「歌にきけな」

與謝野晶子「みだれ髪」もうひとつの訳 Kindle版

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与謝野晶子「みだれ髪」は、難しいといいます。
   晶子の時代と現代で、日本語も著しく変化してしまいました。

 しかし、晶子が表現しようとした心は、変わっていないはずです。
 どのような「與謝野晶子」があってもいいとは思いますが、
最低限、與謝野晶子が使った言葉を正しく解釈した上でないと與謝野晶子に失礼であると思います。

 そして、晶子の歌には、もっともっと激しいドロドロした情念が渦巻いていて、
   それがすーっと高みに上昇し、昇華している──
   そんな種類の心が「みだれ髪」の深層にあるのではないかと思うのです。

 晶子が使った日本語としての言葉の正しさを大切にしつつ、現代語訳してみました。
 与謝野晶子を愛する全ての方に読んでいただきたいです。

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『今』という『時代』に・・戸惑ってます(@@;) 正直言って・・(;゜ロ゜)

異常気象に、

異常な政治・・

「放射能塗れ」の日本・・そして

世界・・

パラダイムシフトした「サイエンス」「テクノロジー」

「不惑」の年齢はとっくに過ぎているのに

「惑い」は「ビッグバン」状態に膨らみ続けています・・。

身近な知人たちの早すぎる旅立ち・・

「原因」を推測するにつけ

「何か発言したい」「なんとかしたい」と思いつつも

何も発言できない自分に苛立ちを覚えることも・・・。

なんなんだろ・・?

自分がますます分からなくなります・・

誰がどうの、

「社会」がどうの、

「地球」がどうの・・

と言う前に・・

先ず、自分自身が巨大な「ブラックホール」であることに・・。

1970年代・・

未だ誰も「コンピュータ」を知らない時代、

実は、「電子計算機」に関心を持ち・・

その「興味」は、

「AI」に迄拡がりました。

テクノロジーの翻訳に携わるなかで、

事実上「AI」の「革命現場」にも立ち会っていました・・。でも

『今』まったく・・『時代』の流れに居ない自分・・あるいは

『時代』の流れに抗いつつも流されている『自分』・・でも

盲目的に時代に流されている・・のではないのでしょう・・

もし、そうなら、こんなにも・・苦しまないでしょう・・から

なぜ? 『今』 『與謝野晶子』・・? 

よく聞かれます・・

『「歌にきけな」與謝野晶子「みだれ髪」 もうひとつの訳』は・・

実は、そんな「戸惑い」の中から生まれたものなのです。

だから、決して「文芸」の本ではないのでしょう・・

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よかったら、読んでみてください・・


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『「歌にきけな」與謝野晶子「みだれ髪」 もうひとつの訳』 Kindle版/ 大塚 櫻 (著)

https://peraichi.com/landing_pages/view/otsukasakura

https://www.amazon.co.jp/dp/B07D6CXT9F

5月末に出版して暫く経ちました。

初めての出版で、慣れないことも多々ありますが、何人かの方にお読みいただいていて、全く無名のペンネーム「大塚櫻」にしては頑張っているかと思います。

そもそも、そんなに量として購読者を期待はしていなかったですし、たった1人でも出遭うべき方と出遭えればという位置付けでした。

一番大切なものは、「商品」にしてはいけない、と思いますし(^0_0^)!

 

実は、「与謝野晶子とパルメニデス」というのが本来のタイトルなのです。しかし、それで纏めると厖大な量になることと、さほどメジャーではないかもしれない「与謝野晶子」に、更に全くマイナーな「パルメニデス」では、話にならないというので、「みだれ髪」の現代語訳のみで出版して様子を見ることにしました。

 

スマホ時代の「本」は、明らかに晶子の時代とは異なりますし、位置付けも違ってきているのでしょう。

ただ、現代社会を見ていて、とても不安になることがあるのです。

インターネット時代に、情報量が過度に多い故、表面のイメージで好き・嫌い、良い・悪いを、かるーく判断してしまい、現実に目の前に起きている事の本当の意味・ロジックをもう一歩深く追求することが難しくなっている気がします。特に誰の責任、どの世代の責任というのではなく、現代という構造自体がそうなっているのでしょう。私は、「あまのじゃく」なので、そんな時代に抗いたくなってしまいます。

