笛の形
画像は推定江戸期の龍笛、現在修復と内径の調整をしている物です。
龍笛を吹かれる方なら、このような古い時代物の龍笛をご存じの事と思いますが、こちらの工房にもかなり時代物の龍笛が修理のため持ち込まれます。
古い龍笛の形ってどのような印象を持っておられますか?
多くは、大きな指孔に深い谷刳りなどが特徴と言えるのではないかと思います。
さて、雅楽は千年の歴史がありますので、龍笛も同様に千年使われてきた楽器です、そこには千年続いた龍笛の形というものがあります。
以前に笛の大家の先生に古い龍笛を見せていただきながら、「我々はこれで千年やって来たんだから、この形を大切になさい」と、ありがたくもお教えをいただいた事があります。千年の伝統を継承する責を負う先生のお言葉だけに、心してそのようにさせて頂こうと思ったのでした。
またある時には某所で千年前の笙を手に取って見させて頂く機会に恵まれました。それはもう博物館に入っていても良い位の楽器ですが、現代の笙と比べなんら変わりない事に驚きました。
楽器を作っているからと言って、自由にやって良いわけではない。龍笛がどのような楽器なのか、その形を先々の世代に伝えていく責任のようなものを感じました。
しかし、形をまねるだけで良い楽器が出来るほど甘くはありません。材料も求められる笛も一本ずつ違いますので、一つの笛を仕上げて行くには龍笛の形の意味を知る必要がありました。
細部を注意深く観察し、各部分の細かな作りが音にどのように影響を及ぼすのかという検証を繰り返して行くうちに「伝統的な龍笛の形は一つ一つの部分にそうしなけれなならない訳がある」という事がわかってきたのでした。
現代は女性の奏者も増えられたので、指の細い女性に大きな指孔では押さえにくいですし、龍笛で雅楽以外の音楽も吹かれる事が増えてきたせいか、指先で押さえるようになって来たとか、あるいは早いフレーズを吹くため浅い谷刳りを求められたりというような事もあります。
形を変えずに先々の世代にこの楽器を伝えていかねばならないと思っていますが、時代に求められる楽器を提供する事も必要です。
たとえささいな違いでも細部の形を変えれば音も変わります。本来の形を変えても、音に対する影響が出ないよう補正し、音を変えないための工夫をする。それには形の意味を知る必要があるのです。
もちろん、これこそ龍笛という楽器を作るのが基本的なスタンスです。
ネパールの笛売り
旅先の国で笛売りに出会うことがある。最初は前出のインドのバラナシ(ヴェナレス)そして、ネパールのカトマンドゥ、中国の杭州でも出会った。彼らは大抵は笛を腰にぶらさげて、吹きながら歩いている。その音に惹かれて笛を買ったりしている。
ネパールでは、哀愁のあるメロディが良くて笛を見せてもらった。楽器は手作りで荒さも目立つ。良いものが欲しくて、他にはないのかと問うと、彼らのねぐらに連れて行かれた。そこは誰かの家の床下で、土壁に囲まれた天井の低い空間であった。そこに彼らは藁をひいて寝泊りしているようで、真っ暗で土の湿った臭いの床に何人かが横たわっていた。彼らの笛を売って暮すという生活がどのようなものか、垣間見えたような気がした。
その時の笛は手元には無い。日本に送った荷物は高価なものだけが抜き去られ、変りにネパールの民族帽子がたくさん詰められていたのである。何年後かに友人からネパールの笛をお土産にもらった、よく似ているが、良い楽器ではない。写真はカトマンドゥの近く、最も中世の様子が残っている古都バクダプルの水場で撮ったもの。ネパールの古い街は中世から時間が止まったままのようだった。
今でも彼らは笛を吹きながら街を歩いているのだろうか。
迦楼羅様
先日、写真のフィギアをいただいた。良く出来ている。三十三間堂の迦楼羅像がモチーフのようだ。
私が良く行く興福寺の迦楼羅像は笛を吹いていない。が、この像の緊張感のあるお顔は、まさに笛を吹いている。指の形から高音を吹き鳴らしているように見える(フクラでは使わない指の押さえ)。
