Space Emperor~☆
  ~宇宙の奏~☆~そらのカナで

一番輝く星になる

    Space Emperor
       宇宙の奏
        そらのカナで

第2回・無料モニター募集

終了いたしました。ご応募真に有難うございました。
配信ライヴ付きです!!
期間延長 3/31まで
2/5(10:00~)~3/15(23:59まで)
お問い合わせ・詳細は、下記のボタンをクリックしてね!!

今年も七転び八起き
何があっても笑って・笑う門には、福来たる!!
出来ることをコツコツと!!
転んでも転んでも起き上がる起き上がる!!
めでたい
初日の出、光り輝く年となる!!
今年も上を目指して仲間たちと飛躍!!
縦・横・斜めから円へ!!
めでたい
初日の出、光り輝く年となる!!
今年も上を目指して仲間たちと飛躍!!
縦・横・斜めから円へ!!
あなたの事を教えてください
①お見積り前にご納得いただけるまでご相談いただけます。

②担当スタッフが、実現の為のアドバイスをさせていただきます。

 研究用のデータ作成・楽曲編集・ボーカルレコーディング・ナレーション録音・ミックスダウンからマスタリングまで、『音』に関する事は、どんなことでも「顧客満足度99%」の当社へご相談ください。

 経験豊富なスタッフ(マニュピレーター)が、お客様のニーズに合わせて心を込め、クオリティー重視かつスピーディーに楽曲編集・サウンドデザイン・ミックス・マスタリング・トラックダウン・レコーディング等を行います。
当社の特徴
 案件毎に制作内容を得意分野とする専任の担当者がお客様のご要望と用途に沿った楽曲を的確かつ迅速に提供いたします。

 殆どの場合自社スタッフのみで編集~ミックス~マスタリングまで一貫して行うため、無駄な外注費などをコストダウンし、レーベルクオリティー&ハイパフォーマンスな作品をスピーディーにお届けすることが出来るのが当社の1番の強みであり、多くのお客様に選ばれる理由でもあります。

きまぐれ更新中・・・

代表がつぶやいてます・・・きっと!!
宇宙の奏ⓒ@Space11Emperor

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Yutaka

志事への想い

 我が社は、楽曲の編集・制作に携わっており、音の世界をより深く追求するため、楽曲だけでなく講演会や発表会等の声の編集にもチャレンジ(挑戦)しています。
 過去から積み上げてきた経験を活かしながらも新しい音への「情熱・こだわり」は、今なお上昇し続け「音」を追求している最中です。


多くの音楽アーティストを支える重要な役割を担う「マニュピレーター」という職業を知っていますか?

 アーティストの楽曲を構成する上でレコーディングエンジニアや音響スタッフと違い楽曲制作の段階から関わることが多くデータ作成から録音当日の演奏まで重要な役割を担っているのが、マニュピレーターです。

 ヴォーカルやギター・ドラムといった楽器の生演奏では、再現できない電子音や効果音は、あらかじめ意図したタイミングで発音できるように生演奏に同期させる必要があり、コンピューターやHD・LDに仕込んでおくことを「プログラミング」と言い、1曲1曲、場面に応じて細かく作りこみを行います。その作業は、長時間に及ぶこともあり、徹夜で作業・・・ということも珍しくありません。

 主な役割は、事前にプログラミングした音源の再生や音色の管理です。一見マニュピレーターは、アーティストと近く華々しく見える職業ですが、実は裏方的な作業が大半を占めアーティストを陰で支える志事です。
data制作中
 Drum Before
Drum Middle
Drum After
Voice Before
Voice After
Sound Edit
Arenjiment
Drum Middle

お勘定(詳細)
JASRAC、JANコードを追加する場合は、別途実費となります。

Affordable
¥1,500,000~
音源編集 (ノイズ除去⇒リッピング⇒マスタリング⇒トラックダウン等々)
パッケージング (DISCラベリングプレス)
フライヤー   (告知用A4サイズ10枚)
Better
¥1,700,000~
音源編集        (ノイズ除去⇒リッピング⇒マスタリング⇒トラックダウン等々)
パッケージング (DISCラベリングプレス  ジャケット写真
フライヤー  (InstoreポスターA2サイズ5枚・告知用A4サイズ10枚)
Crystal
¥2,000,000~
音源編集  (ノイズ除去⇒リッピング⇒マスタリング⇒トラックダウン等々)
パッケージング (DISCラベリングプレス・歌詞カード封入・ジャケット写真
フライヤー   (InstoreポスターB2サイズ5枚・告知用A4サイズ10枚)
特典       ワンマンライヴ (都内)
Expensive
¥3,000,000~
音源編集  (ノイズ除去⇒リッピング⇒マスタリング⇒トラックダウン等々)
パッケージング (DISCラベリングプレス・歌詞カード封入・ジャケット写真・
         デジパック仕様)
フライヤー   (InstoreポスターA1サイズ5枚・告知用A4サイズ10枚)
特典       ワンマンライヴ(横浜市内または都内)
Better
¥1,700,000~
音源編集        (ノイズ除去⇒リッピング⇒マスタリング⇒トラックダウン等々)
パッケージング (DISCラベリングプレス  ジャケット写真
フライヤー  (InstoreポスターA2サイズ5枚・告知用A4サイズ10枚)

お問い合わせはこちらへ・・・

EDIT(声録りのみ)・価格およびその他のお問い合わせは、ボタンからどうぞ!! なお作業中や時間外のお問い合わせの場合は、返信が遅れる場合がありますことをご理解ください。
sorano.26.kanade.11@gmail.com

