-
僕は小さい頃、アトピーに苦しみました。あれはなってみないとわからないほど、本当に辛い体験でした。一度や二度は本当に生死をさまようこともありました。親はその僕に真剣に取り組んでくれて、今このように丈夫に育ったことを感謝しています。
保育園、小学校中学校時代は僕は毎日、母の手作りのお弁当でした。中身といえば無農薬の玄米に、無農薬の野菜、野菜、野菜です。
様々な美味しそうな給食を見ながらも、食べられない僕は苦しいけれど母のお弁当を食べることしか生きる道はなかったのです。
疎外感を持つことは何べんもありました。しかし僕は我慢ができました。やはりアトピーの苦しみを知っていたからです。
大きくなるに従い少しずつ免疫力がついて来たように思います。ここに至るまでの「食事」に対する僕の信念は育ったと思います。
子供達に良い「食」を与えたい。それは今「食育」と言う言葉で言われています。家庭での食育はお母さんだけの問題ではありません。その責任は社会にあると思います。出来るだけ!この岩手にはどこにも負けない綺麗な空気、そして水!それらが作り出す土壌があります。僕はそれらをを健康にして行きたいのです。農業を、作る人もそれを食べる人をも健康にして行きたいです。
学校の給食から始まり、健康に気をつけたものにして行くことが、すべての岩手の子どもたちの心と体が健康に育っていくことに繋がる!そうでなければならないと思っています。
-
それこそが岩手が人口減少にならないための絶対条件と僕は思っています。
自然豊かな岩手が生んだ食物が体に良い!子供の時から本当に体に良いものを食べていれば、それが美味しいと、体が覚えています。
それは大人になっても、ふるさと岩手が大好きでいることに繋がると思います。
今U ターン、I ターン、J ターンと言われるように、若者に限らずふるさとに帰って働きたいと思う人たちが増えています。
それをぜひ応援したいと思います。
そのための地元の中小企業への政治の政策、金融支援です。今あまりに政治が企業に対しての制約が多すぎると僕は思っています。
企業はそれぞれが一つ一つ命あるものであり、生きているものですから、同じように行政が制約をかけるのは考えなければならない
と思います。企業それぞれの自由度を高め、企業の繁栄をもたらさなければ何にもなりません。若者が岩手に戻り、希望を持って起業していくための応援団でありたい!
さらに岩手の大学などで学ぶ若者のための奨学金制度を改めたい!学ぶことは若者に限らず歳を取っても大切なことと考えます。
まず、学ぶ姿勢の人は若いです。頭脳を磨き、腕に技術をつけるための資金、そして返済に困ることのないよう政策で支援して行きたいと思っています。
-
子育ての世代は、人生で最も充実した時代であると言われますが、保育園がなければ生活ができない。岩手で安心して働くことができるための良い保育の施設を確保したいと思います。女性の味方であり、女性の力を大切にする岩手でありたいと思う。
そして安全第一の街でなければならないと痛感しています。僕もそうだったように、人にはそれぞれのライフワークがあります。
個性を大切に、仕事では一生懸命に働き、家庭では自分たちひとりひとりのライフワークを尊重していく時代であるように頑張り
たいと思う。企業型保育はこれからの希望にも思っています。それはまさに働くお母さんへの一番の応援でもあると思っています。
-
岩手の福祉は全国的に見ても充実していると言われます。しかしまだまだ手を差し伸べなければならないところは多いのです。
障害を持つ人の能力を引き出してくれている施設も多いが、僕の思う形は、車いすの方々にもっと活躍してもらいたい。
そのためのパーソナルな車いす、ひとりひとりの体に合った一人のための車椅子の導入です。実はそれは母である高橋ひなこが実現に向けて頑張ってきた功績は息子である僕も認めるところです。それらも受け継ぎ、ますます高齢者、障害者、妊婦の方、子供達、外国からの方々との垣根を取り払って行きたい。皆が仲良く快適に暮らしていけるバリアフリーの街つくりに頑張りたい。
-
岩手以上に美しい自然や景観の県があるでしょうか?もちろん全国にはたくさんあります。でも僕は岩手が最高だと思っている。
そのふるさとをもっともっとアピールして行きたいのです。
観光資源がたくさんある岩手県を全国にもっともっとPRし、発信して行きたい。
例えば、新しい新鮮ないわて文化も!新鮮な驚きをみんなで創造して発信しよう!
盛岡城・スタジアム・副文化( アニメ、ドラマ、映画、eスポーツなどワクワクする観光岩手!
緑深いふるさと岩手、見上げればそこには銀河鉄道が走るファンタジー!新しいいわて発信に、僕は挑戦して行きます。
-
岩手の福祉は全国的に見ても充実していると言われます。しかしまだまだ手を差し伸べなければならないところは多いのです。
障害を持つ人の能力を引き出してくれている施設も多いが、僕の思う形は、車いすの方々にもっと活躍してもらいたい。
そのためのパーソナルな車いす、ひとりひとりの体に合った一人のための車椅子の導入です。実はそれは母である高橋ひなこが実現に向けて頑張ってきた功績は息子である僕も認めるところです。それらも受け継ぎ、ますます高齢者、障害者、妊婦の方、子供達、外国からの方々との垣根を取り払って行きたい。皆が仲良く快適に暮らしていけるバリアフリーの街つくりに頑張りたい。