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確かな熱量で
その未来(さき)へ
現・日本土地家屋調査士会連合会会長の岡田潤一郎です。
前回の会長選挙では、多くのみなさまにお支えいただき、ありがとうございました。
令和5年は、改正土地家屋調査士法の成立から5年目を迎え、民法の一部改正により共有の考え方に歴史的変革が導入されるに至りました。
また、相続等により取得した土地所有権の国庫帰属に関する法律が4月27日に施行されました。
さらに、相続登記の申請義務化施行まで1年、登記名義人の死亡等の事実の公示制度及び登記名義人の住所変更登記の申請の義務化施行予定まで3年と迫ってきます。
そして、土地基本法の大改正から3年が経過し、国土の適正な利用と管理のあり方に社会的意識転換も感じられます。
これらの国民生活に密接に関係する制度の変革という潮流を私たち土地家屋調査士は、不動産の表示に関する登記、そして、土地の筆界を明らかにする業務の専門家として、国民に正しく伝える責務を引き続き担うことが大切であります。
私たちの業務を使命から捉え新たな段階へと制度を押し上げるため、今一度、私の全てを土地家屋調査士制度の発展と充実に捧げる覚悟を持って、今回の会長選挙への立候補を決意いたしました。
今期の2年間においては、新型コロナウイルス感染症拡大の状況を睨みながらの会務運営ではありましたが、連合会会則および各種規則を緊急時にも対応するべく整備を行いました。
また、土地家屋調査士業務取扱要領にリンクする各マニュアルの作成を実施しました。そして、各単位会のご協力の下、義務研修としての年次研修会を5年間で全ての会員が受講できる環境を整えたところです。
さらには、懸案でもあった
全国の会員の日常業務に寄り添い、将来の所得に繋がる施策に重点を置いた活動を実行してまいりました。
そして、これらすべての経験が私の中で結晶となり、進むべき道を示してくれましたことは、紛れもない事実です。
私は、土地家屋調査士が不動産の表示に関する登記及び筆界を明らかにすることを業務とする唯一無二の専門家として、
また、隣接法律専門職としての地位を確立し、承継することこそが制度の未来を切り拓くものであると確信しています。
そのことが、社会から必要とされ続ける存在となり、全国の会員のみなさまの事務所経営基盤をより強固なものとすると同時に、
信頼と共感が土地家屋調査士制度を前に進める原動力であることを私は身をもって弁えています。
独断と独善からは不信と諦めしか生まれません。
傾聴力・経験力・継承力・防衛力・外交力を駆使して大きな目的に向かうという手法で、私はこれまでも、そしてこれからも土地家屋調査士制度の調和に身を尽くす覚悟です。
日本土地家屋調査士会連合会四国ブロック協議会
会長 田邉 満夫
令和5年6月20日、21日の両日に開催されます第80回日本土地家屋調査士会連合会定時総会における役員改選にあたり、四国ブロック協議会では、当日選任されます会長候補者として、土地家屋調査士制度を発展させるべく相応しいとして、岡田潤一郎 君を全会一致で推薦し、立候補する運びとなりました。
候補者 岡田潤一郎 君は、これまで愛媛会の会長はじめ、四国ブロック協議会会長を努め、会員の業務の改善及び土地家屋調査士制度の発展に貢献してまいりました。又、平成23年度から平成28年度まで日本土地家屋調査士会連合会の副会長として3期6年間、平成29年度から平成30年度まで1期2年間、令和3年度から現在まで二期目2年間連合会会長として土地家屋調査士制度発展のため尽力してきました。特に、土地家屋調査士法改正において、第一条「土地家屋調査士は、不動産の表示に関する登記及び土地の筆界を明らかにする業務の専門家として、不動産に関する権利の明確化に寄与し、もって国民生活の安定と向上に資することを使命とする。」という使命規定の創設に奮励努力し、土地家屋調査士の専門家としての位置づけを明確にするという、歴史的成果を出してきました。
岡田潤一郎 君の卓越した見識と率先垂範の行動力によって、四国ブロック協議会のみならず、連合会の組織運営に大きな役割を果たしてきたことは多くの方々が認めるところであります。
岡田潤一郎 君が数々の要職における豊富な経験と人脈を活かして、連合会会長として、制度の中心的役割を担うことは、土地家屋調査士制度の確立と将来の展望を確固たるものにする事を確信し、当ブロック協議会の総意に基づき、日調連会長に再度選任され活躍の場を与えて戴きますことを強く願うものであります。
つきましては、四国ブロック協議会を代表しまして 岡田潤一郎 君が日本土地家屋調査士会連合会の会長として、選任されますよう皆様方の絶大なるご支援を賜りたく謹んでお願い申し上げます。
全国土地家屋調査士政治連盟会長 |
椎名 勤 |
---|---|
全国公共嘱託登記土地家屋調査士協会連絡協議会会長 |
榊原 典夫 |
愛媛県土地家屋調査士会会長 |
池川晋一郎 |
香川県土地家屋調査士会会長 |
久保 利司 |
徳島県土地家屋調査士会会長 |
西岡 健司 |
高知県土地家屋調査士会会長 |
田邉 満夫 |
愛媛県土地家屋調査士政治連盟会長 |
松本 義男 |
香川県土地家屋調査士政治連盟会長 |
細川 俊文 |
徳島県土地家屋調査士政治連盟会長 |
武市 好史 |
高知県土地家屋調査士政治連盟会長 |
谷相 恒行 |