登場人物の敬称を省略させていただきました事をご了承いただきます様お願い致します。

~Sound Memory Story~えぴそーど1~
☆その1ー1☆
 13歳の頃、友達の家にあったギターやドラムを遊びで触っていた。ある日、隣のお兄さんにフォークギターをもらいギターを弾き始め、それが引き金となり音楽の扉を開いた。続きは、また明日・・・と、言いつつ1日に数回更新したりして!!
☆その1ー2☆
 14歳の夏休み後、仲間を集めバンド(VEAT-ROOSE)を結成!!16歳まで続きました。続きは後程・・BOOWYやBUCK-TICK等をコピーして腕を磨き始め学園祭や地域の催しに出演し始めましたが、その頃はまだ、本気でやろうとは思っていなかったそうです。
☆その1ー3☆
 この頃、バンドを組むのは、不良!!っていう時代だったので、代表もご両親からは、相当な反感を買っていたそうです。ご両親に分かってもらえないもどかしさや悔しさが、逆に代表の熱く燃えるエネルギーとなる事を周りの人は後から知る事になるのでした。お盆休み中も、更新できたらと思っていますので。。。
☆その1ー4 ☆
 バンドを組む前は、相当ないじめにあって骨折や打撲は、日常茶飯事だったそうで、いかにその地獄から抜け出そうか、死のうかと考えていた日々。でもこのままいじめられたままで終わるのは嫌だ!!大音量で聴いていたロックにいつしか心を奪われロックスターになって見返してやる!!この心の変化が代表の人生を大きく変えて行く原動力となり、高校へ行ってもバンドを続けるきっかけとなりました。
☆その1ー5☆
 全寮制の高校へ行った代表は、そこで新たに校内のバンドを結成「AICY~愛~」この時からオリジナルを作り始めた。しかし、仲間との音楽性の違いからずれが生じ校外に居場所を求めた。そこで出会ったのが、竜市。最初は、友達として付き合っていたが、お互いに夢を語り合うちにバンドを作りたいと思っていた矢先、竜市が、メンバーを連れてきた!!
☆その1ー6☆
 いよいよ自分の音楽を追求できる仲間と「act」として活動を始めた。曲作りにギターの練習、活動するためにバイトを掛け持ちしても苦にならなかった。しかし、ブッキングに行くたびに「こんな音源じゃ無理!!」と断られ続けた。雑音が入ったデモテープを聴かされてOK!!なんてライヴハウスが在るわけがない!!。録音方法を試行錯誤しながら何度も何度もチャレンジした日々。今、思い返すとあの日々が、なければこの仕事をしていないだろう。
☆その1ー7 ☆
 「act」の活動中、どうしたらワンマンが出来るのか?そのためのデモテープの音源を編集するには、どうしたらいいのか?次から次へと問題が降りかかり頭を悩ます日々。練習不足も重なり中々、ライヴハウスに立てなかった。イベント等のステージには、立ててるのに・・そのもどかしさの中、「音源編集の仕方を教えてほしい」と、ライヴハウスの店長さんを訪ね、17歳の代表は、若気の至りで頭を下げることが出来ず、門前払いをされてしまうのでした。しかし、諦めずに色々な人から、アドバイスをもらい「頭を下げる」事が、いかに重要であるかを教えてもらい、再びライヴハウス「W」の扉を叩き、音源編集を勉強することとなった。学校・バイトを続けながらライヴハウスに通うのは、大変だったが、楽しかった(学校は、苦痛だったらしい!!)
☆その1ー8 ☆
 どうして校内のバンドと校外のバンドを掛け持ちすることになったのか?一言でいうなら、音楽性の違いが、なかった校内のバンド。音楽を追求する上で音楽性の違いは、ついて回るもの。音楽性の違いがあってこそ、良い作品が出来上がると思っている代表と音楽性の違いは、なくて皆同じ方向を見ているのが良い作品が出来ると思っている。その考え方の違いの中、自分のやりたい音楽を追求するため、校外のバンドで個性がぶつかり合いながら一つの曲を作り上げていく。両者とも同じ目標であるけれどそのプロセスが違っていた。両者のバンド仲間には、掛け持ちをしていることは、内緒にしていた。しかし、それがバレてしまう日がやがてやってくるのであった。
☆その1ー9 ☆ 
 ある日校内バンドの仲間からライヴに誘われた。そのフライヤーを見るとなんと「act」!!校外のバンドの物だった。その頃「act」は、ライヴやCD販売と順調に活動ができていた。何とかライヴに行くのを断り友人も行かない事になりホッとした。ライヴも迫り練習にバイトに明け暮れ、友人の事は、すっかりと忘れていた。当日になり「act」の仲間と駅で待ち合わせしていると、どこか歩き方に身に覚えのある人が・・・もうお分かりだと思うが、学校のバンド仲間である。幸いライヴに向け変身しサングラスをかけていたので、ばれなかったが、「あの~、今日はライヴあるんですか?」と話しかけられ二言三言話したが、気づかれず、あろうことか「写真を撮っていいですか?」と・・・ライヴハウスに着きいざ、ステージへ!
☆その1ー10 ☆
 ステージに上がるとなんと!!友人が一番前でカメラを構えているでは、ないか!!しかし、そんなことを構っている暇はなくライヴが始まった。心地よく高揚した時間を過ごし、楽屋に戻るとライヴハウス「J」の店長から、打ち上げに誘われ表に出た。するとそこになんと友人が、いるではないか!!「ライヴ凄かったです!!感動しました」と言い終わるか終らないうちに「えっ!!なんでお前がいるの??」「はっ?」内心何を言っているのだろうと・・メイクもサングラスもしてるのに分かるわけないのに・・と、とっさに伸びた手が、触ったものは、サングラスもかけていないスッピンの自分の顔だった!!(なんて天然な代表なんでしょうね笑)とうとう、両方のバンド仲間に掛け持ちがばれてしまいました。この時の代表の慌てぶりが目に浮かぶようです。
☆その1ー11☆
