さおりごと

大したことではないけれど

手から零れ落ちてしまう前に

残しておきたくなることがあります。

言語化って、とっても難しい、

まずは、ひとり言から

言葉にすることを、はじめてみます。



今年の初め、演劇科の高校で3年間共に切磋琢磨した同級生が、天に召されました。

高校卒業以来、数回しか会っておらず、

彼女が闘病していたのも、亡くなったという連絡で知りました。

彼女が匿名でやっていた闘病日記を書きとめたブログを後から教えてもらい、その日記には、

人間ドックで引っかかった時から、どんな検査をし、病院を渡り歩き、待たされ、と
こと細かく書かれていて

病気以外にも、生まれたばかりの長女に、姉妹をつくってあげたいけれど、自分はこの身体で妊娠ができるのか、さまざまな悩みや葛藤が書かれていました。

 

 

英語が得意で、英語の授業で彼女が音読すると周りから拍手が起きたことや

バレエの時間に、手の中指にすごく力が入ってしまう彼女の癖や

「デブまっしぐらでやばい」と言いながら、下校中、ファーストキッチンのポテトを買っていく彼女、

 

すごく仲良しというわけではなかったけれど

私の記憶に、彼女のいろんな姿がいっぱいあって

 

生前、彼女の痛みを知ったとて

彼女の背負っていたものを知ったとて

自分に何ができたか何も思いつかないし

 

こうして、彼女がいなくなってしまった今も

 

「れみ、行っちゃったのか、、、」と

空を見上げるばかりで

 

 

ただ、今日39歳のお誕生日を迎えて

最初に彼女を思いました。

 

そして

何歳で何を成し遂げたか、とか

何歳で何を手にしたか

そういうことで

自分の価値を図ろうとして

一喜一憂したり、焦ったり

そんなことが多かったけれど

 

 

自分自身に対して

この一年

私の気持ちに、ついて来てくれてありがとう

新しい一年も、どうかついて来てね

よろしく

 

そんな気持ちになりました。

 

そんな風に、自分で自分を

労われる目線は、彼女がくれたものだと思います。

 

 

好きなことをやれて

誰をみても素敵だな、と思う方々に囲まれる現場で、

お誕生日を迎えられて幸せです。

 

 

この身体が尽きるまで

今を味わいながら

新しい一年もやりたいこと、とことんやっていきます

 

 

出会ってくださった皆さま

いつもたくさんのサポート、お気遣い、

エールをありがとうございます。

どうぞこれからも、香月彩里を

よろしくお願いします。

とびっきりの感謝を込めて






香月彩里       

            2023.11.24

 

 

 

 

 

『音楽アドバイザー』



音楽アドバイザーって何しとん?

それに答えるとなると、

『シブヤデマタアイマショウ』がどんな舞台だったのか

全貌を明らかにすることになり

書けること限られるなあ、と思いながらも

これからもずっと音楽アドバイザーやってたい、と思うほど

私には至福で、ずっと胸がときめいていた時間だったので

ちゃんと書き残しておきたいな、と

ギリギリなラインを狙って記録に残そうと思います。

 

きっかけは、松尾スズキさんからの

「創る段階でミュージカルに詳しい人がいてくれると、やりやすいから・・」的な

フワッとした言葉だったと思う・・・。

私に差し出せるものがあるんだろうか?
私もフワっ。

でも松尾さんが脚本を作る段階から共に歩めるなんて

こんな勉強になる時間はないぞ!と、

ワクワクで、しっぽをずっと振ってる実家のトイプードルのように

ただしっぽを振り続け、

いざ、始まったら私がやることはすごく明確だった。

松尾さんが、ガンガン聞いてくれるから。

 

最初は、①選曲の提案。

松尾さんの歌詞が出来上がり、それに合う曲を後から選ぶ

歌詞先行のナンバーの曲決め

 

「この歌詞だったら、最初は粛々と一人で歌って、最後アンサンブルも入れて、みんなで盛大に歌いあげる系の曲がいいですよね〜」

「8人くらいのバンド編成だったら、ドラムが効く、楽曲がいいですよね」

 