愛媛県公共嘱託登記土地家屋調査士協会理事長 |
岡 宗鷹 |
香川県公共嘱託登記土地家屋調査士協会理事長 |
大西 一正 |
徳島県公共嘱託登記土地家屋調査士協会理事長 |
山本 正 |
高知県公共嘱託登記土地家屋調査士協会理事長 |
泉 清博 |
愛媛県土地家屋調査士会支部長会議長(松山支部長) |
山内 長生 |
株式会社東京法経学院代表取締役 |
立石 寿純 |
愛媛県土地家屋調査士会事務局職員一同 |
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土地家屋調査士制度成長戦略会議一同 |
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岡田事務所卒業生一同 |
|
香川県土地家屋調査士政治連盟会長 |
細川 俊文 |
愛媛県立松山西高等学校卒業 |
|
東京農業大学農業工学科卒業 | |
昭和60年 | 土地家屋調査士試験合格 |
H 5年 5月 ~ 7年 5月 | 愛媛県土地家屋調査士会 理事 |
H 9年 5月 ~ 11年 5月 | 愛媛県土地家屋調査士会 副会長 |
H 9年 7月 ~ 13年 6月 | 日本土地家屋調査士会連合会 研究室研究員 |
H11年 5月 ~ 13年 5月 | 愛媛県土地家屋調査士会 理事 |
H13年 5月 ~ 19年 5月 | 愛媛県土地家屋調査士会 副会長 |
H17年 7月 ~ 19年 5月 | 境界問題相談センター愛媛 センター長 |
H19年 5月 ~ 23年 5月 | 愛媛県土地家屋調査士会 会長 |
H19年 5月 ~ 19年 7月 | 土地家屋調査士会四国ブロック協議会 副会長 |
H19年 7月 ~ 21年 7月 | 土地家屋調査士会四国ブロック協議会 会長 |
H21年 7月 ~ 23年 5月 | 土地家屋調査士会四国ブロック協議会 副会長 |
H23年 5月 ~ 25年 5月 | 愛媛県土地家屋調査士会 名誉会長 |
H23年 6月 ~ 29年 6月 | 日本土地家屋調査士会連合会 副会長 |
H29年 6月 ~ R1年6月 | 日本土地家屋調査士会連合会 会長 |
H31年 3月 ~ R1年7月 | 法制審議会臨時委員 |
R 1年 6月 〜 R3年6月 |
日本土地家屋調査士会連合会 名誉会長 |
R 3年 6月 ~ 現在 |
日本土地家屋調査士会連合会会長 |
H25年 5月 ~ 現 在 | 愛媛県土地家屋調査士会 相談役 |
H20年 4月 ~ 現 在 | 国立大学法人愛媛大学 非常勤講師 |
H 9年 7月 ~ 13年 6月 | 日本土地家屋調査士会連合会 研究室研究員 |
法文学部・人文社会学科 法学政策学コース2回生 女子
これからのゼミ活動では愛媛県のADR機関について学習していくつもりですので、もしかするとまたお世話になることもあるかと思います。
どうもありがとうございました。
法文学部・総合政策学科 司法コース4回生 女子
岡田先生のような、安心感の漂う法曹を目指します。
法文学部・総合政策学科 司法コース4回生 女子
岡田先生のような、安心感の漂う法曹を目指します。
法文学部・人文社会学科 法学政策学コース2回生 男子
街の建物や土地を不動産登記法の視点から観察してみようと思いました。講義資料にスライドが多くて、イメージが湧きやすかったです。
法文学部・人文社会学科 法学政策学コース2回生 男子
六本木ヒルズ再開発の紹介や東京スカイツリーの登記について、興味深く講義を受けました。様々な法律が絡み合って街づくりに至っていることを理解できました。ありがとうございました。
やります! やれます! やってみせます!
制度の調和と継承
確かな熱量でその未来(さき)へ
時代(あす)への扉 第1回
みなさん、こんにちは。今月号より不動産法律セミナーにおける「巻頭言」を担当することになりました、岡田潤一郎です。どうぞよろしくお願いいたします。
さて、本誌巻頭言のサブタイトルをどうしようと色々考えてみましたが、「時代への扉」と書いて「あすへのとびら」と読む事にせていただきました。本誌の主な読者である、資格試験を目指している皆さんは、私自身がそうであったように「合格」という目的に向かって、またその先の「独立」という目標を胸に、保証はないが夢はある、そんな悩める日々を送っているのかも知れません。是非とも自分の力で時代の扉を開いて欲しいという、私からのメッセージを込めたつもりです。また、資格者を目指す者としての夢や未来を共に語り合い、明日への架け橋として開かれたメッセージを伝えられたら良いな。といった想いも込めての「時代(あす)への扉」です。
さあ、時代の風を感じて、明日への扉を一緒に開けてみましょう。
かくいう私は、今から遡ること30年前の24歳の時、昭和60年に当東京法経学院さんの通信教育生としてお世話になり、土地家屋調査士試験と行政書士試験に合格させていただき、以来、土地家屋調査士、行政書士、測量士として四国・愛媛の地で生きてまいりました。そんなわけで、私は土地家屋調査士バカのおまけに役員バカですので世間の常識からは外れてるところも多々あろうかと存じますし、資格試験とか合格目標といった視点からも脱線してしまう内容の場合もありますが、お付合いいただけますと幸いです。
第1回目は、どのような内容を皆さんに伝えようか迷いましたが、現役土地家屋調査士らしく、私の地元、愛媛県松山市のシンボルである「松山城」の不動産登記について紹介することとします。
