藤ヶ丘団地の西端に供養塔があります。昭和3年から11年間公営の明石競馬場として開催されていました。開催中の競走馬の事故死とか馬舎の出火による焼死等があり、その供養のために関係者や住民等が建立し祀っています。
林崎・松江海岸のトロピカルム-ドを盛り上げるために植えられたヤシの木です。こちらからは明石海峡大橋と淡路島、水のきれいな400mにわたる自然の海岸線を望むことができます。
藤江川沿いに立派な土蔵を見かけました。腰壁の斜めの目地が、漆喰塗で、なまこに似ていることから「なまこ壁」と名づけられ、防風や防雨の働きがあります。ここは海や川にも面しているのでなまこ壁を活用したと思われます。
建長6(1254)年に法燈国師開基の伝承を有する鷲峰山龍泉寺は元禄14(1701)年に臨済宗法雲和尚により再興されました。江戸時代末期には寺小屋が開かれ、明治5年の学制により二江小学校開校の前身となりました。
地元できょうがくさんと呼ばれ、昔は幼子が亡くなったとき家の墓には入れずここに埋葬したそうです。近くに住んでいた教覚さんという子供好きの山伏が祀られており子供が病気になった時ここで祈ると治るという話もあります。
地元できょうがくさんと呼ばれ、昔は幼子が亡くなったとき家の墓には入れずここに埋葬したそうです。近くに住んでいた教覚さんという子供好きの山伏が祀られており子供が病気になった時ここで祈ると治るという話もあります。
赤根川金ヶ崎窯跡 明石市魚住町金ヶ崎字大池下 古墳時代
この遺跡は赤根川を北にさかのぼった、印南野と呼ばれる広域な段丘面の水田地帯に位置しています。ここから東の赤根川に向かっては、高低差が約3.5mもある崖面がつくられています。
分布調査で傾斜面上から古墳時代(6世紀前半)の須恵器片が大量に発見され、昭和63年に発掘調査が行われることになりました。この調査の結果、赤根川の支流によって浸食された急流の南東突端部、赤根川との最短距離が約60mという地点で古墳時代の須恵器を焼いていた窯1基と灰原、同時期の溝などが発見されました。
窯体は、水田耕作のために煙り出しと焚き口が既に失われていましたが、他部分の残存状況が良好でした。窯の残存長は8.1m、窯内における最大幅2.2mで、焼成部の残存長は2.4mありました。この窯体の中から整理箱で約10箱の須恵器が出土しました。
須恵器の器種としては杯蓋(つきふた)、杯身(つきみ)、高杯、甕、器台などがありました。そして、焼成に失敗したものを捨てた灰原からは整理箱100箱もの遺物が出土しました。ここからは杯蓋、杯身、高杯、壺のみならず装飾付き須恵器や角杯形(かくはいがた)土器、特殊陶板(とくしゅとうばん)、土師器の壺などが出土しました。
装飾付はそうにはサンショウウオを象った小さな像がつけられていました。特殊陶板の表面は、中央部を中心にほぼ左右対称の文様が鋭利な刃を持ったヘラ状の工具でV字状に削り込まれていました。
溝は、本来は小谷筋の自然流路であったものと思われ、焼成された製品を船で赤根川本流へ積み出す際の搬出経路として利用されていた可能性が高いとされています。この溝からは角杯形土器をはじめとする整理箱約80箱の遺物が出土しました。
須恵器の製作技術は5世紀中ごろに朝鮮半島から伝えられ、大阪府南部の陶邑窯を中心に生産を開始します。そしてこの技術は5世紀後半から6世紀初期にかけて地方に拡散していきます。本遺跡もまさにこの時期に須恵器生産を開始します。中でもこの窯では、角杯形土器や子持壺、装飾付はそう、筒型器台といった朝鮮半島の影響の強い遺物が出土していることから、窯が築かれるにあたり、そうした技術を持った渡来系集団が大きく関与していたことが想像できます。
