■正藍型染師 田中昭夫

埼玉川口の 「田中紺屋」/屋号 「紺定」 


徳島産の阿波蒅(すくも)を伝統の技法で藍建てし、真っ正直な長板中形染めを貫く、正藍型染師 田中昭夫。

藍建て型彫りから染めまで、自らの手で全てをこなす型染め紺屋。

深い藍色で糊際のすっきりとした染布は田中の性格そのもの。
無骨で実直、藍と布に対する正直さがなす美しい染めである。

オイルショック頃、藍染め需要も減り、世の中が簡易なものへと移行していく中、35歳の田中は時代と逆行の道を選ぶ。
用布にも並々ならぬこだわりを持ち、阿波正藍のみで昔のままの染め仕事に明け暮れる。

その後すっかり世間から取り残されるが、他に道を求めずひたすら染め続ける。

2014年秋の自宅展を最後に、人知れず引退と知ったTG(後述)によるゲリラ広報活動がはじまる。
各方面のSNS効果で「絶滅種の正藍型染師」情報は一気に拡散。
後に”田中騒動”と呼ばれる事態になる。

2015年春、南青山DEE'S HALLで「最後の頒布会」を終えたが、引退撤回もないまま、2017年現在も染めている。

真っ直ぐで頑固で一途。
藍染め以外はアタマにない、藍に憑りつかれてしまった老職人。

※見学・訪問は仕事の性質上すべてお断りさせて頂いております。何卒ご理解下さい。

■田中昭夫 略歴


1935年 昭和10年

秋田県の農家8人兄姉の末っ子として生まれる。

1957年 昭和32年 (22歳)

埼玉県八潮市の型付け屋に住み込み修行。
下請け仕事もするところだった為、この時期に型彫などの様々な技術も身に付ける。

1962年 昭和37年 (27歳)

埼玉県川口市の「田中紺屋」へ婿入り。義父より染めを教わる。
しかし「合成藍染め」を「正藍染め」と銘打つことにたまらない後ろめたさを感じる。

1970年 昭和45年 (35歳)

オイルショックで市場は激減、ほとんどの紺屋が商売を畳むか合成藍へ転換する。
義父が他界し2代目当主になったのを機に「天然藍だけを用いた正藍染」へ一大転換を決心。
「正藍染め」は「合成藍染め」に比べて費用も手間も10倍以上、正気の沙汰ではない。
それでも本物を目指し、田中の情熱は突き進む。

1975年 昭和50年 (40歳~)

一途な若い田中の姿に、
染織史家後藤捷一・藍染め作家菅原匠・三彩工芸藤本均・象牙藍染復元の小磯昌彦・地機織の田島隆夫ら
当時の有力な旦那衆が田中応援団となり用布・展示会の手配や書籍出版の協力をする。
着物需要は減りつつあったが、40-50代(昭和後期-平成初期)は、各地展示会で好評を博す。
田中の愚直な仕事は世間から取り残されていくが、それでも染布を作り続ける 。

2000年 平成12年 (65歳)

この頃より、埼玉川口リリアや東京交通会館ギャラリーで自主展示会を開催。

2014年 平成26年 (79歳)

「川口の匠vol.4 麗のとき」(川口市立アートギャラリーアトリア)開催。
同時期に自宅紺屋でも自主展を催し、これを最後に「長板中型染め」を引退を宣言。
それを受け、津田千枝子&けろ企画らによる「田中ガールズゲリラ活動(略してTG)」始動。

2015年 平成27年 (80歳)

南青山DEE’S HALLにて「正藍型染師 田中昭夫の布 頒布会」開催。

2016年 平成28年 (81歳)

引退後は余生のはずが、TG以降の大反響で制作意欲にふたたび火が付く。
いまも変わらぬ正藍染めの日々。

2017年 平成29年 (82歳)

名古屋月日荘で「正藍型染師 田中昭夫の新作染め布と、若い衆とのコラボ展」開催予定。

1962年 昭和37年 (27歳)

