2019年映画

平成が終わり、令和が始まった2019年は日本にとって節目の年となった。
映画業界は今年も話題が多く、歴史的な事が起こった年であり、今後の動向が気になるところである。
私は2019年もまた、多く映画を観た年であり、娯楽として楽しむだけでなく、時に映画によって刺激や考えさせられる年であった。
2019年の映画は私にとってどうのようなものだったか月毎に振り返ってみる。
※一部ネタバレを含む

1月:完結編から始まる新年 ~ミスターガラス~

 2019年はシリーズ完結編の映画が多く登場した。「ミスターガラス」はその中の1つであり、おそらく新年最初の完結編映画だろう。そして、私にとってこの「ミスターガラス」は2019年で最も完結編らしい終わり方をした良作であると思う。
 「シックスセンス」で一躍有名になったナイト・シャマラン監督は「アンブレイカブル」、「スプリット」のそれぞれ独立した世界観を持つオリジナル作品を1つに共有し、合流させた作品「ミスターガラス」を完結編として公開した。複数の作品達を1つの世界観に共有させるというのは、今日のアメコミ映画がよく使うユニバース方式と同じであり、他の大作映画でもしばしばみられるものである。シャマランはいつの時代も科学で説明できない特殊な能力を持つ人が必ずいて、その人こそ現実に存在するスーパーヒーローであるという独自の解釈をこの3部作で語っている。
 私は前2作を予習してから本作を鑑賞したが、完結編ということできれいにまとめながらも先の物語に少し期待の持てる良作だと感じた。このアンブレイカブルシリーズを観る前まで、スーパーヒーローとは「空を飛ぶ」、「光線を出す」などの現実では明らかに存在しえない者であると思っていた。しかし、それは狭い範囲での解釈であると感じたのがこのシリーズだった。私たちの世界は大よそのことが科学的に説明できるものであるが、もし説明できなくても存在する人物がいるならば、その存在をスーパーヒーローと呼べるのではないだろうか。一度も怪我や病気にならない人や、人格によって体調や能力が変わる人はどこにでもいる人ではないが、世界中に絶対存在しえないかというと断言は難しいのではないだろうか。シャマランが制作したこのシリーズはスーパーヒーロー映画というジャンルの中で、他のアメコミ映画と異なり虚構の中に僅かにその存在を信じさせる映画であったことが魅力に思えた。
 ちなみに、私はシャマランがアメコミ映画を作るとしたら、マーベルのXmenシリーズが合うと思う。ただし、シャマランは過去に大作映画で失敗したことがあるので、規模は小さいほうが良いと思う。

2月:死の世界への挑戦 ~ファーストマン~

 宇宙空間とはあらゆる生物をあっという間に死に至らしめる空間であり、地上の物理法則が通用しない世界であるため、実際にその場所にいると慣れている人はともかく多くの人は地上とまるで違う環境から不安と恐怖のほうが大きくなるのではないだろうか。私ならまずその場から逃げ出したくなると思う。その意味で本能的に恐怖を感じさせつつ、映画として見ごたえのあるリアルな宇宙空間を描いているのが「ファースト・マン」である。
 物語は1969年に人類初の月面着陸を成し遂げたアポロ計画で、最初に月に降り立ったニール・アームストロングが計画の参加から偉業を成し遂げるまでの内容。当時アメリカの科学技術の最先端を行っていたNASAのコンピュータはファミコン以下という性能しかなく、計画に参加した関係者たちは一瞬の判断ミスも許されない中で日々を過ごしていた。本作はそんな技術的な困難だけではなく、ほとんど語られないニールの心情や夫がいつ死ぬか分からない中での家族関係の難しさも描いている。監督は「セッション」、「ラ・ラ・ランド」のデイミアン・チャゼル。ニール役には「ブレードランナー2049」でレプリカントのK役を演じ、デイミアン監督とは「ラ・ラ・ランド」に引き続きコンビを組んだライアン・ゴスリング。
 私が本作を観て印象に残ったのは、やはりニールが月に降りるシーンだ。宇宙船のハッチが開き、気圧変化の音がしたと思ったら直後に無音の空間になる。月は大気が無いので重力以外はほぼ宇宙空間と同じ。だから音が無いのは当たり前のはずだが、映画でこのように描写することはあまりない。大抵の場合、映画を盛り上げるために効果音を入れている。しかし、本作の月のシーンはニールの呼吸音と通信会話以外は全く音が無い。そして、ニールから見る月の世界はものすごく殺風景で何もない。太陽光が強く照り付けていて、真っ暗な空に星一つ見えない。その光景は地球では見られない魅力的なものであると同時に宇宙服を脱げば瞬く間に死んでしまうという死の世界の印象を与えている。人間は世界一高い山や世界一深い海などの極地を目指すことに魅力を感じている。月もその一つであるが、共通しているのは自分の命を危険にさらしてでも死の世界へ挑戦するのが生きがいであるかのようであることだ。これは文明を持つ生物の本能なのだろうか。