 

与謝野晶子との最初の出逢いは、中学時代の「君死に給ふことなかれ」でしたが、実際には、それよりも、高専生時代、学校で、シンクロスコープでパルス回路と挌闘しつつ、帰宅してから「源氏物語」と原文で挌闘するという変な学生時代の体験だったのだと思います。国文科ではないですし、工業高専だから高校「古文」の授業すら受けてないので、間違った読み方をしていたと思いますが、「源氏物語」原文を声に出して朗読した時の心の高揚こそが原点かと思います。恐らく、晶子も同じ類いの昂揚があったと思います。つまり、「源氏物語」に惚れ込んだ、恋をしたのだと思います。「源氏物語」の現代語訳も幾つかありますが、晶子の訳が一番好きです。でも、原文とは格段の差、と言うか、「天と地」程の違いがあります。もっとキツい言い方すれば、全く違うものです。こんな、私の原文至上主義故、ヴィトゲンシュタインは、ドイツ語でしか読めないと思いますし、パルメニデスはギリシャ語、しかも「正統哲学」のアリストテレスの「正統」ギリシャ語ではなく、エレア方言で、ということになると、人生幾つあっても足りません。

ただ、決して国文科の論文、哲学の論文を書こうというのではなく、晶子とパルメニデスに惚れ込んだ人間の「恋の溜息」程度を吐露するくらいは許されるでしょう。そんなことで「みだれ髪」の「もうひとつの訳」を出させていただきました。国文学は素人以上の素人ですから、学者レベルからは多々批判があるかもしれませんが、与謝野晶子をこういうふうに解釈してもいいのでは、という問題提起です。

それは、他でもない「哲学」の普通のイメージに対する問題提起でもあるのです。

 

先日、熱中症でぼけーっとした頭でテレビを眺めていたら、Markus Gabrielというドイツ人の若者、珍しく流行している「哲学者」らしいのですが、彼が流ちょうな英語で日本をあちこち廻っているというのがあって、欠伸がでる程退屈で、チャンネルを廻そうかと思っていたら、一瞬ハッとしました。『世界』や『現実』といった『全体性』を表す表現に対してかなり否定的な趣旨の発言でした。目が覚めて、食い入るように彼のロジックに耳を傾けましたが・・。大きな本屋さんでのサイン会で行列ができる程の人気者らしいのですが、私は初耳でしたし、当然全く著書を読んでもいませんが、この発言は、パルメニデスや、ヴィトゲンシュタインに対する挑戦かもと思いました。嘗ての「論理実証主義」レベルで言っているのではないのかもしれませんが、聞き捨てならない発言でした。

今此処で、ロジカルにMarkus Gabriel批判をする力も資格も気力も私にはありませんが、彼が批判する相手側に私がいることは間違いないようです。

まぁ、いずれにせよ、「あまのじゃく」の私は、私にとって「哲学」は、Markus Gabrielも居るであろう「アリストテレス」以降ではなく、「ソクラテス以前」の自然哲学者たちであり、前者の極限として巨大なアイロニーですらあるヴィトゲンシュタインであるのは間違いないようです。『世界』『現実』『全体』と七転八倒して挌闘したパルメニデスや、ヴィトゲンシュタインや、意識的でないかもしれませんが両者のロジックを内在してしまった(彼らの「高み」に達した・・と言うと特定の価値判断の表明になりますが・・Markus Gabrielに対する皮肉)晶子に親近感を感じます。

あ(;゜ロ゜)! 話が逸れまくりですねm(__)m!

 インターネット時代に、情報の洪水で溺れかけている現代人、特に日本人に、テレビコマーシャルのようなフォトジェニックなイメージに翻弄されるのではなく、現実に目の前に起きている事の本当の意味・ロジックをもう一歩深く追求しませんか・・というのが大塚櫻からのメッセージです。

 

追伸・・先日、沖縄の作家、目取真俊さんのお話を伺う機会がありました。『世界』『現実』とリアルに関わりつつ、文学表現を行っておられる目取真さんに、本物の「作家」を見る思いです。実は、沖縄の「現場」でもご一緒させていただいたのですが、そこら辺の環境保護運動家や「活動家」・・「哲学者」なんかよりずっと遙かに肝っ玉が据わった闘士であり、作家であると思います。本を読む方にお薦めです。目取真俊の作品を是非!

