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旧ブログ「雅楽器職人の思う事」より
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2021年1月よりのブログ

2021年2月14日

江戸期の鉦鼓の音色

もう何年か前になりますが、あるお寺で江戸時代からある鉦鼓を打たせていただきました。
正確には鉦の部分が江戸期のもので台枠はもっと新しいものです。
この鉦鼓は第二次世界大戦の空襲に会い、焼け跡になった地面から掘り出されたそうです。
音は深い鋭い音色で残響は殆ど無く、石のような音色でした。
古書に鉦鼓は石の様な音で打つ、と教えがあったように思いますが、この音色はまさにそのようであると感じました。材質が違うのでしょうか?
我が雅楽会の鉦鼓はチチンと高く鳴りますが、この鉦鼓はなんと表現したら良いのか、ココンいうような低い音で、残響はチチッと鋭く切れる、合奏していても凄い存在感でした。
合奏では三管の他に絃や打楽器も入りますが、管の音色以外に絃や打ち物それぞれの楽器の音色が大切なのは言うまでもありません。
こういうのに出会うと、良い絃物や打ち物が欲しいとなぁと思います。

2021年2月3日

笛の形

画像は推定江戸期の龍笛、現在修復と内径の調整をしている物です。
龍笛を吹かれる方なら、このような古い時代物の龍笛をご存じの事と思いますが、こちらの工房にもかなり時代物の龍笛が修理のため持ち込まれます。
古い龍笛の形ってどのような印象を持っておられますか?
多くは、大きな指孔に深い谷刳りなどが特徴と言えるのではないかと思います。

さて、雅楽は千年の歴史がありますので、龍笛も同様に千年使われてきた楽器です、そこには千年続いた龍笛の形というものがあります。
以前に笛の大家の先生に古い龍笛を見せていただきながら、「我々はこれで千年やって来たんだから、この形を大切になさい」と、ありがたくもお教えをいただいた事があります。千年の伝統を継承する責を負う先生のお言葉だけに、心してそのようにさせて頂こうと思ったのでした。
またある時には某所で千年前の笙を手に取って見させて頂く機会に恵まれました。それはもう博物館に入っていても良い位の楽器ですが、現代の笙と比べなんら変わりない事に驚きました。
楽器を作っているからと言って、自由にやって良いわけではない。龍笛がどのような楽器なのか、その形を先々の世代に伝えていく責任のようなものを感じました。
しかし、形をまねるだけで良い楽器が出来るほど甘くはありません。材料も求められる笛も一本ずつ違いますので、一つの笛を仕上げて行くには龍笛の形の意味を知る必要がありました。
細部を注意深く観察し、各部分の細かな作りが音にどのように影響を及ぼすのかという検証を繰り返して行くうちに「伝統的な龍笛の形は一つ一つの部分にそうしなけれなならない訳がある」という事がわかってきたのでした。

現代は女性の奏者も増えられたので、指の細い女性に大きな指孔では押さえにくいですし、龍笛で雅楽以外の音楽も吹かれる事が増えてきたせいか、指先で押さえるようになって来たとか、あるいは早いフレーズを吹くため浅い谷刳りを求められたりというような事もあります。

形を変えずに先々の世代にこの楽器を伝えていかねばならないと思っていますが、時代に求められる楽器を提供する事も必要です。
たとえささいな違いでも細部の形を変えれば音も変わります。本来の形を変えても、音に対する影響が出ないよう補正し、音を変えないための工夫をする。それには形の意味を知る必要があるのです。

もちろん、これこそ龍笛という楽器を作るのが基本的なスタンスです。

2021年1月24日

最近の高麗笛の製品です。
以前と大きくは変わりませんが、素竹部分に漆を施しています。
表面がピカピカの煤竹はそのまま仕上がりとする場合もありますが、材質が良くても傷や表皮の剥がれのある煤竹もあります。
漆を施す事で表皮の保護を行い、長く使えるように工夫しています。
色合いはやや暗い色になりますが、美しく仕上げて行きたいですね。

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2019年11月15日

笛の中から、古い新聞が出て来ました。寺内首相とありますので、大正5年から7年頃の物。笛は百歳以上ですがシッカリとしています。竹が硬いです。暫し読みふけってしまいます。
笛の中から、古い新聞が出て来ました。寺内首相とありますので、大正5年から7年頃の物。笛は百歳以上ですがシッカリとしています。竹が硬いです。暫し読みふけってしまいます。

