「青春」の正体は「無責任」であると言ったのは、みうらじゅんである。
大人になっても「いい年してもう!」と言われているようなら、残念ながらあなたは「青春」が終わっていないのだと。
映画『渚の鉄槌』にでている4人の若者は瑞々しく、奔放で、とことん無責任だ。
武術経験なし 、広東語は適当、劇中歌はパクリ。ハタチを過ぎた大人が裸でじゃれ合っているだけのように見えるこの映画に、
なぜ我々は涙するのか。
それはスクリーンの中の彼らに、思い出したくもない青春の恥部をえぐられるからだ。
彼らは「青春」を一時代の特権性として扱わない。バカだった、若かったと思い出にすることなく、「青春」を今もあるただの日常と捉えている。
『渚の鉄槌』 は「青春」を過去の恥ずかしい異物として置き去りにすることなく、あの頃のモヤモヤを「それだって間違ってはいなかったんだ」と笑顔で肯定する青春カンフーサスペンス映画の傑作である。