1962年3月、神戸港で船舶貨物の保全警備、港湾警備を行うために設立された日本船貨保全株式会社、現在の株式会社大日警が設立されました。警備を専業とする警備会社ということであれば、この日本船貨保全が日本最初の警備会社ということになるのかもしれません。しかし、この日本船貨保全は神戸港の港湾関連だけに限った警備を行うために設立された会社でした。
巡回警備や身辺警備のような、現在の総合的な警備業務を行うために設立された警備会社が日本で最初に設立されたのは一般的に、1962年7月の日本警備保障株式会社、つまりセコム株式会社の設立だとされています。つまり、セコムの始まりが日本における警備業の始まりであり、セコムが日本初の警備会社なのです。
日本警備保障として設立されたセコムですが、その当時は警備という概念が全くなかった時代でした。警備業が人々に認知されるようになったのは1964年、日本警備保障が東京オリンピックの選手村の警備担当に抜擢されたことによってだったといえます。
日本警備保障は早くからオンライン安全システムの開発に取り組み、1966年には日本初のオンライン安全システム「SPアラーム」のサービスを開始しました。
セコムの創業者である飯田亮氏と戸田壽一氏の二人がこのオンライン安全システム、SPアラームの開発に取り組み始めたのは東京オリンピック閉幕直後の1964年11月でした。当時のSPアラームは基本的に、現在オンライン安全サービスと大きな違いはありません。契約先に防犯・防火センサーを取り付け、通信回線を通じて24時間遠隔監視して、建物への侵入や火災などの異常発生を検知すると緊急対処員が駆け付けるという、今日のオンラインセキュリティーサービスの出発点となったものです。
警備にこうした最先端のテクノロジーを導入したのも日本で初めてだったのです。この取り組みが後のセコムという社名につながります。
日本警備保証はセコムという社名に変わる前の1973年、社名はそのままでセコム(SECOM)というブランドを立ち上げました。セコムとはセキュリティ・コミュニケーション(Security Communication)という言葉を略した造語で、「人と科学の協力による新しいセキュリティの構築」という新しいコンセプトによって生み出されたものです。
日本警備保証はオンライン・セキュリティー・システムの普及で構築したネットワーク基盤を活用し、革新的なセキュリティーサービスを次々に生み出していきます。
1975年にはオンライン・セキュリティー・システムにコンピューターを導入して、世界初のコンピューター・セキュリティー・システムを実現しました。また1981年には日本初のホーム・セキュリティー・システムを発売し、家庭市場に進出していきます。
そして、1983年12月、「セコム」というブランドを社名とする社名変更を行いました。日本警備保障株式会社はセコム株式会社になったのです。
セコムは日本で一番最初に設立された総合警備会社です。そのセコムを1962年に創業したのは飯田亮氏と戸田壽一氏の二人です。
飯田亮氏は学習院大学卒業後、家業である東京・日本橋の酒問屋・岡永商店で営業を担当していました。しかし飯田亮氏は5人兄弟の5男だったので、将来は独立したいと考えていたといいます。飯田亮氏は当時、学生時代からの友人であった戸田壽一氏と飲み、将来の夢として独立を語り合っていたそうです。
飯田亮氏と戸田壽一氏は1961年、欧州から戻った共通の友人に、欧米におけるセキュリティー会社や警備についての概念を聞いたそうです。当時の日本には欧米におけるセキュリティー会社に相当する会社や、警備という事業はありませんでした。警備業というものが全く新しい事業であり、そこに可能性を感じた飯田亮氏と戸田壽一氏は警備会社の創業を決断しました。これが日本警備保障、今日のセコム創業の瞬間です。
https://www.secom.co.jp/corporate/vision/story01.html
セコム創業期物語「第1回 創業者2人が創業を決めた時」
1961年、飯田亮氏と戸田壽一氏の2人は東京千代田区九段南の千代田会館というビルに設立準備事務所を開設し、その後、1962年の7月7日、東京港区芝公園にあるSKFビルに日本警備保障株式会社、つまりセコムを設立しました。
“この千代田会館は、二人にとっては、参考書類を集めたり、企画に頭を使ったりして、"生みの苦しみ"の多かった場所でした。近くに桜の名所として有名な千鳥ヶ淵もあり、翌37年春には窓越しに見えた桜の花がとても美しく、その後もその風景が強く印象に残っているそうです。”
https://www.secom.co.jp/corporate/vision/story01.html
セコム創業期物語「第2回 東京・九段に開設した設立準備事務所」
飯田亮氏、戸田壽一氏がセコムの前身である日本警備保障を設立した当初、日本には「警備業」という概念がなかったことから、営業で苦しんだこともあったそうです。しかし、オリンピックがその流れを変え、警備業が浸透していきました。さらには飯田亮氏、戸田壽一氏が開発した革新的なセキュリティーサービスであるオンラインセキュリティーサービスのSPアラームが警備業をさらに発展させました。
今日の警備業の発展で飯田亮氏、戸田壽一氏の二人とセコムが果たした役割は非常に大きいのではないでしょうか。そういった観点から見ると、飯田亮氏、戸田壽一氏の二人はセコムの創業者であると同時に、日本の警備業の生みの親だといっても過言ではありません。
飯田亮氏と戸田壽一氏という二人の創業者が夢を持って設立した日本初の警備会社、セコム。セコムは日本の警備業のトップを走り続け、警備という事業でセコムは社会に貢献しています。また今日のセコムは警備業のみならず、安心・安全・快適な社会のための社会インフラや社会システムの構築にも取り組んでいます。
そのセコムは今、どんな人材を求めているのか?現在のセコムの経営者である中山泰男代表取締役会長はセコムの応募者に対してメッセージを発信しています。
「社業を通じて社会に貢献するのがセコムの役割であり、周りの人々の役に立つことを喜びと感じる人、そのための挑戦意欲が高い人に、ぜひ仲間になってほしい。時代の変化を先読みし、どうしたら世の中の役に立てるか、知的好奇心が旺盛で、日々成長できる想像力の豊かな人を求めています」
挑戦意欲の高い人、これはまさにセコムを設立した時の飯田亮氏のような人物だといえます。そして、周りの人々の役に立つことを喜びと感じる人、これは戸田壽一氏のような人のことでしょう。時代の変化を先読みできる人、これは飯田亮氏、戸田壽一氏という日本で初めての警備会社を設立した二人のような人ではないでしょうか。