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丹波篠山 真丹山 願勝寺












願勝寺通信/第54号配信中

御先祖と心のふるさと 丹波篠山 
禅 曹洞宗 願勝寺

合わす手に願いを叶え給う
御本尊 薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)

願勝寺の歴史

願勝寺は兵火と再興の繰り返しといっても過言ではなく当初は真言宗千眼寺の末寺として開創され、願王将軍(がんのうしょうぐん)地蔵菩薩を御本尊であることから、願勝寺との称号がついています。元暦元年(1184)、源平の戦に敗れ、一の谷に敗走する平家を追った源義経の軍勢が真南条街道を通過したおり、周囲の寺も 願勝寺も兵火にあって全焼してしまいました。焦土となった寺を、中世、丹波の守護職だった細川氏らが伽藍を再建、古先印元(こせんいんげん)大和尚を迎えて、宗派を真言宗から臨済宗に改め、寺の勢力を盛り返し、山陰十刹の一寺になりました。しかし天正7年(1579)、八上城を攻撃した明智光秀の兵火にあい、またも寺は全焼してしまったのです。その後 土地の豪族、酒井藤左衛門重好が田畑山林を寄進して寺を再建、洞光寺二十五世老山泰静(ろうざんたいじょう)大和尚を迎えて、宗派を曹洞宗に改宗して今に至っています。


お気軽に願勝寺へお参りください・・・
住職 岩田 雅之  兵庫県丹波篠山市真南条中819 電話 0795-95-0708

檀家のご先祖さまのお勤めや法要や会合などの日常に加えて
願勝寺通信の発行をはじめ、研修会の開催や地元の親交を深める催し、
お寺と地域それに地元の活性化や企業・団体などの教育や修養の場としても
ご活用いただけるように、これまでご縁のなかった方々も広く迎え、
開かれたお寺を目指しています。
風情ある丹波篠山へお越しの折は是非 願勝寺へもお参りください。

願勝寺通信 

第54号   令和3年2月発行

令和3年3月10日(水) 願勝寺『大般若祈祷法会』勤修

毎年恒例の願勝寺『大般若祈祷法会』を下記のように行います。
この法会は、『大般若』経巻転読によるご祈祷によって
『般若経』の空(くう)の教えを体得し、すべての苦厄(くやく)を消しさって
内外の怨敵(おんてき)を退散(たいさん)させ、五穀豊穣や商売繁盛・家内安全・子孫長久を
祈念し人びとを幸福な生活にみちびいてゆくことを願う法要です。

「転読大般若」は、今ここに生きている私たちの1年の幸福を祈る内容です。
よって1年間、気持ちよく生きることができるように、参列くださると良いと思います。
多数のお参り・ご参加をお待ちいたしております。


            記

日時   令和3年3月10日(水) 午前10時

場所   願勝寺本堂

法要   大般若祈祷法要

祈願料  金1000円

日程    10時    大般若会
      11時    弁当・お茶 お持ち帰り  

申込   ※真南条・波賀野の檀家様

祈願料 各戸1,000円を地区総代様・役員様に集めていただきます。

※他所の檀家様

振替用紙を同封いたしますので、ご入金は振替用紙でお願いします。

※一軒に2名以上御参加の場合、

二人目より一人につき昼食代500円お願いします。

梅花講員は法要協力者ですので、1軒で2名参加となっても昼食代は不要です。

※ なおコロナ禍のためアトラクションは中止いたします。


欲望に引きずられない生き方

2月15日はお釈迦様のお亡くなりになられた日「涅槃会」です。涅槃とはインドの言葉「ニルバーナ」の音写語で、吹き消すという意味です。つまり火を吹き消すように煩悩や妄想が消えた状態のことです。悟りイコール涅槃なのですが、食欲などすべての煩悩が消えるには亡くなる以外にないので、覚者が亡くなることを般涅槃といいます。

涅槃に先立ちお釈迦様は最後の説法をされました。その模様と教えは佛垂般涅槃略説教戒経に説かれています。

最後の説法は主に弟子たちに説かれたものですが、21世紀の私たち現代日本人にも大変示唆に富むものがあります。「汝等比丘、當に知るべし、多欲の人は利を求むること多きが故に苦悩も亦多し、少欲の人は無求無欲なれば則ち此の患ひ無し」。この一節は豊かさの限りを尽くし、飽食の時代を生きる私たちに対する警鐘と受け取りたいと思います。

日進月歩で進化する科学技術とともに私たちが手にしたものは、豊かな暮らしでした。ところがその結果、いたずらに不必要な欲望までがどんどん増大し、心の豊かさが得られるどころか、苦悩を増大させているのです

昔、私の愛車の走行距離が14万キロを越えた時、ある人が私に言いました。「このクルマ、商品価値ゼロですね。」私は言い返しました。「商品価値はゼロかも知れませんが、利用価値はまだまだありますよ。」

本来、商品価値と利用価値は同じであるのがベストだと思うのですが、今の日本ではその落差が大きすぎます。それは目先のかっこよさや目新しさに惑わされ、不必要な欲望がどんどん増大させられているからではないでしょうか。

ローンでクルマを買い、その支払いが終わる前に、また次のクルマが欲しくなる。これでは幸せを求めているのかローン地獄に引きずりこまれているのかわかりません。

毎月、心のケアを目的として読経・御詠歌・お話などをするために訪れている老人ホームである時、集まった入居者を前に、頭の体操にと算数の問題を出してみました。聴講者の年齢は七十代から九十代の主に女性です。

