プロフィール

■1977年9月4日生まれ(巳年 おとめ座)

■血液型:O型

■出身地:広島県広島市

■現在地:愛知県名古屋市

【野球人生スタート】 
小学校4年生からスポーツ少年団に所属し私の野球人生がスタートしました。 最初は好きで始めたというより父親が野球好きで、父親の勧めで野球を始めた感じです。いつの間にか野球の魅力に惹かれいつしかテレビでプロ野球を見るようになり、球場へ行くようになり、憧れの選手ができ(当時はミスター赤ヘルこと山本浩二選手に憧れました)だんだん野球が好きになり、いつしかプロ野球選手になることを夢見て日々を過ごしていました。 当時流行っていたファミコンにもあまり興味を持たず、時間があれば友達と野球したり、近所にある大きな壁に向かってボールを投げていました。 所属していた少年団はそこそこ強かったですがなんとかライパチで試合に出ることはできましたが対して活躍もせずあまり目立たない選手でした。 (ライパチ=守備位置がライトで打順が8番。今でこそライトはイチロー選手が守っているのでうまい選手が守るイメージがありますが当時は打球もあまり飛んでこないので下手な選手が守ることが多かったです。) 中学生に上がった私でしたが、スポーツ少年団のメンバーはそのままいるし、他の学区の有名な選手とかも入ってきたのでレベルは一層高くなりました。負けたくないという思いで練習してきました。毎日の練習が終わっても自宅に帰って素振りやランニング、この頃からウエイトトレーニングを始めました。 地道な努力の甲斐があってか、一応試合に出れる選手までにはなりました。それでも特に目立つような選手でもなく、活躍できる選手でもなかったです。 最終学年で高校進路の時、メンバーの内8人が県内強豪と言われるチームからスカウトが来ていました。当然、活躍していない自分には声はかからず、一般の野球推薦で高校に入りました。

【地獄の3年間】
野球の強豪チームとまでは行きませんが高校に入学し、中学時代の仲間がライバルになり甲子園に行くのは俺だ!と熱い気持ちで野球部に入部しましたが、そこには越えなければならない大きな壁が存在しました。同級生に勝つことでもなく、厳しい練習に耐えることでもなく、そう、経験者ならわかると思いますが、全体的存在の上級生がいるわけです。監督さんよりも立場は上です。今でこそ大問題になりますが当時はとにかくすごかった!ここでは書けないようなことが毎日ありました。※詳しく聞きたい方は個別で(笑) この頃の話を同級生や経験者と酒を飲みながら語ると朝までできます。本当にあの頃は毎日が地獄のように辛く、また1日1日が長いのです。練習が終わって家に着き、気が付いたらもう朝ですよ。あれ?もう朝?俺寝た?と言うぐらい一瞬で朝を迎えるのです。朝練があるので毎日始発の電車で行っていました。始発でガラガラなのに1年生は座ってはいけないと言うよくわからないルールまでありましたしね。グラウンド内は常にダッシュとか、先輩が見えたらどんなに遠くても、どんな場所でも大きな声で挨拶をする。先輩には「はい」か「いいえ」しか言えない。1年生は3年生に話しかけてはいけない。など今考えると変なルールがありました。

やっと上級生になり気が楽になったのですが今度はと言うか今までもそうでしたが練習がキツイ!監督が怖い!毎日誰か怒られていましたし、誰かが血を流していました(笑)今ではこれも大問題ですが(笑)そういえばあの時代は水を飲むことも許されない時代でしたから雨が降ってできた水溜まりや、トイレの・・・・これは書けませんね・・・ そんなつらい高校野球生活を耐え抜き頑張ってきましたが、結局、甲子園に行くことはできず夢は散っていきました。ちなみに中学校時代の仲間も誰一人甲子園に行くことができなかったです。 この先の進路を考えたとき自分はプロになることしか考えていなかったので、進路希望用紙に本気で進路希望1「広島カープ」進路希望2「阪神タイガース」と書きました。さらに「プロテストを受ける」と言い広島カープのプロテストを受けに行きました。結果は最終選考まで残りましたがプロの壁は厚く、不合格に終わりました。地元の社会人野球チームからスカウトが来ていましたが全国で戦えるチームを希望していた私はスカウトをお断りしました。 どうしようと考えていた時に、野球の専門学校があると聞き、そこで力をつけてまたプロを目指そうと思い専門学校に入りました。

【社会人野球選手としてスタート】
専門学校在籍中に愛知県春日井市にある王子製紙硬式野球部からスカウトをいただき平成11年に社会人野球選手としてスタートしました。社会人時代には都市対抗野球大会で全国優勝を経験、東海地区ベストナインにも選ばれましたし、首位打者のタイトルを2回獲得もしました。都市対抗野球大会で全国優勝した時は嬉しさももちろんありましたが、レギュラーとして活躍できなかったこともあり悔しさもありました。その悔しさから「レギュラー定着して活躍する」をモチベーションに練習に励みました。自分に厳しく練習を積み重ねてきた結果、翌年にレギュラーとして試合に出続け活躍することができ、その年にベーブルース杯大会で首位打者になり、その年の東海地区ベストナインに選ばれることもできました。

しかし選手生活10年目にプロには行けないと感じ現役を自ら引退。その後は王子製紙の会社員として3年間勤務していました。

【転機が訪れる】 
プロになるという夢を追いかけて過ごしてきた毎日がなくなって「このままどうしよう?」と言う思いが芽生えてきました。しかし「自分は何がしたいんだろう?どんな生活を望んでいるのか?」と考えてみましたが、なかなか答えは出ませんでしたが、今まで野球しかやってこなかったので「もっといろいろな世界を見て経験したい」そんな思いでたくさんの人と会い、いろいろな経験をしてきました。そんな時ある先輩から「生命保険のセールスをやらないか?」と誘われました。当時自分がやりたくない仕事リストの中に「営業・保険」が入っていたので最初はお断りをしていたのですが、話を聞いているうちに紆余曲折はありましたが「新しい世界が開けるかも」と言う動機で完全歩合制のセールスとして転職を決めました。 

【転職、大正解でした!】 
その後、複数の保険会社を取り扱える保険代理店に転職 20年間の野球経験と10年間の社会人野球選手の経験を活かし、営業をする上で最も重要とも言われている自分と言う商品を売るための戦略を精密に構築し独自の営業方法を確立しました。 子どもたちには野球を楽しく、長く続けてもらうための野球教室を。子どもを応援するお父さん、お母さんに子どもをサポートする心構えと、これから必要となってくる野球資金のコンサルティングをしています。おかげでたくさんのお客様に恵まれプライベートでも一緒に野球をやったり、飲みに行ったりと楽しく友好関係を築いています。また、仕事と趣味を両立しながら友達や仲間と楽しく過ごしつつ、現在に至っています。


【選手時代】

■右投げ右打ち(3年目まで両打)

■ポジション:外野手(センター)

■身長:167センチ

■体重:72キロ

■50メートル:5秒8

■遠投:90メートル

■30歳で現役引退

【主なタイトル】

◆都市対抗野球大会優勝

◆東海地区ベストナイン

◆東海地区春季大会首位打者(打率667)

◆ベーブルース杯大会首位打者(打率727)

沖増茂伸のホームページ

都市対抗野球優勝

野球教室

所属チームでの活躍

走塁テクニック