埼玉県川口市の「田中紺屋」へ婿入り。義父より染めを教わる。
しかし「合成藍染め」を「正藍染め」と銘打つことにたまらない後ろめたさを感じる。

■掲載誌

「唐草染布帖」

1975年 三彩工芸刊
限定150部 絶版

「染織と生活」第10号

1975年 染織と生活社刊
P93-105

ウェブアルバムで読む

「きものと装い」春夏

1980年 主婦と友社刊
P44-45,81-84

ウェブアルバムで読む

「七緒」vol.49

2017年 プレジデント社刊
2017/3/7発売 spring

七緒 ホームページ

■正藍型染について

蒅の確保

最盛期は15万町歩だった阿波藍の作付面積も今では15町歩。藍師の家は5軒のみ。気の遠くなる重労働を経て、一年がかりで赤子を育てるように蒅(すくも)が出来上がる。
馴染みの藍師に予約し寒明けに届くのを待ち、次の一年染める分の藍を確保する。

用布の選定

藍の良さを最大限引き出せる用布素材の選定は厳しい。
手紡ぎ手織りの木綿・麻・科布等が好ましいが、すべてが正藍に向くとは限らない。
田中の目にかなう布の入手は簡単ではない。
「紺定」の正藍型染布はまず用布ありき。

精練

布の糊や不純物を取り除くため、窯を使って精練する。何度も繰り返し行うことで、藍をたっぷり布に吸い込ませる為の重要な作業。
以前は大きな五右衛門窯を使ったが、2015年冬より「給食窯」に交換。帯地10本の精練可能で、現在の田中には十分な大きさ。

型彫り

藍の美しさを目いっぱい表せるよう、大きめの柄が多い。
江戸期の唐草模様等を復元したり、大胆な幾何学模様を全て自分の手で彫る。

用布の幅に合わせて彫り直す手間も惜しまない。

藍建て

阿波蒅を、二石以上の大谷焼の大甕で藍を建てる。
石灰・ふすま・灰汁を使い、1週間つきっきりの伝統の発酵建て。分量の計算は経験値に従う。
藍建ては要の作業で気の張る大仕事。
愛染様へのお神酒も忘れない。

糊作り

「紺定」の型染めの重要ポイントは糊作りにある。欲しい藍色を求めるには、型付けした糊が藍甕に容易に溶けないよう、強い糊を作る必要がある。
独自の配合のもち粉と小紋糠をこねて団子状にし、強い火力で蒸す。その後棍棒でしっかり練る。

型付け

帯地の場合、7mのモミノキ一枚板の長板片面を使う。用布をまっすぐ板に張り、型紙を置き、ヘラで糊をつける。おが屑を撒いて乾かす。
板の両面に布を張り、総体で30kgの重量になる[着尺]の長板染めは引退している。

藍染め

型付け後の布の耳に伸子をかけ、水に浸した後、藍甕に沈める。
数分つけて引き上げ、酸化発色させた後、ふたたび同じ作業をする。
糊の具合も見ながら慎重に行なう。

水洗

染め布についた藍の不純成分を水で洗い流す作業。張手をつかって屋外に張り、糊が剥がれ落ちないように水をかける。ホースで水洗ができるのは、田中の糊が丈夫だという証拠。水洗後は天日乾燥させ、染め具合を確認する。

藍取り

藍の色味を2色以上に染め分ける場合は、水洗のあと筒で糊伏せをする。
花柄の花弁部分に弁柄等の顔料を使うこともある。
その後ふたたび藍染めする。

水元

染めた布を水に漬けて糊を落とす。十分色が落ちなくなるまで竹竿を使い水槽の中で叩き洗いを繰り返す。色が出なくなったら天日で干し、薄い豆汁液につけて仕上げる。「紺定の藍が色落ちしない」のは、ここでの丁寧な作業が理由。