中でも角杯形土器は、国内では石川県、岐阜県などからのわずかな出土例しか知られていない特殊な土器で、特に窯からの出土した福井県興道寺窯跡に次いで全国で2例目となるものです。また、小像を施した装飾付須恵器は、朝鮮半島の中でも新羅地域に多いことが指摘されています。
こうしたことから、この周辺地域の政治的・社会的諸関係を探っていくうえで、極めて貴重な遺跡であるといえます。
三木合戦と寺院
三木合戦時の別所に味方した近隣の8寺院
長坂寺(別名:長幡寺・廃寺)、遍照寺(長坂寺)、延命寺(柳井)、報恩寺(西脇・焼失後再建されず廃寺)、西光寺(西脇)、如法寺(西島/森)、薬師院(西岡)、西福寺(清水)が報復により焼かれた。また村落では西島、森、西岡、浜谷、中尾、山川も報復を受けた。
秀吉側の本陣であった大窪の光触寺は秀吉が腰をかけて休んだと言う「太閤腰掛松」で有名。
柳井村(明石市魚住町金ヶ崎)
赤根川中流の西側、金ヶ崎村の南側にある。明治8 (1875)年金ヶ崎村に合併。「明石記」によれば金ヶ崎のうちで、村の規模は東西25間・南北70間。金ヶ崎高札場から8町。郷蔵1・小藪 1、産土神の住吉神社、村の檀那寺である浄土宗延命寺、地蔵堂があった。当地には行基にちなんだ香盤池があり、この池に足を踏み入れると祟りがあると伝える。
赤根川沿いにある柳井戸は、魚住泊を築いた行基が入港する船に清水を補給するために掘らせたと言われる。江戸期に西灘の酒と親しまれた江井島の酒造用の水として、柳井戸の水が使われたと言う(魚住村誌)。この井戸は「湧き穴井戸」「念佛井戸」とも呼ばれたが、昭和45 (1970)年に赤根川の改修工事によりなくなった。
延命寺(えんめいじ)
浄土宗で山号は青柳山。本尊は地蔵菩薩、寺伝によると天平12 (740)年に行基が開山し、長坂寺(廃寺)の塔頭寺院として遍照寺と共に魚住周辺の信仰の中心となっていた。立派な伽藍を持っていたが、南北朝時代初めの建武の頃 (1334〜1336)の兵乱で長坂寺もろとも焼失、絵馬堂があった現在のところに当寺の住職が苦労をして再建をしたと言う。しかし後年の天正7 (1579)年には秀吉の三木城攻めに巻き込まれて、再び全てが焼けた。
現在の本堂は昭和10(1935)年に再建されたもの。地元では地蔵菩薩様と呼び毎年、地蔵盆の8月24日に開帳される(金ヶ崎 898)。
柳井住吉神社(やないすみよしじんじゃ)
祭神は底筒男命、中筒男命、表筒男命。海上守護と開運の神で、天明元(1781)年に建立(明和2(1765)年説も)。祭祀は大久保の住吉神社の系統になり、そこの宮司が神事を行っている。
西脇の報恩寺(三木合戦時、豊臣方により焼失し再建されず、廃寺)
廃寺跡から室町時代の瓦が出土し、法隆寺を改修した奈良の瓦大工の橘吉重の幼名の彦次郎名が刻まれていたため話題になった。大久保周辺は奈良時代から多くの寺院が建立され、奈良の瓦師の一族である橘氏がたびたび訪れて普請に当たったと言われている。
香盤池(こうばんいけ)
柳井の延命寺から北へ200mの明姫幹線沿いに、行基が亡くなった人を弔うために作ったのではないかと言われる池がある。池は周りに樹木が茂り、形は楕円形をしており、広さは約 2,000m²、中に島が4つあったが今は2つとなっている。
村人はこの池の木を伐るのを禁じられていた。祟りがあるというものであり、天正8 (1580)年の三木城落城の際に、別所長治の一族が殺され、埋葬された所と言う伝承から来ている。事実、水田の開発を行った時に、多くの人骨と六文銭が発見されたことや六地蔵があって霊を祀っている事が背景にある。
柳井の北の明姫幹線の信号近くに墓地があるが、明姫幹線の工事前は村の戸数に比して相当大きな墓地であった事から別所一族など多くの人が埋葬されたのではないかと言われている。
明姫幹線の工事に際して、香盤池を一部壊すことになるので地元の人や延命寺住職によって昭和54 (1979)年に丁重に供養をするとともに、そこにあった六地蔵を、延命寺の本堂南側の境内に移し、五輪の供養塔も建てた。