2019年9月4日

古い笛の修理です。錘に巻いた紙に狛近尚 造と書かれてありました。奈良からの依頼、狛氏の何方かの作か?調べたけれどわかりませんでした。笛は上下に分割して作られていました。初めて見る技法です。これから頭を付けて巻に入ります。
古い笛の修理です。錘に巻いた紙に狛近尚 造と書かれてありました。奈良からの依頼、狛氏の何方かの作か?調べたけれどわかりませんでした。笛は上下に分割して作られていました。初めて見る技法です。これから頭を付けて巻に入ります。

2019年7月30日

樺巻ニ管新品(下)の笛も、ニ年位(上)経つと歴戦のツワモノ。かなり鍛えられて来たようです。もう音色に幼さはありません。二年で最も長い時間吹かれた笛の一つです。桜樺は柔らかで籐より重く、音色の雑味が抑えられます。欠点は摩耗に弱い事。漆が剥げて樺が露出すると磨り減る事があります。強い漆が望ましいです。※漆が剥げたらヒゲのジョリジョリは要注意。ホントです。

2018年8月30日

樺巻と籐巻、漆で塗ってしまうと見た目ではわかりにくいです。指で巻部分を押してみると、籐巻は硬く樺巻は僅かに弾力があります。画像は煤竹籐巻の龍笛です。

2017年9月3日

高麗笛用の煤竹は硬さや太さ、真っ直ぐな具合いを見て選びますが、皮付きで仕上げるため外観の良さも大切です。沢山煤竹が合っても条件に合うものは希少で竹選びには時間を費やします。透明感のある甲高い音色が出て、バランス良く音量を出せるように調整します。この夏生まれの笛達です。

2017年6月6日

皆様、お祝いのメッセージを頂きありがとうございます!これからも精進致します!現在は鈴木直人作の龍笛の修理をさせて頂いています。これで数管めの直人管修理ですが、今回は大修理となりました。私の生まれた年が、ちょうど直人さんの没年でして、この笛も私の年齢よりも少し上になります。笛の品格を無くさないようにしっかりと仕事をしなければ!今後とも宜しくお願い申し上げます。
皆様、お祝いのメッセージを頂きありがとうございます!これからも精進致します!現在は鈴木直人作の龍笛の修理をさせて頂いています。これで数管めの直人管修理ですが、今回は大修理となりました。私の生まれた年が、ちょうど直人さんの没年でして、この笛も私の年齢よりも少し上になります。笛の品格を無くさないようにしっかりと仕事をしなければ!今後とも宜しくお願い申し上げます。

2017年3月21日

別誂 本煤竹桜樺巻龍笛仕上がりました。今年の冬は寒暖差が大きく,漆仕事は気を使います。
別誂 本煤竹桜樺巻龍笛仕上がりました。今年の冬は寒暖差が大きく,漆仕事は気を使います。

2016年9月8日

神楽笛用に煤を落として磨きました。本物の煤竹はやっぱり良いですね。

2016年2月26日

山桜の原木を入手したので、樺巻用に樹皮を剥ぎました。2年乾かして後使用出来ます。残りの丸太は芯を抜いてブロック材にし、木工材料として乾燥させます。割れずに乾いてくれるとうれしいです。
山桜の原木を入手したので、樺巻用に樹皮を剥ぎました。2年乾かして後使用出来ます。残りの丸太は芯を抜いてブロック材にし、木工材料として乾燥させます。割れずに乾いてくれるとうれしいです。

2015年8月23日

こちらは新規作成の笛、指穴をあけ終わったのでこれから内径の調整に入ります

2015年8月23日

古い笛は竹の円周の6割ほどをノコギリで切って曲がりを直しているものが多い、麦漆を接合部分に入れ接着し直して、更にアリ型の添え竹を接着する。この笛は3ヶ所も切られていました

2015年8月23日

修復等の案件。ちょっと多いな…

2015年6月19日

樺巻きの神楽笛と樺巻きの龍笛が生まれました。これから年数を過ごして良い管に育っておくれよ…

2015年4月20日

篳篥の管箱は唐木だとかなり高価なので、手頃な物を作りたいと、構想2年あまり。チーク材の堀込拭き漆仕上げでようやく試作品が出来上がりました。要は小さい螺鈿ですが、デザイン的には何でもできるので今後は気の向くままに作って見ようと思います。チークは狂いが少ないのが取り柄ですね。デザインはオリジナルで型紙を作りました、大振りのケースでリードを付けた篳篥に更に予備リードが入る大きさにしました。

