娘の結婚式の翌日の休日、立山町で開催されたイベントへ向かう途中に電話が鳴った。
大学病院の院内コーディネーターからであった。ここからだと20分くらいで病院へ到着すると伝えて、車を走らせる。
その間、どのように献眼について説明をしようか、ご両親の心境を考えるととても気持ちが重い。
病院へ着いて病棟へ向かう。たくさんのご家族が病室に駆け付けれおられた。
ご両親にお目にかかり、話を始める。
救急センターの待合室にアイバンクのポスターが貼ってあったから
生まれつき心臓の病気があったAちゃんは、いままでいろいろな人に助けてもらった
ここまで生きてこれて良かった。もし、今できるのならその恩返しをしたい
淡々と話をされるお父様の横でお母さまは終始うつむき加減。一言も発することはない。
とても気になった。
最後にお母さまに「本当に献眼いいですか?」とお聞きしたら小さく頷かれた。
病室でのご提供後に院内コーディネーターの方と相談して、ベッドサイドでの洗髪を行うことにした。
部屋中、シャンプーにいい香りがする中、ドライヤーで髪の毛を乾かすお母さん
「昨日一緒にお風呂入ろうって言ってたのに、入れんかったね、ごめんね。」
大粒の涙を流しながらAちゃんの顔を撫でておられる。
「修学旅行で、みんなとディズニーランド行ってきたの。とっても楽しそうだった。」
「スマップの中井君が好きで、中井君グッズをたくさん集めている」
このような会話をしながら洗髪が終わり、今度はエンゼルメイク
お母さん愛用の化粧品を使ってのエンゼルメイク
18歳の彼女にとっては、初のお化粧かな? 真っ赤な口紅が良く似合う。
仕事を終えて、夕食の買い物をしようとスーパーに立ち寄り、駐車場についたところで電話が鳴った。T病院の緩和ケア病棟の師長さんからだった。
60歳代のターミナルケアの患者さんで、献眼を希望されているとのこと。状態は日々変化しているので、少しでも早い方がいいと連絡をくださった。
これからでも病院へ伺えますが、できればご家族も一緒に話を聞いてもらった方がいいので、お伺いする時間帯を再度連絡してもらうことになった。
折り返しの電話で、翌日の朝いちばんに説明にあがることとなった。
T病院の病室について、主治医の先生と担当看護師さんへ挨拶を済ませた。
患者さんは、昨晩より容態は悪くなり、薬の影響で意識が少し朦朧とする状態であるとのこと。カルテ情報を確認し、病室へ向かった。
ご本人のベッドサイドに座り、献眼についての説明を行う。
最近左眼が見にくいんだとのこと。眼科医からは、白内障と言われているとのことで、献眼できるかどうかすごく心配しておられた。
「白内障や緑内障などの眼の病気があっても献眼は可能です。角膜さえ透明でれば問題ないですよ。」と説明する。
そのほか、提供に関する細かい説明を行い、現段階では、献眼は可能であるとお話をした。
そして、患者様の前で奥様が承諾書にサインをされた。
患者さんは意識が朦朧となりながらも、「よかった」をつぶやかれた。
一応の説明が終わったので、ほかに聞きたいことがないかどうか確認をして、患者さんと握手をして「これで失礼しますね。といった時に
患者さんは、「もう帰んがけ?」と一言、発せられた。
闘病生活の中で、家族でもなく、医療スタッフでもなく、部外者の私と病室で話をしたことがとても新鮮だったのか。
奥さんがそばについておられるから帰りますねと言って病室を後にした。
4日後、病院から連絡があった。すぐに病院に向かう。
再度、奥様、息子さん、娘さんに提供の意思を確認し、ご提供となった。
人生最後に望まれた「献眼」、意思を尊重することができて本当に良かった。
T総合病院の院内コーディネーターから連絡があり、夜中に病院へ向かう。
脳外科病棟の入院中のMさんのお母様が献眼についての話を聞きたいということであった。
