『〈土〉という精神』

ポール・B・トンプソン 著
太田和彦 訳

 Paul B.Thompson (1995) "The Spirit of the Soil"の邦訳が、農林統計出版より2017年8月に刊行されました。
 本書は、アメリカにおける環境倫理学と農業倫理学のすれ違いと、食と農のあり方に科学技術政策が与えた影響を概観できる「上級入門書」として書かれています。著者のトンプソン氏は、当時は互いに交流がなかった、農業従事者・政策立案者・専門家(哲学者を含む)のあいだの世界観のずれや知識の偏りを、現在の状況を作り上げるに至った歴史的・文化的経緯を説明することで解消することを本書で目指しています。
 そのため、「持続可能な農業」に関する最初期の哲学的検討、農者(agrarian)にとっての土壌の象徴的意味の分析、アメリカの科学技術政策と環境倫理・農業倫理の関係性の整理として、お読みいただくことができるでしょう。

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日本語版序文・抜粋

 『〈土〉という精神』(原題:The Spirit of the Soil)の原稿は1993年に、比較的短い期間でまとめられた。その頃、食料品など農産物の生産、流通、消費が、哲学的な考察や批判の対象になることはほとんどなかった。当時はまだ、環境倫理学という分野において、1970年代に哲学者らが夢中になって取り組んだ「自然の一般的な道徳的地位」ではなく、「食料生産」や「生物多様性」などの個別のトピックをようやく本一冊をまるまる使って扱えるようになったばかりだった。ブライアン・ノートンによる生物多様性についての著作『なぜ自然の多様性を保護するのか?』(1987年)が出版され、同年にラウトレッジ社は、環境問題の解決策の背後にある理論を検証する新シリーズを、アンドリュー・ブレナン編集のもとで始めた。私が知る限り、どの言語においても、類似の出版プロジェクトはなかった。しかし数年前、祖田修の『農学原論』(2006年)の英語版が出版され、私は、日本において昔から伝統的に行われてきた思索や実践と、私自身の農業思想についての仕事とを関連付けうる重要な道筋があることに気づくに至った。だから、太田氏が私の著作に関心を示し、日本語への翻訳を申し出てくれたことはとても嬉しい。

 『〈土〉という精神』で、私は、生産至上主義、スチュワードシップ、経済学、全体論という4つの世界観、あるいは規範という観点から哲学的アプローチを行った。いずれも、環境における農業の重要性を解釈する際に用いられる概念である。
 1つめの「生産至上主義」において、農業は、収穫高によって評価されるべき生産プラットフォームと見なされる。欧米の農学者のほとんど、北米の農業生産者の多くが、世界の人々に食料を供給することこそが重要だと主張し、それゆえ、世界中で農作物の生産高を増やすための品種改良や農薬などの化学テクノロジーが重視されている。第3章では、農学者、農業生産者らの主張は、勤勉さや自立を美徳とする伝統的な西洋哲学に沿うものであり、豊かな実りを善とし、豊作をもたらす農業慣行を支持するキリスト教的伝統にも沿っていることを指摘する。
 2つめの「スチュワードシップ」を考察する上で、私はウェンデル・ベリーの著作を参考にした。ベリーはもともとアメリカ国内では著名な文学者であったが、今では世界でも有数の影響力を持つ作家となっている。ベリーは哲学的エッセイ「アメリカの不安」(1975年)で、「身体と大地」との間の親密な精神的結びつきを重視し、土地に対する強い意識を持ち続け、安定した人間社会における関係的価値に根ざした農業倫理を提案している。また第4章で詳述するが、ベリーは農業テクノロジーが、農村部に住む人たちの人間関係を脅かす存在であると見なしている。彼は、人々を土地から切り離すような技術的・文化的な変化が、アメリカ的民主主義にとって極めて重要な価値観を損ないつつあると主張する。ちなみに本書は、ベリーの主張について哲学者が学術的に詳しく論じた初めての文献である。
 3つめの「経済学」は、環境と人間の環境利用との間の体系的かつ相互的な結び付きを示唆する。このことが最も良く示されるのは、費用便益分析によってである。第5章では、費用便益的な考え方の限界を明らかにした経済哲学の研究を再検討する。所有権や市場での交換についての一般的な経済的概念は、まさに私たちが売り買いする商品の「経済化」の基礎を成すものである。しかしながら、経済化は、所有に関するルールや道徳的期待についてあらかじめ設定された前提のもとで生じる。したがって、人間と関係のない〈大いなる経済〉などというものは、隠喩として以外には、いかなる意味においても存在しない。食べ物の本当のコストを数字の上で計算しつくせるという考え方では、生態的脆弱性の重要な原因にまで分析は及ばないだろうし、大地の上で行われる人々の営みを意義深いものにする精神的価値をあっけなく見落とし、除外してしまうだろう。本書は、エコロジー経済学で当時、興りつつあった見方が目指していたものについて簡単に論じているが、この分野は、1995年以降、大きな成果をあげている。今日、このテーマを扱うにあたっては、この重要な成果についてもふれないわけにはいかないだろう。
 4つめの「全体論」もまた、「経済学」と同様に、体系的方向付けを示唆するものであるが、全体論では体系全体の機能的統合がより重視されている。第6章では、ウェス・ジャクソンやアラン・セイボリー、ベアード・キャリコットが提唱した全体論的な哲学について詳細に論じる。1995年当時の北米の環境思想において、全体論は一般的なテーマであった。この章は、本書の最終章、「持続可能な農業」でより詳しく論じる体系的観点を紹介する役割を担っている。
 最終章で私は、4つの世界観がそれぞれ部分的に寄与しあっていることを体系的に理解することで、農業の環境倫理学についての統合的な考え方が実現する可能性を示している。私は今でもこの章が気に入っているのだが、分析に大きな穴があることも承知している。具体的には、体系的にものを見ることの重要性を述べるにあたって、持続可能性が「進歩のポストモダン的代替」であるとし、読者に対して「持続可能性を求めることは、自らの約束された至福に従うことである(follow your bliss)」と結論付けた点だ。ここには再考の余地がある。このフレーズは実は私のオリジナルではない。『神話の力』(1998年)で知られる思想史家ジョーゼフ・キャンベルが紹介するサンスクリット語の「アーナンダ」の概念を参考にしたものだ。

