ボルネオの少数民族
ルングスを応援する会

ボルネオ島の最北端、サバ州クダット郡はおよそ1万人のルングスが暮らす自然豊かな農村地帯です。彼らは、高床式のロングハウスを中心に集落を形成し焼き畑農業を主要な生活手段として伝統的な暮らしを営んできましたが、経済の発展に伴い、彼らの伝統的な生活習慣や文化は急速に失われつつあります。 私たちは、彼らの伝統文化が消滅して忘れ去られることのないよう、彼らの文化を後世に記録することを目的として、かつてのルングスの伝統的な生活様式や文化を収めた貴重な写真や伝承を収集することを主な活動としています。

ルングスってどんな人たち?

ルングスってどんな人? 
ボルネオ島北部クダット半島とベンコッカ半島を中心に暮らしている農耕民族です。サバ州の主要民族であるドゥスン族の一派とされ、正確な人口は統計がないので判りませんが、せいぜい1万人程度のようです。従来、彼らは竹や木でできた高床式のロングハウスを作り、酋長を中心にゴトンロヨンと呼ばれる共同奉仕作業を通じて一致団結して農作業を行いながら集団生活を営み、外敵から安全を図ってきました。遠い昔、ロングハウスは集落毎にあったそうですからルングス文化の象徴だと思いますが、現在では観光用のロングハウス以外にはその存在を知りません。彼らは独自の言葉ルングス語を話しますが、学校教育はマレー語で行われているため、ルングス語を使用する頻度は徐々に減っています。宗教はキリスト教が広く普及していますが、マレーシア政府の政策もありイスラム教徒も増えています。

ルングスの暮らす土地

ルングスが暮らすクダット地区は、ボルネオ島の最北端、クダット半島に位置し。だならかな丘陵地帯にヤシやオイルパームが栽培され、低地には水田が広がる南国ののどかな農村地帯です。ヤシやオイルパームの林の合間にジャングルやマングローブの林が点在し、動物園で見かけるような珍しいサルなどの野生動物も多く生息しています。海岸沿いにはきれいなビーチが点在し、近隣の住民がキャンプやBBQを楽しんでいます。雲と雨を運ぶキナバル山系から遠く離れているためにクダットは晴天率が高く、夜には星座を探すことがもはや困難なほどの文字通り満天の星空がひろがります。クダット半島の中間部にあるシクアティの町では今でも毎週日曜日に大きな市が立ち、近隣集落から多くの人々がバナナや野菜などの生産物や手工芸品の売り買いに集まり、昔と変わらない賑わいをみせています。

コタキナバルからは約200km、よく整備された舗装道路でつながり州都からのアクセスが容易になったことで、近年では観光地として脚光を浴びています。サラワク州のクチンから出発しコタキナバルを経由してボルネオ最北端の景勝地Tip of Borneoを目指す欧米のバックパッカーも多くみかけます。クダットの町は最北の地であるにもかかわらず、人口は減少するどころか増加傾向にあるそうです。市内にはゴルフコースもあり、観光客の誘致を目指したホテルやロッジもできるなど、自然保護と開発の共存共栄を目指し繁栄を続ける素晴らしい土地です。

ルングスのロングハウス

かつて、ルングスの人々は集落毎にロングハウス(ルマパンジャン)と呼ばれる高床式の長屋で共同生活を営み、焼き畑農業や水牛による水田稲作、ヤシの栽培で生計を立てながらのどかで平和な暮らしを営んできました。ロングハウスには共同の長い廊下があり、子供たちはそこで追いかけっこをし、おばあちゃんは編み物をしながら子供たちの安全を見守ってくれていました。今では観光用のロングハウス以外に見かけることはありませんが、かつてはあちらこちらの集落に長短さまざまなロングハウスがありました。中には長さが100mもあるロングハウスが3棟もある村もありました。藁ぶきのロングハウスを見た記憶もあるのですが残念ながら写真が残っておらず、かろうじて1980年代に撮影されたトタン屋根のロングハウスの様子をアップします。高床式なので風通しがよく快適です。人々の生活水準が向上するにつれ、ロングハウスの暮らしを知らない世代が増えています。