明姫幹線の開通にともない、明姫幹線の信号北東に新たに六地蔵が作られている。
金ヶ崎の気になる地名
鳥ヶ谷 鳥ヶ谷温泉 があった。 のちに 神鋼基地 のちに 住宅
西脇遺跡 鳥ヶ谷 後期旧石器時代 s36年発掘 春成秀爾
祭ノ神 全国に 長岡京市 秋田県 青森県 長野県 などにもある
山ノ神戸 全国に 愛知県 静岡県 などにもある
中ノ坪 全国に 福岡県志免町
中ノ坪 一ノ坪 二ノ坪 八ノ坪 トヲガ坪 早苗坪 口ノ坪
条里制の名残か
(参考)一般的な条里制 1歩(1.09m)12歩✖️30歩=1段(428m2)
10段=1坪(4277m2) 36坪=1里(0.154km2)が村の単位
そのうち 30坪が田畑 残りの6坪で宅地・神社・園地
大将軍 宝園 亀府 石鎚 など
古墳 魚住町清水上野 幣塚(糠塚) 円墳
魚住町金ヶ崎山 文五郎塚 円墳
ヘリテージ明石規約
(名称)
第1条 この団体は、「ヘリテージ明石」と称する。
(事務所)
第2条 この団体は、主たる事務所を兵庫県明石市東山町3773-37に置く。
(目的)
第3条 この団体は、明石市内の文化財その他地域固有の資源(以下「文化財等」という。)を保存し、かつ、その活用を図ることにより、当市のまちづくり、文化又は産業の振興に寄与することを目的とする。
(事業)
第4条 この団体は、前条による目的のため、次の事業を行う。
明石市内の文化財等に係る調査研究、修復、維持保全、活用又は啓発に関する事業 前号による事業のほか、前条による目的を達成するために必要な事業(入会)
第5条 この団体の目的に賛同し、会員として入会しようとする者は、入会申込書を代表に提出し、総会の承認を得なければならない。
(入会金及び会費)
第6条 会員は、別に定める会費を納入しなければならない。
(退会)
第7条 会員が次の各号の一に該当するに至ったときは、退会とする。
退会届を代表に提出したとき。 本人が死亡し、又はこの団体が消滅したとき。 継続して1年以上会費を滞納したとき。(役員)
第8条 この団体に次の役員を置く。
代表 1名 副代表 1名 会計 1名 監事 1名(選任)
第9条 役員は会員の互選により選任する。
(職務)
第10条 代表はこの団体を代表し、会務を総理する。
2 副代表は代表を補佐し、代表に事故あるときは、その職務を代行する。
3 会計はこの団体の経費等に関する会計事務を行う。
4 監事は会計を監査する。
(任期)
第11条 役員の任期は1年とする。但し再任を妨げない。
(総会)
第12条 総会は、次の事項について議決する。
事業計画及び収支予算並びにその変更 事業報告及び収支決算 役員の選任又は解任 入会金及び会費の額 規約の変更 その他運営に関する重要事項2 定例総会は、毎事業年度1回開催するほか、代表が必要と認めるときは、臨時総会を開催することができる。
3 総会は、代表がこれを招集する。
4 総会の議長は、その総会において出席した会員から選出する。
5 総会は、会員総数の過半数の出席がなければ開会することができない。
6 総会の議事は出席者の過半数をもって決し、可否同数の時は議長の決するところによる。
7 やむを得ない理由により総会に出席できない会員は、あらかじめ通知された事項について書面をもって表決し、又は他の会員を代理人として表決を委任することができる。
(経費)
第13条 この団体の事業を行うための経費は、会費、寄附金その他の収入をもって充てる。
(会計年度)
第14条 この団体の会計年度は、毎年4月1日から翌年3月31日までとする。
(委任)
第15条 この規約に定めるもののほか必要な事項については、代表が定める。
附 則
この規約は、平成18年4月1日から施行する。