花心 エッセイ
2021年 5月

ー 老後初恋の香り ー
赤岩保元

ー 端午の節句 ー
にし みどり

〈赤岩保元〉

ー 老後初恋の香り ー


老後初恋大内政弘

くるしさも涙もろさも老ゆゑと
まぎらはせども昨日にも似ず

大内政弘「拾塵和歌集 恋歌上」より


「画像の文字表記」
久留之左毛涙毛呂左毛老由惠止
末幾良波世止毛昨日仁毛似寸
老後初恋 大内政弘 保元書
クリックしてご覧ください)
(訳)
私は板敷きに座って、陽光を浴びている。
初夏の爽やかな風が鬢のほつれを、揺らしている。
もう何刻、此処に、こうして座っているのだろう。
目を上げると、庭の木々の若葉が眩しい。
一筋、頬を流れるものがある。
私は、深い溜息をついた。

鬢(びん) 頭の左右側面の髪

(エッセイ)
自宅の近所に檸檬の木が3本ある。今朝(4月30日)側を通ると、それぞれに花芽を沢山付けているのに気付いた。多分、明日明後日には花が開くだろう。今年もあの爽やかな花の香りを嗅ぐことが出来る。そして、林檎の花は咲いているだろうかと、思いを巡らせた。近くに林檎の木があるわけでも無く、林檎の花を見たこともない。この文章を書くために、頭の中に「初恋」が存在していた。
政弘公の和歌「老後初恋」を読んだとき、先ず心に浮かんだのは、島崎藤村の詩「初恋」だった。内容は異なっているが、「初恋」という字面に反応した。老年のやるせない恋、少年か青年の初々しい恋。藤村の詩を記憶されている方も居られると思うが、以下に「初恋」の冒頭を記します。

初恋    島崎藤村

まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり

大内政弘「拾塵和歌集」の歌数は、1126首。部立は、10部。「春歌」「夏歌」「秋歌」「冬歌」「羈旅歌」「恋歌上」「恋歌下」「雑歌上」「雑歌中」「雑歌下」。そして、「恋歌」は上下合わせて、205首。全体の約5分の1。
「恋歌上」は、「初恋」と題した和歌から始まっている。そして次に、「老後初恋」。「初恋」を使用した恋歌は、この2首のみです。
「拾塵和歌集」は、政弘公の2万首の和歌から撰者達が選び、最終的に政弘公自身が決めた和歌集だということです。「初恋」と「老後初恋」を並べるとは、乙なことをやったものです。
最後に、政弘公の「初恋」を載せます。

初恋    大内政弘

まだしらぬ恋路くるしく思ひ立つ
けふはいかなる月日なるらん

大内政弘 文安3年(1446年)-明応4年(1495年)
室町時代の守護大名。応仁の乱には西軍側の主力として、
参戦する。文化にも造詣が深く、後年山口が西の京と呼ばれる
基礎を築く。
私家集は「拾塵和歌集」。

資料
『拾塵和歌集』国歌大観 角川書店
『古語大辞典』小学館

画像:
「涙」 
和紙(三椏):44.5×34センチ 山口市徳地和紙 千々松和紙工房


文章と作品:赤岩保元

〈にし みどり〉

ー 端午の節句 ー


あかねさす紫野行き標野行き

野守は見ずや君が袖振る

『万葉集』1:20 額田王



訳)あかね色っぽい紫草の生えている御料地の野を、あちらにこちらに行って・・・野守りが見ないかしら、あなたが袖をお振りになるのを。


 この歌は『万葉集』でもっともよく知られた歌の一つだろう。天智天皇の七年(668年)五月五日の端午の節句の薬狩りの後の宴席で額田王(ぬかたのおおおきみ)が披露したようだ。節句の行事はもともと中国で始まったもので、五月は暑さに向かう時期だから悪月として忌み、水辺で禊ぎや祓えを行ったことから始まり、邪を僻け、病気の予防のための様々な行事が生まれた。