季節は、秋へさしかかろうとしている頃、学園祭の練習に明け暮れて、暫く「act」の練習を休みがちになっていたのですが、ライヴハウス「J」の店長から「他県のフェスティバルに参加してみないか?7バンド位出場するんだけど。車を出してあげるからさぁ」と誘われ、4人は、OKだったのですが、肝心のヴォーカル竜市が、「俺は、出ない!!」と・・・少し前に竜市が連れてきた薫に説得してもらい参加することになりました。この後「act」に驚きの事実が明かされていくことになるのです。
☆その1ー3☆
 この頃、バンドを組むのは、不良!!っていう時代だったので、代表もご両親からは、相当な反感を買っていたそうです。ご両親に分かってもらえないもどかしさや悔しさが、逆に代表の熱く燃えるエネルギーとなる事を周りの人は後から知る事になるのでした。お盆休み中も、更新できたらと思っていますので。。。
 ☆その1ー12☆
それは、突然やってきました。いえいえ、何となく分かっていたのかもしれません。竜市が、薫を連れてきた時から・・・何故、フェスに出たくないと竜市が言ったのか?そのフェスに竜市が新たに加入したバンドも出るからでした。竜市が加入してメジャーデビューしたのが「Lastier」(数年後に解散)だったのです。初めて竜市に会った時、まさかバンドをやるなんて思っていなかった二人が、音楽の魔力によって引合されたように・・・インディーズでもワンマンを年間数十本出来、ライヴハウスからも声を掛けてもらえるようになっていた矢先の事でした。
☆その1ー13☆
竜市の脱退が決まり、最後のライヴをすることになったのですが、ここでもこんな物語がありました。会場は「J」(のちのGP)竜市脱退騒動と時を同じくして、校内のバンドの音源が出来上がり、それを持って「J」に行くとやっとブッキングOKとなり、何と!!「act」VS「AICY~愛~」代表掛け持ちと言うか・・最初は断っていたのですが、誰が言い出したのか「それ、面白そうだからやろうよ!!」の一言で、開催決定!!ここで何故、ブッキングOKとなったのか?これには、代表の涙ぐましい努力が隠されていました。高校生の小僧が、ほんのちょっと教えてもらったからと言って、直ぐに編集が出来るわけはなく、「J」の店長のご厚意でDTMを借り、夜中に寮のベッドの中で、イヤホンで音を聴きながら操作手順を繰り返し、「J」の店長より「だいぶ腕をあげたな!!」と言われたのが、またまた、マニュピレーターへの道を自分で広げていったようです。
 ☆その1ー14☆
 ここでちょっとバンドのお金事情を・・バイト代をほとんど活動費にあてても、スタジオ代や、修理代等、それなりに掛りますよね?「act」は、どうしていたかと言うと、ライヴのチャージバック(ライヴのチケット代・グッズ代・CD売上代・・・)を使わずに貯めて次のライヴ費用や制作費に充てていました。ですから、打ち上げ等は、極力安くあげていました。時には、公園等でジュースで乾杯していました。ライヴの打ち上げは、気持ちも高揚していて若き日の代表も時として羽目を外すこともありましたが、ライヴしたさに我慢をしたこともあります。チャージバックは、貯めておくと良いかも!!活動費がないと、音も作れないし、スタジオも借りることが出来ないし、当然ライヴでお客さんを魅了することも出来ないですよね?
☆その1ー15☆
 話を戻すと「act」と「AICY~愛~」の両方の音源編集をほぼ一人で手掛けていました。「J」の店長に手直しをされながら音源編集の楽しさ難しさを体感していました。時には、他のバンドの編集も頼まれ数をこなしていくうちに、もっと上手に編集が出来ないか?迷いに迷ったある日「J」の店長に「マニュピレーターの仕事を教えてください」と頭を下げた17歳の夏休みの事でした。中々、ワンマンが出来ないとか、ブッキングが、取れないとか、言っていたほんの少し前の自分が懐かしくもありました。自分達が、駆使して録音したものが雑音等を取り除くだけでクリアになる事に改めて感動をする代表でした。
 ☆その1ー 16☆
 何故代表は、裏方の仕事を選んだのでしょうか?表舞台で脚光をあびている方が華々しくてカッコいいと思うのですが・・実は、ブッキングに行くと「音源は?」「ないです」「話にならないな!!音源を持ってきな!!」と、言われ続け何とかしてライヴをしたい一心で編集を見よう見まねから始め、拙いながらも「これならあげてやるよ!」と言われた時の自分が認められた事が嬉しくきっと他のバンドの人達も編集の仕方が分からなくて悔しい思いをしているかもしれない。ダイヤの原石なのにもかかわらず音源がないために(あっても雑音だらけだったり・・)夢をあきらめてしまっている。そんな人たちの役に立てれば!!その想いがこの先更なる奇跡へと繋がっていくのです。
☆その1ー17☆
 代表の勉強方法は、機器の状態を見ながらいじってみる。そして自分の耳と感覚で覚えていったようです。取説には、載っていない事を色々と試してみてそれを自分の物としていく、昔気質の職人のようですね。取説に載ってないからやり方が分からない!!なんてことがあると色々と模索して新しい発見をしてしまうのが、代表なんです。自分自身もバンドを組んでいたからこそアーティストの熱量や想いも痛いほど分かるので、少しでも良い作品に仕上げて日々前進して時には、振り返ったりしながら歩み続けています。この努力が実る日が、刻々と迫ってきているのをまだ代表は、気づいていないのですが・・・ 
 ☆その1ー18☆
ちょっと話がそれてしまいましたが・・最後のライヴは、「act」VS「AICY~愛~」・「ACT」VS「Lastier」・「ACT」VS「AICY」・「Lastier」VS「AICY」他多数のバンドと3日間の対バンをライヴハウス「J」で開催。(act⇒竜市・ACT⇒薫・AICY~愛~⇒S・Yteam)大盛りあがりの内に「act」は、幕を下ろしたのです。そして「ACT」として新ヴォーカル薫でスタートする、新旧交代の幕開けのライヴとなりました。
