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昭和考/雪本剛章

統計論講師の雪本剛章です。自分が生まれてから30年間を過ごした<昭和時代>の世相を振り返ります。

500円玉が登場したのは、1982年(昭和57年)4月でした。当時は不況感が漂い、国鉄と健保、食管(コメ)の「3K赤字」が深刻化していました。

500円玉は全国に1億万枚が出回りました。直径26.5ミリ、重さ7.2グラムのずっしりした〈体格〉通り、500円玉は使い出がありました。

総務庁統計局(現:総務省統計局)の小売物価統計年報によると、当時、スパゲティは名古屋が410円、岐阜で467円、津でも477円でした。

つまり、軽い昼食なら500円玉一つで賄えたわけです。

一億総中産階級化~雪本剛章

「もはや戦後ではない」と経済白書が書いたのは、1956年(昭和31年)。

以来、日本の経済、社会、文化などの変容はすさまじいものとなりました。

このスピードを生み出した最大の要因は、技術革新と消費革命の2つといえるでしょう。

京都大学の故桑原武夫名誉教授は「日本の文化を支えるものとしての、日本の社会の変化の速度が、世界で最高だという事実です」と指摘しました。

技術革新と「三種の神器」

戦前にも生活合理化と営利主義に根ざした量産の時期がありました。

しかし戦後は、権威・権力の制度的基盤が崩れ、戦争知らずと民主化の社会をバックに、あらゆる生産物が一般大衆に提供されてきました。


技術革新による大量の生活用品、例えば1950年代の「三種の神器」は、テレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫でした。

この技術革新と大量消費は、労働時間の短縮や一般大衆の消費意識にまで影響して、日本人の生活意識を変えました。

1960年代は「3C時代」

約10年後の1960年代には、質の向上へと進んで「新三種の神器」時代が始まります。

カラーテレビ、カー、クーラーの「3C時代」に入りました。

マス文化と中流指向

一方、マスコミの普及は、無形な情報を大量に流して、日本の隅々にまでマス文化を伝えていきました。

物質的な成熟をとげた日本は、文化的均質化の時代に突入しました。目先は変わりますが、世代の差はなくなりました。「一億総中産階級化」と言われました。つまり中流指向です。



雪本剛章