当会の稽古理念に納得していただいた方を対象として、京都府綾部市の十畳程の自宅稽古場で、受講される方のご要望に沿う個別教授専門の形で予約制(稽古日時応相談)にて稽古申し込みをお受けしております。
武道技術は「相手やモノを大切に、丁寧に扱う」というところに本質を見出すことができるものであり、「争わざるの理」を謳い“対立しない”ことを旨とする「合気道」であるからこそ、その技法をとおして「“力を抜く”という発想に触れ、“力む”ことの効率の悪さを知り、リラックスした“動き”、丁寧な“からだ”使いを工夫する」という実技に焦点を合わせた稽古ができるものと考えます。
【 具体的な内容 】
☒ リラックスによる“自然体”の稽古
◇ 中心を確立した「姿勢の力」による強い体勢
◇ 「感じて対応する感性」による関係性の工夫
☒ 「力を抜く“からだ”使い」の稽古
◇ 「剣・杖・抜刀」の実技により効率よく動く“からだ”を養う
☒ 現代人の決定的な運動不足の解消
◇ 苦役としての運動ではなく、殺陣のような“動き”を楽しみながら
純粋に“からだ”を動かすという習慣をつくる
合気道を基に「依存せず自立した“からだ”=“自然体”」の獲得を第一として、精神論を介入させず「武道技術の“動き”」そのものを重視した実技による「力を抜く“からだ”の使い方」を工夫する稽古
合気道」技法の本質である「争わざるの理」――に従い、闘争のためではなく、 「己の中心を知り、“自然体”を確立する」ことにより、「力む・頑張る・抵抗する」ことなく崩されない“からだ”
心をしずめ、“自然体”を保ち、“からだ”に任せて動く
抵抗・対立ではなく、「感じて対応する」―という関係の仕方
【個人稽古】 Private Lesson
『個人稽古』は受講される方のご希望に沿う形での進行を心がけてお
ります。
また、受講を希望されるほとんどの方にとっては、遠方へのお運びと
なりますので、稽古時間は2時間ほどの設定をしておりますが、すべて
が実技ということではなく、半分程度はお茶を飲みながら武の雑談や
問答に当てる時間と考えております。
(その時間的割合もご希望に沿わせていただきます)
このことは、これまで私自身が直接学んできた先達(現代の達人と称さ
れる方も含め)の実像、その技や人となりに関して知ることは武道を
考える上で役立つものであり、そのことを後世に伝えること自体も我々
世代の役割であると考えるに至ったからです。
☒ また、武道実技を希望されない方は、稽古時間すべてを、普段着で
できる程度の“自然体”養成の実技と、「武・“からだ”に関するお話し」
に特化した稽古時間とすることも可です。
その場合は着替えをお持ちいただく必要もありません。
※ 稽古日時に関しましてもできるかぎりご要望に応じます。
※ 自家用車でお越しの方は「駐車スペース」ございます。
※ 電車でお越しの方は『JR「綾部駅」南口』から《あやバス「(1)
上林線<大町バスターミナル》行きに乗車され、「十倉(黒谷和紙
工芸の里前)」で下車してください(約25分)。
「十倉」バス停までお迎えに上がります。
☒ 実技の実践は愉快であること
「できるようになりたい」という思いから“やり込む”ことと、ノルマ
をこなすことの違いを明確に知ること
△ 義務感による“動き”は鈍い。
“遊び”こそは人間の本質であり、“遊ぶ”ことでこそ“からだ”は活き活き
と動き出す。
また、“遊ぶ”という感性が、「力を抜く“からだ”の使い方」そのもの
に役立つ。
☒ “遊び心”で取り組む心身一如のアプローチにより
“自然体”へとつながる「“からだ”の使い方」と「感性」を育てる実践
の場。
常識を疑い、未知の“からだ”使いを探る。
☒ “からだ”を使うことの本質は“遊ぶ”こと。
「力を抜く“からだ”使い」の稽古には、素質も才能も関係ない。
真摯に“からだ”に向き合い、面白がって動くこと――現実に“からだ”
を使う意欲さえあればよい。
◇ 多くの人が陥りやすい思考停止という状態。
“遊ぶ”ことは考え抜く・やり抜くことであり、“遊ぶ”という感性を
用いた取り組み方には思考停止の罠を遠ざける力がある。
☒ “からだ”(頭と体)を十全に使い、生きたい自分で生きたい人生を
生きる。
やらなければ・動かなければ何も変わらない。
なによりもまずは「“からだ”を使う・動かす」ことを遊ぶ。
“からだ”を動かすことが面白いと思えるかどうかがカギであり、
そのために“遊びの感性”が必要。
『 遊びこそが人間活動の本質・遊びこそが学びの基盤である。』
『ホモ・ルーデンス』(歴史学者ヨハン・ホイジンガ)