医療従事者であったMさんのお母さんは、今、息子さんの身に起こっていることそして、この先に起こるであろう避けきれない事態を十分理解されていた。
十分理解ができるからこそ、今しかできないことを模索されていた。
私:今、息子さんは一生懸命頑張っておられます。まだまだ、時間があるのでゆっくり考えてください
と、説明を終えて帰宅した。
その数時間後、また院内コーディネーターから連絡があった。
すぐに摘出の準備をして病院へ向かった。
再度、ご両親に献眼の説明をして承諾書をもらう。
提供後に、エンゼルケアの一環として、シャワー浴とエンゼルメイクを一緒に行った。
最後の衣装は、ジャージの上下。
お母さん:いつもこれ着ていたからね。M夫らしい服装だよ。息子もこれでゆっくり休める。
葬儀に参列した。
ホールにはMさんの写真がいっぱい。山に登ったり、マラソン姿の写真がいっぱい。
Mさんは、大学時代にゼミの教授に誘われて河口湖マラソンに参加したのをきっかけに、マラソンにはまったそうです。県内外のレースに参加されていたとのことでした。
「山登りが好きで、走ることが好きで、おまけに競馬も好きで、走り去ってゆきました。」
お父様の喪主のご挨拶の一文です。
きっと今も、お気に入りのジャージを着て走っていらっしゃるに違いない!!
T病院から献眼登録されている方が、提供を希望されていると連絡が入った。
早速、病院へ向かう。
病室には息子さん夫婦とお孫さんがおられた。
インフォームドコンセントを行い、承諾書にサインを頂く。
院内の眼科の先生にご協力頂き、30分程度でご提供終了。
そのあと、エンゼルメイクを行うことになった。
エンゼルメイクは、ただお化粧をするだけではなく、その方の生き方、尊厳を守りながら、お元気だった頃のお顔にします。そして、ご家族と一緒に行うことにより、グリーフケアの意味合いも併せ持ちます。
まずはクレンジングを行いお顔をきれいにします。次に、蒸しタオルで汚れを取ります。
その時、お嫁さんが「じーちゃん、いつもお客さんに蒸しタオルしとったね。」と。
そうです。この方は床屋さんを営んでおられたのです。
お嫁さん:じーちゃん、気持ちよかろ?!店にくるお客さんもじーちゃんの蒸しタオルみんな好きやったもんね。」
悲しい場面であるが、会話が弾む。
そして、お嫁さんが、「三人ともおんなじ眉毛しとるね。やっぱり親子やわ。」と。
私は、三人の眉毛をまじまじと見ました。「三角お山のゲジゲジまゆげ」
私:本当ですね。みなさん、同じ眉毛しておられますね。
病室に笑いがおき、さらに和やかな雰囲気に。
こうやって、見送ることはとても大切なことです。
そのツールのひとつとして、エンゼルメイクがあります。
もう20年以上前のことです。
息子が習っていたそろばん教室へ月謝を持って行った時のことです。
先生:「お母さん、いつもお忙しそうですね。何のお仕事されているのですか?」
私:「アイバンクのコーディネーターをしています。」
と言ったとたん、教室の後ろの方にいた女の子が「私のお母さん、献眼したんぜ!!、すごくいいことしたんぜ!!」と目をキラキラさせて話をしてくれました。
思わず、先生も私も涙が溢れてきました。この女の子は、息子と同じ小学校に通っている上級生でした。
T病院の眼科の先生より生命予後が悪くて、献眼を希望されている患者さんがいるので対応してほしいと連絡がありました。
病棟の看護師長さんと連絡を取って、患者さんにお目にかかることになりました。
約束した当日、患者さんの体調が悪く結局会えずに、登録のパンフレットと資料を託けて帰ってきました。
それから、数日後、献眼の連絡がありました。
富山県アイバンクでは、献眼戴いた方のご葬儀に参列させてい頂いています。
会場には、息子の小学校の先生や知り合いもたくさん参列されていました。
