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大東亜戦争従軍記

下級兵士が命がけで見たボルネオ島
(著)中村利光
(編)中村喜一
仕様:オンデマンド (ペーパーバック)
ページ数:145
ページサイズ:12.8 x 0.8 x 18.2 cm
出版社: デザインエッグ社
定価:¥1,947+税

こんな方にオススメ

Point.
1
 戦争をじかに体験した人間が、物を書くことが出来なくなった時代です。戦後70年とはそれほどの月日であり、今書かれるものは、聞き書きであり歴史の記述であり生の事実の記述を目にすることは困難になりました。しかし父が残したこの手記は、生の記憶が記述されたものと、すくなくとも私は考えています。

Point.
2
 この手記には固有名詞がたくさん出てきますが、この本を作成するにあたっては固有名詞は省略することなくすべて記載しました。戦後70年以上が経過しているのでプライバシーが問題にされることはないでしょう。ただしこの本を読まれた方の中には、もしかしたら知人の名前を発見される方もいらっしゃるかも知れません。もしそのような方がいらしたときは、ご連絡を頂ければ幸いに思います。
Point.
3
 近ごろ私たちの世代(60代前後の戦後世代)が学んできた昭和史についてネットなど様々なメディアにおいて歴史観の見直しが行われているようです。なかでも第二次世界大戦前後の出来事についての評価が改められ語られているようですが、この手記はそうした評価に対する傍証のひとつになるのではないかと考えています。
Point.
3
 近ごろ私たちの世代(60代前後の戦後世代)が学んできた昭和史についてネットなど様々なメディアにおいて歴史観の見直しが行われているようです。なかでも第二次世界大戦前後の出来事についての評価が改められ語られているようですが、この手記はそうした評価に対する傍証のひとつになるのではないかと考えています。

作品概要

 この本は、私の父中村利光の手記をまとめたものです。昭和19年4月10日に集合の徴収令状をうけ、フィリピン、マレーシア方面の戦地に赴いた戦争体験が記録されています。
 利光本人が引き上げ後すぐに体験の記憶を書き留めたもので、数多い戦争体験記のひとつですが、戦争の終了間際に、赤紙(徴収礼状)一枚で出征させられた、「日本陸軍最下級兵士の体験」がどのようなものだったかが伝わってきます。
 昭和19年4月の出征時、利光の年齢はわずか20歳、死を覚悟して郷里を出発し、帰郷したのは昭和21年6月6日でした。生きて帰ったとはいえ、父にとって青春真只中の二年余は、人生で最も過酷な体験をする時間になりました。
 父の生涯は、昭和48年5月30日に閉じてしまったのですが、残された2冊のノートにはまぎれもなく父の記憶が詰まっていました。
著者の子である自分は、彼が戦争から帰って来なければ、存在していない。しかし存在している以上、父の過酷な記憶を孫子に伝える責務があると思い本にすることにしました。
 この版は2018年10月1日に出版したものの改訂版で、出版後に眠っていた新しい資料などが出てきたため、それらも取りまとめ新たに作成することにしました。またこの版では父の手記と同時期に綴られた挿話を追加してあります。太田垣正氏という人の筆になるもので雑誌(と思われる)に発表された文章をそのまま引用したものです。

著者より

 以前から戦争体験を綴った父の手記を整理したいと思っていましたが、平成30年10月にはじめてAmazonからネット出版できました。その後眠っていた新しい資料などが出てきたため、それらも取りまとめて今回は改訂版として作成したものです。
 この版では父の手記と同時期に綴られた挿話を追加してあります。太田垣正氏という人が雑誌(と思われる)に発表した文章をそのまま引用したものです。この方は父より三ヶ月遅れてバリックパパンに上陸し、父の部隊とほぼ同じ行軍ルートをとっており、その部隊のエピソードです。父はわずか三ヶ月の教練を受けたのちにボルネオに配属されたのですが、それよりさらに短いわずか一か月の教練ののちにボルネオに送られています。父の属した部隊に遅れること3ヶ月後に到着した後続の部隊のエピソードで、太田垣氏の記録によれば彼の部隊は、ほぼ全滅の憂き目にあっています。
 さらに戦友の母親から送られた息子の安否を尋ねる手紙や、戦争が始まった昭和16年12月8日以降に発行された東京日日新聞のスクラップなど、手記の周辺の資料などを引用し整理しました。父の遺影も付け加えましたのでお読みいただければ幸いです。

著者紹介

著者 中村利光(写真)
編者 中村喜一
編者 中村喜一:埼玉県吉川市在住 リタイア後、趣味感覚で家業の農業であそぶ
中村利光(なかむら としみつ)。大正12年7月10日、埼玉県三輪野江村に生まれる。昭和19年4月10日の徴集令状を受け、昭和19年7月3日から南方、フィリピン島、ボルネオ島などに従軍し、蘭軍の捕虜となる。昭和21年6月6日帰省。昭和48年5月30日死去。

中村喜一(なかむら きいち)昭和26年5月8日生まれ。中村利光の長男。平成30年、手記の編纂を思い立つ。
著者 中村利光(写真)
編者 中村喜一
編者 中村喜一:埼玉県吉川市在住 リタイア後、趣味感覚で家業の農業であそぶ
中村利光(なかむら としみつ)。大正12年7月10日、埼玉県三輪野江村に生まれる。昭和19年4月10日の徴集令状を受け、昭和19年7月3日から南方、フィリピン島、ボルネオ島などに従軍し、蘭軍の捕虜となる。昭和21年6月6日帰省。昭和48年5月30日死去。

中村喜一(なかむら きいち)昭和26年5月8日生まれ。中村利光の長男。平成30年、手記の編纂を思い立つ。

読者の声

二十歳の出征

 大東亜戦争従軍記です。 召集は昭和19年4月9日。 マニラ、ホロ島、タラカン島、ボルネオ島へと移動しながらの手記です。手記には軍隊内の出来事や幾度の幸運、島の住民生活状況などについて記されています。
 この本は二冊のノートに残された貴重な父の体験手記を、67歳の息子が孫子に伝える責務があると、そのままを編集して発行したものです。戦争と平和を考えるための良本です。

アジアの解放のために戦った日本

 こういう本を出してもらって、お父さんは喜んでいると思います。
 日本は、アジアの解放のために戦っていたのだということと、軍隊に規律があったということがよくわかります。
 このような草の根の戦争体験が、これからもっと出てくると思います。

 出版ありがとうございます

貴重なお父様の体験を世に出してくださってありがとうございます。私の父もボルネオ島に行っており、片足を
切り落として帰ってきました。父は多くを語りませんでしたが、拝読して父の過ごしたボルネオの光景が浮かんでくるようでした。感謝です。

 出版ありがとうございます

貴重なお父様の体験を世に出してくださってありがとうございます。私の父もボルネオ島に行っており、片足を
切り落として帰ってきました。父は多くを語りませんでしたが、拝読して父の過ごしたボルネオの光景が浮かんでくるようでした。感謝です。