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日本キリスト教会
    佐呂間教会

 先日は日中の気温も、20度を超える陽気でしたが、一転して翌日は雪の降る一日となり、まだまだ春本番とは言えません。それでも、晴れた日の日中の穏やかな日差しは、年度の変わり目にいろいろな新しい始まりを迎えた人たちを優しく祝福しているようです。
 先のイースター礼拝では、わたしたちのために死を超えて、命の希望を指し示して下さったイエスさまのご復活の出来事を、共に喜び感謝しました。
 その希望に生かされて、また歩みを始めていきたいと思います。
 
 次週(2024年4 月14日) 主日礼拝(午後2時~3時)
 説 教「まず自分自身を見つめることから
」(ルカによる福音書6:37~42)  
 
 
礼拝やその他の集会は、いつでも、すべての方に開かれています。聖書・讃美歌などは教会に準備がありますので、どうぞどなたでもおいでください。


わたしたちの教会は、1907年に佐呂間の地に入植した、近藤直作という一人のクリスチャンの志から始まった、プロテスタントの教会です。最初の教会堂は佐呂間町武士にありましたが、1969年に現在の場所に移転、更に2001年には、現在のログハウスの新しい教会が建てられました。小さいですが、佐呂間の地にあって、すでに110年以上の歴史を重ねてきています。

 この教会では、現在、次のような集会を行っています。
礼拝も どの集会も、信徒でなくてもご出席いただけますし、むしろ皆さんをお待ちしておりますので、どうぞおいでください。聖書や讃美歌は、教会に貸し出し用のものがあります。

◯日曜礼拝~毎週日曜日午後2時から
 礼拝は、聖書の朗読・讃美歌・お祈り・説教(聖書のおはなし)・献金などで、約1時間ほどです。現在は、子どもたちも含め、毎週10名前後が、佐呂間、遠軽、北見などから集まっています。
◯聖書を読み、語り、祈る会~第一木曜日午前10時30分から
 聖書や信仰についての本を少しづつ読み合い、感じたことや疑問、自分の生活との関わりなどを自由に話し合う場です。話し合いの後、祈りの時を持っています。

その他、季節の集会などについては、下段の「佐呂間教会のご案内」の中で随時お知らせいたします。


牧師とのお話やご相談を希望される方は、日曜日以外に毎週木曜日、教会に在室しておりますので、遠慮なくお訪ねください。また、そのほかの曜日でも、お電話(℡ 01587-2-3629)や下記のフォームにてご連絡いただければ、お訪ねいただけます。

2024.4.7  佐呂間教会 主日礼拝説教

聖書: ヨハネによる福音書20:19~29    

説教題 「あなたがたに平和があるように」

 

「その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた。」(19節)

 

ヨハネによる福音書によると、イースターの日の朝、イエスさまの復活の出来事に出会ったのは、マグダラのマリア、シモン・ペトロ、そして「イエスが愛しておられた」というもう一人の弟子の3人でした。 けれどもその中で、復活のイエスさま“その方”に出会ったのはマリアだけであったと言ってよいと思うのです。マリアは復活のイエスさまに、「マリア」と呼びかけられ、「ラボニ(先生)」と答えることができたからです。

一方、ペトロともう一人の弟子は、イエスさまの墓の中に入って、そのお身体がなく、包んでいた布だけが残されているのを「見て、信じた」(8節)、と聖書に記されているにも関わらず、続く今日の箇所では、他の弟子たちと共に「ユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた」と記されています。これはつまり、彼らにはまだ、復活のイエスさまに出会うことのできた喜びや、その復活の事実に支えられ、促されて始まった“新しい生き方”が生まれていなかったことを表しています。

もちろん、弟子たちがこのように鍵をかけ、閉じこもってしまう状況や理由は理解できます。聖書はそれを一言、「ユダヤ人を恐れて」という言葉で言い表していますが、ともかく、わずか数日前から、怒涛のようにイエスさまの身に起こったことを見続けてきた弟子たちです。理不尽な裁判に無理やりかけ、ローマ総督のピラトのもとに持ち込んでまでイエスさまを十字架で処刑した、そのユダヤ人たちが、今度はイエスの弟子であった自分たちにも弾圧や迫害を加えてくるかもしれない、と考えれば、「鍵をかけて」閉じこもっていたことも、ある意味仕方がないのかな、とも思うのです。

 

 けれども、「鍵をかけて」自分たちだけで閉じこもっている、ということには、単なる、わが身に及ぶ危機に対する「恐れ」だけではない思いがあるのではないかと、今回考えさせられました。 そこには、“今の自分たち”、そして自分たちの“現状”をこれ以上変えられることへの「恐れ」、言い換えれば、今の自分やこの現状を崩されること、乱されることへの「恐れ」があるのではないかと思ったのです。