先ず簡単な足し算から始めました。2+3や7+4などは「そんなの和尚さん簡単や」と言っていとも簡単に答えていきます。じゃあ今度は引き算です。7-4や3-2まではよかったのですが「2-3は?」と質問すると「そんなの引ける訳ない」というのが全員の答えです。マイナス1という答えが出ないのです。

この年代のお年寄りにはマイナスの概念がないことに気づいた私はそれを説明するために、傍にあった造花を3本手に取り、2本を満九十九歳の女性入居者の手に握らせ、あとの1本を私が持ちました。そこでこのおばあちゃんに向かって、「隣の芳子さんに3本あげて」と言うと、「和尚さん、私は2本しか持ってないから3本はあげられん」と言います。「私が1本貸してあげるから」と言って渡すと、「貸してもらえば3本あげられるなー」彼女はやっと納得してくれました。

私は借りるという喩えでマイナスを説明しながら、ハッとしました。マイナスの概念を持たないこの人たちは自分の持てるお金以上には、ものを買おうとはしないだろう。

翻って私たちは、クレジットカードやローンといった便利な方法で、いとも簡単に自分の持てる力以上のものを購入してしいるのではないか。それが悪いと言うのではない。要は「いとも簡単」過ぎて、不必要な欲望に振り回されることが問題なのです。

超高齢時代の到来によって、寝たきりや認知症老人の増加も問題になっています。ボケ防止本を発行した国立長寿医療センターの田平武所長は「食生活、運動で老化の進行を止め、あるいは遅くできる」と言っています。カロリー制限だけで老化進行にブレーキをかけることができるというのです。楽や美食をいたずらに求めることが身体ひいては心をも蝕むのです。

豊かで飽食の時代に生きるわたしたちだからこそ、お釈迦様の「少欲」の教えをしっかりと受け止め、いたずらに無駄な欲望が満たされても、本来の自己の充実にはつながらないことを自覚してまいりたいものです。

願勝寺住職  岩田雅之 

 

願勝寺いろいろ

水のこころ 詩人・高田敏子  

水は つかめません  水は すくうのです 指をぴったりつけて
 そおっと 大切に

水は つかめません  水は つつむのです 二つの手の中に 
 そおっと 大切に

 水のこころ も  人のこころ も

 この詩は『水のこころ』と題した詩人・高田敏子の詩です。 

この詩には「つかむ」と「すくう」と「つつむ」という三つの行為が出てきます。

 水を「つかむ」には、暴力的、腕づくで、粗暴さ、がむしゃら、理不尽

さ、無理強い、強引さ、乱暴さ、荒々しさなどが感じとれます。

 水を「すくう・つつむ」には、優しさ、愛おしさ、温かさ、親切心、思慮

深さ、思いやり、心づかい、柔らかさ、いたわりの心、慈愛、恵み深さなどが感じとれます。

 水のこころ、人のこころ 

さて、水に心があるのでしょうか。

作者は「水にこころがある」と思うから「水のこころ」と書いているのでしょうか?

「水のこころ」とはどんな心でしょうか?

わたしは、こう考えます。「水は、そおっと大切にすくってほしい、つつんでほしい、

水はそう願っている。」と。

「水のこころ」は「人のこころ」と重なります。作者は「水のこころ」を喩えにして

「人のこころ」について言っているのではないでしょうか。

「水のこころ」と同様に「人のこころ」も「そおっと大切にしましょう」と

言いたかったのではないでしょうか。

 人間が事物(もの)に対する接し方と 人間が人間(他者)に対する接し方、その場合の「人

のこころ」のあり方はいかにあるべきかについて、水を つかむ・すくう・つつむ の事例を挙

げて、それを喩えにして人間の他者にたいする対し方、接し方、つまり「人間のこころ」の

あり方について言っているのではないでしょうか。 

人のこころをすくう とは 

では、人のこころをすくう時のすくうは漢字書くとどんな字でしょうか?

「掬う」ではなく、「救う」でありましょう。

 作者は、救うことをうまく隠して表現しているのです。 

人は、子供や家族を養い育てる期間には人を救うほどの余裕はないかもしれません。

でも子供たちが一人前になり、自分自身も定年を過ぎ、ふと人生の価値や目的を考えたとき人を

救うことの大切さに気付くのではないでしょうか。

今様の言葉を使うならば「ボランティア」、道元禅師の お言葉ならば「自未得度先度他(じみと

くどせんどた)」ということになるでしょう。自分が目的地に到るための橋を渡る前に人様を先に

渡してあげましょう、ということです。私たちには、社会奉仕やボランティアを行うことで人を

救う行いをすることが、実は自分自身が救われていく道だと思うのです。

それは、先に旅立たれた大切な方を思うこころにも通じるこころだと思います。



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願勝寺の歴史については丹波篠山市曹洞宗護持会発行・多紀の曹洞を参考にしております。
丹波篠山 願勝寺への連絡は
岩田雅之 <m-iwata@gaia.eonet.ne.jp>へ
ご遠慮なく連絡をいただきたく存じます。

丹波篠山市 真丹山 願勝寺  岩田雅之    合掌

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住職 岩田 雅之  兵庫県丹波篠山市真南条中819 電話 0795-95-0708

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