 隋(六世紀)の頃の中国揚子江び中流域における民間年中行事を記した『荊楚歳時記』によれば、五月五日には野に出て薬草を摘み、色鮮やかな絹糸を肩に巻き病を避け、邪気を払う作用があると考えられた蓬(よもぎ)で作った人形を飾り、また菖蒲を門に掛け刻んで酒に浮かべて飲むなどして邪気を追い払うと同時に、竜船の競争などが行われたという。一方、高句麗では鹿狩りが宮廷行事となっていた。天智天皇の薬狩りは、男達が鹿を狩り、女達は薬草を摘んだのだろう。鹿の角は秋の終わりに落ちて、春になると新しい角が生えてくる。まだ若い角は強壮剤の鹿茸(ろくじょう)として用いられた。


 今でも端午の節句の頃によもぎ餅を食べたり、京都などでは軒菖蒲といって軒先に菖蒲やよもぎを飾るそうだ。この頃は、五月に入るやいなや、菖蒲湯に使う菖蒲がスーパーにも並べられる。よもぎや菖蒲は香りが強く、邪気を祓うと考えられているからだ。


 天平十九年(747)の五月五日、「昔はこの日には菖蒲を頭に着けるカズラにしていたのに、この頃、着けなくなっているのはよくないから、今後は菖蒲のカズラを着けていないものは、宮中に出入りしてはいけない」という詔が出た。以来、平安時代になっても、端午の節句の日、宮中では皆、菖蒲のカズラを着ける決まりになっていた。


 カズラは額から頭の後ろまで植物の蔓(つる)などを回し着けるもので、蔓の強さ、生命力、菖蒲の葉なら邪気を祓う強い香気をまとって身を守り活力を得る呪術に始まり、古くは男女別なく用いた。ツル性の植物の多くが○○カズラという名前なのは、その名残だ。


 端午の節句には強く香るよもぎや菖蒲、橘の花などを丸く玉のようにしたてた薬玉を作って、親しい人に贈るなどの習慣もあった。


かぐはしき花橘を玉に貫(ぬ)き

贈らむ妹はみつれてもあるか

(万葉集10:1967)

訳)香りの素晴らしい橘の花を玉に貫いて贈ろうと思っている妻は痩せ衰えているよ。


 病身の妻の健康を祈って橘の花で玉を作っている優しい夫の歌だ。大伴家持も妻に真珠を贈ってやりたいと、こんな歌を詠んでいる。


白玉を包みて遣(や)らば

あやめぐさ花橘にあへも貫(ぬ)くがね

(万葉集18:4102  大伴家持)

訳)真珠をだいじに包んで妻に届けてやったら、菖蒲と橘の花に交えて糸に通すだろう。


 あやめぐさ(菖蒲のこと)と橘の花にあわせて真珠も一緒に糸に通して、これはかずらか首飾りにでもするのだろうか。玉に何をとりあわせるかも、作った人、贈った人の趣味の良さを競うところであっただろう。


 橘の花が咲く頃、夏を告げるほととぎすが渡ってきて鳴き始める。


ほととぎす いたくな鳴きそ

汝(な)が声を五月(さつき)の玉にあへ貫(ぬ)くまでに

(万葉集8:1465 藤原夫人)

訳)ほととぎすよ、そんなに鳴き続けないでおくれ。お前の声を五月の玉と一緒に糸に通す日までは。


 ほととぎすの声まであわせて玉にするとは、想像力豊かな人だ。作者は藤原五百重(いほへ)、藤原鎌足の娘で、天武天皇の夫人である。


 橘ではないが、我が家のレモンの木の花が咲き始めた。そろそろ裏山ではほととぎすも鳴き始めるだろう。風薫る五月、不要不急の外出は控えても、窓を開け放して爽やかな初夏の風を感じながら深呼吸しましょう。


文章と写真 : にし みどり