影舞の会 かげまいのかい 
~演じるのでもなく、型もなく、人と人が向かい合うことから、生まれ、聞こえ、見えるもの~


大阪 (五)年の瀬の近き頃
       (四)小春日和と木枯らしの頃
      (三)お盆を過ぎて残暑の頃
       (二)雨降ることの多くなる頃
       (一)若葉の色濃くなる頃  
     

於 應典院 気づきの広場

人がいて、真剣な遊び。

應典院で影舞をする。
この人たちと影舞をしたいと思った。
「その影舞というものを見たい。」と言われた。

ご縁いただき、この企画を立てました。

そのことについて考えます。
應典院という場所であること、影舞と呼ばれるもの、このご案内の届く方々、私という人間。
経緯や要素や思ったことをここで簡潔に語ることはできません。

ですので、これをお読みになる方が今きっと最も疑問を持っているだろう影舞について、
少し思うところをお伝えしようと思います。

真剣な遊び、
人との関わりにそのもの、その学び、
一つの民衆芸能。
影舞と呼ばれるそれは、様々な文脈に位置付けることができます。

ですが、そのものを説明することは困難なものです。
それは、私がある時言われた
「影舞というものがあるわけじゃないんだよ」
ということと関係しているように思います。

影舞は動きであると言えるかもしれません。
ここにあらわれる動きは、
組になった二人が向かい合い、
二人の指先と指先がその間にモンシロチョウを挟むように、
潰さぬよう飛んでいかぬような加減で触れて、
始まります。
そこからどのような動きになるかはその二人にもわかりません。

その時それぞれに起きているのはどんなことでしょうか。
二人の間には何が生まれているのでしょうか。
あなたとわたしとあいだ、なくなる区別。それは本当だろうか。

そこに「表現」はないようです。
それを見る人には、何がどのように見え、聞こえてえているでしょうか。
聞き覚えのある音楽を合わせた時、
場所が古い民家であった時、
舞い手が知っている人だった時、
桜の舞う下での時。

寿ぎの時、弔いの時、祭りの時、節目の時。
ただ思い立った時。
たまたま向かい合うことになった二人。
たまたま観ることになった人。
二人に、観る人がいればその人に、その間に、
何が起き、聞こえ、見えているでしょうか。


このようなもので、見ることはもちろん、
踊りや舞台などの経験がなくても身体に不自由があっても誰もができるものです。
よろしければこの場をご一緒しましょう。

ご縁ありましたら、お会いできることを楽しみにしています。


お申込み・お問い合わせ








11月に(四)が行われ、應典院でのこの会は今回で五回目になります。

若葉の色濃くなる頃から年の瀬近くなる今回まで、こうした機会、ご縁をいただき、ご参加くださった方々、関心を持ってくださった方々、ここまで導いてくださった皆さまに感謝いたします。

小春日和と木枯らしの頃に行われた(四)は、味わいのある時間となりました。きっとこうした時間があってその内に話されたこと、歳を経た方々が言葉なく相手とのやり取りの中にいる姿、時間を後にしてはなされたその方の来し方や出会った場面と言葉。それらはわたくしの中に景色として感覚として残ります。それにどんな意味があるのか、それによって何が起こるのか、とても多くのことがあるように思われて、一方で何も確かなことはなさそうです。会では場に応じての新たな試みもありました。

(五)となる今回は年末の月になります。この場所があり会に関心を持ってくださる方々がおられ、様々な面で拙いながらもこうして始めてこられた年の最後になり、また、この後の年明けから5月にかけて連続してひらかれる会の前段ともなりそうです。

應典院の一般利用が終わる5月には、公演という形で應典院という場とご参加くださった方や関心をお寄せくださった方に向けてのお礼とする会をひらかせていただこうと思っています。

