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関係人口のその先へ
― 2019年6月に定められた『まち・ひと・しごと創生基本方針2019』の「地方への新 しいひとの流れをつくる」という項目に「関係人口創出・拡大」が盛り込まれました。そ もそも、これはどのような背景で出てきた考え方だと捉えていますか。
反町 少子化、高齢化、人口減少局面で、「担い手」をどのように確保するか。そして、感染症やデジタル化など、これまでになく不確実性が高まる時代に、工夫して困りごとをなんとかする「つくり手」を、どのように確保するか。このような状況に対する応答として、「〇〇人口をつくろう」という取り組みがなされました。最もイメージがつきやすいのが、「定住人口」です。人が足りないから、移住してもらおうという。ただ、移住促進の難しいところは、ゼロサムゲームになるということです。日本全体が人口減少下にあるため、移住者の「争奪戦」になってしまいます。
― なるほど。似たような言葉で「交流人口」という言葉もありますが、これも「関係人口」とも異なるものですよね。
反町 私の理解では、交流人口というのは「消費者」です。観光などでその土地を訪れて、お金を落としていく人たちのことです。おもてなしされる「お客様」ですね。一方で、関係人口とは、「つくり手」です。たとえば、市根井くんは商店街の写真を撮ってプレゼントしたり、私は近所の学生やおばあさんの話を聞いたりします。私たちは、大麻銀座商店街にたくさんのお金を落としてないので、あまりいい消費者ではないかもしれません。その代わり、自分の得意なことで何かを創り出し、この土地にいる人たちに貢献しようとしています。たとえば、居酒屋で飲んでいるときは交流人口っぽいけれども、その居酒屋の片付けを手伝い始めたら関係人口っぽいですかね。
― 今回のワークショップでは、「関係人口をつくるために、課題発信をする」ということが何度も語られました。これについても説明が要りそうです。
反町 大枠となる考え方はこうでした。自分たちの立ち位置を踏まえて、まちをどのように持続させたいか。そのために、どんな人たちに集まって欲しいか。それを意図して、発信の仕方を選ぶ必要があると。たとえば、「自分たちのまちには、ステキな資源がたくさんある。すでに多くのファンや担い手がいる。そして、それが今後も続く」と思えば、それを発信してお客様に来てもらい、お金を落としていただくことが理にかなっている。今回のワークショップでは「魅力発信をすれば、消費者が集まる」と言いましたが、ハワイはそれで良いわけです。流行っているからと、むやみに「関係人口」へ飛びつく必要はない。
一方で、そういったまちと、江別市/大麻銀座商店街では、立ち位置は違いますよね。わざわざ観光のために訪れる人は少ない「ふつうのまち」で、キラキラしたコンテンツ作りをして、誘客をするということは本当に賢いことなのか。それは考え直す余地があるかもしれないと思っています。
― いわゆる「ふつうのまち」が、どのように担い手を確保するか。そのことについて今回、言葉になったコミュニケーション戦略が「課題発信」でした。
反町 「課題発信」は、大麻銀座商店街が、ずっと実践してきたことなのだと思います。だから、私のようなヨソ者がやってきて、江別/大麻のまちづくりに関われるという好循環があります。ヨソ者と地域の若者が交流して、新たなプロジェクトを立ち上げたりもしています。起業者も多いですね。ただ、橋本さんによると、これまで大麻銀座商店街では、どうやら鋭い勘で諸先輩たちがやってきたことだと。そこで、「この商店街で暗黙化されている知恵を棚卸をして、残したい。その原理を理解し、実践できる人を増やしていきたい」。そんな呼びかけで始まったのが、今回のワークショップでした。
― すると、関係人口を集めるための課題発信というのは、実際に何をすることなのでしょうか。あえてダメなところや、困りごとを発信するのも胡散臭く、気が引けます。
反町 ワークショップの前半では、そんな話がありましたよね。「ドラえもんが出木杉くんではなく、のび太の隣にいるのは、のび太がダメなやつだからだ」と。それを見たドラえもんはつい、のび太を助けたくなってしまう。そうだとすると、見栄を張って、いいところばかり見せようとするのではなく、素直に自分の困りごとや弱点を見せて「助けて〜」と言えるのは、実は賢いことではないかと。「課題とは関わりしろ」という話です。
実際に、大麻銀座商店街では、見ていて心配になるような光景に出会うことがあります。ただ、彼らはわざわざダメなところや困りごとを見せたくて、そうしているわけではない。あたりまえですけど、ただダメなだけじゃダメ(笑)。チャレンジをせずに「助けて〜」という人を応援したい気持ちにはなりづらいですよね。そもそも、課題とは「ありたい姿と現状のギャップ」です。チャレンジャーが「高い山」を登ろうとするからこそ、そこに課題がつくり出されます。裏山ではなく、ヒマラヤに登ろうとするから遭難しかける。もっと自由に生きたいと思うから、現状の社会に不自由さを感じるのですよね。
― そう考えれば、関係人口をつくる1つのポイントは、高い望みを持って、ひとりではどうにもならなそうなことに、全力でチャレンジする人たちがいることでしょうか。