ご主人の喪主のあいさつで「妻は、音楽が好きで絵が好きで子供や家族を大事にするとてもやさしい女性でした。献体と献眼を希望しましたが、妻の希望である「献眼」をかなえさせてやるのにとても労力が要りました。これ(献眼)が普通に選択でき、それを普通にできるような世の中がなってほしい」と。
スーパーで見かけるご主人はいつもうつむき加減で、とても私から声をかけられる状態ではありませんでした。
ご主人にとっては、奥様を失った悲しみ、二人の娘さんを育てて、これからの自分の人生を前向きに生きるためには、とても時間がかかったようです。
あれから20年あまり。
ご主人に近所のスーパーでお目にかかりました。
声をかけようかどうしようか迷っていた時に、向こうから声をかけてくださいました。
今では、二人の娘さんも独立して、それぞれ県外で仕事を持って頑張っているそうです。
子育てが終わったご主人は、定年になり、農作業で毎日忙しくしているそうです。
今度、スーパーで出会ったら私の方から声をかけようと思っています。
K市民病院、管理当直のK看護師より連絡が入った。意思表示カードを持った患者さんのご家族から提供についての話を聞きたいとのこと。早速、病院へ向かった。
69歳の女性、くも膜下出血により2回の手術を受け、術後順調に回復していたものの、再度出血したとのこと。意識レベルは、JCS300(一般的脳死状態)で、主治医からご家族へ厳しい病状説明がなされていた。
ICU(集中治療室)には、ご主人とお二人に娘さんが付き添っておられた。早速、面会し、話を始める。娘さんの方から、「以前に意思表示カードに臓器提供の意思をお母さんと一緒に書き込んだ。でも、カードが見つからない」そして、「助からないのであれば、お母さんの意思を尊重させてあげたい。」とのことであった。
「カードの有無に関わらず、献眼は可能であること。お母様の意思を尊重させて頂き、できるだけのことをさせていただきたい」と説明した。
ゆっくりとお話を進めていく中で、ご主人の友人が半年ほど前に献眼され、「摘出しても外見はまったく変わらない。普通に寝ているような表情だった」と話しておられ、献眼に対して抵抗感がまったくないことがわかった。また、普段から綺麗にしていらしたお母様なので手術のために剃った頭を他人にみられるのはとってもいやがるだろうから、カツラを用意しよう」と娘さんがお話されていた。
翌日のお昼前、病院から連絡があり、摘出に向かった。
摘出後に県移植コーディネーターに協力を仰ぎ、お二人の娘さんと一緒に、エンゼルメイク(死化粧)を施した。
まずはシャンプーをし、髪の毛を洗う。そしてカツラをつけた。クレンジングでお顔の汚れを落として、ホットタオルで暖め、マッサージする。(この段階でお顔はとても穏やかな表情にかわってきた。)そして、肌の乾燥を防ぐために化粧水、クリームでお顔を整えた。
二人の娘さんと、普段使っていらした化粧品の中から色を選び、ファンデーション、アイシャドー、アイライン、眉、マスカラ、口紅、ひとつひとつ「お母さんらしく」ということ確認しながら、綺麗にしていく。娘さんが透明なマニュキュアを丁寧に一本一本の指に思いを込めて塗って行く。最後には、一番好きだったお着物を着せてお見送りとなった。
翌日、ご自宅を訪問して、お顔を見せていただいた。とてもつややかな顔色で、穏やかな表情でねむっておられた。
仕事を終えて、息子を学校まで迎えに行く。部活が終わるまでまだ少し時間があるので途中で明日の食材を調達する為にスーパーに立寄った。入口で一人の女性とすれ違った。
「あれ?見たことある方」と思いながら挨拶を交わした。しかし思い出せない……誰だったかなあ……と考える間もなくその方が、「入江さんですね。早いもので四十九日が過ぎ……」と話しかけて来られました。
あっ!そうだ。先日ご献眼頂いた方の妹さんだ!