前回のご案内に書いたことは変わらず、四回を経たこの影舞の会をどのようなものかと語ることはやはりできなさそうです。ただ、この時間があって起きていること、目にし耳にすること、その人がそこに居たことの記憶がどの会にもあります。その時間の前後で起きることを含め、その体験と記憶が、場とわたくしを更新させていきます。参加された方にとっての、どうでしたか?に対する感想といえるものは、問わずにその時そこに表わされたものの他は、それぞれの御胸と体感にのみあるものと思います。

これまでの(一)から(四)へと続いた会は、時に新たなことを試みながらも、同じようなことをしてきているように見えます。けれど、場の質感が大きく異なります。複数回参加してくださっている方にも、体験に異なりがあるようです。そしてそれは重なりまた新たな何かを生じさせているようです。重ねられてきた会とその外側ではなされた声や言葉や動きがこの(五)に続くものとなっていて、それらは一幕完結でありながら連続性のある幕になっているようにも思えます。

影舞は何度体験してもその度に違いのあるもので、

体験の重なりから深まるものや奥行きを増すものがあるように思います。

なので、直接お声をかけていない方にも届くよう、

今回は(一)から(四)にかけてのご案内文をほぼ変わらないもののほんの少し更新しこちらに置かせていただきました。

一読いただけましたら幸いです。


【時】  (五)令和元(2019)年12月18日(水)・19日(木)18時半~21時半
     (四)令和元(2019)年11月19日(火)・20日(水)18時半~21時半
    (いずれも二日間の会です。二日目のみの参加は不可とさせていただきます。)  
 
     (三)令和元(2019)年8月20日(火)・21日(水)18時半~21時半
     (二)令和元(2019)年6月26日(水)・27日(木)18時半~21時半
     (一)令和元(2019)年5月14日(火)・15日(水)18時半~21時半
     
【場所】 浄土宗大蓮寺 應典院 2階 気づきの広場
【参加費】お金のご寄付(0~∞)、物、事、何れでも時間の間隔があっても構いません。
     (この4月から生活費と税金の支払いに苦慮していますので、ありがたくご寄付を受け取らせていただきます。)
【定員】 15名程度
【お申し込み・お問い合わせ】 上もしくは下のボタン、または下記メールアドレス宛にて、
               件名を「影舞の会 大阪 應典院」としてお送りください。
               enza.otoi〈アット〉gmail.com


場をひらくことの畏れと楽しみ。

私にとって、円坐、影舞、未二観は、
人と一緒にいる、どんな人とでも一緒にいることの実践であり、
自由であること、人がその人として居られるための試みであり、
聴く人、聴こうとする人が世の中に増えたらいいという思いからの
学びと遊びと時間の分かち合いです。
そうあれば、世界は面白いから。

会場へのアクセス

大阪府大阪市天王寺区下寺町1-1-27 浄土宗 大蓮寺 應典院
地下鉄の場合
OsakaMetro堺筋線「日本橋駅」/近鉄線「日本橋駅」8番出口より東へ徒歩7分
OsakaMetro谷町線「谷町九丁目駅」3番出口より西へ徒歩8分
近鉄線「近鉄上本町駅」3番出口より西へ徒歩13分
OsakaMetro御堂筋線・四つ橋線・千日前線「なんば駅」/近鉄線「近鉄難波駅」/南海線(南海電鉄)「なんば駅」から 千日前通 徒歩20分

(四)を前に。

この度、應典院でのこの会の四回目をひらかせていただきます。
若葉の色濃くなる頃から残暑厳しき頃までに三回、こうした機会、ご縁をいただき、ひらきとじることができました。
ご参加くださった方々、関心を持ってくださった方々、ここまで導いてくださった皆さまに感謝いたします。

前回のご案内に書いたことは変わらず、三回を経たこの影舞の会をどのようなものかと語ることはやはりできなさそうです。ただ、この時間があって起きていること、目にし耳にすること、その人がそこに居たことの記憶があります。二回を経た時間の間にわたくしが驚くような出来事も起きているのでした。参加された方にとっての、どうでしたか?に対する感想といえるものは、問わずにその時そこに表わされたものの他は、それぞれの御胸と体感にのみあるものと思います。

