信州マーケティングLABは、長野県内の経営者・自営業・フリーランスの方などが、『信頼の人脈』『マーケティング』のキーワードでつながるコミュニティー。 3月時点で70名以上のメンバーにご登録いただき、さまざまな業種の方が仲間に加わっていただいています。
フリーランスの方との繋がりを持ちたい経営者様、商品サービスはあるけど集客にお悩みの自営業様、これから本格的にビジネスに参入してゆきたいフリーランスの方など、ラボでその可能性を広げてみませんか?
戦時中は軍神と呼ばれた特攻隊員に誰もが目を背けた戦後、特攻隊員を自分の息子のように慈しみ親身に世話をやいた陸軍の指定食堂の女将、鳥濱トメさんは焼け野原になった基地跡に棒杭を立てて「これがあの子たちのお墓だよ」と1人で毎日お参りをしたそうです。
そこから79年、棒杭のお墓に観音堂が建ち、特攻隊員を弔う灯籠が建ち、彼らの遺書や遺品の並ぶ平和会館が建ち、今では知覧は『人生に迷ったら知覧に行け』とまで言われるようになりました。
1人の想いがたくさんの人の心を動かし、かたちとなる様を知覧では感じることができます。
そして観光で訪れただけでは知り得ない鳥濱トメから口伝される当時の特攻隊員の数々のエピソード。学校では学ぶことのできない史実。
彼らの志や生きざまは大切なことを教えてくれます。
鹿児島県鹿屋市は特攻隊に関する歴史的な背景を持つ場所として知られています。
第二次世界大戦中、鹿屋市には日本海軍の鹿屋航空基地が設置されており、この基地は特攻作戦の
拠点の一つとして機能していました。
鹿屋市には、太平洋戦争時に3つの飛行場が存在し、日本で最も多くの特攻隊が出撃した歴史があります。鹿屋海軍航空基地からは908名、串良海軍航空基地からは363名の特攻隊員が出撃し、その尊い命を失いました。
また戦争の始まりと終わりの地とも呼ばれ、始まりと呼ばれる鹿屋会議の場所として、終戦後進駐軍が最初に上陸した金浜海岸があります。まだまだ知られることのない戦跡や当時を知る現地の方のお話を聞ける大切な時間となります。