永松 昌泰 の なりたち

自身がおもったこと、かんがえたことなど
語るページ

1958年、山口県光市出身。

最初の記憶は海。

海を眺めながら、何となくこんなことをぼんやりと思っていた。

今。。。 でも「今」。 その瞬間、もう今ではない。

もちろんそんな「哲学的」なことを言語化していたはずもないが、なんとなーくそんなことを思っていたのが最初の記憶。

母親の勧めるまま慶応義塾高校から慶応義塾大学工学部(現理工学部)に進学。そこで人生が大きく変わる出来事が起きる。

1. 英語会でDebateを経験する  

それまでは、自分の「意見」を持たなければならないと思い込んでいた。しかし、賛成・反対の両方を強制的に勉強し、試合の直前にどちらかが決するDebateを経験するうちに、自分の意見と思い込んでいたものは全く「意見」という名に値しないことに気づく。また賛成・反対は表面的なことであり、実は究極的には同じところに行きつくことを知る。(特に「死刑」というテーマを通じて)
2. 父親が経営していた鉄鋼会社を継ぐために工学部に入学したものの、困ったことに数学と物理学は大の苦手。しかし数学の最初の授業、解析学(微分や積分の意味について学ぶ分野)がめちゃくちゃ面白かった。苦手な計算式は一切出てこず、いきなり「無限とは何か?」「連続とは何か?」「極限とは何か?」という哲学的な話のオンパレード。いっぺんに大好きになり、数学とは思想であることを実感。今日まで大きな力になっている。

3. 物理学もまた大の苦手だったが、量子力学の世界を知り、目に見えない微細な世界の法則が同じく微細な心の世界の法則と見事に一致することを知り、大いに興味をそそられる。先輩に勧められた物理学者ハイゼンベルクの自伝的著書「部分と全体」にはまる


つづく

Profile

Masahiro Nagamatsu

サンプルです。元来、典型的文科系で歴史や文学・哲学が大好きだったが、慶応大学工学部で突然数学や量子物理学に魅了され、その後留学(コロンビア大学・パリ大学)。後にホメオパシーと運命的に遭遇。古代からの知恵と科学との幸せな融合を目指し英国と日本にハーネマンアカデミーを設立。複数の病院でもホメオパシーを行なう。医学の科学的芸術的統合を目指して、10年後には医師として新しい統合医学を確立する大志を抱く。ハーネマンアカデミー名誉学長