迦楼羅様は子供の頃から知っている。ゲゲゲの鬼太郎に登場していたからだ。牛鬼となった鬼太郎を救うべく、目玉のお父さんが祠で願うと迦楼羅様が現れ、笛を吹いて牛鬼を火口へと連れていった。ちょっと怖い神様のように見えた。
さて、実際の迦楼羅は、元はインド神話に登場するガルーダである。絶対的な強さを持ち、炎をまとった神鳥でヴィシュヌ神の乗り物となっている。パーリ語でガルラと言う。ガルーダインドネシア、タイ国王の紋章に使われている。
東アジアでは、仏教に帰依し、仏法を守護する神となったとされる。八部衆、二十八部衆の一神である。
近年復元された伎楽にも登場する。芝祐靖先生の手で曲が作られている。
インドの話
山暮らし
好んで田舎にくらしているわけではないけれど、秋を迎えて虫たちの声がにぎやかになってきた。
早朝に鳶が鳴くのも最近の日課。鳶の声は鋭く、少しだけ悲しげに聞こえる。
前の畑に、今年はウグイスが来なかった。笛を吹くと鳴き声で答えてくれる。能管の名手、藤舎名生さんの本にウグイスと鳴き合いをする下りがあるが、私も良くウグイスと遊んだ。
空気が澄んでいるせいか、月も冴える。雲が月にかかると美しい。月の無い晴れた夜には天の川をながめることもある。….笛を吹けたらなぁと思うけれど、夜に吹くのはやめておこう。
こんな事を書くと、田舎はいいなぁと思われるでしょうが、今年は猛暑でおとなしかった蚊達が今頃大群で押し寄せ、あちこち痒い思いをしています。写真は我が家の玄関先から撮ったものです。
エアリード
横笛は世界中にあって最も親しまれている楽器ですが、音の鳴る原理は諸説が唱えられ、エアリードの理論に定着してきたのはそう昔のことではありません。
写真の赤い部分(便宜上エッジと呼びます)に当たった息が管の外と中に分かれ、中に入った息は管内の気圧を高めて外にはじき出されます。その後再び管内に入る。そのサイクルは非常に速くて、結果、唇から出す空気のビームを振動させて音となるというものです。(空気の流れを撮影した連続写真がある)
他にカルマン渦などの理論がありますが、渦の振動では笛を鳴らす程のエネルギーは無いと言われています。龍笛の上手な方なら経験があるかもしれませんが、音の終わり目に綺麗に息を抜いていくと最後にヒューという小さな音が聞こえる場合があります。私はこの音が渦の出す小さな音かなと思っています。この音はもちろん楽器を鳴らす程の大きな音ではありません。
さて、エッジで別れて管外に行っている息は無駄なのでしょうか?仮にすべての息を中に吹き込むと音は鳴らないのはどなたもご存知です。これは私の独断ですが、息を半分外に出すことで、管内からはじき出される空気の流れを引き起こすのではないかと思っています。外と中の息の配分は最も効果的になされなければなりません。これは練習で身に付けるものですね。
息の速度が速ければ振動も速くなり、高音を出しやすく、遅ければ低音が出しやすくなると理論上は申せますが、実際もそのようであると感じています。
緩み
写真は北畠氏の菩提寺である浄眼寺(じょうげんじ)の鐘楼。宮大工時代に修復工事をさせていただいた物です。垂木(たるき)も傷んでいたため、何本か替えました。その時に思った事なのですが、形には緩みがあった方が良いというふうに思いました。
古い垂木は手元で見ると一本一本手作業で作られており、正確に寸法が出ておらず、現代では通用しにくいものですが、個々に寸法の違った垂木が並べられている様は、遠めには整然と見えて、かつ何というか味があるのです。一方、修理の上がった部分にきちんと寸法の揃った物を並べると、ちょっと硬い感じがします。それは奈良のお寺の修理や新築を見ても思うことで、ちょっと緩みがあった方がいい感じがするんじゃないかと思います。
笛も手作りの物ですので、緩みがあると思います。どの笛にどのような形の緩みがあるのかは、作った人にしか分からない部分ですが、仕上がりがいい感じに見えたなら、それはうまくいったのだと思います。
ただし、緩みっぱなしの形は見苦しいので、基本の造形はゆるぎないものにしないといけないと心がけております。