 ☆その1ー19☆
  高校生ながらマニュピレーターの仕事でも収入を得、それをバンドに使う。遊びに使うよりもバンドに使うことが楽しかったようです。バンドの音録りは、何と蔵で行っていたそうです。「せ~の!!・・・し~」で録音開始。そのテープを部屋に持ち帰り夜な夜な編集作業を繰り返し、時に「J」の店長に手直しをされながら音源を作っていったそうです。
 ☆その1ー20☆
 老舗と言われる数々のライヴハウスは、昔気質のところもあり、音源が無いと相手にしてもらえなかったりしましたが、時代の流れと共に経営方針も変わってきたようです。ライヴをしたい人達には、今が居心地が良いのかもしれません。でも、活動資金がないと何も始められませんね。
 話は戻りますが、夜な夜な寮の部屋で編集をしていると、消灯時間過ぎ見周りの人が来て、注意をされるのですが、その見周りの目をかいくぐり編集に没頭していました。
 ☆その1ー21☆
 夜な夜な編集に没頭していたので、肝心の楽曲が、出来ずにいました。それはそうですよね。2つのバンドの編集と依頼を受けた編集。そしてコンセプトの違う2つのバンドの楽曲を作らないといけなかったのですから・・好きな音楽にこんなに苦しめられるとは、思ってもいませんでした。この苦しみが次第にバンド仲間に広がっていくのです。
 ☆その1ー22☆
 バンド内に不協和音が響き始め、ほんの些細なことでも衝突しあうようになり、音楽を目指す気持ちは、それぞれ変わらないのに・・10代の尖った少年たちは、青年へと向かう、まるでサナギから蝶に生まれ変わる様な時だったのでしょう。ステージが変わる前には、色々な波がやって来るものですから。この荒波を越えるのも凪に変わるまで待つのも本人の心一つですが・・・代表や仲間は、どんな決断をしていくのでしょう・・・
 ☆その1ー14☆
 ここでちょっとバンドのお金事情を・・バイト代をほとんど活動費にあてても、スタジオ代や、修理代等、それなりに掛りますよね?「act」は、どうしていたかと言うと、ライヴのチャージバック(ライヴのチケット代・グッズ代・CD売上代・・・)を使わずに貯めて次のライヴ費用や制作費に充てていました。ですから、打ち上げ等は、極力安くあげていました。時には、公園等でジュースで乾杯していました。ライヴの打ち上げは、気持ちも高揚していて若き日の代表も時として羽目を外すこともありましたが、ライヴしたさに我慢をしたこともあります。チャージバックは、貯めておくと良いかも!!活動費がないと、音も作れないし、スタジオも借りることが出来ないし、当然ライヴでお客さんを魅了することも出来ないですよね?
 ☆その1ー23☆
 それぞれの道を進み始め、ACTのヴォーカル薫は、「L'luvia」でメジャーデビューし、代表も高校を卒業と同時に「S・Yteam」を解散。熱く燃えた高校生活?ではなく、熱く燃えたバンド生活に一瞬ピリオドを打つのですが・・音楽魂は、まだまだ心の奥深くに燃え続けていたのです。この炎は、この先どの様に燃え上っていくのでしょうか?
☆その1ー24☆
 ちょっと前に戻りますが、学園祭では、飛び入りのバンド(2年連続)があり大いに盛り上がったようです。飛び入りがあると何が始まるんだろうと期待が膨らみますよね!!一体どんなバンドが飛び入りしたんでしょうか?
 ☆その1ー25☆
2年の学園祭には、メジャーデビュー前の「Lastier」そして3年の時は、やはりメジャーデビュー前の「L'luvia」覚えているでしょうか?代表と切磋琢磨していた、竜市と薫が、学園祭を観に来ていたのです。まさか来ているとは思っていなかった代表は、恥ずかしさと驚きを隠せなかったようです。この後もこの二人とは、色々な物語があるようです・・・
☆その1ー26☆
学園祭のエピソードを少し。リハーサルの時間がなく(もともとバンドが校則で禁止だったが軽音部として暗黙の許可は出ていた)おまけに衣装や機材メンテナンスに時間を費やし学園祭当日まで音源編集に明け暮れていた。衣装は、個人で揃えることになっていてそれぞれが当日のお披露目となった。ちなみに「ACT」は、ヴィジュアル系でメイクなどしていて「S-Yteam」は、メロコア系であったため音楽性がまるで違っていたため楽曲制作と音源編集は、難を極めていた。衣装やステージ構成は任されていたけれども頭が回らなかった。衣装の確認も出来なかったので当日の衣装を見てビックリ!!した。なんと、もんぺや腕抜き・和裁で使う指ぬきをしているメンバーがいることに驚かされた。ちなみに代表は、「ACT」関連の人に作ってもらっていたので、その差がかなりあったようです。
☆その1ー27☆ 
 そんなエピソードもあった学生生活でしたが、やはり1番は、Sequencer と DTMの端末機材を駆使した(今だとソフトになっている)編集を色々な現場の人から教えてもらえた事で学生ながらも数々の編集を任されてお金を得られた事が、裏方である事に自信と誇りを持つことに繋がっていくのでした。
☆その1ー28☆ 
 学生時代「act」やがて「ACT」に改名したバンドは、県内のあちこちにブッキングへ行き、OKとなると機材を運ぶためにライヴハウス「J」の店長にお願いして機材を運んでもらう(免許を持っていないので)。しかし、店長が忙しいと車を出してもらえないため、キャンセルするという、ちょっと複雑な思いもありました。「J」の店長が、取ってきてくれることもあり、活動の範囲が広がり、休みを返上して自分達の活動を応援してくれていた古き良き時代だったのかもしれません。 
☆その1ー29☆
