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わたしは今、とっても美しい国に住んでいます。
冬には、赤レンガのクレムリンや金色の玉ねぎの形をした教会のまわりを一面真っ白に包む雪、それを照らしてオレンジ色に染める夕日。雪は思わず手で触れてしまうほどふわっふわで、さらさらしていて、一つ一つを見てみると、本当に絵に描いたような綺麗な規則正しい形をしたお星さま。4月下旬でも大雪が降ることもあって、目が覚めて窓の外を見てみると、昨日までの春の兆しから一変、また雪景色に戻っている。
5月の半ばにもなると初夏がやってきて、いろんな種類のお花が辺りにたくさん咲いていて、そのまわりにはテントウムシ。長かった冬、待ちきれないかのように人々は半袖を着て、スカートを履いて、わくわくした雰囲気を漂わせながら散歩を始める。自然、そして街全体が一気に“生命力”を取り戻す季節。6月中旬にはもうすでに夏。サンダルにショーパンに帽子にタンクトップ、そしてアイスクリームを食べながら道を歩く人々がたっくさん。
ここの人々は外国人だろうとお構いなしに道を聞くし、外国人だからといって話すスピードなんて落としてくれるわけもない。一人間として、同等のごとく話しかけてくる。冬氷で滑りやすい道を歩いていたら「気を付けてね!」、ニコニコしながら歩いていたら「おめでとう!」、公園のベンチに一人座ってサンドイッチを口に入れようとしたら「よいお食事を!」。バスの中で私が日本人だと知った運転手のおじいちゃんは、「日本から来てくれてありがとう!これプレゼントだよ!」と言って、観光地情報が載っている売り物の新聞と私が支払った運賃の2倍以上のお小遣いが返って来る。祝日前に寮のキッチンで伝統料理ブリヌィを作っていたおばあちゃんは「これ食べてごらん!」と焼き立てをくれる。
これ、どこの国だと思いますか。
私達の隣国、日本ではあまり好印象を抱かれていない、ロシアなのです。“極寒”の地のこの人情の厚さと人間味は、日本以上の“温かさ”かもしれません。
生本めい
スウェーデン・Jönköping(ヨンショーピン)にて
スウェーデン生活にも慣れ、一学期目も無事に終わり、始まった二学期目。数多くの留学生の90%が入れ替わり、一学期目にできた私のほとんどの友だちは去り、新しい人々に出会う毎日でした。
その中でも、印象に残ったのが、学期初めに友だちになった一人のイタリア人の女の子。初めて会ったとき、その子の英語は片言で、でも満面の笑顔でいつも明るくみんなに話し続けていました。その子の英語を馬鹿にした人も居ました。しかし、いつも笑いながら、「私の英語はへたくそだからごめんね。」というのが口癖でした。
その子を見たとき4ヶ月前の自分自身を見ているようでした。
スウェーデンに来て間もない頃、私の英語力の乏しさ、ビジネスの授業の難しさに苦戦し、そしてその学校で私はたった一人の日本人の女の子だったということもあり、はけ口も無く、自分の無能さに落ち込み、ストレスはピークになり極度のホームシックになったことがありました。そしてそのとき、イタリア人の女の子は学校でその子一人でした。同じような状況、その子が抱えているのは、私が4ヶ月前に抱えていた同じ問題でした。
しかし、その子と私の間には決定的な違いがありました。それは、「前向きさ」。私が4ヶ月前にしていたことは、うまくいかない言い訳ばかり探したり、落ち込むということを続けていました。しかし、そのイタリア人の女の子は、英語がうまく伝わらなくても、何度でも繰り返し相手に分かってもらえるまで挑戦していました。イタリアに帰りたくないかを聞いたことがありました。しかし、即答で「イタリアも好きだけどここでたくさんの優しい人に会ってすごく幸せで毎日が楽しい。」といっていました。落ち込んだりマイナスなことばかり考えている自分がばかばかしく思えました。
その子は、留学生の誰もが知っているほど有名で、みんなから好かれる存在でした。
英語は本当にツールでしかない。流暢に英語が話せたからといって、その人自身の人間性の魅力、またはその人が伝えようとしている内容が最も大事なんだということを知りました。そしてその英語のことよりも私が学んだ大切なことは、「どんなことでも、すべて自分の物のとらえよう次第だ。」ということ。
そのイタリア人の子を含め、私がスウェーデンで出会い仲良くなった人たちは常に前向きな考えを持った人たちばかりで、周りの人たちを明るくするような人たちでした。少し天気がいいことや、花が少し綺麗に咲いてること、信じられないかもしれませんが、このようなたった小さな幸せだけでずっとにこにこしたり、笑顔になれたり、なにか大きな失敗をしてしまっても、もう終わってしまったことだからといって前向きなことしか口にしない友だちたち。私がいた町、ヨンショーピンは小さく、他の人たちからしたら何も無い、つまらない町かもしれない。
しかし、その町は私にとってはストックホルムのような大都市よりも、スウェーデンのどこの町よりも、すばらしく感じました。それは、常に前向きで居ることの大切さ、日本に居たときには気づくことができなかった小さな幸せに友だちが気づかせてくれたからだと思います。