3月:動くアメリカンコミック ~スパイダーマン:スパイダーバース~

 2019年の予想外に面白かった映画でいえば、この「スパイダーマン:スパイダーバース」が一番だろう。アメコミ映画は2017年から多く観るようになったが、あまり正統派のヒーロー映画は好みではなない。スパイダーマンについても2000年代から最新作まで全て観たがお気に入りというほどではない。だから、この「スパイダーバース」も期待せずに劇場に足を運んだが、初めのソニー社のテロップが出てくるタイミングから普通じゃないと気づき、その後はグイグイと映像に魅入られていた。この作品の魅力は実写映画や大手のディズニー、日本のアニメとも異なる動くアメリカンコミック的なところであると思う。
 マーベルコミックで人気を誇るキャラクター:スパイダーマン初の長編アニメーション「スパイダーマン:スパイダーバース」は本編の数ヶ月前にティザーPVを公開した。それを観た人は期待の一方で「なんでこんな変な動きをするんだ?」と否定的なコメントもあった。制作陣も実は内心不安があった。アメリカンコミック(通称アメコミ)を原作にしたアニメーションは多く作られているがアメコミの印象そのままで制作されたものはなかったからだ。さらに挑戦的なのは本作の主人公はファンおなじみの科学オタク青年ピーター・パーカーではなく、境遇の異なる13歳の黒人マイルス・モラレスで、並行世界からやってきた異なる特性を持つスパイダーマン達と共闘し成長する物語であること。並行世界のスパイダーマン達はキャラクターの設定だけではなく、表現法まで独特であり、ハードボイルド風、萌えアニメ風、カートゥーン風と分けられておりそれらが同じ画面に描かれるという斬新なアイディアかつ高度な映像技術で作られている。これらに加え、製作費約100億円というアニメーションとしては高めの費用で作られた本作は、興行的にも批評的にも見事な成功を収めている。
 私がこの作品を観た後ふと思ったことがある。「日本はアニメ大国と呼ばれているが今の世界は日本のアニメに注目しているのだろうか」と。日本はアニメにおいて多くの作品を制作しているが、そのほとんどは国内向けに特化したもので、海外といってもせいぜい一部の日本オタクぐらいしか食いつかない。2019年で最も国内興行的に成功しているアニメ「天気の子」ですら海の外ではあまり活躍を聞かない。アニメ制作で世界と勝負するとき興行面ではまずディズニーに勝てない。アカデミー賞などの賞レースににしてもやはりディズニーや大手の会社が軒並み介入するためそもそも同じ土俵に立つことすら困難だ。過去を含めてかろうじで勝負できているのは宮崎駿などのジブリ作品ぐらいだが、今の日本はそこから進展がないように思う。「スパイダーバース」は正統派ヒーロー映画があまり好きでない自分を魅了させることができた。日本も海外の一般人がうなるようなものを作ることに活路を見出すべきだと思う。

 