 時代は変わっても人とのご縁は、大切にしないといけませんね。過去や現在は、ご縁がないかもしれない人が、未来には、大切になったり、それは、ただタイミングが「今」では、ないだけでその時々でポっと現れたり、消えたり・・バンド仲間も必要な時に必要な人が集まる。そこでそれぞれの経験を積んだらそれぞれが、次のステージに変わっていく。離れていく時には、お互いの気持ちが分からなくても数年たって振り返った時に、「あの時」って気づく時が必ず訪れるものですね。代表もそんな経験を積んできたようです。2人のヴォーカルが脱退した時の経験は、大きな痛手だったようです・・・
 ☆その1ー30☆
 ツアー中の出来事を一つ。「J」の店長の車で回っていると、色々とアクシデントがあり、途中で車が動かなくなり、ツンツン頭でお化粧をした男子が、車を押してガソスタまで行き、修理をするために機材を1時間くらいかけて降ろしたり、カギを壊されたり、窓を割られたり、機材や衣装を取られたり・・車が横転したり溝にはまったり、崖から落ちそうになったり、ツアー中に部活があると一旦戻ったり、今思い返すと楽しくもあり辛くもあり、それでも続けられたのは、やりがいがあったし、行く先々での人間模様が、多々あり応援してくれる人が、居たからだと思う。夢を叶えるのは、一人では出来ない事も仲間や応援してくれる人がいてくれるからこそ、困難なことも乗り越えられたのだと思う。
 ☆その1ー31☆
 高校を卒業すると、進学・就職等、進む道が変わってきて、音楽をやめてしまう仲間もいましたが、代表は、父親との約束であった「高校だけは、卒業してくれ!!」をみごと守り(学生時代は、色々とありましたが・・)就職したのですが、音楽への想いは、胸の奥底深くで燃え続けていたのです。そして、ある行動に出るようです。さぁ、何をするのでしょうか?
 ☆その1ー32☆
ある日突然(本人は、綿密な計画を立てていた)、バンドの夢を諦めきれず、仕事を辞め上京した。東京で仕事をしながらメンバー募集をしたが、ステージに立つこともなく自然消滅してしまった。それは、バンドで生計を立てていくことが、いかに大変なことなのかを思い知らされた東京の日々だった。バンドを諦めた訳ではないが、暫くバンド結成はしなかった。東京での苦い思いを胸に地元へ戻り旧友(VEAT‐ROOSE)⇒中学時代のバンド。と再会し他愛のない話から「もう一度やれたらいいね!!」と、声をかけられたが、即答が出来ないほど心の痛手は大きかった。ただ、確執のあったメンバー(H)とは、会うことはなく再結成の話は、どんどん進んでいった。メンバー(K・S)が、Hを再結成に誘った。Hからバンド名を改名するのであればOK!!と言われたが、「うん」とは、言えなかった。この先バンドは結成するのでしょうか?それとも流れてしまうのでしょうか・・・?
 ☆その1ー33☆
 なぜHと確執があったのでしょうか?他のメンバーは、知らなかったことですが、Hと代表は、幼い頃からの知り合い。それもそのはず、何といとこ同士だったので、年に数回は、顔を合わせていたのですが、同い年ということもあり、お互いにけん制し合っていたようです。小学校は違っていたのですが、中学になりそれも同じクラスになるという、神様の悪戯なのでしょうか?そんな二人だったので、再結成をするには、他のメンバーの涙ぐましい努力があったようです。年を重ね社会人になったとは言え、この確執は、中々解けなかったようですが、「バンド名を変える事・ツアーをする事」この2つの条件で、再び「Strange」として活動し始めるのですが、曲作りでもめたりツアーが出来なかったり(社会人となり5人が集まる事が難しくなって・・)それでも地域のイベントに出ることは出来たのですが、肝心のツアーが出来なくてバンドをやっている意味が分からなくなってきた。「Strange」は、どこへ向かっていくのでしょうか?そしてメンバーが奇跡を起こすことになるのですが・・・
 ☆その1ー25☆
2年の学園祭には、メジャーデビュー前の「Lastier」そして3年の時は、やはりメジャーデビュー前の「L'luvia」覚えているでしょうか?代表と切磋琢磨していた、竜市と薫が、学園祭を観に来ていたのです。まさか来ているとは思っていなかった代表は、恥ずかしさと驚きを隠せなかったようです。この後もこの二人とは、色々な物語があるようです・・・
~Sound Memory Story~えぴそーど2~
♥その2ー1♥
 ツアーは出来なかったが、近隣のイベントには参加していた。これは、応援してくれたり協力してくれる人達の支えがあったからに他ならない。再結成してから練習には、誰かが参加出来ない事が多く5人が揃って練習できる日が少なくやっとツアーが出来る様になるまで1年半近くが経過していた。半年かけて7ヶ所のステージは、行った先で他のバンドとセッションしたり(学生時代を思い返したり、学ぶ事があったり)そんな中、代表は、音源編集のアドバイスをしたり編集を頼まれたりしながら、経験を積んでいったのでした。学生時代とは違った社会人バンドの難しさや余裕がそこにはあった。ツアー終盤に差し掛かる頃、バンド仲間に異変が生じていたことを誰も気づく事が出来なかった。やがてそれは「Strange」に大きな力を与えることになる・・
♥その2ー2♥
 ツアーが終わり再びそれぞれの生活に戻り、週1で練習をしていたが、Hが、だんだんと練習に顔を見せることが少なくなっていった。代表は、ツアーで行かれなかったお墓参りに行くとそこにHが先に来ていた。そこで昔の話になり親戚で集まると話題の中心を二人で取り合っていたようで(何とも可愛らしい少年達だったのですね)変なライバル心がお互いにあったことが分かり、分かってしまえば何てことなかったと、成人になってから打ち解けるのでした。これもご先祖様が、子孫同士がいがみ合っていることに悲しみを抱いていたので墓前で引合せたのかもしれませんね。これでメンバーが1つになったと思った矢先の出来事は・・
♥その2ー3♥
