新春恒例の「大聖歓喜双身天 如法浴油供」の祈祷会です。
新春といいましても、大晦日からはじめます。大晦日は前行といいまして、聖天さまのご本地である十一面観音さまを供養します。本地とはなにか?
といいますと平たく言えば「本体」ということです。
象面の聖天さまは、人々に利益をもたらすために、仮に現れた姿であって、その本体は十一面観音さまです。
ですので、まずはじめに観音さまを拝して、それから象の顔を拝むことになります。
いきなり、象を拝みますと「障碍 しょうげ」というものが出ます。
障碍は、また障害という字もありますように、困難、災難に見舞われることをいいます。
神様を拝んでなんで? 災難にあうのだろう?
と不思議におもう人もいるでしょう。
それは、神様はまず最初に、あなたの心の内面を通り、それから外の世界に現れてくるものだからです。
聖天さまは、あなたの欲望、欲求を満たすために、働いてくれますが、この欲求に悪心が、つまりあなたの心のうちに悪心があって、その悪心を満足させるための願いだとしたら?
聖天さまは、あなたの心の内面を通して、外の世界にその実現を現わしてくれます。
とうぜん、あなたに悪心があれば、あなたの心が外の世界で生きるために顕現したものである、
あなたの身体、肉体にでます。
悪心は他者へむかう前に、まず自身の心の内側から出て、エネルギーレベルへ、さらに物質次元レベルへと 広がっていきます。
だから自分が災難に見舞われるわけです。
というわけで、観音さまのお顔をよく見つめながら、浮世の生活のなかで「否が応でも、持たざるを得ない」、いろいろな心をスッキリ、きれいに洗い流すのです。
理屈抜きで聖天さまの偉大なパワーに、あなたの願望を完全にゆだね、余計なことはいっさい考えず、完全にその願望を聖天さまに託すことです。
無私の心で願望を聖天さまにゆだねることです。
無私の心で託していけば、聖天さまのパワーとあなたは強く共鳴をしますから、「常識的には無理だろう」と思えるくらいの大きな願いでも、聖天さまの心に通じてかなえられるのです。
聖天さまに無私の心で完全にゆだね、願望をかなえるなど、ご利益を体験していれば、聖天さまのパワーやご利益というのは明らかな体験的事実として、なんの説明も必要ありません。
まずは理屈ぬきで、聖天さまに完全に願望をゆだねることです。
世間には聖天様を”怖い神様”だと考えている人がいますが、その怖れは聖天様のご利益が、あまりに甚大だからこそ、生まれた迷信です。
聖天様は100%の現世利益を認めて、そのために力をかしてくれる神様です。
聖天様は奇跡をあらわしてくれる神様ですが、その奇跡は、”順世の法”、つまり生身の私たちが生きる、この世界、物質的な地球、三次元の社会、のなかで”合法の理”、”合理の形”で、その奇跡をあらわしてくれます。
聖天様は困っている人を救済するのがご本誓なので、困っている人が一心になってお願いをすれば、必ずその願いをかなえてくれます。
そして、それを願った人には、かならず満足する結果があたえられます。