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「死」を通して「生き方」を考える
看護師 *hana* の
死生学
言葉にするのもあまり良しとされない

だけど誰にでも100%訪れる

「死」

ちょっと、私と一緒に

「死」について考えてみませんか?

*hana*

「死生学」って?

こんにちは。看護師の*hana*です。

突然ですが、あなたは「死」について考えたことはありますか?


身近な人を亡くされた経験のある方は一度は触れたことはあると思いますし、もしかしたら一回も考えたことがないという方もいるかもしれません。

最近になって「終活」という言葉が出てきたように、少しずつ「死」について話題にすることが一般的に認知されつつあります。

ただ、まだまだ触れてはいけないような話題として認知されていることも事実です。

死生学とは、日本に「ガン告知」を広めた上智大学名誉教授のアルフォンス・デーケンさんがドイツから日本に持ってきた哲学。

誰もが人生一度は経験するのに、日本では話題にするのもタブー視されている、そんな「死」を扱う学問のことです。

死ぬことに対する恐怖

ただ、「死=怖いもの」という認識がありますよね。 死後のことはわかりません。

「死んだらどうなってしまうのだろうか。自分という存在がこの世から消えてしまうのか。」

そんなふうに考えるとやっぱり怖いと思うのはみなさん同じです。

日本では「死」というと、肉体的に消える、という意味合いが強いですが、

ドイツ語では動物が死ぬことは「verenden(フェアエンデン)」

そして人間が死ぬ時は「sterben(シュテルベン)」

と動詞を使い分けています。

「verenden(フェアエンデン)」は消える、という意味合いが強く、

「sterben(シュテルベン)」はより積極的に死を向かえる、という意味合いが強いものになります。

そのため、ドイツでは死をより積極的に迎え入れる行為という価値観があるのです。

死を目の前にした人の人間的成長

あなたは「余命◯ヶ月」と宣告された人が、様々な行動をして、周囲を驚かせた、というような話は聞いたことがありますか?

最近では映画やドラマでもそのような話があったりしますよね。

これは、死を目の前にして、「一人の人間として生きている間に何をするべきか」ということと向き合うことで、このような行動を移すことになっていくのです。

つまり、死を目の前にして、より人として成長することを望んでいることになります。

死について考えること=生について考えること

このように、死について考えることは同時に、一人の人間としてどうするべきか、という生について考えることにもなります。

これが、ドイツ語では死が単に”消えてしまう”という意味合いの単語ではなく”積極的に死を向かえる”、という単語になっている理由にもなります。

そのため、死を考えることは何も悪いことや嫌がることではないと、私は考えています。

むしろ、死を目の前にしなくても、今から死について考えていれば、日々の日常が

より積極的に、より人間的に、

成長できる時間になるのだと思っています。

配偶者と死別した男性の死亡率は4.2倍高くなる

死生学の大きなポイントは死に直面したときの心の状況やプロセスを客観的に見ることができることです。 なぜ、客観的に見ることができると良いのか。 韓国の現状についてこんな記事がありました。

”保険研究院の報告書によると、2010年に配偶者と死別した男性の死亡率は人口1000人当たり基準で13.3%と、配偶者がいる男性(3.2%)よりも4.2倍高かった。”
出典:かんこくのイマを伝えるもっと!コリア(2016年8月1日)