2015年4月20日

篳篥は、音抜け・バランス共に良く仕上がったと思います。同じ管楽器でも笛類の構造理論とは全く別物です。今回は桜樺の拭き漆で仕上げました。猫掻きが細かいので老眼鏡のお世話になってしまったのでした。煤竹は滋賀県北部の萱葺き農家から出た物を使わせていただきました。

2015年1月15日

今日は煤竹採取に行って来ました。既に廃屋となった茅葺きの家、組まれた竹の中から女竹の太いものを抜き取って持ち帰りました。結果は…神楽笛用の良いのを一本、かろうじて龍笛に使えるもの4本、その他多数でした。一軒の家から一つも出ないこともあるので良い方だと思うことにしよう…写っている竹はほとんど真竹です

2012年12月2日

塗り工程に入る前の樺巻きの画像です

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ネパールの笛売り

 

旅先の国で笛売りに出会うことがある。最初は前出のインドのバラナシ(ヴェナレス)そして、ネパールのカトマンドゥ、中国の杭州でも出会った。彼らは大抵は笛を腰にぶらさげて、吹きながら歩いている。その音に惹かれて笛を買ったりしている。

ネパールでは、哀愁のあるメロディが良くて笛を見せてもらった。楽器は手作りで荒さも目立つ。良いものが欲しくて、他にはないのかと問うと、彼らのねぐらに連れて行かれた。そこは誰かの家の床下で、土壁に囲まれた天井の低い空間であった。そこに彼らは藁をひいて寝泊りしているようで、真っ暗で土の湿った臭いの床に何人かが横たわっていた。彼らの笛を売って暮すという生活がどのようなものか、垣間見えたような気がした。

 

その時の笛は手元には無い。日本に送った荷物は高価なものだけが抜き去られ、変りにネパールの民族帽子がたくさん詰められていたのである。何年後かに友人からネパールの笛をお土産にもらった、よく似ているが、良い楽器ではない。写真はカトマンドゥの近く、最も中世の様子が残っている古都バクダプルの水場で撮ったもの。ネパールの古い街は中世から時間が止まったままのようだった。

今でも彼らは笛を吹きながら街を歩いているのだろうか。

 

迦楼羅様

 

先日、写真のフィギアをいただいた。良く出来ている。三十三間堂の迦楼羅像がモチーフのようだ。

私が良く行く興福寺の迦楼羅像は笛を吹いていない。が、この像の緊張感のあるお顔は、まさに笛を吹いている。指の形から高音を吹き鳴らしているように見える(フクラでは使わない指の押さえ)。

迦楼羅様は子供の頃から知っている。ゲゲゲの鬼太郎に登場していたからだ。牛鬼となった鬼太郎を救うべく、目玉のお父さんが祠で願うと迦楼羅様が現れ、笛を吹いて牛鬼を火口へと連れていった。ちょっと怖い神様のように見えた。

 

さて、実際の迦楼羅は、元はインド神話に登場するガルーダである。絶対的な強さを持ち、炎をまとった神鳥でヴィシュヌ神の乗り物となっている。パーリ語でガルラと言う。ガルーダインドネシア、タイ国王の紋章に使われている。

東アジアでは、仏教に帰依し、仏法を守護する神となったとされる。八部衆、二十八部衆の一神である。

近年復元された伎楽にも登場する。芝祐靖先生の手で曲が作られている。

 

 

 

 

インドの話

 

 昔、もう20年程前にインドのガンジス川の聖地バラナシ(ヴェナレス)を訪ねた時、かのビートルズも惹きつけられたインドの音楽を是非学んで見たいと思ったのでした。
 
 運良くシタールの先生(日本でも公演経験がある)と出会い、インドの竹笛であるバーンスリーの奏者をご紹介いただいて、個人レッスンをお願いしました(本当はシタールかタブラーがしたかったのですが、シタールは楽器が高く、タブラーは非常に難しく数日では何も覚えられないように思いました)。
 先生は旧型のごつい自転車を漕いで、布のカバンを肩から下げて、練習場に通ってこられました。滞在日数はわずか5日、一日一回のレッスンを特別に2回にしてもらって、空いた時間はガンジスの川辺で自習をして、最終日になんとかシタール・タブラーと演奏させてもらうことが出来ました。
 
