FOLLOWING JESUS

「チャペルカフェ」へどうぞ

おいしいコーヒーを飲みながらゆっくりしませんか?

貧しくて学校へいくことのできないアジア、アフリカの子どもの支援のためのチャリティーバザーもあります。
どなたでもおいでください。(入場無料・駐車場有り)

日時 7月4日(火)10時30分~13時30分

場所 日本メノナイト白石キリスト教会

    






ようこそ!

当教会は「メノナイト派」というキリスト教の一派に属する教会です。札幌市白石区の現在の地で活動を始めてから、今年で51年目を迎えました。

キリスト教にはどんなイメージをお持ちですか?本物のキリスト教には人を元気にする力があります。当教会も、まだまだ目指すところには達しませんが、知恵を出し合い、「本物」に近づくべく、毎週日曜日集まっています。無理な勧誘はしませんので、最初は気軽な気持ちで足を運んでください。どなたでもお待ちしております。

定期集会案内


日曜礼拝
毎週日曜日
10:30~

聖書研究・祈祷会
毎週水曜日
10:30~

予約は不要です。
参加費用はかかりません。
初めての方
歓迎いたします。

アクセス

日本メノナイト白石キリスト教会
日本メノナイトキリスト教会協議会所属)
Japan Mennonite Shiroishi church
〒003-0029
札幌市白石区平和通9丁目北5-26
tel&fax:011-892-4968
email:menoshiro9@gmail.com

※JR白石駅から徒歩20分、
地下鉄東西線南郷7丁目駅
から徒歩25分です。

※駐車場がありますので車で
来られても大丈夫です。

北海道に来た宣教師



北海道のメノナイト教会は、1951(昭和26)年、米国人宣教師たちの布教活動により始まりました。最初に来た宣教師の中にラルフ・バックウォルターがいました。彼は第ニ次世界大戦中に良心的兵役拒否者として収容所に入れられ、重労働に従事した人です。「良心的兵役拒否者」とは、自らの良心に従い、兵役を拒否する人々のことです。第ニ次大戦中、米国で良心的兵役拒否者として届け出た人は1万人に達しました。その中でクェーカー、ブレザレン、メノナイトの信徒が最も多くを占めました。この3つのプロテスタント教会は、創立以来「平和と戦争拒否」を旨としてきたので、歴史的平和教会と呼ばれています。
1948年、ラルフ・バックウォルターが戦争終結後米国インディアナ州のゴーシェン大学で学んでいたとき、チャペルにおいて日本の広島女学院長、松本卓夫博士のスピーチを聞く機会がありました。松本博士は広島に原爆が落ちた時、学校の事務室にいました。学校は、つぶされたのですが、やっとのことで這い出し、助かった人です。博士は学生たちに、原爆投下後の悲惨な状態や、多くの教師、生徒たちが死んだことを語り、また戦争中に日本が米国人またその他の国の人々に対して犯した多くの罪を許してくれるようにと謝罪しました。そして、日本の軍国主義の悪霊は失われたが、悪霊の代わりにキリストの福音が必要であり、そのために祈ってほしいと切々と語ったのでした。
宣教師を志していたラルフ・バックウォルターは、非常な感動を受け、自分の行くべきところは日本だと気付かされました。日本に許しを乞い、キリストが示した愛の道を日本で見つけようと決心したのでした。松本博士の講演の影響は大きく、メノナイト教会の指導者たちは、すぐにでも日本にメノナイトの宣教師を送らなければならないと話合いました。そのような状況のもとで日本行きを志願していたラルフ・バックウォルターの日本派遣が決定したのでした。1949年6月のことです。

来日したラルフ・バックウォルターが、1951年5月に東京で行われたある集会で話した内容が残されています。その一部を記します。(1)

 「戦争中、良心的兵役拒否者であった私たちは、戦争に対する米国の罪をますます深く感じるようになりました。東京、ベルリン、長崎、広島の爆撃には、自分たちも責任があると感じました。真珠湾攻撃にさえ、責任があると言えないでしょうか。米国政府は、戦争に至る前に日本に大変不親切でした。米国のこうした罪を償うためにどうしたらよいのでしょう。戦争原因を除くために、どんな仕事をすれば良いのでしょう。戦争は、国家や人間の心に潜む人間的な誇りや利己心に深く根ざしています。神の国を建てるために、自分の生命をキリストに捧げることが必要なのだと私は考え始めました。戦争中の良心的兵役拒否者としての経験から、私たちには、その大きな責任が課せられているのだとも考えました。

注:ラルフによるトラクト『ある良心的兵役拒否者の証し』は日本で発行されたメノナイト教会第1号の印刷物です。 

良心的兵役拒否者たちの証を簡単にお話ししましたが、平和の証しで最も大切なものは何でしょうか。良心的兵役拒否という言葉は消極的です。私たちは平和を築く者と呼ばれなければなりません。大切なことは実行です。人々の心も体もいやすために働き給うたキリストの御跡を慕うことです。平和の証しは、福音と強く結びついています。それは福音の中心です。キリストは十字架の上で、平和へのただ一つの道である和解の道をお示しになりました。神は今、私たちがキリストと共に苦しみ、キリストの弟子として、苦難の道を歩むことを求めていらっしゃいます。


『自分の生命を得ようとする者はそれを失い、わたしのために自分の生命を失っている者は、それを得るであろう。』(2)

キリストの愛の道を歩むすべてのキリスト者も力を合わせて、平和の証を立てなければなりません。そのために、私の話がお役にたてれば幸せです。」

(1) 『バイバイ、おじちゃん―ラルフ・バックウォルター詩集』(矢口以文訳、響文社、1986年)
(2) マタイの福音書10章39節

キリスト教のお話は「本当」だと思いますか?
聖書には、イエス・キリストの処女降誕や、数々の奇跡など、不思議な出来事が数多く書かれています。とても本当とは信じられない、問題外だという人が結構多いのではないかと思います。また、そもそも「神」の概念は人間が作り出したもので、神などいるわけがないという人もいるでしょう。キリスト教の信者も神の存在を信じているだけで、神が見えているわけではありません。新約聖書のヨハネの福音書にこのような箇所があります。

「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。」
ヨハネの福音書1章18節(新改訳聖書)

「ひとり子の神」とはイエス・キリストをさします。
新約聖書によると、イエス・キリストは、神の国の福音を語り、貧しい人・病んでいる人を助け、数々の奇跡を行いました。しかし生涯の最後に、当時のユダヤの宗教指導者層に疎まれ十字架にかけられ殺されてしまいます。そして墓に葬られ、3日目の朝に死に打ち勝って復活し、墓は空になったと書かれています。イエスの復活の出来事は人から人へと伝えられ、キリスト教として第一世紀の地中海世界で爆発的に広がる歴史的事実を生みました。(新約聖書 使徒の働き2章参照)
師を失って落胆していた弟子たちのどこに、そんな力があったのか。復活したイエスに出会ったことが、弟子たちが立ち上がる力の源になったのではないか。

イエスが復活したその日からこの世界は一変しました。まさに革命です。死は打ち破られたのです。このようなことが起こり得るかということは、この世界をどう見るかということにかかってきます。神も仏もいない、また、いたとしてもこの世界には、まったく関わらないという考えがひとつ。それとも天(神のいる場所)と地(人のいる場所)は様々な仕組みで重なり合い、関わり合っているのがこの世界の成り立ち方だと考えるのがもうひとつ。

もしキリスト教が「本当」だったら、すごいことだと思いませんか?
私たちの教会に来て礼拝と祈りを共にし、キリスト教に触れてみませんか?