どこの評論家だよ。ということを松尾さんにどんどん提案する香月。

松尾さんはいつも、どんな時も、どんなに立場が違えど

対等に向き合ってくださる。そして聞いてくださる。

だから、怖がらずに、自分が感じたことを伝えられる。

何曲か提案し、曲が決まったら

次は、②歌詞検討。曲に歌詞をハメていく。

譜面を見ながら、

 

「この曲は、この3連のリズムがかっこいい部分なので、歌詞は3文字にした方がいいです」

「この前奏のメロディから、歌っちゃうのもありだと思います。」

 

 

どこの作曲家だよ。

感動するのは、松尾さんに提案すると、すぐにその場で新たな歌詞が生まれ

その生み出しの速さと、歌詞のザ・センス。

この作業をしている時は、

「わー最高ですね、めっちゃ面白い!」コクーンのVIPルームのソファーに

ふんぞりかえって、ずっと笑っていたと思います。

 

そして③譜面作成

曲の間奏含めた尺決め、譜面のどこの部分を使うか、コーラスはどこを使うか

音楽監督の門司肇さんを交えて、ミーティング

ここでも香月はミュージカル愛を爆発させます。

「この曲は、このアンサンブルのコーラスがむちゃくちゃかっこいいんで、ここは生かしがいいと思います」

「この曲は、この転調部分がおいしいポイントなので、このセリフを言っている時は、この部分をリピートして、このセリフきっかけで、転調するのはどうですか?」

 

 

そして、決まったものを音楽助手の城家菜々ちゃんに報告し、譜面を作っていただき

それと同時に④仮歌を作る。
稽古場ピアノの杉田未央ちゃんに演奏いただき
私が歌い、録音。

さんざん好き勝手に曲を語りながらも、私は譜読みから歌えるようになるまで時間がかかるので(これが本職なのに)一番、緊張する時間。

仮歌音源を、本稽古が始まる前に、キャスト、振付の振付稼業air:manさん、皆さんにお渡ししてイメージ共有

 

そして本稽古が始まると⑤歌稽古

本来30人くらいで歌う曲を8人とかで歌う曲もあり

歌唱指導の蔵田みどりさんの元、コーラス割りをする際に

「この曲は、男性の高音がグッとくる曲なので、男性でいける人は上を歌うがいいと思います」

ミュージカル愛の爆走は止まらない。

 

 

ここまでが、音楽アドバイザーとして参加した部分かな

今年の年初めに、ある新作ミュージカルの制作に携わった時

作曲家が、いかに音符一つ、休符一つにこだわり

何度も、ブラッシュアップして曲を作り上げているのかを間近で見て

この世に生み出されたあらゆる名曲、作曲家への
リスペクトが増し増しになっている時だったので

譜面を読むのは、脚本を読むようなワクワクがあって

改めて、私はミュージカルの音楽が好きだなと思いました。

 

 

『シブヤデマタアイマショウ』の初日

「自分たちがやってきたことを信じましょう」と松尾さん。

本番が始まると、コクーンのリハ室で松尾さんとなんとなく歌詞をハメて歌い、小さく笑った曲で

お客さんが大笑いしている

 

 

音大出身でもなく、

ただただミュージカルが大好きで

ミュージカルに魅了されて

ミュージカルに生かされて

そんな私に、このような場を、機会を与えてくれた松尾さん

素晴らしい瞬間に、何度も立ち合わせていただき

心から、ありがとうございます、と思います。

 

 

そして、こんなにも気持ちよく伸び伸びできたのは

文化村さんの細やかなお気遣いや

常に耳を傾けて協力的に取り組んでくれたカンパニーの皆さんのお陰様です。

 

 

マタ、シブヤデアエルように

これからも、愛していきます、好きなものを。

 

この内容、セーフかな、アウトかな?

ま、あまり深掘りしないで読んでいただけたら♡

 

『進化』



生き物の進化の歴史を見て、励まされるのは私だけでしょうか?