松山城は、「金亀城(きんきじょう)」とも呼ばれ、日本三大平山城にも数えられる愛媛県はもとより、四国屈指の観光地です。松山市の中心に存在する城山から、人々の生活や町の発展を永きにわたり見守ってくれている松山城ですが、法務局(登記所)の不動産登記記録は次のとおりです。
【所在】松山市丸之内一番地
【家屋番号】 1番
主たる建物
【種類】天守 【構造】土蔵造 瓦葺 三階建 【床面積】一階 253.45㎡
二階 175.50㎡
三階 105.65㎡
附属建物1
【種類】筒井門連続櫓【構造】土蔵造 瓦葺 平家建 【床面積】 172.99㎡
附属建物2
【種類】太鼓門・櫓 【構造】土蔵造 瓦葺 平家建 【床面積】 59.10㎡
附属建物3
【種類】巽櫓 【構造】土蔵造 瓦葺 二階建 【床面積】一階 62.38㎡
二階 36.82㎡
附属建物4
【種類】太鼓櫓 【構造】土蔵造 瓦葺 二階建 【床面積】一階 108.79㎡
二階 30.11㎡
附属建物5
【種類】馬具櫓 【構造】土蔵造 瓦葺 二階建 【床面積】一階 58.38㎡
35.27㎡
附属建物6
【種類】一ノ門南櫓 【構造】土蔵造 瓦葺 平家建 【床面積】 22.90㎡
附属建物7
【種類】一ノ門東櫓 【構造】土蔵造 瓦葺 平家建 【床面積】 62.31㎡
附属建物8
【種類】二ノ門内櫓 【構造】土蔵造 瓦葺 平家建 【床面積】 37.02㎡
附属建物9
【種類】小天守 【構造】土蔵造 瓦葺 二階建 【床面積】一階 91.43㎡
二階 70.71㎡
附属建物10
【種類】多門 【構造】土蔵造 瓦葺 平家建 【床面積】 52.06㎡
附属建物11
【種類】南陽櫓 【構造】土蔵造 瓦葺 二階建 【床面積】一階 62.11㎡
二階 47.60㎡
附属建物12
【種類】拾間廊下 【構造】土蔵造 瓦葺 平家建 【床面積】 114.61㎡
附属建物13
【種類】北陽櫓 【構造】土蔵造 瓦葺 二階建 【床面積】一階 62.11㎡
二階 47.60㎡
附属建物14
【種類】玄関・多門 【構造】土蔵造 瓦葺 平家建 【床面積】 86.87㎡
附属建物15
【種類】右内三門 【構造】土蔵造 瓦葺 平家建 【床面積】 29.38㎡
附属建物16
【種類】左内三門 【構造】土蔵造 瓦葺 平家建 【床面積】 21.28㎡
附属建物17
【種類】天神櫓 【構造】土蔵造 瓦葺 平家建 【床面積】 63.43㎡
附属建物18
【種類】野原櫓 【構造】土蔵造 瓦葺 二階建 【床面積】一階 58.77㎡
二階 23.50㎡
附属建物19
【種類】乾門櫓 【構造】土蔵造 瓦葺 平家建 【床面積】 74.01㎡
附属建物20
【種類】乾櫓 【構造】土蔵造 瓦葺 二階建 【床面積】一階 126.47㎡
二階 72.52㎡
附属建物21
【種類】便所 【構造】土蔵造 瓦葺 平家建 【床面積】 5.22㎡
附属建物22
【種類】便所 【構造】土蔵造 瓦葺 平家建 【床面積】 1.65㎡
【所有権に関する事項】
原因:大正12年7月29日寄付 所有者:松山市
以上が「松山城」を不動産登記の視点から表現した登記記録です。古い時代の登記ですので、その形状や配置を表した各階平面図、建物図面等は存在しませんし、現在の物理的状況と合致しているかどうかは、よく分かりませんが、土地家屋調査士としては、なかなか興味深い内容です。日本土地家屋調査士会連合会の役員を卒業したら、全国のお城を「城主」とか「西軍・東軍」とか「建築美」といった視点でなく、「登記」の切り口で調査しながら観て廻るのが私の夢でもあります。今から少しずつ「日本全国お城登記情報」を収集しておりますので、読者の皆さんの地元のお城に関して、その所在地番等を教えていただけるとありがたいところです。
時代(あす)への扉第2回
〜夏は試験の季節〜
すっかり夏の気候になってまいりました。私自身は、生まれも育ちも南国・四国の人間なのですが、暑さにはめっぽう弱く、冬の方が元気なのですが、読者の皆さんはいかがでしょう。
さて、司法書士や土地家屋調査士などの資格試験は、夏の暑い時期に実施されますので、読者の皆さんも各々が目指す試験に向けて額に汗しながら、最終調整段階に入る頃だと推察いたします。
資格試験は、そのほとんどが一年に一度の実施です。大学とか高校の入学試験の場合は、最近では普段の生徒会活動やら勉学、クラブ活動への取組姿勢とかも勘案される場合もあるようですが、こと資格試験においては、いわば一発勝負的な要素が大きいと言えます。各々が時間と労力と知恵の限りを尽くし備えるわけですので、本番が近づくにつれ必然的に緊張感も高まり、試験当日は人生で最大の感覚となりますし、その日の数時間に人生を賭けて臨むわけですから、いろいろな事を考えてしまいます。そういえば、30年前の私は、鉛筆も消しゴムも三角定規も何も持たずに試験会場に居る夢を直前に見た記憶があります。
この時期まで来ると、多くの先生方や先輩達は、基礎をしっかり見直そう とアドバイスしてくれると思います。そうは言われても、アッチコッチが気になって小さな小さな項目が気をとられてしまったり、アクロバティックな技法に目がいったり、教室の隅っこで誰かが話題にしてた自分の知らなかった判例に対して異常に執着してしまったりと、頭がおかしくなりそうな感覚に陥る人もいるかもしれません。
