした。ここでは、人もロボットも同じ医務室に行く。担当医がそれぞれそこにいるのだ。

「頬を切っただけなんですけだ、ロボットということで念のために診てもらってもいいですか?」

 そう言うと「はーい、こちらねー」と手前に座ってた人ではなく、奥の人が手を振った。

「ここ座って。うーん深くはないけど、浅くもないわね」

 僕の頬に触れるふわふわと髪を巻いた女の人。

「問題はないわ。だけどお風呂入る時には気をつけてね。水が入ると危ないから」

「壊れます?」

「壊れる、壊れるねーう~んどうだろう?壊れるって言う表現が合ってるかわかんないけど、頬が腫れちゃうかな。もし腫れても大事には至らないわ。その時はまた来てね。今日はガーゼ貼っとくから」

「わかりました」

 彼女は傷口から流れている、人間でいう血を拭き取った。との時にちょっと痛みを感じ、少し眉をひそめた。それに気づいた彼女が、軽く笑った。

「痛い?良くできてるわね、本当に」

「僕も思います」

「まあ、痛みを感じないと、すぐ壊れちゃうからね」

 人間もね。と言って彼女はウインクをした。

 その後、予備のガーゼを貰い僕は医務室を出た。

 訓練に戻ろうと、来た道を折り返していたら、食堂から声が聞こえてきた。

「本当コスパ悪いんだよ」

「それは先生だってわかってるよ。あの先生だぞ、人間を作るよりか、感情のないただの道具の方が簡単に作れるさ」

「じゃあなんで、そうしないのさ」

 食堂を使わない時間帯なので、二人の声が広い空間を大きく揺らしている。おそらく話の内容は僕らロボットのことだ。

「コストの話じゃないんだと思う」

「はあ?」

 じゃあなんだって言うんだよ。と言う人を僕は見た。

 ちゃんと、と言ったらおかしいかもしれないが、先生を批判する人もいるんだと知った。なんだか、みんながみんな先生先生と言われていて気持ちが悪かったから、変に安心した。

「先生が言ってたんだ。感情のないロボットを扱ってたら、私たちがロボットになるって」

「はあ?」

「自分じゃない、他の生き物の気持ちを考えるのは人間がすること。無機質な何かが挟まると、それが失われて行く。私は人間でいいし、人間が人間でいてほしい、って」

 それを聞いた、もう一人は、難しい顔をして黙った。

「わかるような、わからないような、だな」

 僕はそれ以上聞かずに、その場から立ち去った。僕も、わかるような、わからないような気持ちだ。でも居心地は悪くない。外に出たらいつもより世界が広く感じた。今日の世界は透明だ。