私は1987年9月2日生まれの兎年、大田区蒲田出身の父と兵庫県宝塚出身の母のもと、まったく似ていない三つ上の兄の次に、次男として生まれてきました。金のかかる息子をここまで何不自由なく育てていただいたことには、ただただ両親に感謝です。
現在は長野県北安曇郡松川村育ちの妻と、猫一匹(かわいい息子です)と暮らしております。妻とは大学からの付き合いで、「開業」を当時から口にしておりましたので、そのころからよく支えていただきました。妻にも感謝です。
私は中学、高校、大学(サークル)、社会人とずっとバスケットボールをしていました。そんな中、怪我はつきものでそのせいで悔しい思いもしてきました。親指の骨折から始まり、成長痛によるかかとの痛み。突き指や捻挫、肉離れはしょっちゅう。ひどいぎっくり腰も経験してきました。なかでも両膝のオスグッドはとても長い期間悩まされました。中1の部活が楽しくなってきてまさにこれからだ!という時期からです。痛みで正座もできなければ、プレーしていても痛みをこらえながらダッシュ、ジャンプ・・・医者にもうまく付き合うしかないと言われるだけで、そこから高校にはいるまでその痛みには悩まされてきました。後遺症のせいかその後も現役時代はずっと膝の痛みには悩まされてきました。
大学生になっても運動をすると痛みがぶり返すこともありましたが、そこである「2つ」のきっかけに出会いました。まず一つは大学時の「友人の志の高さ」でした。私の友人には「なりたい職業」をすでに決め、夢に向かって突き進むその姿勢にとても関心を抱くとともに、劣等感を感じていました。「同い年なのにとてもしっかり先を見据えている・・・」当時の私には「なりたい職」は恥ずかしながら皆無でした。「なにになりたい」「なにをしたい」それを考えることをその友人がいたことから強く意識しだすようになりました。
二つ目のきっかけは「接骨院の先生との出会い」でした。大学当時もスポーツをしていたのですが、今まで「整形外科」には行っていたものの「接骨院」には行ったことがありませんでした。そんな中またしてもけがをしてしまい、近くの病院に行こう思った際、訪れたのが「接骨院」でした。私の身体を触ってすぐに「あぁ、ここのバランスが悪いんだね」と言われ、治療をしてもらうとその場で痛みが軽くなりました。「え!」と思いました。「整形外科」に行ったときはシップ貼って安静。これで経過をみていく・・・そのようなことしかしてもらった事がなかったので、あの時の、その場で変化がでたあの感動は今でも忘れられません。この時の感動が、自分も将来こんな仕事に就きたいと思うきっかけを与えてくれました。
その後は柔道整復師の資格取得の勉強をしながら葛飾区の接骨院で5年修業、蒲田の整形外科で4年修業させていただきました。そしてより良い治療を皆様1人1人に受けていただきたいと思い、かさはら整体院を開業することになりました。
おかげさまで当院も現在2年目にはいりました。患者さんの笑顔と「ありがとう」とお声かけていただくことが、わたしの原動力となっています!
皆様がやりたいことを満足に10年も20年も続けられるように全力でサポートしていきます。これからもどうぞよろしくお願いします。