[……中略……]

 今回の研究の継続を可能にしてくれた全ての人々の名前はあげないが、あらためて感謝の意を表したい。食料や農業に関する私の初期の哲学的研究が翻訳されることで、別の人の創造的思考が刺激されることを切に望む。誠実に表明された反対意見や批判は歓迎する。私の哲学研究は、私が最も深く望むこと――つまり、話し合い、意見を交換することに常に捧げられている。

ポール・B・トンプソン
ミシガン州イーストランシング
2015年7月1日

目次


序文
第1章 土壌の倫理
農業と環境倫理学/哲学者は農業から何を学べるか?/農業は環境倫理学から何を学べるか?/いくつかの但し書き/〈土〉という精神
第2章 農業に対する環境批評家の批判
農業への批判者たち/農薬への批判/農業バイオテクノロジーへの批判/環境倫理学=農業への批判?/探究の導き手―レオポルドとシューマッハー
第3章
生産至上主義者のパラダイム
生産至上主義の問題/生産至上主義の基礎/勤勉さという美徳/恩寵という教義/楽園の神話/生産至上主義と産業化された農業/生産至上主義者の新しいパラダイム/美徳、産業、生産性
第4章 農者のスチュワードシップと良き農民
農者(アグラリアン)のスチュワードシップ/ウェンデル・ベリーによる農者のスチュワードシップの解釈/農業的スチュワードシップの諸問題/スチュワードシップと環境倫理学
第5章 食べ物の本当のコストを計算する
実証経済学と環境影響/実証経済学にともなう諸問題/経済倫理と効率性にもとづく議論/効率性への反証事例/経済外部性と食べ物の本当のコスト/経済外部性と〈大いなる経済〉
第6章 全体論的な代替案
全体論の諸様態/アラン・セイボリー/ ウェス・ジャクソン/ベアード・キャリコット/還元主義に抗して/代替システムの概念/全体論的な代替案―うまくいくのか?
第7章 持続可能な農業
システム記述概念としての持続可能性/目的記述概念としての持続可能性/付加価値としての持続可能性/内在的価値としての持続可能性/持続可能な食料システムのための格言集/持続可能性と約束された幸福


索引

序文

著者紹介

Paul B. Thompson
(ポール・B・トンプソン)

1951年生。ミシガン州立大学哲学科教授。テキサスA&M大学とパデュー大学で哲学の役職を歴任した。農業におけるバイオテクノロジーや食農倫理学に関する14冊の著書と編著がある。Encyclopedia of Food and Agricultural Ethics (2014:『食農倫理百科事典』)を編纂・執筆。また、From Field to Fork : Food Ethics for Everyone (2015:『農場から食卓まで―私たちの食農倫理』)は、北米社会哲学協会が選出する同年の「今年の1冊」となった。2017年にWilliam J. Beal賞を受賞

著者Webサイト

プロジェクト・訳者紹介

プロジェクト:Soil Survey Inventory Forum 土壌保全のための包括的な基本法の草案作成を目的とした研究会。2013年、トヨタ財団研究助成「自然資源の持続可能な保全に向けた制度設計 ―(仮称)土壌保全基本法の制定に向けた制度設計」(D13-R-0053)に採択。

訳者:太田和彦 1985年生。総合地球環境学研究所 FEASTプロジェクト研究員。東京農工大学連合農学研究科修了、博士(農学)。専門分野は風土論、日本型環境倫理、土壌倫理。

プロジェクトWebサイト

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