2018.7.16 大塚櫻





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大塚櫻インタビュー その1

サクラ「表紙装丁に、ヨシくんの写真を使わせてくれてありがと。でも、何なの、これ?」

背景は、藍染め布で、花は、実は紫陽花なんですよ。盛りをとっくに過ぎた晩秋の・・。

先ず、タイトルの「歌にきけな」から説明していただけますか。

サクラ「『みだれ髪』の第2句に『歌にきけな誰れ野の花に紅き否むおもむきあるかな春罪もつ子』から採りました。「私の歌に聞いてみて! 誰? 野の花で、真っ赤な花を嫌うのは? 真っ赤な花こそ素敵でしょ! 恋に生きる罪深き私も素敵でしょ!」と訳したんですけど。」

でも・・サクラさんは確か、リケジョじゃなかったでしたっけ?

サクラ「ふるっ! そんな言葉使ってるから、ヨシくん「化石!」って言われるのよ!」

・・その言葉自体「化石!」って思うんすけど・・。歳が分かりますね、お互い・・(笑)

サクラ「理系とか文系とか、分けること自体、時代遅れよ。どっちだっていいじゃん。文系出身じゃないと、与謝野晶子に興味持っちゃいけないってことないでしょ!」

す。す。すいません・・m(__)m 「私の歌に聞いてみて!」・・ですか! どんなことなんでしょ?

サクラ「『歌は歌に候。まことの心歌はぬ歌に、何のねうちか候べき。まことの歌や文や作らぬ人に、何の見どころか候べき。』という晶子の言葉があるんだけど、実は、この文に、めっちゃ反発したの! なに、これ! 與謝野晶子って自分が何様だと思ってるの・・って!
 でも、よぉ~っく、考えたら・・・分業化・細分化・専門化・マニュアル化してしまってるじゃない、現代社会って。「まこと」とか「まことの心」とかってのが、どっかに行ってしまってる気がしてならないのよ。

現代人は、なぁんとなぁ~く、表象のイメージだけしか見てなくて、と言うか、見れないようにされていて、大きな力に流されてしまってるって感じるの。マスコミも一役買ってるわね。確かに、イメージって、とっても大事なんだけど、だからこそ、そのイメージがしっかり持っている「ロジック」を、もっと、しっかり確認しないといけないと思うの。「まこと」とか「まことの心」こそが一番大事って晶子は言ってるのよね。」

大塚櫻インタビュー その2

サクラ
「恋とphilo-sophia(愛 智) の途は似ているのかもしれません。

同じ世界に生きていても

恋をしているひとと、恋をしていないひととは違う世界を観ている!

恋をしているひとが観ている世界は、

恋をしていないひとが視ている世界とは

全く・・と、言っていい程、まったく違う!

恋の途はphilo-sophia(愛 智) の途の必要条件なのかもしれません。

しかし、philo-sophia(愛 智) の途の必要充分条件を満たす途とは格段の差、天地ほどの差があるのでしょう。

しかし、必要条件なのは確かでしょう。

その点でも、與謝野晶子とパルメニデスとは意外と結構同じ地点に立っていると思うのです。」

サクラ
「実は、『歌にきけな』は第一弾なのです。第二弾は、与謝野晶子とソクラテス以前の哲学者パルメニデスとを同時に論じてみたいと思います。」

大塚櫻インタビュー その3

「みだれ髪」を訳する際に、サクラさんがいちばん思い出した文章ってありますか?

「世の中にある人、

ことわざ繁きものなれば、

心に思ふ事を、

見るもの聞くものにつけて、

言ひ出せるなり 

花に鳴く鶯、

水に住む蛙の声を聞けば、

生きとし生きるもの、

いづれか歌をよまざりける

力をも入れずして天地を動かし、

目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、

男女のなかをもやはらげ、

猛き武士の心をも慰むるは、

歌なり」

            紀貫之    (古今和歌集  假名序)

サクラ「この言葉と10代後半で出遭って、雷に打たれた思いでした。」

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今、何故「與謝野晶子」なのか・・・「イメージ」と、それが持つ「ロジック」の問題が、今の時代だからこそ普遍性を持つからです!