でも、「その日」は必ずやって来ます。時間って奴は万人に共通であって、貧乏人も金持ちもオバマ大統領も私も一日は24時間ですし、朝が来て夜が来るのは当たり前の事実なのです。つまり、「みんな同じ」だということです。
私はゴルフは一年に1回か2回しか嗜みませんが、ゴルフ場に行くと夏の暑い日も真冬の寒い日もグリーンの周りとかフェアーウェイを中心に雑草をムシル作業をされてる人達がいます。とても頭の下がる思いで横を通るのですが、あの作業をしてる皆さんも、あと何日かで広い広いゴルフ場から完全に雑草を除去してやろうなんて考えてないはずです。つまり、完璧なんてことは人間のなせるワザの範疇には無いと思うのです。多くの先輩方が通ってきたように、基礎をしっかり見直す事こそが大切だと私も思います。ゴルフ場の草ムシリに例えるなら、コースには少々の草が残っていてもグリーンは丁寧に丁寧に仕上げてます。ということです。
そんなことをお伝えしている私ですが、30年前の試験当日は朝、早起きをして近くの神社に合格祈願に行きました。当時の自分としては、千円札という破格のお賽銭を投げ入れ、神様が最後の最後に合格者を迷った時のために、お願い事と自分の住所・氏名・電話番号・受験番号を心の中で復唱した記憶もあります。偉そうな事を言っても最後は神頼みという事でしょうか・・・。後に神様からは電話も連絡もありませんでしたが、試験の監督官庁から口述試験の案内が届き今日に至っています。
読者の皆さんの一人でも多くの方が、笑顔で合格証書を手にし、時代(あす)への扉をこじ開け、私たちの仲間となってくれる事を祈っています。
みんな頑張れ、頑張れ!
時代(あす)への扉第3回
〜六法と辞書〜
職業柄「登記六法」は手放せませんし、様々なところからの執筆依頼もあって「辞書」も必需品であります。六法も辞書も昨今では、インターネットサービスのものや電子辞書にその主役の座を譲った感が世間の常識化しているところでもあります。私自身もインターネットサービスで不動産登記法関連の確認や判例の調べ事をしたり、電子辞書で言い換えを調べたりすることが多くなったと実感しています。
しかし、大抵の場合、紙の六法や辞書で改めて「引く」ことにしています。昭和人間としては、頭に残り具合が格段に高くなるような気になります。また、電子媒体の場合は、この「引く」という動詞はたぶん使わないでしょう。単に「調べる」とか「探し出す」という表現になることが多いのかもしれません。分厚さと重さを併せ持つ紙媒体特有の「引く」という行為が妙に好きなのです。今でも六法の場合だと、主語は赤線、目的部分は青線、但書きはピンクの線で塗ると決めています。また、紙の辞書の場合には、周囲の項目が目に入り、寄り道をしながら役に立つ楽しさも見つけられます。
余談ですが、私が小学校に入学した時、父親からのお祝いは岩波書店の「広辞苑(初版第24刷)」でした。いくら文学者にでもなってくれたらという期待を込めたとしても、6歳の子供にそんな物を与える親もどうかとは思いますが、重いし、読めない漢字だらけで、実際にきちんと開いたのは5年ぐらい経ってからだと思います。開いてみると百科事典のような挿絵(特に「ひくいどり」の挿絵がリアルで怖かった)があったりして割りと楽しく眺めることができました。以来、50年近くになりますが、現在も手元に置いてあって、時々調べ事の時など現役で活躍する場面もあるこの「広辞苑」、当時の価格は2500円と書かれています。ちなみに現在は、2008年1月に出された第6版の書店店頭価格が8640円(税込)です。当時の私は、「この辞書を書き写すだけでも一生かかるのに2500円は安いなぁ」などと変なところに感心してたものです。
私の事務所には、2005年からの「模範六法」を人目につくように並べてあります。それらの横には「広辞苑(初版・第6版)」が鎮座し、脇を固めるように土地家屋調査士受験六法、漢和辞典などが睨みをきかせています。1冊の厚みが平均約8センチ程度ですので、1メートル以上の場所を我が事務所の書棚の特等席を占めている訳ですが、お客様へのインパクトでもありますし、抑止力も兼ね備えてると勝手に思っています。
そうは言っても、紙媒体の「六法」も「辞書」も今日のインターネットサービスや電子辞書が持つ「検索」機能や「並び替え」、「コピー・ペースト」といった機能には遠く及びません、と言うかそもそも無理です。これは、万人が認めるところですし、物理的重量のことやスペース的にも圧倒的に電子媒体に軍配があがります、と言うかそもそも比べることが意味をなしませんが、それは、それとして社会も私自身も自覚して使い分けているのが現状だと思います。
「時代(あす)への扉」のタイトルの割に温故知新的な内容になってしまいましたが、読者の皆さんには便利なツールも駆使しながら、自分の手で「引いて」、自分の目で「読んで」、自分の頭に「入れて」、未来への財産にして欲しいというメッセージを込めさせていただいて、今回の巻頭言を閉じることにします。
時代(あす)への扉第4回
〜高校野球って〜
今年は、高校野球100年とかで、テレビや新聞で話題になっているようです。私も四国に生まれ育った者として、高校野球は大好きです。私の中では、好きというよりは、何年前の○○高校の活躍が自分の人生と重ね合わせて、その頃の環境とか立ち位置とか思考を思い出せる一種、自分史に近いものがあるように思います。かく言う私自身は中学・高校時代、野球部には所属していません。坊主頭になるのが嫌で野球をやらなかった、ただの根性ナシ少年だったわけです。