 今の自分のままでいられること、現状が保たれることは(すべてが良いことばかりとは言えませんが)、やはり安心であり、心地いい―そのことを否定することはできません。弟子たちも、イエスさまが十字架にかかって死なれた後、イエスさまの死を悼み、今後への不安や恐れ、また、これまでの思い出を共有できる仲間どうしだけで一つの家に集い、いろいろなものから、自分たちを守ろうとしていたのではないでしょうか。

けれど、そこへイエスさまが来て、彼らの真ん中に立たれます。鍵をかけていたことも、閉じこもっていたことも、神さまにとっては何の障害にもなりません。 わたしたちは、“相手もいろいろな理由や事情があるのだろう”と、踏み込むことにためらいを覚えたり、尻込みしたりします。

 しかし、どんな理由があるにしても、神さまはその人間のただ中に来られます。そして言われるのです。「あなたがたに平和があるように」と。

 これは、 ユダヤ人を恐れていた弟子たちに、単に“落ち着け”というような意味での慰めや心の平安を願っただけのものではなかったと思われます。 ある人が、ここでの「平和」というのは、同じヨハネによる福音書の中の、イエスさまが十字架にかかる前の、いわゆる“告別説教”と言われるものの中で語られた次の言葉―「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える・・・心を騒がせるな。おびえるな。『わたしは去っていくが、またあなたがたのところに戻ってくる』」(14:27~28)―の成就なのだと解説していました。

 つまり、「あなたがたに平和があるように」と、今日の箇所で3度もくり返される、このイエスさまの言葉は、“わたしがまたあなたがたのところへ戻って来た”ということを告げる言葉、と聞くことができるのだと思うのです。

 

 しかも、“戻って来た”というのは、出かけた先から戻った、というのではありません。あの十字架の死を超えて、弟子たちのところへ戻って来て下さったのです。そのことが、20節の「(十字架の釘跡の残る)手とわき腹とをお見せになった」という言葉に表されています。

 

 クリスマスの時、インマヌエル―“神われらと共におられる”という意味―と呼ばれる方としてお生まれになった方は、本当に、このようにご自身に対する死の力をも超えて、“わたしたちと共におられる”ということを証ししてくださった。

だからこそ、ここに至って弟子たちもようやく、復活のイエスさまご自身と“出会えた”。そしてその出会いが、20節で語られるように、「主を見て喜んだ」ということを、彼らにもたらしたのでしょう。

 

この復活のイエスさまによって、“神われらと共におられる”ということが、イエスさまの死によっても、そしてわたしたち人間誰もが迎えねばならない死によっても、揺らぐことがない、確かな事実とされました。それが人に、わたしたちに「平和」をもたらすのです。

 

ただ、最後に聞いておきたいのは、この「平和」は、わたしたちがそれによって、神さまと共にある安らぎを得るためだけに与えられているのではない、ということです。平和は、「わたしもあなたがたを遣わす」(21節)とイエスさまが言われるように、この世の中に、人々の中にわたしたちが“派遣される”ためにも与えられるものなのです。

死をも超えて、“神がわれらと共におられる”―そのことがわたしたちに約束されているのです。そのような者として、今日から始まる新たな週も、この世における自分の持ち場、様々な関わりの中に遣わされていく者でありたいと思います。

                                                                (4月7 日 主日礼拝説教より)





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佐呂間教会のご案内~風景いろいろ・行事いろいろ

祝 イースター!
 今年のイースターは3月31日(日)でした。
 コロナ禍であったこの4年間も、イースターの礼拝は変わらずまもられ続けていましたが、その喜びや感謝を、皆で分かち合う時を持つことが、なかなかできずにきました。
 今年は、ここしばらくの落ち着きを受け、大人も子どもも一緒に前日からイースターエッグ作り、祝会でいただくカレー作りができ、翌日は、礼拝と会食を含む祝会を、楽しく、和やかにもつことができました。
 嬉しい一日となりました。  
どうぞお訪ねください
 教会前にこの看板が出ている時は、牧師が滞在しております。小さな教会ですが、会堂内は自由に入っていただけますので、どうぞ遠慮なくお訪ねください。
 牧師にお話しのある方は、たいてい、入って左手の部屋におりますので声をかけてください。
 静かに祈りや黙想の時間をもちたい方は、正面の礼拝堂へどうぞ。






小見出し
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アクセス

名 称 日本キリスト教会佐呂間教会
TEL 
01587-2-3629
住 所

〒093-0501
 北海道常呂郡佐呂間町字宮前町109-30

最寄駅

・JR石北線 遠軽駅 下車 車で40分
・女満別空港より 車で50分
 遠軽、また女満別空港からは、公共交通機関がないため、自家用車かレンタカーの利用となります

駐車場

あり

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お問い合わせ

お問い合わせは、お電話(TEL 01587-2-3629)にてお問い合わせいただくか、下記のフォームにご記入いただきご連絡ください。
また、牧師在室日(木曜日)には教会を直接お訪ねいただくこともできます。その他の曜日の場合も、ご連絡いただければお訪ねいただけます。
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