 ツアーが一段落してからの練習は、中々都合が合わなくて全員が揃うことが少なくなった。それは、数ヶ月後の出来事だった。Hのお母さん(代表の伯母さん)と会った時に、「最近Hが練習に来ないけどどうしてるの?」すると伯母は「実は余命宣告を受けて入院しているの」「えっ、そうなんだ・・」としか返事が出来なかった。伯母は、続けて次のような話をした。「Hのステージを見たことがないから見てみたい!!母校で何とか出来ないかなぁ?」と、言われあちこちの仲間や知り合いに声をかけ、何とか中学校を借りられることになった。しかし、予定した日よりも病状が思わしくなく急遽1週間以内に開催することになった。そのライヴは・・代表とH以外のメンバーがあるサプライズをしかけていた・・
♥その2-4♥
 ライヴ当日Hは、車イスで点滴の管と酸素吸入器をつけたまま控室に。まさか、ここまで悪くなっているとは思わずにいた。前日まで医師の許可はおりていなかった。それでもどうしても母校での凱旋ライヴに立ちたかったH。それを叶えるために奔走してくれた恩師や仲間たち。そして幕があいた。点滴や酸素は、はずすことが出来ないままステージへ。1曲2曲とまるで生きている証を残すように歌うH。あの状態で2曲歌えたのが奇跡だった。しかし、Hの体は、悲鳴を上げていた。限界だった。控室に戻るとすぐに病院に戻って行った。残されたメンバーは、ドラムソロ・ギターソロ・ベースソロと控室から戻らない代表を待ちながら演奏を続けていた。その控室に「ex.Lastier」そして「ex.L'luvia」、「ex.S-Yteam」・「ex.act⇒ACT」の面々が集結してきたのである。Hのこと、ステージのことで頭の中がパンパンになっていた代表は、今、目の前に起こっていることが、何が何だか分からなくなっていた。話している間もなく全員がステージに上がるとまさかのサプライズに驚いていた。これを機に代表の中で何かが変わっていった。
♥その2ー5♥
 ライヴ数日後Hは、静かに旅立って逝った。その悲しみの中でも編集依頼は後を絶たず、編集作業に没頭していくのである。それと同時にバンドは、静かに幕を下ろしていった。しかし数年後、新たなバンド「BEAT LOOSE」を結成した。(1本だけのライヴの予定)その頃、葉山と出会い、コンポーザー兼マニュピレーターとして徐々に名前が知られるようになり、「コンポーザー兼マニュピレーターがいるバンドってどんなバンドなんだろう?」と思ったFM局から声がかかり出演した。するとあちこちのホールから出演オファーが入り、結果10本のライヴをすることになった。
♥その2-6♥
  このホールライヴは、人生初の舞台となった。学生の頃もそのような話は、あったのだが、機材を運ぶことが出来なくて断っていたので、社会人となりホールに立てることに嬉しさと緊張が織り交ざっていた。ライヴ後の物販でCDを買った人の家族から編集依頼がきたり、口コミで広まっていった。10本目のライヴは、憧れていた某文化会館の大ホールだった。この後もホールやライヴハウスから出演依頼は、あったのだが、10本目を最後にバンド活動にピリオドを打つことになったのだが、ここで終わるはずがない代表なのです・・
♥その2ー7♥
 10本目のライヴを終えホッとしたのもつかの間、編集の依頼が、あちこちからあり、このままバンドを続けることが難しくなっていき自然消滅していった。そんなある日、竜市から久しぶりに連絡があり再会した。
竜市「今もバンド活動してるの?」
代表「活動は終わったよ」
竜市「やらない?」
代表「メンバーがいないよ」
竜市「集めればいいじゃん!!」
代表「無理だよ!もうそんな歳じゃないし環境も変わったからね」
竜市「それなら、連絡の取れる元のメンバーに声を掛ければいいじゃん??」
 こんな会話から再び声を掛け集まったのが、ギターのN(のちのベース)そして竜が連れてきたドラムの4人でレコーディングを開始した。その中で竜が「ツインギターがいいね!」とそこに拘った結果、学生時代のSの名前が挙がってきたが、代表は、それを拒んだ。しかし竜は、納得せずどうしてもツインギターに拘った。確かにツインギターだと音が重厚になるからだ。だが、代表も竜と負けず劣らず頑固なため、中々Sを加入させなかった。一体このバンドは、始動するのでしょうか??
♥その2ー8♥
 双方中々頑固みたいで、そうこうしてるうちに、偶然にも「act」の元ギタリストと再会し、バンドの話をすると「参加ok!!」になり、レコーディングが進んだ。しかし喜んだのも束の間、文化会館のライヴの予定と合わずに、またしてもギタリストを探すことに・・そこでやっとSの参加を承諾する代表ですが、心中は、穏やかではなかったようです。文化会館でのライヴを「ACT」として無事に終え、次は「LOTS」でライヴをすることが決定した。しかし、そこに行きつくまで、また何やらあるみたいです・・音への拘りがどうなっていくのでしょうか?? 
♥その2ー9♥
「LOTS」のライヴが決定するまでにちょっとドラマがあったようです。ブッキングに行く際、昔の杵柄を隠し(バンド活動をしていたこと)それは、自分達が初心に戻る為と本当の実力を試すためでもあった。「LOTS」から出された条件が、チケットノルマであった。その言葉を聞いた瞬間に「なぜ??」と疑問が。なぜなら通常ならブッキングが決まってから販売になるからだ。それを問うと、「自分達は、初心の気持ちや志を忘れない為に色々な活動をしてきた事を隠してきたんでしょ?でも、活動を休止していたんだから、今の実力が分からないから、チケットノルマを達成したらワンマンをさせてあげる」と言われた。当時のライヴハウスは、現在とは、違っていた。500枚のチケットを完売し「ACT」としてのワンマンライヴを開催することになった。
♥その2ー10♥