私にとって、高校野球=甲子園とのきっかけは、小学3年生の夏休みに白黒テレビで観た「松山商業vs三沢高校」の延長18回引き分け再試合でした。このお兄さんたちは、一体何者なのだ みたいな感覚で地元の松山商業を応援していました。当時は運動中に水分補給なんてご法度の時代でしたから、小学生から見ても両チームの選手は精神修養のように映ったものです。優勝後、松山の繁華街で挙行された「優勝記念 提灯行列」にも参加しました。
その後は、色々な名選手や名場面をリアルタイムで目にする事となります。古くは、現読売監督・原辰徳選手の東海大相模vs元ヤクルト・杉村選手の高知高校の決勝戦とか、作新学院・怪物江川卓投手の1試合20奪三振(相手は愛媛代表の今治西高校)もテレビに釘付けでしたし、元阪神・中西投手の高知商業の活躍にも歓声を上げ、徳島・池田高校の爆発的な強さに魅了され続け、池田高校が清原選手、桑田選手のPL 学園に負けた時には友人と涙したものです。また、96年夏の決勝戦「松山商業vs熊本工業」の軌跡のバックホームも大声で叫んでました。近年では「ミラクル済美」の済美高校(愛媛・松山市)。この済美高校は元々女子高で、私が高校進学の頃は、どんなに野球が上手でも勉強が出来ても、男子は近づく事も許されない所でした。
こんなふうに振り返ってみると常に四国のチームとともに記憶が残っていることに気が付きます。地元の県代表が甲子園で負けてしまっても四国のチームを応援する風土は、四国四県の野球好きの間では暗黙の了解のようです。
素人の私が観た高校野球選手の中で一人だけ名前を挙げろと言われたら、迷わず「星稜高校(石川県)・松井秀喜選手」です。92年夏の甲子園大会の二回戦・明徳義塾(高知県)戦で五打席連続敬遠され、一度もバットを振らずに甲子園を去っていった伝説のスラッガーです。この試合もリアルタイムで観ていましたが、球場全体が重く異様な空気に包まれていたのを思い出します。高校三年生の少年が、勝負してこなかった相手チームに文句一つ言わず、泣き言も言わず、ただ潔く去って行った後ろ姿が強烈でした。当時の私は、四国の人間として、申し訳なく思ったりしましたが、その後の彼の日米における活躍で清々しい感覚を取り戻したことも事実です。松井選手は、プロ入り後のインタビューで「あの試合の事は、いつ振り返っても僕にとってはプラスになった出来事だと感じる。なぜかというと、あの後、僕のエネルギーになったから。」と答えていました。一野球人を超えた、人間・松井秀喜の生き様に私の全霊が身震いしたものです。そして彼は、他人の悪口は言ったことが無いと断言していました。中学時代から言ったことが無いそうです。一度もだそうです。こんな男と同じ時代を駆ける事の出来るありがたさというか、巡り合わせを感謝してしまいます。
高校野球も時代とともに変わって来ました。道具も金属バットは当たり前ですし、両耳カバーのヘルメットも違和感が無くなり、手袋や打撃用レガースも今や必携のようです。女子マネージャーもベンチ入り出来るようになりました。太古の時代から、強い者が生き残った歴史はありません。環境の変化に対応できた者だけが生き残こることが出来たことは、歴史と時代が証明してくれているのです。
時代(あす)への扉第5回
〜古(いにしえ)の
子供たち〜
我が岡田事務所の設備や道具は一様に年代モノである。私自身は、現在54歳で、独立開業から26年を過ぎたところだが、事務所の設備も測量器材も大切な子供のように扱ってきたつもりだ。さすがに和文タイプや日本語ワードプロセッサといった絶滅危惧種は処分してしまったが、今でも現役で活躍中の事務所の子供達を紹介することにしよう・・。
第10位【複合機(3代目):9年・取説、カタログあり】
リース期間が終了してから4年が経過しているが、コピー機としてもFAX、スキャナーとして十分に機能している。こういう機械はリースが終わってから何年使えるかが勝負どころ。
第9位【BMW:10年・取説、カタログあり】
念願だったドイツ車を購入してから10年。大事に乗ってきたつもりだが、電動ミラーは壊れて可動せず、サイドブレーキランプは付きっぱなし、この車の象徴でもあるフロントグリルのBMWエンブレムが見事に剥がれて丸い銀色のみが輝きを放つ。
第8位【ハンマードリル(2代目):10年・取説、カタログなし】
境界へ金属プレートを設置する際に無くてはならない子だ。さすがにバッテリーは何度かオシャカになったが、最近はバッテリーの再生をしてくれる業者さんも出現し、ダメ元でお願いししてみたところ見事に再起。カムバック賞ものである。
第7位【レタリングマシン(2代目):15年・取説、カタログあり】
すっかり見かけることが少なくなったが、定形の書式に日付を挿入したり成果品の見出しを記入するのに重宝している。専用のペンが製造中止となり入手困難な状況。
第6位【電子野帳:17年・取説、カタログあり】
これまた現在は製造終了してしまった、初期型シャープ・ザウルスを利用した電子野帳も現役。なかなか扱いが難しい子だったが、ここに来て相性抜群だ。しかし、御多分にもれず故障したら部品は無いと通告されている。
第5位【作業車・サンバー:18年・取説、カタログあり】
測量現場へ行くのはいつも一緒。重い道具は積みっぱなしで、屋根なし駐車場にて保管なのだが、走行距離も軽自動車なのに間もなく21万キロに到達。事務所のスタッフは貧乏臭いし恥ずかしいとか口にするが、この子が岡田事務所の稼ぎ頭であることは間違いない。18年間で億単位のお金を稼いでくれた事に感謝。路上で炎上するまで乗り続けるつもりだ。
