私は
「お金」がたくさんあれば
『自由』になれるのではないかと考えました。
"「お金」持ち"
になる方法を学ぶために
"「お金」持ち"
を探しました。
その結果、たくさんの
"不自由な「お金」持ち"
と出会いました。
彼らは「時間」に制限された生活に
不足を感じて生きていました。
彼らはいつも「辛そう」でした。
彼らから
好きなように過ごせる「時間」を持てなければ
『自由』は得られないことを学びました。
彼らと共に過ごした私は少しだけ
"「お金」持ち"になりましたが
彼らと同じように好きなように過ごせる
「時間」を失いました。
私は
「お金」と「時間」を手に入れて
『自由』になろうと考えました。
"「お金」と「時間」持ち"
になる方法を学ぶために
"「お金」と「時間」持ち"
を探しました。
その結果、たくさんの
"不自由な「お金」と「時間」持ち"
と出会いました。
彼らは「場所」と「人」に制限された生活に
不足を感じて生きていました。
彼らはいつも「辛そう」でした。
彼らから
好きな「場所」で過ごせる『自由』と
好きな「人」と過ごせる『自由』がなければ
本当の『自由』は得られないことを学びました。
彼らと共に過ごした私は少しだけ
"「お金」と「時間」持ち"になりましたが
彼らと同じように
好きな「場所」「人」と過ごせる『自由』を失いました。
私は
たくさんの「お金」を持ち
好きな「場所」「人」と
好きなだけ過ごせる「時間」を持つ
"『自由』持ち"
になろうと考えました。
"『自由』持ち"
になる方法を学ぶために
"『自由』持ち"
を探しました。
その結果、たくさんの
"元気がない『自由』持ち"
と出会いました。
彼らはせっかく手に入れた
「お金」「時間」「場所」「人」が
『いつか無くなるんじゃないか』
という「恐れ」に縛られ
"心"が不自由のままでした。
彼らはいつも「辛そう」でした。
<何かを失ったとき>は
「もう二度と得られないのではないか」と
<何かを得たとき>は
「いつか失ってしまうのではないか」と
彼らの"心"は「恐れ」を選び続けていました。
彼らから
何を得ても失っても
"心"が「恐れ」を選んでいる限り
<人生は「辛い」まま>
ということを学びました。
彼らと共に過ごした私は
これまで通り
"心"では「恐れ」を選び
"元気がない『自由』持ち"
になりました。
ついに念願の『自由』を得ましたが
彼らと同じように
"心"は「恐れ」から解放されず
不自由のままでした。
私は
"『心の自由』持ち"
になろうと考えました。
"『心の自由』持ち"
になる方法を学ぶために
"『心の自由』持ち"
を探しました。
その結果、たくさんの
"元気な子供たち"
と出会いました。
彼らは当時の私と同じように
心の赴くままに
『自由』に生きていました。
彼らはいつも「幸せそう」でした。
彼らから
『自由』は
"外側から手に入れるもの"
ではなく
"内側から思い出すもの"
だということを学びました。
彼らと共に過ごした私は
「恐れ」もそれ以外も
『自由』に選択できる
"『心の自由』"を
少しずつ思い出していきました。
私はこれまでの
全ての出会いから
"人の価値観や人生の状況は
「時間」を多く共に過ごす人とそっくりになる"
ということを学びました。
そして
"「時間」を誰と多く共にするかは
いつからでも心の赴くままに『自由』に選べる"
ということを思い出しました。
それから私は
"誰と過ごすか"
"誰と過ごさないか"
を心の赴くままに選び
生き始めました。
心の赴くままに
幸せに生きられるようになり
「いつも元気だね」
と言われる大人になりました。
人生は
"誰と過ごすか"
が大きく影響し
"誰と過ごせば良いか"
はいつも
"心"が教えてくれていることを
思い出していきました。
私は、その教えに耳を傾け
"心の赴くまま"に生きることで
次第に心は満たされていき、目の前には
『必要なものが満ち足りた自由な世界』
が再び、映し出されていきました。
この体験から
"満ち足りた自由な心"
を得る方法を
いつでも必要なときに再確認できるように
全ての人に共通する
"心を満たす第一歩"
をまとめた書籍
コンパス
〜不安なき人生の進路〜
を執筆しました。
この書籍が未来の自分
そして手にとっていただける
ご縁ある方の人生に
『必要なものが満ち足りた自由な世界』
が益々創り出されるきっかけのひとつとして
貢献できることを願っています。
辰巴 -SINGHA-