 ワンマンライヴの日まで、仕事とリハーサル・グッズ・CD・衣装の作成を急ピッチでやっていたが、代表は、その間も他のバンドより編集の仕事を受けていたので、かなりハードな日々を過ごしていたようです。「LOTS」のワンマンは、レコーディングに参加してくれた「act」の結成時のギタリストで「ACT」で上がることになった。このライヴには、代表が今まで関わってきたバンドメンバーや仲間が来ていたのだが、それは、竜以外のメンバーは、知らなかった。代表のバンド人生の全てを詰め込んだラストライヴとなった。この先代表は…マニュピレータとして活動をしていくのですが、そこでも色々な奇跡が散りばめられている模様です…どんな未来が待っているのでしょうか???
♥その2ー11♥
 話は前後しますが、ラストライヴの打ち上げで、会場に来ていた仲間達の話題になり、代表に内緒で竜が声を掛けていた事が分かった。竜と出会って20年近く、苦楽を共にし時には、ぶつかり合うこともあったが、サプライズ好きの竜には、驚きと悲しみと怒りが入り混じった時を過ごした。裏切り裏切られ、時に助けられ褒められけなされ、無理難題を押し付けられ押し付けの日々が今となれば、懐かしさと恥ずかしさと嬉しさと憎らしさが込み上げてきてなんだか妙に泣けてきた…20年の年月は、代表にとってかけがえのない濃密な時間を駆け抜けてきたのだと思います。この20年の中で、奇跡的な日がありました。それは、竜と初めて会った日・竜が脱退する日・薫加入のレコーディングが終わった日…その他にも沢山あるのですが、くしくも全てが同じ6月9日。人為的に起こっているのではなく、何かの力が働いているかのように、6月9日は、メモリアルdayとなった。この奇跡ともいうべき現象は、この後も出現するのでしょうか…?
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♥その2ー3♥
 ツアーが一段落してからの練習は、中々都合が合わなくて全員が揃うことが少なくなった。それは、数ヶ月後の出来事だった。Hのお母さん(代表の伯母さん)と会った時に、「最近Hが練習に来ないけどどうしてるの?」すると伯母は「実は余命宣告を受けて入院しているの」「えっ、そうなんだ・・」としか返事が出来なかった。伯母は、続けて次のような話をした。「Hのステージを見たことがないから見てみたい!!母校で何とか出来ないかなぁ?」と、言われあちこちの仲間や知り合いに声をかけ、何とか中学校を借りられることになった。しかし、予定した日よりも病状が思わしくなく急遽1週間以内に開催することになった。そのライヴは・・代表とH以外のメンバーがあるサプライズをしかけていた・・
♥その2-12♥
 ラストライヴを終わると皆それぞれの戦場へと帰って行った。勿論代表もその中の一人だった。現実という名の戦場は、締切に追われる日々の繰り返し。その中で、コンポーザーの菊地から依頼を受け、本格的に勉強し直したいと思い門を叩いた。が、簡単には教えてもらうことは出来なかった。それもそのはずで、個人個人編集の仕方が違うので、まず、代表の技量を見て判断された。やはり本職でやっている人とは、差が出るのは、当たり前。と同時に自分の技術力を上げたいと更に勉強に励む時間を与えられた。この時間は、代表の感性を磨く時間となり、これから訪れる第一歩が、ここから始まるのでしょうか?それとも…
♥その2ー13♥
 中学時代、従姉に連れられて町田プレイハウスで観たライヴは、今までとは違ったジャンルだった。ちなみにこの頃の代表は、歌謡曲が大好きだったらしい。異空間に圧倒されて放心状態になったようですが、のちにバンドを組んだ時は、その異空間そのものだった。この従姉がいなければ、マニュピレーターの世界に飛び込む事がなかったかもしれない。この時のライヴは、インディーズの対バンだったのだが、この数組のバンドから5人で結成したあるバンドは、やがて代表が追っかけをするようになった。このバンドが、代表にかなりの影響をもたらすことになるのである…
♥その2ー14♥
 代表のように夢の形が変わる事ってあると思う。バンドを辞めたからと言って夢を諦めたのではなく、ただ単に夢の形が変わっただけ。色々な経験を通して進むべき道が見えてきたに過ぎないのかもしれない。音楽も様々なジャンルがあるし、今でも知らない音の世界があるのも事実だし、編集もその人の感性によって同じ曲でも様々な顔に変化する。代表の音作りを聴いていると1曲の音が、まるで七色の虹のように変化して様々な彩りを醸し出していく。それは、1つの曲が喜怒哀楽に変化することもあるので、この感性の高さを目の当たりにすると、これを知らないのは、もったいないと思う今日この頃です。
 話は戻りますが、インディーズの方々からの依頼は、武者修行のようなもので、様々なジャンルをこなしてきたようですが、管楽器や和楽器は、まだ未知の世界なのでこれからどんどん挑戦し続けていくと思います。そうそう、メジャーバンドとの関わりは、次回にて…
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♥その2ー15♥
 このMemory Storyは、代表に質問したりしながら書いているのですが、以前は話題にならなかった事が、後日出てきたりするので、話しが前後することが多々ありますが、代表の体験を通して共感したり自分だったら違う道を選んだなぁ、とか色々と読んでくださっている方々で思いを巡らせていただけたらと思います。コロナ禍の中で、以前とは違う活動を余儀なくされている中で手探り状態で不安を抱えながら活動している事と思いますが、ライヴハウス・スタジオ・アーティスト・楽器店・ets・編集者それぞれが違う立場ですが、皆で力を合わせればきっと新しい音楽の道が開けていくと思います。令和の時代となりHarmony(異業種や異音楽性等を飛び越え)1人よりも2人、2人よりも3人というように幾つもの色を織り交ぜて今までにないHarmonyが作り出せたらと思います。今回は、(A)のつぶやきになってしまいましたが…夜中にまた更新するかも…