第4位【レベル:18年・取説、カタログなし】
土地家屋調査士としてレベル機器を扱うことは殆どないのだが、測量士として、あるいは行政書士の業務として高低測量を実施することがある。18年生だが、使用頻度が高くないので見た目は新品同様である。点検は定期的に依頼している。
第3位【ペンプロッター:21年・取説あり】
当時としては珍しかったA1版のプロッター。初めて見た時は、なんと綺麗な図面を描く子だろうと感心したものである。我が事務所では、今も現役で稼働しているが、多くの事務所においては、その役割の殆どはプリンターに譲った感があり、絶滅危惧種と化しているのが実情。当方のペンプロッターについても、専用のペンが製造中止となっており、現在事務所にストッしているものが切れたら絶滅となる。
第2位【烏口:32年・取説、カタログなし】
読者の皆さんのうち、烏口(カラスグチ)という製図用品を知っている人は、ほとんどいないと思うのだが、インクを挟んで自由自在な細線が描ける優れものである。私自身も今は亡き師匠から手渡された時には、どうやって使うのか全く解らなかった。綺麗な線を描くには、熟練のコツがあって常々練習したものだ。時々、専用の砥石で研いで自分好みの線を追求するのだが、砥石も健在だし、研ぎ方も指先が覚えている。
第1位【トータルステーション(測量器):20年・取説、カタログあり】
在籍年数は3位相当なのだかが、トータルステーションという測量現場でしか使わない厳しい条件下で20年間頑張ってくれている。既に同型器を所蔵・展示している博物館やコレクターも存在するようだが、私の所では未だに現役で頑張ってくれている。もちろん定期的に点検も依頼するし、仲間が作った基線場にて角度と距離のチェックも欠かさない。まさに古(いにしえ)の子供であるが、老体ゆえに万が一にも間違いやエラーが生じてしまうと多くの方々に御迷惑をおかけしてしまう結果となりうるので、そろそろ引退かな。
以上が我が事務所の古(いにしえ)隊オールスターキャストであるが、購入当時のカタログを一緒に保管しておくことによりビジュアル的にも性能的にも再確認できるので大いに役に立っている。ひとつの物を永く使ったり、大切にすることが「ダサイ」と評価されることが多い世の中にあって、我が事務所の子供たちは喜んでくれていると信じているのは私だけかもしれない。
地理学が危機的状況なのだそうだ。大学入試のセンター試験で地理を選択する生徒も減少傾向にあって、「世界史」や「日本史」に大きく水を開けられているという。私たち土地家屋調査士にとって、地理は地域の歴史と並んで非常に馴染み深い学問だけに驚きを隠せないのが正直なところである。私の大学共通一次試験の選択科目は「地理B」と「世界史」であったことを思い出しても寂しい現実だ。地理学者の先生にお聞きすると、それでも理系の生徒は「地理」を科目として選択する傾向が強うそうである。記憶とか暗記要素だけでなく、グラフ等を示しながら分析力を問う事も可能な科目だけに、理系の生徒達が得点を得やすいのかもしれない。土地家屋調査士としては、そこの部分に一縷の希望を持つところである。さて、地理学がどうしてそんな事になったのかは別として、今般「日本地理学会・秋季学術大会」が私の地元である、愛媛大学で開催されると聞き、参加してみたので読者の皆さんに報告してみようと思う。
地域や場所によって基本地図(公図)の成り立ちが違うので一概には言えないが、私たち土地家屋調査士が土地の筆界を調査する時、近代日本の土地制度の基礎と言われる明治6年から実施された「地租改正」まで遡って、当時作成された土地台帳付属地図や文献をたどりながら現地において筆界を探索していく事は、よくある光景であるし、今や土地家屋調査士業務としては常識とも言える。
ところが、今般私が参加した地理学会の「地図・絵図資料の歴史GIS研究グループ研究集会」における地図の対象は、戦国時代からの城下町なのであった。つまり、西暦1500年代からの話である。そもそも城下町の定義すら曖昧であった私には、とても新鮮で興味深い内容だったのだが、城下町としての都市構造は明治時代の地租改正にも引き継がれた部分とそうでもない部分とが存在するようだった。私たち土地家屋調査士が、その業務の対象としている筆界も地図もそして民法も不動産登記法も明治時代までのタイムスリップで終着だと考えていたところだが、そういえば日本における「まちづくり」も「農地整備」も「原野・山林の開墾」も古代から脈々と引き継がれているのである。
今般、全国の大学から参集いただき、当日報告されたタイトルは次のとおりである。
