総流空手道の歴史

総流空手道は源流を「沖縄空手道・中興の祖」と言われる糸洲安恒先生に発し、遠山寛賢・知花朝信先生と伝承され、遠山寛賢先生の高弟であった小安道雄により昭和25年(1950)長崎県松浦市で開道され今日に至っています。
宗家・小安道雄は昭和35年、流派名を「総流」と命名。
佐世保市に本部道場「総流館」を開設し「総流空手道」の本格的な指導を始めました。
その特徴は、旧来の口伝式指導から脱却し規定の指導教範に基づいた教範遵守による指導を提唱した事にあります。
更に、旧来の古典型を中心とした「型」偏重指導や、「自由組手」過重信奉主義を排し、「約束組手」並びに「実在型」を中心とした稽古法を確立したのです。
こうして確立された稽古法は従来の精神論的なものではなく、高効率・高能率を目指した科学的、力学的、論理的な稽古法です。
又、沖縄正統空手として本来の琉球武術に近い空手道を提唱し、空手の「剛法」だけでなく「柔法」「古武道」の修得を行います。
宗家は平成18年に病の為に亡くなりました(享年82)が、二代目宗家を奥様の「小安恵美子」が継承、(平成29年逝去)その後三代目宗家「小安孝道」に引き継がれ今日に至っています。
小安道雄
小安道雄

流派名の由来

「総流とは、総ての事を水の流れの如く、淡々として角張らず、逆らわず、滞(とどこお)ること無く行なうと言う意味である」
固い技術、ごつごつした動きは武道においては最も忌み嫌うものであり奥義、真体を生み出すものではない。総ての動きが大河の流れのように柔らかく円(まる)く、しかも底力のあるものでなければならない。
次の「水五訓」は総流の真骨頂を表明するものである。
水一訓、 自ら活動して他を動かしむるは水なり
水二訓、 常に自己の針路を求め止まざるは水なり
水三訓、 障害に会いて激しくその勢力を百倍するは水なり
水四訓、 自ら清くして他の汚れを洗い清濁併せ容るの量あるは水なり
水五訓、 洋々として大洋を充たし発して、蒸気となり、雲となり、雨となり、雪と変じ霰(あられ)と化し、凝っては氷となり、しかもその性を失わざるは水なり

更に「総流」には総ての空手流派を超越し、総ての流派の技術を統合すると言う意味がある。
他流派の技術を科学的に整理・統合・研究・集成したものが総流の技術であるとも言える。
尚、武道大百科で認められている空手の流派では漢字一文字の流派名は「総流」以外にありません。

「総流五訓」

  • 第一訓 立計(りっけい)
  • 目的を明確にして達成可能な計画を立てる事
  • 第二訓 専励(せんれい)
  • ひたすら一途に目的に向かい努力を行う事
  • 第三訓 正楽(しょうらく)
  • 人間性豊かな楽しみを味わい、潤いのある人生を忘れない事
  • 第四訓 省考(しょうこう)
  • 常に自己の行動、研修状況を研究反省し、進歩を望む事
  • 第五訓 久続(きゅうぞく)
  • 立てた計画を達成するまで諦めず継続する事
  • 目的を明確にして達成可能な計画を立てる事

在りし日の総流

試割り

跳び蹴り 

組手