帰国し、現在就職活動中の身ですが、正直言って毎日楽しくて仕方がありません。友だちや初対面の人達、それから面接官の人たちまでから、「幸せそうだね。こっちまでニコニコしてくる。」「ポジティブなことがすごく伝わってくる。」とよく言われるようになりました。スウェーデンから帰国した今でも、ヨーロッパと日本、すごく離れていても、スウェーデンで出会った友だちたちの存在が、私を前向きにさせてくれます。
いつまた実際に会えるか分からないけど、会えることを祈って、それまでその子たちが教えてくれた前向きさを大切にし、私もその友だちたちが私に影響を及ぼしてくれたように、周りにこの前向きさを伝染させていけるような人になりたいです。
日常生活でふとしたとき、電車の中などで、疲れきった、怒った顔をしていませんか?愚痴ばかりこぼしていませんか?笑顔を浮かべてみてください。愚痴のかわりに無理矢理にでもポジティブなことを口にしてみてください。周りにあるふとした幸せを感じてください、大切にしてください。
そうすると、どんなことをしていても、毎日が本当に楽しくてたまらなくなると思います。すると、周りの人は「なんでそんなに幸せそうなの?」と不思議に思うはずです。あなたがどこにいても、何をしていても、どんなことでも乗り越えることができるし、周りの人からあなたは輝いて見えるはずです。それを、スウェーデンでの留学を通して学びました。
佐藤 美和子
ペルーの首都、リマでの「テヲツナグ」
大学4年の春、私は卒業旅行でペルー・ボリビアにひとり旅をした。
一ヶ月後に社会人になるにあたって、長期休暇で旅行に行けるのはこれが最後だろうと思って行くことを決意した旅行だったからか、半年ぶりの海外旅行だったからか、とにかく私はこのひとり旅にいろんな期待と思いを込めて、日本を出国した。
その後ペルーのリマから入国し、いままでの旅行同様、たくさんの面白い旅人に出会い、冒険のような毎日を過ごし、美味しいごはんを食べ、自然に触れて、さあいよいよ日本に帰ろうとしていた帰国日予定の3日前のこと。
私はそのとき、再びリマのホルヘ・チャベス空港にいた。飛行機発着の予定時刻よりも先に着いて旅の振り返りをしようとスタバに寄り、飲み物を購入した。南米の慣れない味の料理ばかり口にしていた私にとって、どこの国でも変わらないコーヒーを提供してくれるスタバはとても安心感を与えてくれる場所だった。そこで私は久しぶりに利用できたwifiで親や友達に連絡をとっていた。「これから帰るよーもうあと何日後には卒業式なんて信じられないよー」なんてメッセージを友達とやり取りし、「あーもう日本に帰国かあ」ともの思いにふけったいた。
そんな時、ふと目を前に向けると、私の目の前のいすに置いておいた黒いバックパックがない。「あれ、たしかここにおいたよな?」そう自分に問いかける。もう一人の自分は即座に「盗まれたな」と理解する。しかしはじめは状況を受け入れることができなかった。しかしどうにかしなければ何も変わらないと心を入れ替え、私は「my bag was stolen!」と叫んだ。するとまわりに座っていた旅行者や現地の人がどうしたどうしたと駆け寄って来てくれたのである。
私が事情を説明すると、「誰かがこの辺の席に近づいてきたのは気づかなかったよ」「黒い服をきた男と小さな子供がさっき来店したのをみたよ」といろんな情報をくれた。またあるフランス人のバックパッカーは私を元気付けるためにか飴をくれ、あるスペイン人のカップルは、私とペルー現地の警察官との間、つまりは英語とスペイン語の通訳を引き受けてくれた。私はそのとき、日本人の見知らぬ女子がバックパックをひとつ盗まれただけで、ここまで心配してくれるのかと、心がものすごく熱くなった。バックが盗まれようが、知らない人の、ましては注意不足が原因で起きてしまったものなら私だったら助けようともしないだろう。
しかし、スペイン人のカップルは予定飛行機の時間ぎりぎりまで私の通訳を引き受けてくれ、どうしたらいいかわからない私を「笑って笑って」と励ましてくれたし、スタバの店員さんは、暗い顔をしてる私に対して温かいラテを無料でプレゼントしてくれた。その後スペイン人のカップルとペルー人の警察と一緒に、観光警察署に行った。
その途中の道で、私は思わずスペイン人に「どうしてここまでしてくれるの?と尋ねた。すると彼らはまるで当たり前のように「目の前に困ってる人がいたら助けるよ」と言ってくれた。その言葉に私ははっとした。
国籍とかそんなの関係なく、目の前の人が困っていたら助けるというスタンスに、その場で泣きそうになった。その後警察に行き、盗難届を提出し、結局バックパックは私の手元には戻ってこなかった。大学2年生から一緒に旅をしたバックパックを失ってしまったのは悲しかったけれど、あの時に人からもらった「困った人が目の前にいたら助ける」というとても大切な価値観はそれ以上価値あるものだと感じている。
どんなに見た目や考え方において違うものがあっても、「共通」してもっているものもある。「困った人が目の前にいたら助ける」ということ。私もあのスペイン人やフランス人、あの場にいた私を助けてくれた人のように、なにかが一緒だからとかではなく、ただ単純に「困った人を助けられる」人になりたいと思った。人として大切なことを学べた、私にとっての「テヲツナグ」。
吉田 遥