中には、モテたくて角を大きくしすぎた結果、絶滅した”オオツノシカ”先輩
などもいらっしゃいますが、
もう絶体絶命のピンチだ!という時に、
画期的な進化をしてきた生き物の先輩たちを見ていると、
追い込まれたとき、もう道はない、となったときに、
初めて起動するスイッチが、
私たちには備わっている気がして
私は勇気が湧いてくるのですね、はい。


その中でも、クジラって、すごくないですか?
元々四足歩行で、陸で生活していたのに
今は、もうポストカードになっちゃうくらい、海の大将です
ボディラインの変わりっぷりよ。

初めて海に足を踏み入れた、
クジラの祖先の覚悟もすごいと思うけれど
途中、段々と後ろ足が退化していくときに

「あぁ、土って、良かったよな」

って、後ろ髪ひかれたクジラもきっといると思うのですよ
でも、そこを環境に適応して、身体を変え、生きることを選んだクジラね
尊いっ!

そんなクジラとは打って変わって
ほとんど姿を変えずに、幾度とやってきた絶滅期を
生き延びてきた、ゴキブリね
しぶといっ!


陸での生活が厳しくなった時に

海を選んだクジラ

空を選んだ鳥

変わらないを選んだG

地球での撮影が難しくなった時に

宇宙での撮影を選んだトム・クルーズ。



悲しいニュースに、先が見えない日が続くけれど

生き物というのは、

今まで歩いていた道が塞がれ、閉ざされたとき

もし、そうならなかったら見つけられなかったであろう

健やかに生きていける道筋を見つけられるものだと、

図鑑を見ていると、そんな気がしてならなくて。

今は、ある意味、

オオツノシカ先輩のように、もっと悲惨なことになる前に

ここで足を止められたのだ、と

じゃあ、あなたはどうする?

と、問われているような気持ちです。




目を向けてこなかった、ツケと、向き合い

当たり前に手にしていたものたちの

素晴らしさを再確認しながら


どうか、それらを手放さずに

再び、土の上を歩いていけないものかと、

私は、いま、進化スイッチを、探しています。







(写真:亀のクッキーの型、亀がどうやって進化の途中であの甲羅をゲットしたかまだ解き明かされてないんだって)






『走りきる』


恥ずかしいことを打ち明けます。

私は中学生の頃、
赤川次郎さんの『ふたり』の読書感想文を提出する課題を出されたとき
唐沢寿明さんの『ふたり』を買って読み、
レポートを提出した過去があります。

そうなんです
本を読まない子でした。

本屋で、本の探し方もわからないほど
本と離れておりました。

手に取るのは、絵本か、漫画か、図鑑。
活字に離れすぎて、漢字も苦手になり
短大生のとき、あまりに漢字でつっかえるので
帰国子女だと思われていました。
結構な、重症です。

そんな、活字離れしていた私に
“本ってめっちゃおもしろいよ”
と教えてくれたのは

『ハリー・ポッター賢者の石』

でした。

あの分厚い本を、どこにでも持ち歩き、
夢中になって読みました。
残りのページ数がどんどん少なくなっていくことに
『あぁ、あと少しで終わってしまう』と惜しみながらページをめくる経験を
初めて味わいました。

ハマりすぎて、イギリスに1人でロケ地を回る旅に行き、
ダニエル・ラドクリフにファンレターを書き、
作者のJ ・K・ローリングさんを調べに調べて、
ハリー・ポッターが生まれるまでの
『なぜイギリスはファンタジー発祥の地となったのか』みたいなタイトルのレポートを制作しました。

一冊の本
人を動かす力よ。

今では世界中で愛されていますが、
この本、最初は12社の出版社に出版を断られているのです。

”こんなに断られているのだから、あたいの本はつまらないのね”

とJ・K・ローリングさんが途中で諦めていたら
この世にハリー・ポッターは存在しなかったのです

ありがとう
J・K・ローリングさん。

めげずにドアをノックし続けてくれて
ありがとう。
そんなバックグラウンドも好き。

でね、今思うとね、
『こんなに分厚い本を、私は最後まで読み切ったぞ』
っていう達成感、
それが高揚感につながっていたなぁと思います。

何かを、最後までやりきる、ということは
思っている以上に、
自分の糧、次へのエネルギーになるのかもしれません。


この”さおりごと”は
言葉にしようとしてきたけれど、
うまく言語化できなくて
幾度となく、走ることをやめてきた香月彩里に
完走する力をつけるべく、
もうけられたコーナーです。

こういう場がなければ言葉にしないであろうことを
書いていきたいと思います。

どうかお付き合いいただけたら、、、




(写真:『ハリー・ポッター』のロケ地、レイコック寺院へ行った時に購入したポストカード)