「対人稽古用――“養生剣”による剣技」
Fighting forms with “Yojo-ken”
【 連絡先 】
『個人稽古の受講 』 ご希望の方は
【氏名・年齢・性別・電話番号】を明記のうえ
E-mail
yasu-k1@iris.eonet.ne.jp
(川勝) まで お問い合わせ・お申し込みください
京都【合気道「力を抜く稽古会」】 代表 川勝 安政
※ メールの返信には時間がかかる場合があります。
ご了承ください

語学力を活かして、イタリア語、英語、フランス語の通訳と翻訳を担当
しています。国境を越えて力を抜く稽古会の武道が理解されることに
喜びを感じています。
体を使って考えるという武道の特性を修養し、多くの人にも伝えていき
たいです。
他に、養生剣や道着などの制作も行っています。
稽古会オリジナルの道具類で効果的な稽古を体験してください。

日常に活かすことができる取り組みでなければ価値はない
他との比較ではない自身の“からだ”への取り組みとして
力を抜く・効率よく“からだ”を動かす・氣を配る・対応する感性を育てる
▼ 『 実技 』
当会では
【<中心を確立した「姿勢の力」>と<「感じて対応する」感性>を備えた“からだ”】のことを“自然体”ととらえ、これを養うことを第一義とする
具体的には
◇ 精神論によらず、物理的にみる身体のまとめ方・整え方の工夫
◇ 意識と感覚の具体化により
依存しない、自立する“からだ”を目指す
☒ これに付随して
◇ 心と体を統一して“動き”の質を高める
落ち着く、丁寧に
「立つ・座る・移動する」日常の所作~
「雑な“からだ”使いから丁寧な“からだ”使いへ」
◇ 独りよがりではない「関係の仕方」
対象への丁寧な、効率のよい働きかけ
△ 武道技術における関係性とは、「対応する」のか「対応される」のか
で決まる
◇ 『リラックス・注意・集中……』の実体を探る
相手を読もうとすることより、自分の心をしずめること
感じて成すべきことを成す=「対応する」
◇ 「力を抜く」ことを信頼する
筋力より、感覚への信頼
◇ 「脳トレとマインドフルネス」につながる心身一如の実技により
「巧みに動く“からだ”」を磨いて維持すること
重力に沿う感性 ― 勝手に動く“からだ”
皮膚感性の復活
◇ リラックスを基にした運動習慣により
“からだ”が心地よく動くこと・動かせること
◇ 行動以前の「意識の明確化」
――等を稽古の焦点とする
“からだ”を知る・“からだ”を使い続けるための取り組みであるならば、
苦役ではなく、効率が良く“面白い・気持ちの良い動き”で構成された
稽古でありたい。
加齢による肉体の衰えに向き合うならば、「肉体を鍛える」ことより
年齢を重ねることでむしろ高めることが出来る「感性・巧緻性」を養う
ことをこそ重視すべきであり、そのためには“からだ”の仕組みに着目し
た“動き”=「力を抜く“からだ”使い」の稽古により“からだを動かす”
ことを習慣としたい。
【「力を抜く“からだ”使い」の可能性】
「力を抜く“からだ”使い」は感性による“動き”
感性は年齢を積み重ねるにつれ研ぎすまされる
感性を磨き、重力に抗わない“動き”を選択する
「力を抜く」ことは――重力に身を任せる……等の「感性による
“動き”」を基に、効率よく“からだ”を使いこなす――ための必須条件
加齢による筋力・体力の衰えは必然
これに抗うことより、「感性を磨き、効率よく“からだ”を使いこ
なす」こと
伸ばせる要素を伸ばし、使える能力を使いきる…という発想による
アプローチ
他と比べ、競い合うという相対的な世界から離れ、自分自身の“から
だ”の可能性を拡げるという絶対的な価値観に生きる。
“自然体”を養い、効率の良い“からだ”の使い方を段階的に身につける
ためには頑張りや努力ではなく、道理に沿った緩やかな稽古習慣の継続
が肝要。
年齢を重ねるほどに効率よく動く“からだ”――「力を抜く“からだ”使い」
The body that moves efficiently as getting older: “the way to use the body releasing the power”
「中心を確立した姿勢の力」と「感じて対応する感性」を備えた“からだ”――“自然体”
“Shizentai”
The“power of the posture fixing the center of body” and the “sensibility to sense and then to respond”: the “Natural Posture”.
