【天鵞絨の歴史】
天鵞絨はおよそ450年前、戦国時代の日本に南蛮貿易でもたらされ、織田信長などにも愛された織物です。天鵞絨は、その高い技術と価値を守るため製造法が明らかにされていませんでしたが、当時の織物技術者の不断の努力により、国産化が実現しました。ビロードを起毛させるために心材である針金を織り込み、針金上のパイル糸を特殊な小刀で切りだすという製法によって編み出される天鵞絨は、その艶と手触りなどから愛されています。しかしその技術難度は高く、別珍やベルベットなど類似の簡易製法が多くなり、「ほんもの」の天鵞絨を作ることができる技術を受け継ぐのは世界でも数人しか残されていません。日本天鵞絨工業は「ほんもの」の天鵞絨を作ることができる、稀有な存在として、製法と技術を守り続けています。
【天鵞絨工業の歴史】
当社は1887(明治20)年に藤本豊明が創業したことに始まります。明治維新後の東京遷都に伴い、藤本豊明は生まれ育った京都から東京へ渡り貿易商藤本商店を開業し、京都西陣にて上仲買をはじめました。事業の成功により資産を築き、大正時代には藤本合名会社を設立しました。
その後、藤本豊七があとを継ぐと1922(大正11)年に京都府園部町(現在の南丹市)に天鵞絨織工場(敷地面積:450坪)を建設、藤本天鵞絨織工場を設立し、東京・京都西陣・天鵞絨織工場の3拠点での事業展開を始めました。関東大震災により東京支店は全焼しましたが、京都での天鵞絨工場は順調に生産数を増やし、昭和の戦時下に日本天鵞絨工業有限会社を設立、1953(昭和28)年には日本天鵞絨工業株式会社を設立しました。
【天鵞絨工業の技】
天鵞絨づくりにおけるもう一つ重要な要素があります。それは設備です。現在日本では天鵞絨をつくるための機械は新たに販売されておらず、弊社でもこれまでに導入した設備を自らの手で改良修繕を続けることで工場を操業しています。こうした修理を自分たちで出来ないため廃業を余儀なくされる工場も少なくありません。
パイル糸を切りだす際に用いる小刀も例外ではありません。美しい天鵞絨に仕上げるために天鵞絨職人たちは自分専用の小刀を使ってきました。しかし、もはや小刀を製造する技術は残されておらず、自らの手で、美しく天鵞絨を仕上げることができるように、小刀を補修しています。
6月の被災で弊社はこの代えの効かない小刀をほぼ全て失い、残された一本も熱で形状が変わってしまいました。しかし先人たちの知恵と技術と確かな目で、小刀を修理し、天鵞絨を再びつくりだすことができる技術が私たちにはありました。
【天鵞絨工業の製品】
天鵞絨を使った製品は多岐に広がっています。お祭りなどで使われる山車などの飾りとしても使用されてきた歴史があり、文化財として山車には天鵞絨が欠かせません。その他、高級な用途では全て天鵞絨で仕上げた衣服などがありますが、下駄や草履などの花緒に用いられているのがもっとも普及した用途になっています。
天鵞絨を身近に感じていただくための製品開発も行っており、アクセサリーなども開発しているほか、和装に限定されないカジュアルな履物で天鵞絨を楽しんでもらえるような商品も検討しています。