4月:初代の精神から再スタート ~ハロウィン(2018年版)~

 「アベンジャーズ エンドゲーム」が公開され、「アイアンマン」から続く11年間で20作品以上のシリーズが(いったん)終わりを迎えたらしいがそんなことはどうでもよい。それよりも「ハロウィン(2018年版)」である。鬼才ジョン・カーペンター監督が世に送り出した伝説のホラー映画「ハロウィン(1978年版)」の直接の続編である本作はシンプルかつストレートな恐怖を描いており、単なる復活作ではなく、初代の恐怖を現代人にも届く形に仕上げたものだった。
 カーペンターが制作した第一作「ハロウィン(1978年版)」は低予算ながら異例の大ヒットを記録し、彼の名を一躍世に広めることに成功した。劇中に登場する殺人鬼ブギーマン(本名:マイケル・マイヤーズ)は作品で最も重要なキャラクターであり、作品人気の大半を占める存在である。このキャラクターの特徴は感情を一切見せることなく人を殺し、その思考や動機が読めない不気味さがあるところであり、それはブギーマン(具現化した恐怖)の名にふさわしい人物だ。第一作のヒットから「ハロウィン」はシリーズ化し、その影響から「13日の金曜日」のジェイソン、「エルム街の悪夢」のフレディなどが生まれ、80年代のスラッシャー映画ブームが到来した。しかし、90年代の「スクリーム」シリーズを最後にスラッシャー映画は下火になった。「ハロウィン」もその例外ではなく、続編やリメイク版が過去累計9作は作られたが、第一作以上のものは生まれなかった。そんな中、一作目からちょうど40年たった2018年版はなんと北米公開初週からシリーズ最高額の興行収入を記録し、北米ホラー映画歴代興行収入1位の「イット それが見えたら終わり」の存在を脅かす程だった。本作の監督は「ボストンストロング ダメな僕だからできたこと」のデヴィッド・ゴードン・グリーン。主人公のローリー役は第一作でもヒロインを演じたジェイミー・リー・カーティス。そして、ジョン・カーペンターが「ハロウィン3」(1983年)以来制作に復帰し、ブギーマン役のニック・キャッスルが一作目以来の怪演を見せる。
 本作が今までの続編やリメイク版と異なる点は一作目の設定だけを残し、他を全て白紙に戻したところとブギーマンに余計な付加価値を付けないところだ。今までのシリーズでは主人公ローリーとブギーマンが血縁関係だったり、それ故にオカルト的な力を持っていたりなど段々とブギーマンの正体が明かされていく代わりに不気味さが減少するものだった。本作は一作目から40年後の設定ではあるが、ブギーマンについては一作目の後に警察に捕まったこと以外は目新しいことはなく一作目同様の不気味さを保ったままだ。ただそれだけでは、一作目の焼き増しでしかないため代わりに主人公のローリーに変化を与えた。大抵この手のホラー映画のヒロインは泣き叫びながら恐怖から逃げることしかできなかった。しかし、今作のヒロインは逃げず、むしろ恐怖を打ち倒すために待ち構えるほどだった。それは今日のアクション映画で描かれる強い女性のようで新鮮だった。私は、一作目だけ見て本作を鑑賞したが、「ハロウィン」の面白さは現代でも通じるもので鑑賞しながら「40年前も観客はこういう感じで観ていたのかな」と思うほどだった。

5月:ハリウッドの怪獣プロレス ~ゴジラ キングオブモンスターズ~

 日本産のピカチュウがハリウッド化し、ジェームズ・キャメロンがプロデュースした「アリータ」も日本の漫画「銃夢」のハリウッド化だ。ソニック、ガンダム、キティ、メタルギアなど日本生まれの作品が次々とハリウッド化を控える中、その先輩的立場にあるゴジラも三度目のハリウッド作品「ゴジラ キングオブモンスターズ(KOM)」を公開した。今作は今までのハリウッド作品になかったまさに怪獣ファンのために作られた怪獣プロレスをハリウッド技術でこれでもかと見せていた。
 1954年に第一作が公開され、長い歴史と多くの作品を生み出したゴジラのハリウッド化はこれまで怪獣オタクを満足させるものではなかった。最初に誕生したハリウッド版「ゴジラ」(1998年)は「インディペンデンス・デイ」で有名なローランド・エメリッヒ監督が制作したが、その見た目がどう見てもイグアナを巨大化させたような生物でひたすら走り回って魚を食いまくるだけだった。二度目のハリウッド版は後に「ローグ・ワン/スターウォーズ・ストーリー」を監督するギャレス・エドワーズの「ゴジラ」(2014年)で、こちらは前作の反省からか見た目が改善され、どっしりとした立ち居振る舞いから日本のゴジラらしさを見せていた。しかし、肝心のゴジラは本編約二時間の内で十数分しか出番がなく、内容はもっぱら人間ドラマがメインだった。そして、今作三度目となる「ゴジラ KOM」はXmenシリーズの脚本、原案に関わった経歴を持つマイケル・ドハティが監督を務め、前二作の反省から極限まで怪獣バトル求めた作品を制作した。ゴジラの登場およびバトルシーンが前作以上に増えただけでなく、キングギドラやモスラ、ラドンと日本を代表する往年の名怪獣たちも登場し、その活躍を存分に見せていた。これは過去最高の成績を得られるかと期待されていたが、興行収入は前作より大幅に減少し、しかも費用だけは過去最高なのでハリウッド大作としては盛大にこける形になった。三度目のハリウッド版ゴジラの反省点は怪獣オタクを喜ばせるだけでは成功しないところだろう。だが、反省する間もなく次の「ゴジラ対キングコング」が2020年に控えているので、それがまたゴジラの運命を決めるだろう。
 私が今まで観たゴジラ作品は今作を除けば、初代と「ゴジラ 2000」、「シン・ゴジラ」、ハリウッド版2作、アニメ版三部作(あのヒデーやつ)のみであるためゴジラファンとは少し言い難いが、今作は何も考えない分には十分楽しめた。やはり、怪獣映画である以上、怪獣の活躍を重視した今作はゴジラの強さや偉大さを改めて認識させていたと思う。本家日本版を意識した演出もいくつかあり、制作陣の愛情も感じたが、その一方で初代ゴジラの制作意図を汲めていないようなところもあった。それは前作にも言えることだが、ハリウッド版は核兵器について悪く言ってはならないという暗黙のルールがあるように思えた。初代ゴジラは「核実験という人間の業によって生まれた怪獣ゴジラが罪もない民衆を襲う」というもので、ゴジラをそのまま核兵器に置き換えて反核を訴える意図があった。ゴジラもまた人間の身勝手で生まれた悲しい生物であり、公開当時ゴジラに対して同情する声も少なくなかった。日本が過去三度の原水爆の被害を経験しただけあって初代ゴジラというのはただの娯楽作品ではなく、深い哲学を持つものだった。しかし、ハリウッド版はこのあたりにほとんど触れないどころかむしろ核兵器の使用を擁護するような発言があるため、初代の哲学を継承していなかった。代わりに環境破壊について言及があったが、とってつけたようであまり説得力がない。「ゴジラ KOM」は怪獣オタクを歓喜させたが、初代の哲学を知るゴジラファンは納得しなかったのではないだろうか。