〈サクラさんにインタビュー その4〉

イメージと、そのロジックの問題って大事ですよね! 具体的には、どんな問題があると思いますか?

サクラ「それはもう、今の世界そのものじゃないの! トランプアメリカに、金王朝北朝鮮、習近平一帯一路中国に、文在寅韓国、阿倍日本に、プーチンロシア、EUに、アサドシリア、ネタニヤフイスラエル、エルドアントルコ、ロウハニイラン、アバーディイラク・・・。「フェイク」が、堂々と政治の「ロジック」になってるのは、居直りそのもの・・と言うか、それが『政治』なんでしょ💢 

 

(注・・「トランプアメリカ」というように、国家を為政者の名前で特定しないといけない程、「政治」と『国民・民衆・大衆・人民・・』とが乖離しています。「北朝鮮」の為政者乃至平壌住民は、「北朝鮮人民」とは呼べない程超エリート・特権階級であるのは明らかです。)

 

それに、「自然エネルギ」・・太陽光発電、風力発電と、「原発再稼動問題」って、正にイメージ戦略に私達が絡め捕られてしまっている典型じゃない!? 反原発・脱原発派市民まで「フェイク」に絡め捕られているのは「悲劇」を通り越して『喜劇』に近い・・!

 

あ(;゜ロ゜) 話が逸れたかしら・・。「与謝野晶子」という『イメージ』も、つくられてきたんでしょうね。それはそれで仕方ない・・と言うか、いろんなイメージがあってもいいことなんだろうけど。いろんなイメージ、いろんな解釈を許してしまうという状況があるのかもしれません。「和歌」という性質と、それに使われている日本語自体が当時と著しく変化してしまっているということも原因にあるンでしょうね。」

確かに、「与謝野晶子」は、難しい!って、言いますよね。

サクラ「『源氏物語』を現代語訳するくらい、與謝野晶子は古典に通じていて、和泉式部とかに憧れていたのでしょうね。読書量は、ハンパない!その集大成の果ての「和歌」であって、それを前提にしていると思います。だから、その読書量がない私達にとっては、とても難しいんでしょうね。

 

あと、「好色」という視点で見る人がいるんだけど、確かに艶っぽいのは認めるけど、それだけを強調するのは晶子にとっても心外だと思うの。もっと凄い、精神的に高い高みに達している!それこそ、そここそが、與謝野晶子の本質だと思うの。そのロジックを持ったイメージを提示したいと思うんです。

 

ソクラテス以前の哲学者、パルメニデスを読むと、「男と女」のことが結構出て来るんだけど、それが、「宇宙」全体、「世界」の根拠と一体の問題として扱われているんですね。與謝野晶子とパルメニデスの本質って、意外と、とても近いと思います。」

〈サクラさんにインタビュー その5〉

「晶子が使った日本語としての言葉の正しさを大切にしつつ、現代語訳してみました」とのことですが、どういうことですか?

サクラ「ヨシくんも私も理系・・の翻訳してるじゃない。文脈の中で、ある専門用語の意味を誤解して訳したら当然『誤訳』として厳しくペナルティを受けるでしょ。でも、文系・・の翻訳では、「意訳」と称して、著者の意図からかけ離れた訳を付けても許容される度合が理系の場合よりも高い気がするの。「みだれ髪」も、幾つか「現代語訳」があるんだけど、若い女の子に受けるような表現をするのはいいとしても、例えば、芸妓さんが最初に習う踊りの名前、つまり固有名詞なのに、普通名詞に理解して「○○○訳」として訳したら、それは著者晶子の意思を間違って理解したのだから『誤訳』と言わざるをえないでしょ。理系の翻訳ではあり得ないことです。例えば、「源氏物語」とか「和泉式部日記」とかで、過去の別の人の「歌」が「引き歌」としてよく引用されているんだけど、文脈の中で、それが分からないと間違いなく著者の真意は理解できない。つまり、「源氏物語」とか「和泉式部日記」を読むには、それなりの読書体験を前提にしているのね。同じことが「みだれ髪」にも言えるの。だから、大抵の「現代語訳」は軽くなり過ぎているのね。與謝野晶子は、そんな軽いひとではないです。」