 練習開始の初日に先生から「お前の音はカレントの音がする」と言われました。カレントは多分気体の流れの事、龍笛を吹いていた私の音は吹き込みの音が混ざったり、息の音が混ざったりしているようでした。
 バーンスリーは素朴な作りの笛ですが、内部を滑らかにするためにオイルを流し込んで使います。その音色は滑らかで、日本の尺八・能管・龍笛とはちょっと違う。インドの風土にはその音色が良く合うのだと思います。
 
 最後に先生が「お前はスピリッツとフィンガーテクニックがいいから、もしスターになったら俺の事を忘れないでくれ」と言っていましたが、当時スピリッツが良いとはどういう意味かもいまいちわからず(^^;….
 先生すいません、インド音楽の勉強はその後ぜんぜん進まず、私はちっともスターになっていませんが、でも先生の事はいまでもしっかりと覚えていますよ…….

山暮らし

 

好んで田舎にくらしているわけではないけれど、秋を迎えて虫たちの声がにぎやかになってきた。

早朝に鳶が鳴くのも最近の日課。鳶の声は鋭く、少しだけ悲しげに聞こえる。

前の畑に、今年はウグイスが来なかった。笛を吹くと鳴き声で答えてくれる。能管の名手、藤舎名生さんの本にウグイスと鳴き合いをする下りがあるが、私も良くウグイスと遊んだ。

 

空気が澄んでいるせいか、月も冴える。雲が月にかかると美しい。月の無い晴れた夜には天の川をながめることもある。….笛を吹けたらなぁと思うけれど、夜に吹くのはやめておこう。

 

こんな事を書くと、田舎はいいなぁと思われるでしょうが、今年は猛暑でおとなしかった蚊達が今頃大群で押し寄せ、あちこち痒い思いをしています。写真は我が家の玄関先から撮ったものです。

エアリード

横笛は世界中にあって最も親しまれている楽器ですが、音の鳴る原理は諸説が唱えられ、エアリードの理論に定着してきたのはそう昔のことではありません。

写真の赤い部分(便宜上エッジと呼びます)に当たった息が管の外と中に分かれ、中に入った息は管内の気圧を高めて外にはじき出されます。その後再び管内に入る。そのサイクルは非常に速くて、結果、唇から出す空気のビームを振動させて音となるというものです。(空気の流れを撮影した連続写真がある)

他にカルマン渦などの理論がありますが、渦の振動では笛を鳴らす程のエネルギーは無いと言われています。龍笛の上手な方なら経験があるかもしれませんが、音の終わり目に綺麗に息を抜いていくと最後にヒューという小さな音が聞こえる場合があります。私はこの音が渦の出す小さな音かなと思っています。この音はもちろん楽器を鳴らす程の大きな音ではありません。

さて、エッジで別れて管外に行っている息は無駄なのでしょうか?仮にすべての息を中に吹き込むと音は鳴らないのはどなたもご存知です。これは私の独断ですが、息を半分外に出すことで、管内からはじき出される空気の流れを引き起こすのではないかと思っています。外と中の息の配分は最も効果的になされなければなりません。これは練習で身に付けるものですね。

息の速度が速ければ振動も速くなり、高音を出しやすく、遅ければ低音が出しやすくなると理論上は申せますが、実際もそのようであると感じています。

緩み

 

写真は北畠氏の菩提寺である浄眼寺(じょうげんじ)の鐘楼。宮大工時代に修復工事をさせていただいた物です。垂木(たるき)も傷んでいたため、何本か替えました。その時に思った事なのですが、形には緩みがあった方が良いというふうに思いました。

古い垂木は手元で見ると一本一本手作業で作られており、正確に寸法が出ておらず、現代では通用しにくいものですが、個々に寸法の違った垂木が並べられている様は、遠めには整然と見えて、かつ何というか味があるのです。一方、修理の上がった部分にきちんと寸法の揃った物を並べると、ちょっと硬い感じがします。それは奈良のお寺の修理や新築を見ても思うことで、ちょっと緩みがあった方がいい感じがするんじゃないかと思います。

笛も手作りの物ですので、緩みがあると思います。どの笛にどのような形の緩みがあるのかは、作った人にしか分からない部分ですが、仕上がりがいい感じに見えたなら、それはうまくいったのだと思います。

ただし、緩みっぱなしの形は見苦しいので、基本の造形はゆるぎないものにしないといけないと心がけております。