6月:だれもしらない不思議な世界 ~きみと、波にのれたら~

 アニメ「きみと、波にのれたら」を観た理由を聞かれたら、監督が湯浅政明であるからでしかなく、そうじゃなければラブストーリーの作品を観る動機がない。彼の監督作はほぼ全て観ており、その作風が好みであるのだが今作は意外にもシンプルであることに驚いた。しかし、それは単純でつまらないものではなく、湯浅監督が作り出す不思議な世界の中で語られる彼の人生論が見事に描かれたストーリーだった。
 動画・原画アニメーターからキャリアスタートした湯浅政明はその当時から独特の画風で注目を集めていた。彼の画風は今どきのきれいで整った漫画やイラストの感じとは対極の非常に柔らかい線と動きがあり、時にリアルとは程遠い歪なデザインいわゆるヘンテコな画が特徴である。原作漫画などをアニメ化するときはなるべく元の画を維持しているが大抵の場合、原作漫画自体に癖の強いものが多くそれが監督の作風とマッチすることも多い。今作「きみと、波にのれたら」はその意味でいえば、湯浅監督らしくない今どき感のある画ともいえる。ジャンルは簡単にいえば恋愛ものであるが、一般的な作品にある恋が成就するまでの物語ではなく、ヒロインが亡くなった恋人に再会し、喪った悲しみを乗り越え自信を取り戻す物語である。また、主軸となる登場人物がヒロインひな子とその彼氏港、港の妹洋子と職場の後輩山葵の計4人という少なさも珍しい。これらの設定は「ゴースト ニューヨークの幻」などを参考にしていると思われる。メインキャストの吹き替えを担当するのは歌手や俳優といった声優の肩書を持たない人たちで組まれているが、湯浅監督は長編デビュー作「マインドゲーム」でもタレント、俳優陣のキャストで魅力的なキャラクターを作った経験があり、今作でもそれが活かされている。
 私が本作を観て恋愛部分があっさりしているところが見やすく感じたのと恋愛以上に自信がない人がどうやって自信をつけるのかという物語が良かったと感じている。サーファーであるヒロインひな子は恋人の港が亡くなったことで自信を失い、好きなサーフィンができなくなってしまう。そんな中、ひな子は彼氏との思い出の歌を歌うと水の中に港が現れることに気づく。ひな子は再会に喜ぶが、港はそれ以上にまたひな子が自信をもって生きてほしいと望む。生前の港は何でもできそうな頼れるタイプの男性でひな子や洋子、山葵はヒーローのように感じていてた。しかし、実は港も最初から何でもできたわけではなく全て自分なりに勉強して努力の末に得たものだった。また、港自身も幼少期のひな子に助けられた経験から同じように憧れを感じていた。この物語は誰かが自分にとってヒーローであり、自分も誰かにとってヒーローであるというメッセージがある。だからこの物語に特別な人はいない。自分たちは身近にいる人の背中を追って成長し、そしてその姿がまたほかの人の成長に繋がる。上手くいかないことがあっても自分なりにまた努力することが自信につながる。
 湯浅政明の作品には大なり小なり不思議な世界が描かれる。作品ジャンルが決まっているわけでも決まった人物やアイテムが登場するわけでもないが、それでもこの不思議な世界を見るとこの監督らしいと思えるのである。多くの日本人監督や作家はあるジャンルで有名になるとそれしかやらせてもらえなくなるが、湯浅政明監督の場合は国内の売れ行きはそこそこでそれ以上に海外からの評価が高いのであまりジャンルに縛りが無く、尚且つ作品作りを継続できる稀な監督である。なので、今後の作品がどのようなものになるか分からないが、湯浅政明が関わっているだけで作風が見えてくる。それはかつての手塚治虫や藤子不二雄のように湯浅政明という作家名そのものがジャンルとなるように思える。

