吉田 さとし
1981年9月生まれ
職業:金属加工製品販売の会社を経営
高校生活を3ヶ月でドロップアウトし、割烹料理屋でバイトを始め2ヶ月ほどで社員になってほしいと言われ、社員になり1ヶ月ほどでフグとヒラメをさばけるようになるが三枚おろしができずに激怒され、三枚おろしもできるようになってなっていったが、将来板前になりたいとは考えていなかったのと、高校卒業していないということが不安に変わり夜間の通信制高校に通うことを決心し入学した。
昼間は大工見習いとして働きながら週3日高校に通った。
最短3年で卒業できるところ倍の6年通わせていただいたとても思い入れのある高校。
その高校では仲間に恵まれ中学の時に部活の時間だけでも登校していたぐらいに好きだったバスケットボールの全国大会に出場するという経験もさせて頂きました。
高校生活ではたくさんの出来事があった。昼間に努めていた工務店の仕事が激減し、月の半分以上遊んでいた事もあり金属加工会社に転職するということ。今振り返れば10代でも転職というのは大きな出来事だと今でも感じる。
その後順調なサラリーマン生活を送っていけると考えていたのが僕の甘いところ。
違うことを違うと言ってしまう。上司にごまをするということができない。会社の方針を軸に話をしてしまう。当然のように会議の場でも衝突する。同じ会社の人に嫌われると仕事がやりにくくなるが、製造部から営業部に転属になると社外にたくさんの理解者が増えてきた。
僕の考えていることは、利益というものはお客様の力になれたり、お客様とは違う視点で物事を提案できたりするから対価として利益が生まれるという考え。言葉にすると当たり前のように聞こえることだけど、組織というなかではきれいごとでしかなくなる。
そんななか、会社の社長が株主から退任させられ代替わりが起こった。
代替わりが起こった時には納期はまもらない、『できない』という言葉が簡単にでる製造主体の会社へと変化していった。
営業という立場の僕は、現場のこともわかるがお客様のことも理解できる。『できない』という言葉は簡単に発せられるが、できない理由を言える人間は存在しなかった。本当にできない時は僕がお客様との商談の最中にお客様に納得していただいているからである。
こんな状況では衝突しかなく、事務所のおつぼねさんにもいじめられるようになった。
納品書を発行してもらえなかったり、送り状も用意してもらえなかったり、受注した製品を登録してもらえなかったり、と様々な嫌がらせが続く。ここで仕事を人に頼むから嫌がらせを受けるのだと考え、事務所内のほとんどの仕事を盗みにかかった。
こうして1年ほど経過した時に僕は思った。
『このままじゃお客様に迷惑がかかる』
転職活動を始め50社以上の面接をうけるも採用される会社はなかった。
ふと、自分の考えを形にしたいと思うのなら『起業』しかない。
という答えに行き着き起業することを決意。
起業すると言っても何も準備していないのでスムーズにいくわけもなく、ある会社の仲良かった一人の『商品買いますからという』一言を信じて起業。
当然工場も無ければ協力してくれる会社もない。色々なところに顔を出しながら事業を拡大していき現在7年目を迎えることができています。
製造業というのは不安定すぎるということもあり、会社経営の傍、最新のネットビジネスもはじめました。
これもすべて起業してからの繋がりであり最新のネットビジネスのお陰で浮き沈みがなくなり将来の不安もきえました。
ネットビジネスというと、孤独な中やり続けるというイメージや、パソコンのスキルがと考えることもたくさんありますが、僕はアナログな人間だったのでパソコンのスキルもなければ、ネットビジネスも理解していなかったけど、簡単にできるビジネスなので参入させていただきました。
このネットビジネスは、仲間がたくさんいてて指導してもらえることもたくさんあります。孤独とはかけ離れた、ネット上だけの繋がりではなくリアルの繋がりも増えていきます。
現在は会社経営の傍、副業コンサルタントとして活躍させていただいているなか、一人でも多くの人を、将来の不安から解放する手助けになればと考えています。