仕上げ

湯のし屋で染め布を整理してもらい、反物が仕上がる。
ほとんどの帯地は、柄部分4.5mに1m弱の無地部分がつく。

糊際のすっきりとした清々しい「紺定」の正藍型染布が出来上がり。

■田中昭夫とTGにまつわる、2014年秋からの騒動あらまし

40年前。
当時の「田中応援団」が主催した藍染め講習会に津田千枝子が参加し、田中紺屋を訪問する。

田中の仕事に感銘を受け、もの作りの指針である無骨な職人を慕い、後に型染作家となる津田は事あるごとに訪ねる。

時代に逆行した江戸時代そのままの見事な仕事。
しかし歳追うごとにしぼんでいく田中に一抹の寂しさも感じていた。

ラオスで布づくりをするH.P.E谷由起子と「いつかけろ企画を巻き込んでイベントをやりたいね」と言っていた矢先、2014年秋のこと。

田中紺屋より、「長板中形の引退」と「最後の展示会」案内が届く。

ちょっとしたゲリラ活動の思わぬ反響

―2014年9月下旬
10月の展示会を最後に田中昭夫がひっそり引退すると知った津田は「老職人の引退展を広めたい」 とけろ企画に打診。
「軽い見学のつもりで」田中紺屋を訪問したけろ企画は目も合わせてもらえなかった。
しかし何かしなくては、と思う。

―2014年10月初旬
田中の了解をとらずゲリラチラシを作成。日本民藝館や各ギャラリーに配布し、数人の記憶に残ればいいというレベル。一度限りのゲリラ活動を、黒幕津田・参謀けろ企画で始める。

―2014年10月中旬
けろ企画ブログ「正藍型染師 田中昭夫さん」を投稿。
すぐさま工芸ライター田中敦子・「布とお茶を巡る旅」・「丘の上から通信」・「きものカンタービレ」・着物スタイリスト森由香利らが賛同、SNSで拡散。「絶滅種の正藍型染師」インフォが急速に広がる。
そうとは知らない田中。あまりに多くの問合せや来場に「非常な迷惑」と玄関を閉めてしまう。
SNSで「来ないで」と訴え、ゲリラチラシも自主回収する。

「最後の展示会」の後、押入れから

―2014年10月下旬
まとまって訪問する「ツアー開催」ということで田中をなだめる。
第一回は30人、第二回は60人、第三回は100人超が集まる。

当初騒ぎにとまどっていた田中も、訪問者の熱意と称賛を受け、徐々に状況を理解し表情も和らいできた。

―2014年11月中旬
作るばかりの老職人。客が来ても販売がうまく出来ない。
ツアー後、押入れに仕舞われた染布100反を見つけた黒幕&参謀は大いに呆れる。

騒動に関わった面々を「田中ガールズ(仮)=TG」と名付け、公認応援活動を本格始動。

「最後の展示会」をしてしまったので、次は「最後の頒布会」とした。

「最後の頒布会」は大盛況

―2015年5月21日-23日
「最後の頒布会」を南青山DEE’SHALLで開催。
DEE’Sスタッフちこちゃんも加え、TGは田中昭夫を全面バックアップの準備万端。田中は新しい半纏をTG用にあつらえていた。

無名の職人にも関わらず、たった2日半の開催に OPEN前から大行列。全国各地からの来場者で賑わう。

昨秋ツアーで帯地を求めた客は仕立てて来場。着物とは縁のない若い客は正藍モモヒキやハンテンを競って求めた。
日参する客も多くいた。

騒動も終わってみれば、反物SOLD OUTの大盛会。
見ず知らずの多くの方が広報に協力してくれていたと、後に知る。

長きに渡る”田中昭夫ホンモノの正藍染仕事”の有終の美が、きれいに飾れた。
                              
と、思っていた。

積み残し発覚、通販サイト開設

―2015年5月末
「最後の頒布会」の片づけ整理に田中紺屋へ。
そこで、たっぷり30反の積み残し段ボールを発見する。
最後最後と言いながら、まだあったことを至急ブログで詫びる。

―2015年6月初旬
急ぎ「田中昭夫の染布期間限定通販サイト」を立ち上げる。
見放されるかと思いきや、「最後の頒布会」に来られなかった北海道から沖縄までの全国各地よりオーダーが殺到。果ては海外からも問合せが相次ぎ、数日で完売する。