“動き”を重視する(中心を保つ・重力に沿う・“からだ”や“道具”の扱いをコントロールする……)という稽古のあり方。
The method of Keiko (practice) to attach great importance to “movements” (to keep the center of body, to follow the gravitation, to control handling one’s body and tools…).
現実に「動く“からだ”」にとっては欺瞞の入る余地はない。
安定を頼るのではなく、不安定を使いこなす。
はやく動かす努力より、使い方を工夫する。
☒ 相対の関係性は「矛と盾」
対人の技そのものに優劣はない。
◇ 対人技への取り組みは、「技の優劣に焦点を当てるのではなく、
関係性の構造を掘り下げる」――そこを探求していくための稽古
とする。
△ それを可能にするために自身の「“自然体”と“動き”そのもの」を
洗練することが 必要条件となる。
伝統・格式にとらわれず、精神論を介入させない。
“動き”・“姿勢の在りよう”等、具体的な実技・実際に“からだ”を動かすこと・思い通りに動く“からだ”の実感を増やすことをもって探求の手掛かりとする。
そのカギとなるのが「力を抜く」「中心を整える姿勢の力」「重力に沿う感覚」
「受動的――という相対の関係の仕方」等の要素を養うことにある。
「鍛錬」ではなく「動き・身のこなし」、「対立・抵抗」ではなく「自立・対応する感性」を磨き、「丁寧に“からだ”を使うということ・意識のおき方……」を工夫するというアプローチ。
ここで行う“動き”とは、体力強化を目的とした運動とは異なり、「丁寧な“からだ”使い」により意識と肉体運動を繋ぐこと。
その意味において、稽古は「全身を使う脳トレであり、マインドフルネス」と捉え、それを通して「中心を定め、感じて対応する感性を備えた“自然体”の獲得」を眼目とする。
「武道技術」そのものを敵対技術とは捉えず、「自身の“からだ”をコントロールすること」のためにこそ用いるという発想から――自己欺瞞を排するための剣・杖等の道具を扱う技法」を重視する。
「対敵の技術」より、「自身の“からだ”の自在さ」を求める。
当会の稽古はすべて「“心身”を使うための稽古」として取り組んでいます。そこで求めるのは「対敵の技が出来ること」より、「繊細に動く“からだ”」「感じて応じる感性」であり、形式や手順より、「中心の意識を保ち、対応することができる“自然体”」の獲得を目指しています。
Because all of our practice is “the practice for using body and mind”,we seek for “the body with delicate movements” and “the sensibility to sense and then answer” than “the ability of fighting techniques”. We aim to master the consciousness about fixing the center of the body and “the Natural Posture answering situations properly” than “patterns and orders”.武道稽古とは「“意識”と“動き”」を同時に練り上げるもの。
The Practice of Budo is for the refinement of “consciousness and movements” at the same time.
技よりも、気配り―肉体はおそく、氣ははやい。
Care rather than technique; the body is slow but the intention is fast.
型は「注意・集中の持続」―一貫して「氣を切らない」状態を維持する。
The form of fighting is of “the maintenance of attention and concentration” , in short, to keep extending “KI”.
「自分本位の“動き”をする」のではなく、「感じて対応する」――を実現するためには「力を抜く」以外にない
技で完結しない――技の形・手順より「動く“からだ”」
すべては「中心の整った姿勢」と「感じて対応する感性」
「集中する」ための唯一の手段とは「丁寧な“からだ”使い」
リアルに「重力」を感じている“からだ”のみが「中心を整えた“姿勢”の重要性」を知る
対人の関係においても、相手を制御しようとする意識より、自分の
“自然体”を保つことに意識を向けることの方が役立つ。