越後国新発田城下町の都市構造とそのGIS分析 大和郡山城下における寛政10年の検地と町割図 水戸城下絵図のGIS分析 犬山城下町の都市構造とそのGIS分析 GIS鳥取城下町への町屋データの実装 松江城下町城下町GISの作成とその先 長府城下町の重層的景観構造 高松城下町の都市構造とそのGIS分析 GIS徳島城下町図の構築に向けて 佐賀城下町の都市構造とそのGIS分析の試み 各所図会資料に対するGIS分析例えば、水戸城下絵図のGIS分析の研究目的と分析方法は、「水戸城下町を対象とし、複数の城下絵図(城下屋敷割図)に記載された武士名をGIS城下図に比定し、一方で家譜史料を用いて、武士の家系を把握し、主に武士の拝領屋敷地の移動を分析する」(当日配布資料による)のだそうだ。照合できた武士数は609で解読不能は21らしい。それぞれの武士名データに姓・名・石高を入力していくそうだ。私たち土地家屋調査士としては、拝領屋敷地の移動という分野に注目しがちで、ついついお殿様から拝領した土地の境界は石積?土塁?それとも境界木?とか想像してしまうのだが、いずれの報告も各地域に根ざし、地べたを歩いて研究されており、過去と現在そして未来を結ぶ貴重な内容だと感じたしだいである。当巻頭言の第1回目に書かせていただいたように、日本土地家屋調査士会連合会の役員を卒業後の私の夢でもある、全国のお城に関する不動産登記研究にも通じるところが大いにあって、時間を忘れて各研究報告に聞き入ってしまった。
いつの世になっても過去から未来へ絆ぐ、時代(あす)への扉を叩き続ける人々に拍手を贈りたい。
時代(あす)への扉第7回
〜地籍情報は国土・領土〜
政治に関する話題は、本稿では控えようと思っていたのだが、今回は少しばかりお付き合い願いたい。私は、右傾化人間ではないし、かといって左翼系だとも自覚していない。普通に新聞を読み、テレビニュースを眺めている、どこにでも居るオジサンである。
しかし、昨今の報道を目の当たりにして少々苛ついているのも事実である。国会前でデモを行い、自らの考えを主張する事に対して異議を唱えるつもりは毛頭ないし、それはそれで手段としては良く思い付いたものだと評価もしている人間の一人なのだが、東京で過ごす時間が長くなり国会議事堂の横をタクシーで通ることも多々あり、直に様子を見てみるとマスコミ、メディアの誘導に感化された人も大勢いるように感じる。あの集団にとって「民意」は錦の御旗として位置づけられているものの「民意」こそ「見たくない人には見えない」ものなのだろう。
そんな光景を見ながら、数年前、私たちの業界の前に降って湧いた地域主権戦略会議における議論を思い出した。当時の政権は、国の出先機関の事務・権限については、その規模や特性、行政運営の効率性・経済性の観点から国の事務・権限と認められることが適当と認められ、真にやむを得ないものに限定することが原則とし、①複数の都道府県に関係する事務・権限の地方移譲に際し、域外権限の付与、自治体間連携の自発的形成や広域連合などの広域的実施体制等の整備がおこなわれることとしてもなお、著しい支障を生じるもの、②地方移譲に際し、必要に応じて事務処理等の基準を定め、国の指示等を認めてもなお、各地方自治体の対応の相違等により著しい支障を生じるもの、③地方移譲に際し、必要に応じて事務処理等の基準を定め、国の指示等を認めてもなお、緊急時の対応等に著しい支障を生じ、国民の生命・財産に重大な被害を生じるもの、④事務・権限の的確な執行体制(人材、予算、知見の集積等)の整備が不可欠である一方で、見込まれる事務量が微少であることにより、地方移譲に伴い行政効率が著しく非効率とならざるを得ないものについて、例外的に国の事務・権限とすることが適当と認められると示し、それらに該当しない事務は地方へ権限を移管せよというものであった。
そして、法務局・地方法務局がおこなっている個別業務について、「地方に移管」「国に残す」「廃止・民営化」などの自己判定を実施するように要請したのである。判定担当者の人選や進行方法は法務省に委ねられたが、俗にいう「仕分け」の対象となったわけである。
当時、私たち土地家屋調査士は、表示に関する登記の実務に直接関わる者として、「地籍情報」としての表題部のありようと、「地籍情報」は即ち国家・国土にとって重要なインフラであり、国が管理・把握しておく必要性を強く唱えたところであった。なぜなら、およそ日本国の領土と呼ばれる土地のうち、法定外公共用財産(河川・水路・里道等)を除いて、ほとんどの土地には登記記録(登記簿)が存在していることは読者のみなさんも承知しているところである。登記記録(登記簿)は、さまざまな土地情報の中でも最高水準の情報といえ、この登記記録(登記簿)のうち表題部には、土地一筆ごとに、所在する市区郡町村及び字・地番・地目・地積が記載され、また、原因および日付として、分筆登記や合筆登記の経緯、変更事項の日付等が記録されていくのである。そして附属する備付地図・地積測量図などから分解析し得る情報を基に土地家屋調査士は業務を遂行し、これらの情報が、地図や地積測量図とリンクして不動産取引や生活基盤等に関与していくわけである。土地家屋調査士として、日々登記記録(登記簿)に関わると、これらの情報をパッチワークのように複雑かつ有機的に連携させたものが「地籍情報」として息吹を生むことに気が付くのである。
「地籍情報」すなわち「登記」は、国民の不動産における権利を明確にするにとどまらず、さまざまな国家戦略とも密接に関係する基礎的なインフラであるとも主張した。日本には多くの世界の国々と同様に、領土・領空・領海が存在する訳であるが、そのうちの領土について、「地籍情報」は必要不可欠な最重要インフラであり、国家の基盤ともいえる。有事の際に国土を把握し、日本国民の領土を主張するためにも「地籍情報」そして「登記」は国が責任と威信をかけて管理・把握しておくべきデータベースだと考え、外交・防衛は国が責任を持って対処する以上、表題部や地図をはじめとする「地籍情報」は国として管理・把握する必要があると訴えたところであった。