♥その2ー16♥
話を元に戻すと、代表が追っかけをしていたバンドは、その後メジャーデビューして今も活躍しています。ファンとしてライヴを観たりしていたある日の事、アルバムのある曲の原案をアーティストが、集めていてその中に代表が提案したものが含まれていて何と!!それを基に構築され作品となったのでした。実際にこのアーティストとも会うことが出来、まさか一緒に作品を手掛けることが出来るとは、思ってもいなかった事が、現実となりその後のアーティストのソロアルバムの1曲を編集することに繋がっていくのであった。
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♥その2ー14♥
 代表のように夢の形が変わる事ってあると思う。バンドを辞めたからと言って夢を諦めたのではなく、ただ単に夢の形が変わっただけ。色々な経験を通して進むべき道が見えてきたに過ぎないのかもしれない。音楽も様々なジャンルがあるし、今でも知らない音の世界があるのも事実だし、編集もその人の感性によって同じ曲でも様々な顔に変化する。代表の音作りを聴いていると1曲の音が、まるで七色の虹のように変化して様々な彩りを醸し出していく。それは、1つの曲が喜怒哀楽に変化することもあるので、この感性の高さを目の当たりにすると、これを知らないのは、もったいないと思う今日この頃です。
 話は戻りますが、インディーズの方々からの依頼は、武者修行のようなもので、様々なジャンルをこなしてきたようですが、管楽器や和楽器は、まだ未知の世界なのでこれからどんどん挑戦し続けていくと思います。そうそう、メジャーバンドとの関わりは、次回にて…
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会社

Space Emperor 宇宙の奏

代表 石井 豊(YUTAKA.ISI)
所在地
3-Chome,Ishikawa,Fujisawa City,Kanagawa Prefecture
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3-Chome,Ishikawa,Fujisawa City,Kanagawa Prefecture

Staff(A)のひとりごと

♡Sound Memory Storyを毎日更新したいのですが(聞いた事を早く皆さんに伝えたい&書かないと忘れちゃう)中々出来なくて<m(__)m>

♡予祝の仲間を募集します。叶えたい夢をメールで送ってくださいね。匿名OKです。皆で叶えましょう!!上のメールからどうぞ

♡代表の話をまとめていると、後から後から色々なことが出てきて、話の内容が前後してしまうこともあり、アップしてあるのを書き換えたりしています。音楽を志している人達が、諦めることなく「夢」を叶え更なる「夢」を追い続けて欲しいと(A)は思っています。

♡ 時々、ホームページを編集している時に、公開したまま書いていることがあります。驚かないでくださいね。気を付けているのですが・・