これは、配偶者という身近な存在と死別することに対応できずに自らの死に近ずいてしまう人が多くいるということを表しています。

若い人への悲嘆教育の必要性

『若い人は人生において必ず祖父母や父 母の死、結婚した日本の女性の多くは夫の 死などの死別を体験します。

人生は喪失 体験の連続です。

ですから、若い人のために悲嘆教育は 必要です。

今の学校ではいろいろな危機にどう対応するかという教育が欠けているのではないでしょうか。

具体的な方法として私は長年、中学や 高校で、年に1回は生と死を考える日を設 けるように提案してきました。

その日には 医師、看護師、死別を体験した人を招き、 話してもらうのが良いと思います。

それによって若い人は、将来のもっと苦しい体験に対応する方法を学ぶのです。』

出典:デーケン先生、死生学について教えてください



このようにデーケンさんは伝えています。

身近な人を失った時、極度な喪失感や悲しみ、辛さ、罪悪感など、一言では表すことができないような、人生で味わったことのない感情を味わうことになります。

ただ、そのような苦しい体験に対応する方法を学ぶことで、

その苦しみについて客観的に見ることができ、ただ苦しむだけでなく、

「対処をする」

ということができるのです。

誰にでも100%訪れる「死」

このように、死生学は自らの死について考えることで、

より日々を充実させてより人として成長を行うきっかけをつくる

「日々の生き方について考える」側面と、

身近な人の死に直面したときの苦しい体験に対応する方法を学ぶ

「死への準備教育」という側面があります。

何を信じたら良いのかわからない不確かな現代社会において100%と言い切ることができる、誰にでもいずれ訪れる「死」。

今回の死生学講座では、アルフォンス・デーケンさんの死生学についての基本的知識を知っていただき、 私が看護師として300人以上の方々の死に立ち会ってきた経験より、実際の死に直面した方々の様子やご家族の様子、終焉を向かえるまでのドラマなどを聞いていただくことで、 死について考える時間をつくっていただきます。

日頃はなかなか考える機会がない話題ですが、いずれ考えざるを得ない日がくる「死」。

一度この機会に「死」について考える時間をつくってみてはいかがでしょうか。

デスカンファレンスで色々な価値観に触れる

病院では患者さんが亡くなった際、医師、看護師など、立場が違う人間が集まり、デスカンファレンス(死についての討議)を行います。

一人の患者さんが亡くなる直前、医師としてはどう思っていたのか、看護師としてはどう感じていたのか、どのような対応がよかったのか、、、。

みんな立場や個人によって感じ方や意見が違うんです。

このように他人の意見を聞くことによって、自らの視野も広がり、気がかりであったことなどに対して少し気が楽になったりして、私はこの時間によってがとても有意義であると感じていました。

今回、少し形は違いますが、このようなデスカンファレンスをみなさんとやりたいと思っています。

より新しい「死」に対する価値観を得ていただき、よりよい日々を送っていきましょう。

みなさんと有意義な時間が過ごせることを楽しみにしています。

 
*hana*

詳細

日時 2017年6月3日(土)13:00〜16:00
価格 5,000円
※当日会場にてお支払いください
場所
〒107-0062 東京都港区南青山3丁目1-36 青山丸竹ビル3階
etom ami AOYAMA
表参道駅徒歩6分 / 外苑前駅徒歩2分
※南青山3丁目の交差点そば、246青山通り沿いfrancfrancと大丸ピーコックの間の細長い黒いビルです(1階タバコ屋さん)
価格 5,000円
※当日会場にてお支払いください

最初で最後の企画になるかも、、、

そうそう、一つ言い忘れていました。

私は看護師なのですが、2014年に病院を辞めて、今はフリーの看護師として個人の方お相手に仕事をしつつ、一方で人の本質やタイミングがわかるマヤ暦を通して人々に寄り添い、サポートをする活動を行っています。

なぜ、病院を辞めたかというと、一番は体力的に厳しかったことがあったんですね。

そのため、現在は無理なく自由気ままに、

自分の気持ちを優先して、日々を大切に活動をしています。

これからも、そのときの風に吹かれるように、

その時々の自分の気持ちに正直に、

日々を大切にしていこうと思っています。


そのため、今回の企画も次やるかどうかはわかりません。


その点、ご了承くださいませ。


そして、こんな*hana*にご縁があってお会いできるみなさま。


お会いできる日を楽しみにしてますね。


*hana*

講師プロフィール

*hana*

看護師・マヤ暦アドバイザー 神奈川県生まれ
子供の頃の入院経験時、当時優しくしてくれた看護師さんに憧れて看護師を目指す。学生時代に、当時タブー視されていた「死」についてユーモア溢れる口調で話していたアルフォンス・デーケン教授に出会い「死生学」について興味を持つ。その後、看護師となり、300人以上の「死」に立ち会ってきた経験より「死」について考えることの重要性を感じ、自らの経験を元に一般向けに死生学を伝えることを始める。現在はフリーの看護師として活動しつつ、マヤ暦アドバイザーとして様々な人の本質やタイミングを伝え、導く活動をしている。