登記事務の地方移管の議論は、その後の政局の中ですっかり耳にすることもなくなったが、あの時の土地家屋調査士としての行動や主張は決して無駄にはなってないし、もしかしたら時代(あす)への扉を開けた瞬間だったのかもしれない。縁あって、平成20年から国立大学法人・愛媛大学法文学部総合政策学科の3回生、4回生を対象に「不動産登記法」の非常勤講師を務めている。担当した当初は夜間コースの学生達を対象としていたのだが、数年後からは昼間のコースに変更となった。夜間コースの時は二十歳そこそこの学生に混じって、年配の社会人の方も受講に来られていたのを思い出す。日中、それぞれの仕事を終えてから大学に通い、勉強しようとする姿には熱いものが伝わって来たものだ。
地方の国立大学の特色の一つに、学生はその多くが地元か近隣県の出身者で占められている事が挙げられよう。また、語弊があるかもしれないが、私の感覚的には総じて女子学生に優秀な子が多いような気がする。これも地元志向の現れと捉えることが出来なくもない。
「不動産登記法」を講義することによって、私自身も再度勉強する事となる。授業を進めるためのレジュメやパワーポイントの準備や根拠法文の復習と抜粋作業も必要となるし、学生が飽きないようビジュアルに訴えるような資料作成といった工夫も凝らす事になる。しかし、これがなかなか楽しいのである。はっきり言って、昨今の学生達にウケを狙っても無駄である。自分では面白い事を言ってるつもりでも「ピクリ」とも反応しない。ウケを狙うのは端から諦めてはいるが、資料作りは楽しい時間であることに間違いない。社会に出る時に選択肢の一つとして、司法書士や土地家屋調査士といった不動産登記法を扱う資格者を目指してもらえるような内容も意識しているところではあるが、重きは、どうしたら、不動産登記法を身近な法律として感じてもらう事ができるか、将来、相続やマイホームの購入など不動産を取得した時に「そんな授業もあったなぁ。」と思い出してもらえるには、出来る工夫はないか、などなど考える事はいくらでもあるのだ。
そんな非常勤講師を務めていて、心に残った出来事がいくつかあったので紹介してみようと思う。
一つは、不動産登記情報の見方というか、記載されている情報の説明をしている時に、これもやはり女子学生が立ち上がって質問してくれた。「先生は、登記情報の乙区欄には所有権以外の権利が記載されると説明され、配布資料においても抵当権の設定が記載されています。でも、私はおかしいと思うのです。個人情報に厳しい今の時代に、何処の誰からいくらの借金がある。といった情報を公に公開するなんて、私だったらイヤです!どうして不動産登記法は、このような取り扱いを認めているのでしょう?」素晴らしく的を得ていて、素直に疑問を抱いた内容の質問でした。その場における私の回答は「確かに不動産登記情報は、個人情報の塊かも知れません。ですが、不動産取引っていうのは生き物のように日々、最新かつ細心の情報が必要なのです。抵当権が付いていることを分からずに買ってしまった人の事も考えてみましょう。要するに、不動産取引の場面では、一部の個人情報よりも取引の安心と安全が優先されるという考え方なのです。」と教室では教科書のように話したが、よくよく考えると妙な事だと考えさせられる。今の世の中だから、乙区欄に記載されている情報が必要な人(資格者、銀行、不動産業者等)のみがIDとパスワードを使って情報を入手できるようにすることなど簡単なはずだ、あの女子学生の言ってた事が現実になる日が来るかもしれない。
あるときは、見慣れない差出人からメールが届いた。読めば、期末試験を受けた学生からであった。私の場合、授業の出欠は取らないが、期末テストを実施し、単位付与の基準にしているのだが、この学生は授業に出てなかったにも拘らず試験だけ受けてみたが、そんなに甘いものではなく全く出来が悪かった。しかし、自分は4回生で就職も決まっていて、どうしても卒業しないと困る。ついては、不動産登記法の単位があればギリギリ卒業単位に届くので、追試も補講も受ける用意はある。なんとかして欲しい。といった内容だったと記憶している。確認すると試験の得点は「可」にも程遠いものであった。人の人生を左右するような場面なのかもしれないが、非常勤講師とはいえ学問の府で教壇に立つ身である。この学生に安易に単位を与えてしまうことは、法教育の端っこを担う立場からも一人の人間としても、学生の為にはならないと判断し、非情な対応となった。学生にしてみたら、自分一人くらい大目に見ても非常勤講師は困ったことではないし、大学にも実害は無いのだからと考えたのかもしれないが、不動産登記の真正な確保に寄与している資格者としても、「ならぬものはならぬ」といった判断をさせてもらった。
最後に紹介するのは現在、愛媛県土地家屋調査士会の事務局に職員として採用されている女性である。三年前に私の授業を受けてくれていた、とても優秀だった子だ。採用面接時の応募動機が「岡田先生の不動産登記に関する講義を受けてから「土地家屋調査士」に興味を持ち続け、職員の採用募集があったので迷わず応募した。」のだそうだ。もちろん、私が便宜を図ったとかという事実は無い。しかし、そんな学生が一人でもいてくれたことがたまらなく嬉しくて、講師をやっいて良かったと心から感じた瞬間だった。
愛媛大学で非常勤講師を担当させていただいて感じることは、時代(あす)への扉は、何時でも何処にでも有るのに忙しさに紛れて気がつかないだけかもしれない、ということである。新学期の始まりが今から楽しみである。