そこでしばし話し込んだ。
病棟からポテンシャルドナー情報が入った。登録して頂いている方である。お名前、生年月日等を確認し、登録の葉書を探す。お名前を聞いて耳を疑った。「まさか??」と複雑な気持ちで病棟へ向かった。師長さん、主治医のK先生にご挨拶し、現在の病状をお聞きした。感染症なし、使用禁忌の疾患なしで献眼適応である。説明を行う為にご家族にお目にかかる。お母様のお顔をみた時、「やっぱり、そうだったのか」と思った。
数年前、お父様からご献眼頂いていた。御本人には平成7年に献眼登録をして頂いた。昨年4月に開催した「設立10周年記念大会」には、お母様、お姉さま、妹さまご家族そろって出席して下さった。あれからたった5ヶ月しか経っていないのに。あまりにも早すぎる。 承諾書にサインを頂く時にお母さまからこんな言葉が出た。「本当は、献眼は喜んでの賛成ではないのよ。でも、本人がそれを望んでいるから本人の意思を尊重したいと思います。」と。
会場には、小田一正の曲が流れていた。Sさんが一番好きだった曲だそうだ。ご葬儀には私一人で参列させて頂いた。葬儀の間、Sさんが歩んでこられた道、お人柄などを垣間見ることができ、涙がとまらなかった。
事務局へ戻ってアルバムを探した。県民会館1,300人収容した記念大会のアルバム。こんなたくさんの中から果たして見つけることができるだろうか?と思いながら、一枚ずつ確認した。
あった!!お母様と妹さまと一緒に写っている写真!
楽しそうに笑っていらっしゃる写真。早速、移植の報告をかねて写真をお母様にお送りしました。
Sさん、貴方から頂いた角膜、今もにこやかに輝いていますよ!
あのお写真の微笑みのように。
眼科秘書さんが「アイバンクに問い合わせの電話だ」といって取次いでくれた。 受話器をとって話し始めた。登録についての問い合わせだった。
電話のほうは、お姉様が登録を希望しているとおっしゃった。アイバンクの登録はパンフレットに必要事項を記入して送っていただければ事務局で登録番号をつけたアイバンクカードをお送りする。登録に関しての検査などは一切ない、それに登録しても、実際の提供は何年先になるか分からないので登録していることを御家族にお話していただくのが大切ですということをお伝えした。しかし、電話の方はもう時間がないとおっしゃった。
翌日、Sさんが入院されている病室を訪れた。どんなことから話をしようか。病院へ向う車の中で考えた。病院について病棟の看護婦さんに御挨拶して病室に案内していただいた。電話を下さった妹さんが付き添っていらっしゃった。登録の御連絡をいただいたお礼を述べお話を始めた。
Sさんは、御自分が病気になってはじめて臓器提供のことを考え、主治医の先生にご相談されたこと。それから臓器の提供は可能であると言われて連絡を下さったとのこと。それから登録方法、実際の献眼時のことを説明させて頂いた。お子さんがお二人いらして近視で眼鏡をかけているので自分の提供した角膜をお子さんたちに移植してほしいと希望された。残念ながら近視は角膜移植適応症例ではないので御希望に添えないとお話すると、Sさんは「でも自分が提供した角膜で誰かが21世紀を見ていってくれればこんなにうれしいことはない」とおっしゃった。
その言葉に私は感動した。
そしてパンフレットをお渡しして病室を後にした。その後主治医の先生にお目にかかり病状等についてお聞きした。登録されていても土壇場で提供できなくなる可能性もある。Sさんの希望にできるだけ添えるように3日後にご本人のご了解を得て採血させていただいた。
そして9日後、病院から連絡が入った。病室には御主人様とお二人のお子さんがおられた。御主人様に連絡を頂いた御礼を述べ再度提供の意思確認を行い承諾書にサインを頂き医薬大の眼科医師のもとでご提供頂いた。
