サバのシンボル、キナバル山。威厳がありデカくてカッコいいと思うのは私だけではない筈。いつも雲を従え、雲の中に隠れています。
サバ州のどこからでも見えますが、個人的には北側から眺めるキナバルが一番美しいと思ってます!特に州都コタキナバルとクダット の中間地点コタブルドゥに広がる水田地帯は絶好の撮影スポットで、道端でシャッターチャンスを待っているカメラマンを見かけます。手前に伝統的な田植え風景、バックにキナバルを配する構図は旅行パンフレットでもよく見かけます。富士山よりも一回り大きくて高いキナバル山。どちらも信仰の山です。
残念ながら、コタブルドゥで撮影したキナバルの写真がないのですが、代わりに、コタキナバル沖の海上から撮影したキナバルの雄姿をアップします。このアングルのキナバルも コタブルドゥ から眺めるキナバルに劣らずカッコいいですね。
何故か子供のころから外国に行ってみたいと思うようになり、高校時代の恩師から青年海外協力隊の存在を聞いたことがきっかけで、協力隊に参加することが目的の青春時代を過ごしました。そして農業隊員として赴任した場所が東マレーシアのサバ州でした。私はこのサバ州クダット地区にあるルングスの集落で1987年から2年間、彼らとともに毎日がサバイバルキャンプのような暮らしをしていました。ルングスの人々は基本的に穏やかな人たちで、身の危険を感じたことは一度もなく、盗難にあったこともありませんでした。いつもルングスの村人たちが、私を仲間と認め、見守っていてくれていたのです。
青年海外協力隊の任期を終えたあとも、私は一貫して国際協力の現場で働いてきました。アフリカから南米、南アジア、大洋州諸国まで文字通り世界中の国々に出張し、被援助国政府の要人と協議を行い、数多くの援助案件の実施に携わってきました。
私は援助の実施にあたり困難に直面したり、判断に迷ったりしたとき、しばしばサバでの経験を想い出して比較し、最適の解を導き出してきたように思います。そして、いつの日か、援助マンとしての私の原点であるサバ州やルングスの人々に恩返しがしたいと漠然と考えるようになっていました。
コロナ禍が始まる前、2019年に久しぶりにサバに里帰りしました。久しぶりのサバの州都コタキナバルの街は、すっかり変わっていて、昔の面影を探す方が難しいくらい発展していました。それでも、ムッとする熱帯特有の湿気や突然のスコールとか、街の空気や匂いが昔のままで今も変わりなく、懐かしさとともにとても居心地がよく、心からリラックスしている自分に気付きました。更に、コタキナバルから車でかつての任地クダットに向かいましたが、クダットが近づくにつれ、居てもたってもいられない気持ちになり、この時、ここが自分にとっての約束の地なんだと再認識することになりました。
私はこれからの人生をこのサバ州やルングスの人たちと関わっていこう、彼らに何か恩返しをしようと強く思っています。
佐藤 裕 (さとう ひろし)
性別 男
1965年生まれ さそり座
東京都あきる野市に生まれる
青年海外協力隊に参加。昭和62年度一次隊でマレーシア・サバ州クダット地区村落開発プロジェクトに派遣される。
東京農業大学農学部農業拓殖学科卒
大手農業機械メーカーに勤務したあと、公共調達の専門機関である(財)日本国際協力システムに勤務、日本政府が実施する開発途上国向け無償資金協力や技術協力事業に携わる。途中3年間余り、世界一寒い首都ウランバートルにある在モンゴル日本大使館に一等書記官として勤務、経済協力を担当。
ボルネオの少数民族ルングス族を応援する会に興味・関心のあるかたご連絡をお待ちしています。
Hirodibangau@gmail.com
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