晴れてTGのゲリラ活動完了。

今後は田中の余生。
新作が出来たなら、TGに引き込んでおいた名古屋月日荘に販売してもらおう。もう話はつけてある。

これからはそっと見守っていきたい。

はずだった。

引退展翌日も染めていた御大

2014年秋の最後の展示会ツアー/2015年春の最後の頒布会/その後の通販サイト…。
数々の騒動を終え、田中が息を吹き返す。

引退したはずの「最後の頒布会」翌日も、新しい染めをしていた。
「毎日染めで忙しい」と、TGは言葉もない。

「TGはもう手伝わない。あとは自分でやってくださいね」
そう伝えてあるものの、行きがかり上の責任から、田中紺屋を定期的に訪問することとした。

2015年末は精練用の窯を新調し、岡崎木綿帯地100反を準備していた。やる気マンマンが止まらず、訪問の度に新作が増えている。

すでに田中は81歳。
以前のような鋭い染めではない為、全てを「紺定」として出せないのは致し方ない。
それでも昔にはなかった、柔らかく優しい染め布が出来ていた。

どうしたものか、苦笑いの1年が過ぎる。

お宝ハギレを大量救出

―2016年5月下旬
定期訪問のある日、怪しげな段ボールを開けてしまう。
「もうない」はずで「もうあってはいけない」大量ハギレを見つける。

反物サイズほどの大きな布も、藍無地も、松煙染めもあった。

仕掛かり品やハギレは本来の「紺定」仕事から外れた染布。
田中は完全に無視し、数十年放置していた。

どれも間違いのない染め。往時の力強い染めに加え、今では手に入らない上等の用布のハギレ。

「最後の頒布会」前も、「もうないですよね?」と念押しするたびに奥から出てきた前例がある。根こそぎ探索したハギレは大いに喜ばれ、完売した。

なのに「また出た」ことにアタマを抱える。嬉しいが困った。

ともかく洗って整理しよう。考えるのは後だ。
TG総出で夏中かかって汗をかく。

2017年3月、名古屋月日荘展

やめると言ってやめきれず、仕事以外は何一つやることのない田中御大。細々ではあるが新作を染め続けている。

大量ハギレの救出整理が2016年初秋に終わった。
完品反物にハサミは入れにくいが、ハギレなら可能だ。

そこで、柿渋染め作家の冨沢恭子/洋服のMITTAN、奥田早織、加藤希久代/金工作家の小原聖子/服飾作家クチル・ポホンの井上アコ/紙造形の宮下香代/製本家の都筑晶絵、
彼らにハギレを預けてみた。

「紺定の新作帯地」もたまってきた。
若い衆による「コラボ品」も上々の仕上がりだ。

TGは、みたび目の「最後」の後方支援に奔走。

2017年春3月、名古屋の月日荘で「最後の」展覧会を催す。

1月末現在、「紺定」新作帯地は50反出来ている。
「寒明け蒅」を待ち、新しい染めの準備に気を張っている。

■「正藍型染師田中昭夫の新作染め布と、若い衆とのコラボ展」を名古屋月日荘で開催します

会期:2017/3/10(金)‐16(木)11:00-19:00/最終日-17:00

会場:月日荘
住所:〒467-0004 愛知県名古屋市瑞穂区松月町4-9-2

月日荘 ホームページ

■若い衆のコラボ品

状況を知らぬは、いつだって田中御大のみ。
好きな仕事を好きなだけ、変わらずやっています。

長板中形の正藍型染師として、型彫りから染めまで行なうのは田中昭夫が最後のひとり。弟子はいません。
やめると言ってやめきれずにいます。仕事以外は何一つやることがありません。

40数年前、「正藍型染」へ無我夢中に突き進む若い田中を、当時の旦那衆が応援団となり、力強く支えた。
時は経ち、「正藍型染」を引退しようとした80歳の田中とTGが出会い、応援した。
さらに、錚々たる若い作家衆が「正藍型染」コラボ品を作ってくれた。

今も昔も、本人は変わらず染めているだけ。
まわりが勝手に動いているだけ。

TGが出会った2年で、ずいぶん歳をとられました。
「紺定らしい仕事」が時間の問題なのは仕方ないところ。
染め用布として貴重な生地も、残すところ数反となりました。

齢80を越え、多くの方に認められたことで奮起し、残りの藍染め人生を歩んでいます。

より詳しくは以下のボタン「けろ企画ブログ 正藍型染師 田中昭夫」をクリック。
2014年10月13日の最初の投稿から順に繰って下さい。
すごいボリュームなので休み休みどうぞ。

2017年3月、月日荘展までの動きも
けろ企画ブログで随時お知らせして参ります。

はたして、無事に開催までこぎつけられますかどうか。
何卒お付き合い下さい。