2日後、理事長とご葬儀に参列させていただいた。お元気な時のお写真を拝見し闘病生活の大変さを想像した。奥様としてお母さまとして女性として人生を駆け抜けていったとの御主人さまの言葉に同じ女性として私自身の生き方を考えるきっかけを与えてもらったような気がした。
電話のベルで浅い眠りから目が覚めた。大学の当直の先生からで献眼の連絡である。早速献眼者の名前を聞いて、びっくりした。詳細についてメモをとっている間もその方の顔が浮かんだ。
平成7年2月、外来の受付の方から呼び出しがあった。患者さんでアイバンクに登録したいという方がいるので来てほしいとのことである。すぐにパンフレットをもっていった。その方はIさんであった。
眼科には、全身疾患による眼の定期検診で何ヵ月かに一度来院されていた。Iさんが言われるには、「臓器は無理だけど唯一眼だけは提供できる。」献眼して世の中のお役にたてるのならそれに越したことはない。」と。奥様共々すぐに登録の手続きをした。
あれから5年、こんなにはやく御連絡を頂くとは思っても見なかった。
大学病院での摘出となった。たくさんの御家族様が病室につめておられた。奥様に献眼・採血についての説明を行い御承諾を頂いた。小一時間で摘出が終わり御遺族様にお顔を確認して頂いた。
奥様がおっしゃった。
「お父さんの言っていたように(献眼)したよ。」
御葬儀に理事長と参列した。たくさんの方が参列されていた。
息子さんの御挨拶で「厳格なお父さんであったこと、家庭の和を大切にするお父さんであった」と、おっしゃった。
読経の流れる中、Iさんのことを思い出した。
外来受診の時には、いつも「視力の順番はまだか?」とちょっと厳格なお顔で聞いてこられていた。一見おっかなそうなお父さんという感じであった。そんなIさんが献眼を考えられたのも温かい御家族に囲まれていらっしゃったからかなあと想像した。
「Iさん、貴方からの贈り物を受け取った若者は、これから恋をし、人生の伴侶を見つけ、可愛い子供の父となり、山有り谷有りの人生を送ることでしょう。見守って下さいね。」
祭壇のお写真のお顔はにこにこと笑っていらっしゃった。
県庁へ向うクルマの中、携帯電話が鳴り出した。路肩へ停めて電話に出る。
N病院のH副婦長さんからだった。この方には先月あった献眼で大変お世話になっており、御礼を述べ用件を伺う。
献眼の御連絡だった。
Mさんとおっしゃる84歳の、N病院で看護婦をなさっていた方で、独身の為、最近迄千葉にお住まいの弟さんご一家と一緒だったのが、発病後ご本人の希望で転院されてこちらに折られた等、かいつまんで伺った。生前からご本人の希望があり、弟さんもご了解とのお話で、献体と献眼を申し出られているとのことなので、資料調査の結果しらゆり会(献体)とアイバンクには登録されていない事が解り、アイバンクへの角膜提供だけが出来る旨をお伝えする。
千葉からおいでになった弟さんに、H副看護婦長から伝えて頂き、死因・感染症・既往歴等を調査頂き、結果献眼適応の結論を得た。携帯電話でこれらの状況をチェックするは、なかな手数がかかるが、故人やご親戚の方々のお気持ちを察すると、決して苦ではないH副婦長さんに、献眼可能であることと献眼意思の再確認と承諾書類への署名をお願いし、検査のための採血をお願いする。
そして医薬大眼科に連絡をいれ、N病院にクルマを走らせた。
15分後病院到着、病棟へ走る。採血は終っていて、摘出医到着を待ち、作業終了の摘出医と共に病院へ急行。到着後直ちに血液検査に出し、角膜チェックの手配をする。何しろ時間との競争だ。やっと落ち着いたら夕方になっていた。夢中の1日であった。
翌日理事長と葬儀に参列する。理事長の弔辞には、いつも感銘深い物を感じる。理事長が、深くアイバンク運動に思いを致されていらっしゃるのに感激する。
Mさんの女学生時代のお友達の弔辞を聞きながら遺影のお写真を見る。やさしい面立ちに後ろに一つに纏めた髪がきりっとして、その目はきらきらと輝いてみえる。素晴らしい方だったんだろうなァ、と合掌する。