私は学生の頃、耳が聞こえない友達の為に日本の映画に日本語の字幕を付けるボランティアをしていました。
当時は動画編集ソフトも使い勝手が悪く15分の動画に字幕を付けるのに1時間も掛かってしまう程、効率の悪い作業でした。
学生の頃、私はとても純粋で貧富の差、特に貧しい国の理不尽を本気でなくしたいと志し、お金がないながらも少額でしたが募金もしていました。
その後、起業をし何度か失敗もして成長していく中で自分自身いつのまにか、気付かぬうちに資本主義に犯されていました。
私が一番理不尽で無くしたいと思っていた貧困で餓死する子供達を、くだらない押し付けられた常識で自殺する大人達を、私が見て見ぬふりをしてきたのです。
それはまるで、イジメを見て見ぬ振りして何もしない人と同じで、注意したら私がイジメられてしまうかもしれないから、自分の事で精一杯って言い訳をしている様でした。
資本主義の中にいたから、稼ぐのに必死でそれが普通それが常識、みんなしてる事...
何も気付けなかったのです。
要するに私はイジメの傍観者と何も変わらなく、まるで子供でした。その事にやっと気付けた時、心の底から自分自身を恥ずかしく思いました。
「みんな幸せになる為、分け合いましょう!」
それを綺麗事だと思う人もいるでしょう。
綺麗事で結構です!
しょうがない、そういうものだから、知らなかった..そう言って奴隷の様に屈従する人生を生きるのを私は辞めました。大人だからこそ綺麗事を言う為に生きるのです。
山分けに一番大切な事は、感染症に立ち向かうのに一番大切な事と同じです!
それは「誠実さ」です。
これは偶然ではありません!!
「自分だけが良ければいい」という、いつのまにか資本主義に侵されていた心を手放し、今こそみんなの為に動き出す時です!
〜最後に〜
今、私達は資本主義・個人主義・唯物論思想の中にいます。
要するに「弱い者は死んでも構わない」に同意しているのです。
その事実にどう思いますか?
弱い者に自分の両親が含まれていたらどうですか?
あなたが、たまたま貧しい国に産まれていたらどうですか?
そして同時に現代は惑わしの時代です。
自分が良ければ他はどうでもいいという考えで平気で嘘がつかれています。 みんなが言っているからと言ってそれに従っても..同様に..
多数派が間違ってる事があるのは、歴史が多く証明してきました。
そうです私たちは、騙され善意すら合理的に利用される欲望の時代に生きている事にすら気づけないのです。
善意で行動していたつもりが、騙されていて悪い事に加担させられていたらどうですか?
人生を捧げてきた事が全て間違っていたらどうですか?
今マスクを作ったり寄付をしたりという人が増えて来ています。まさにパラダイムシフトの時は来ました!
副業でも少し才能を分けていただくだけでも構いません。
少しでも一人でも!
ここの組織に所属しなくてもいいです!
一人一人が立ち上がる事を心より願っています!
※Shareは、フェアな山分けと優しい人を増やしたいという純粋な概念で2012年に創設されました。