7月:没案再始動 ~チャイルド・プレイ(2019年リメイク版)~

 7月のある日に2つのホラー映画を鑑賞した。一つは撮られると死ぬ呪われたポラロイドカメラの恐怖を描いた「ポラロイド」ともう一つは1988年から続く殺人人形チャッキーが登場するチャイルド・プレイシリーズのリメイク版「チャイルド・プレイ」。どちらもラース・クレヴバーグが監督を務めた作品で「ポラロイド」がデビュー作、「チャイルド・プレイ」が2作目にあたる。「チャイルド・プレイ」はリメイク版で大きく設定を変えているらしく、本作を観る前に「ポラロイド」を鑑賞して臨んだが、その変更に間違いはなかったと思えるものだった。
 「チャイルド・プレイ」のリメイク版が今までのシリーズと大きく変更したのがチャッキーについて、殺人鬼の魂を人形に移したオカルトものではなく、暴力性に制限が無い欠陥のあるハイテク人形によるSFホラーものに変えたところである。実はリメイク版の設定はシリーズ第一作から検討されたハイテク機器を搭載した人形が持ち主を襲う内容をモデルにしており、その没案を少し加工してリメイク版として再始動したものだった。没案の方も人形に魂が宿る点はオリジナルシリーズと同じだったが、リメイク版では完全な人工物でAIで動く設定となっている。オリジナル版は最初こそかわいい見た目と裏腹に殺人鬼の心を持つチャッキーの恐怖を描いていたが、回を重ねるとチャッキーがどういう人物かが見えてくるので段々とホラーよりも人間の悪意による殺人劇を楽しむ映画に変化している。リメイク版はその点完全に機械であるため悪意は無いがそれ故に容赦ない殺人を簡単に実行できるところが今まで描けなかった魅力を見せている。ちなみに、今作のチャッキーの声を担当するのはスターウォーズシリーズのルーク・スカイウォーカー役で有名なマーク・ハミル。ハミル自身はアニメ版バットマンのジョーカー役を多く務めた経験があり、チャッキーが持つ愉快さの中に狂気のある演技を見せている。
 私が本作の事前情報から想像した内容は「工場内で偶然生まれた欠陥商品が機械的に無差別殺人を行う」というものだった。しかし、この予想は外れた。冒頭の製造シーンでは工場内で働くベトナム人労働者がクビにされた腹いせにプログラミングの制御を外した一体の人形を出荷させ、その後自ら命を絶っていた。それは自分の恨みを人形に託すようでオリジナル版へのリスペクトを感じた。また、製造した工場の品質管理の甘さも、度々ニュースになる不良品問題を思い起こさせるもので現実味のある恐怖を描いていた。チャッキーの製品名はバディ人形と呼ばれるもので、オリジナル版と異なり単なるおもちゃではなくAIによって学習し、同一メーカーの製品も遠隔操作して生活のサポートも行える万能アイテムという設定がある。チャッキーは純粋に持ち主の少年が喜ぶようなことをしたり、嫌いなものから守ろうとする親友のような振る舞いを学習する。しかし、暴力の分別がつかないチャッキーは残酷なホラー映画で楽しむ少年の姿に実際の殺人を見せようとしたり、少年の嫌いな人を本気で殺したりなど過激な行動がエスカレートしていく。現代でも家電製品や生活機器などののAI化、IoT化が進んでいるが、それによって人間が判断していた分野を機械に任せると便利になる反面何かを犠牲にしたり、今までなかった危険を生む可能性が出てくる。クレヴバーグ監督はデビュー作「ポラロイド」と本作で共通するのが「テクノロジーの危険性を考えないで扱うと大変な犠牲を払うことになる」という警告をホラー映画を通じて表現している。それはオリジナル版の設定ではできないことでリメイク版だからこそ成しえたことである。