ボルネオの秀峰キナバル山

サバのシンボル、キナバル山。威厳がありデカくてカッコいいと思うのは私だけではない筈。いつも雲を従え、雲の中に隠れています。

サバ州のどこからでも見えますが、個人的には北側から眺めるキナバルが一番美しいと思ってます!特に州都コタキナバルとクダット の中間地点コタブルドゥに広がる水田地帯は絶好の撮影スポットで、道端でシャッターチャンスを待っているカメラマンを見かけます。手前に伝統的な田植え風景、バックにキナバルを配する構図は旅行パンフレットでもよく見かけます。富士山よりも一回り大きくて高いキナバル山。どちらも信仰の山です。 

残念ながら、コタブルドゥで撮影したキナバルの写真がないのですが、代わりに、コタキナバル沖の海上から撮影したキナバルの雄姿をアップします。このアングルのキナバルも コタブルドゥ から眺めるキナバルに劣らずカッコいいですね。

佐藤裕のプロフィール

何故か子供のころから外国に行ってみたいと思うようになり、高校時代の恩師から青年海外協力隊の存在を聞いたことがきっかけで、協力隊に参加することが目的の青春時代を過ごしました。そして農業隊員として赴任した場所が東マレーシアのサバ州でした。私はこのサバ州クダット地区にあるルングスの集落で1987年から2年間、彼らとともに毎日がサバイバルキャンプのような暮らしをしていました。ルングスの人々は基本的に穏やかな人たちで、身の危険を感じたことは一度もなく、盗難にあったこともありませんでした。いつもルングスの村人たちが、私を仲間と認め、見守っていてくれていたのです。

青年海外協力隊の任期を終えたあとも、私は一貫して国際協力の現場で働いてきました。アフリカから南米、南アジア、大洋州諸国まで文字通り世界中の国々に出張し、被援助国政府の要人と協議を行い、数多くの援助案件の実施に携わってきました。

私は援助の実施にあたり困難に直面したり、判断に迷ったりしたとき、しばしばサバでの経験を想い出して比較し、最適の解を導き出してきたように思います。そして、いつの日か、援助マンとしての私の原点であるサバ州やルングスの人々に恩返しがしたいと漠然と考えるようになっていました。

コロナ禍が始まる前、2019年に久しぶりにサバに里帰りしました。久しぶりのサバの州都コタキナバルの街は、すっかり変わっていて、昔の面影を探す方が難しいくらい発展していました。それでも、ムッとする熱帯特有の湿気や突然のスコールとか、街の空気や匂いが昔のままで今も変わりなく、懐かしさとともにとても居心地がよく、心からリラックスしている自分に気付きました。更に、コタキナバルから車でかつての任地クダットに向かいましたが、クダットが近づくにつれ、居てもたってもいられない気持ちになり、この時、ここが自分にとっての約束の地なんだと再認識することになりました。

私はこれからの人生をこのサバ州やルングスの人たちと関わっていこう、彼らに何か恩返しをしようと強く思っています。

佐藤 裕 (さとう ひろし)
性別 男
1965年生まれ さそり座
東京都あきる野市に生まれる
青年海外協力隊に参加。昭和62年度一次隊でマレーシア・サバ州クダット地区村落開発プロジェクトに派遣される。
東京農業大学農学部農業拓殖学科卒

大手農業機械メーカーに勤務したあと、公共調達の専門機関である(財)日本国際協力システムに勤務、日本政府が実施する開発途上国向け無償資金協力や技術協力事業に携わる。途中3年間余り、世界一寒い首都ウランバートルにある在モンゴル日本大使館に一等書記官として勤務、経済協力を担当。

ボルネオの少数民族ルングス族を応援する会に興味・関心のあるかたご連絡をお待ちしています。
Hirodibangau@gmail.com

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