反町 若者やヨソ者が力になりたいと思っても、どのように関わればよいのかわからないというケースもあります。それは、本当は困っているのに、いいところばかり見せてしまって、彼らの目からは「地域に課題がない」ように見えているかもしれません。あるいは、もう少し踏み込んで言えば、「でも/だって/どうせ言っても仕方ない」など諦めムードが漂う地域ではチャレンジが生まれづらいので、ありたい姿と現状のギャップがつくられず、課題意識が育ちません。
一方、ここ大麻銀座商店街では世界平和とか自治だとか、人類が成し遂げたことのない大きな望みを持っている人たちがいます。そういう人たちは、いつも手が足りず困っています。すると、私のような来訪者は、その役に立ちたいと思ってしまいます。
― 今回のワークショップで、来訪者が関係人口になりやすくするための「課題発信のポイント」が出てきました。反対に、これをすると関係人口は遠ざかってしまうだろうというアイデアも上がりましたね。
反町 前者は、「助けてもらえるスキを作る」「成長の過程を見せる」「弱点や困りごとがオープンになっていること」「やってみない?という声かけ」「来訪者たちの受け皿になる」者たちが地元民と一緒に働くことが出来るようにサポートする」など、多くのヒントが上がりました。後者は、「ていねいなおもてなし」「完璧に作り上げる」「自分が入る隙間がなく、必要なさそうと思わせる」「タテマエが多い」「活性化とか、儲かるとか、なんかうるさい」などです。まちが抱える課題が、つくり手たちを惹きつける「関わりしろ」であるという視点から見つめ直してみると、その意味は変わってきます。そして、「ふつうのまち」だからこそ、できることがあるのかもしれませんね。
─ さて、関係人口の創出が求められる、こんな時代を迎えまして、商店街にどのような役割が要請されるでしょうか。
反町 時代性や場所性を鑑み大きな意味での「立ち位置」や、その商店街が持っている強み・弱み次第で変わると思います。これまで、商店街には3つの段階があったように思います。「商店街1.0」は、モノの売り買いに特化した「儲かる商店街」です。戦後復興期から高度成長期を背景に増えた商店街も、1980〜90年代にはモノが行き渡り、コンビニエンスストア、郊外型ショッピングモール、ネット販売などの競合の登場により苦戦を強いられます。私が中高生だった2000年代初頭には、社会科の教科書で、シャッター街など商店街の業況悪化が伝えられ、商店街活性化が叫ばれるようになりました。こうした背景で登場したのは、商店街に売り買いの場以外のオルタナティブな機能を持たせる考え方です。
「商店街2.0」は、地域コミュニティ機能の核になることを期待した「つながる商店街」です。そして、2011年の東日本大震災を経て、「絆」を求める社会の要請を、強烈に顕在化させたのではないでしょうか。その応答としてとられた手段が、いわゆる「にぎわい創出」です。商店街を舞台にイベントを催し、ハレの日を謳歌しようとしました。地方創生の波にも晒され、商店街の外に消費者を求めた観光振興(外需獲得)や、コミュニティデザイン、エリアリノベーションなどによる「エリア価値向上」が成功事例として喧伝されていきました。
─ しかし、2020年初頭に、新型コロナウイルス感染症が蔓延しました。これによって、非接触/リモート化という制約が課せられています。
反町 ゲームのルールが一気に変わってしまいました。これは商店街のゲストハウス「ゲニウス・ロキが旅をした」で語られた言葉ですが、COVID-19の到来以前には「密こそが正義」でした。人が集まることによって力を発揮していた運動や、「量」の集積力がある場こそが強かった。しかしそれらは、社会的な制裁の対象となってしまった。密と疎、対面とオンライン、見事に立場が逆転しました。その変化に耐えられなければ、地域も私たちの生活も、「死ぬ」おそれがあります。経済的に、社会的に、精神的に。
─ 大麻銀座商店街は、小規模多機能商店街です。商店主が、商店を営む以外に別の仕事を持つ「2足のわらじ」だったりしながら、多様な人たちが支え合ってきました。
反町 商店街のその先は、どうしたら「死なないか」なのでしょう。そのヒントを、ここ大麻銀座商店街の光景に見ました。生きることに迷った若者が橋本さんを経由して、私に辿り着く。私のような来訪者が、大麻で暮らす若者に「おかえり」と言って、人生を支えます。そのお礼に金銭のやりとりはありませんが、私はそのことにやりがい/意味という大きな報酬をもらいます。「商店街3.0」は、地域の生活支援を担う「死なない商店街」ではないでしょうか。それは、「ケの日」の「生活を続けるための課題を、つながりのなかでなんとかする」ということです。そのつながりは、地域の外側にも開かれていて、困りごとが地域の内部だけではどうにもならない時に、地域の外部にある力を借りることができます。
地域の暮らしをともに支える、深いつながり生み出す器。それは「課題があるふつうのまち」の商店街だからこそ、担える役割なのではないかなと感じるところです。私自身も、この商店街にこれからも関わりつつ、「死なない=持続可能な」地域の未来について考えながら、群馬と江別を行き来していきたいと思っています。