8月:哲学は不要、個性は必要 ~ワイルド・スピード スーパーコンボ~

 8月に観た映画で気に入ったものを探したがこれが意外にない。というより、代表と呼べるものがない。気になって2018年の時も調べるとやはり8月は面白い映画が少ない。おそらくこの時期の映画業界は夏休みの学生向けに営業しているのが原因だろう。更に高校・大学生は遊びが比較的多様化しているので選択肢に映画が入る余地が少ない。そのため、主に小・中学生向けにタイトルを組んでいると思われる。なので消去法的に選んだのが「ワイルド・スピード スーパーコンボ」になる。とはいえ、ワイルドスピードシリーズはあまり観たことが無く、「スカイ・ミッション」、「アイス・ブレイク」ぐらいである。本作はスピンオフの作品であるため今までのシリーズを知らなくても楽しめる内容になっている。物語については語る必要なし。とにかく主演のドウェイン・ジョンソンとジェイソン・ステイサムの筋肉とアクションを堪能する作品である。
 ジョンソンとステイサムはどちらもハリウッドを代表するアクション俳優であるが、両者には異なる特徴がある。ドウェイン・ジョンソンはまず身長196cm、体重100kg以上という巨大な体と筋骨隆々な肉体が目につき、何もしていなくてもその強さが伝わってくる。ジョンソンは元プロレスラーとして20年ほど一線級で活躍し、その大半の時期を俳優と兼業で行うというタフさと器用さを持ち合わせている。現在でもハリウッドの大作映画を年2,3回出演するほどで47歳とは思えぬタフさを見せている。一方、ジェイソン・ステイサムも元飛込選手でイギリス代表のスポーツマンとして活動した経歴があり、引退後の俳優活動でも本格的なトレーニングを積み、肉体だけでなく銃火器やナイフなどのアクションもスタントなしで見事に演じている。
 この二人のように異業種から俳優に転向し、その経験を活かした役を演じる人が日本では少ないように思える。事務所の都合なのか現場の都合なのかは分からないが日本だとアクション系の俳優というと一種類の人しかいないように思える。だから、名前を聞いてもどんなアクションが得意かが、見えてこないのでほぼ無個性と思えてしまう。アクション映画は頭を使う映画ではないが、無個性だと印象に残らないしその他多くに埋もれると思うのだ。

9月:持たざる者たちの反逆 ~アス~

ここをクリックして表示したいテキストを入力してください。テキストは「右寄せ」「中央寄せ」「左寄せ」といった整列方向、「太字」「斜体」「下線」「取り消し線」、「文字サイズ」「文字色」「文字の背景色」など細かく編集することができます。

10月:

ここをクリックして表示したいテキストを入力してください。テキストは「右寄せ」「中央寄せ」「左寄せ」といった整列方向、「太字」「斜体」「下線」「取り消し線」、「文字サイズ」「文字色」「文字の背景色」など細かく編集することができます。

11月

ここをクリックして表示したいテキストを入力してください。テキストは「右寄せ」「中央寄せ」「左寄せ」といった整列方向、「太字」「斜体」「下線」「取り消し線」、「文字サイズ」「文字色」「文字の背景色」など細かく編集することができます。

12月

ここをクリックして表示したいテキストを入力してください。テキストは「右寄せ」「中央寄せ」「左寄せ」といった整列方向、「太字」「斜体」「下線」「取り消し線」、「文字サイズ」「文字色」「文字の背景色」など細かく編集することができます。

レンタル:

ここをクリックして表示したいテキストを入力してください。テキストは「右寄せ」「中央寄せ」「左寄せ」といった整列方向、「太字」「斜体」「下線」「取り消し線」、「文字サイズ」「文字色」「文字の背景色」など細かく編集することができます。