これまでの(一)から(三)へと続いた会は、同じようなことをしてきているように見えます。けれど、場の質感が大きく異なります。複数回参加してくださっている方にも、体験に異なりがあるようです。そしてそれは重なりまた新たな何かを生じさせているようです。この場をひらくわたくしにも新たな展開を思わせています。

(一)(二)(三)とその外側ではなされた声や言葉や動きがこの(四)に続くものとなっていて、一幕完結でありながら連続性のある幕になっているようにも思えます。

影舞は何度体験してもその度に違いのあるもので、
体験の重なりから深まるものや奥行きを増すものがあるように思います。
なので、直接お声をかけていない方にも届くよう、
今回も(一)のご案内文をそのままこちらに置かせていただきました。
一読いただけましたら幸いです。

 

(三)を前に。

5月に應典院での一回目(一)を、6月に二回目(二)を、こうした機会、ご縁をいただき、ひらきとじることができました。ご参加くださった方々、関心を持ってくださった方々、ここまで導いてくださった皆さまに感謝いたします。この影舞の会がどのようなものかと問われても、二回を経ても語ることはやはりできなさそうです。そこで見た姿や動き、聞いた声や言葉、そこでやその後に感じたもの、変化や異なり、それら残るものは確かにあります。が、わたくしの様々なものの足りなさに因りつつも、一人の言葉で規定してしまえることではないと思うのです。ただ、わたくしには「面白い」という言葉になる感覚が毎回違ってあります。どうでしたか?に対する感想といえるものは、問わずにその時そこに表わされたものの他は、参加された方々それぞれの御胸と体感にのみあるものと思います。先の(一)と(二)では同じようなことをしているように見えます。けれど、場の質感が大きく異なります。見聞きするものはそこでだけのものです。今後はわかりませんが、この(三)もきっと同じようなことをすると思います。(一)と(二)とその外側ではなされた声や言葉や動きがこの(三)に続くものとなっていて、こう書いてきた今、一幕完結でありながら連続性のある幕のようにも思えます。影舞は何度体験してもその度に違いのあるもので、体験の重なりから深まるものや奥行きを増すものがあるように思います。なので、直接お声をかけていない方にも届くよう、今回も(一)のご案内文をそのままこちらに置かせていただきます。一読いただけましたら幸いです。



(二)の前に。

5月に應典院での第一回目を開催しました。
こうした機会、ご縁をいただき無事にひらきとじることができ、
とてもよかったです。「よかった」には様々なものが含まれます。

ご参加くださった方々、関心を持ってくださった方々、ここまで導いてくださった皆さまに感謝します。
当日の感想は、そこに表わされた言葉、参加された方々それぞれの御胸と体感のみにあると思います。

そこではなされた声や言葉や動きがこの(二)に続くものとなり、
ご希望をいただき再びこの会をお知らせさせていただきます。

影舞は何度体験してもその度に違いのあるもので、
体験の重なりから深まるものや奥行きを増すものがあるように思います。
なので、直接お声をかけていない方にも届くよう、
今回は前回のご案内文をそのままこちらに置かせていただきます。
一読いただけましたら幸いです。

少しの自己紹介と謝辞

音惟(おとい)

場をひらくこと、ひらいておくこと、聴く/聴こうとすること、人といること。まだまだその駆け出し。
心の中にはロックとパンクを。
この場も、自らの道行きも、これからどうなるかわかりません。それでも、引き受けていくこと。
先に生きた人から受け継ぐものを公にひらき、公的と私的の間で、個々の日常の豊かさに資するよう、先に残して未来につなげることを、しようとしています。自分ではできないことをみんなの力を借りて。
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円坐と未二観と影舞を体験させてくれた橋本久仁彦さん、その学びを深めてくれた田中聰さん、松岡弘子さん、先日解散したfence worksの皆さん、それらの学びへ導いてくれ共にした皆さんにお礼を申し上げます。