「無目的サロン」開設によせて
いい学校を卒業して、いい会社に入って、結婚をして、子どもを育てて、
定年退職までがんばって、余生を健康に過ごして、
苦しまずに死んで、一生を終える・・・
そんな設計図を描いて、東京六大学に進学して、
日本で6番目の建設会社に入社して、結婚して、子どもが生まれる・・・
というところまで順風満帆に見えた私の人生が「限界点」を迎えて崩壊したのは
28歳の夏のことでした。
・・・・・
そのときまで、私という現象は自分勝手に作り上げた「自己」という錯覚に、
さまざまなレッテルを張り付けることによって成り立っていました。
私は、常に所有と比較の中に生きており、他人にどう見られているかで、
自分をどう見るかを決めていました。
自分は充分ではない、もっと何かにならなければ幸せになれないとあがき、
のどの渇きを海水で満たそうとするかの如く渇きを増してゆきました。
もっともっと、と追われるように急いでいました。
不完全な自分を完全だと思わせてくれる何か、
内部の欠落感を満たしてくれる何かを求め続けているある日、
ついに生きるエネルギーが枯渇してしまったかのように、
限界的な状況を迎えたのです。
その状態をうつ病と診断され、大手ゼネコンを退社し、
故郷に戻るも、苛立ち、焦燥感、不安、後悔は尽きることがなく、
28歳の7月29日自殺を図ります。
奇跡的に一命をとりとめて気が付いたのは3日後、大学病院の集中治療室でした。
私の人生は終わった、と絶望的な気持ちの中でベッドに横たわっていました。
そのとき、ふと顔に手をやってみると伸びた髭のざらついた感覚がありました。
学歴も会社の肩書もこれまで知っていた自分というものを一切失ったというのに、
なぜかわからないのですが、
ずっと感じていた苦しみや恐ろしい焦燥感と不安の代わりに、
ふいに深い安らぎが訪れたのです。
・・・・・
自分の外側にあるすべてのものを捨てたつもりだったのに、
3日間死んでいたはずなのに、自分の髭を伸ばし、心臓を動かし、
呼吸をやめなかった、私の知らない自分。
いや、その自分は絶えずメッセージを送ってくれていたのに、
私の思考は、その静か呼びかけを聞こうとしなかったのでした。
不安と後悔と恐怖の代わりに
「いまここに在る」
という気持ちが生まれたとき、生きるエネルギーが湧き上がったのです。
そのとき感じた私の力は、朝顔が自分を支えるためにツルを伸ばすような力、
光に向かってミジンコが泳いでいこうとするような力のように感じました。
この状態は、まさに「人のすべての考えにまさる神の平安」と
聖書でパウロが言っている感覚です。
あの絶望的な状況で、その後、精神病院に入院させられるという危機的な状態で、
その平安はおかしいでしょう。
でも、そんな状況であったにもかかわらず安らぎを感じたのです。
私は、自分を何かだと錯覚していましたが、その形が崩れた時にエゴも崩壊したのです。
私は、これであるとかあれであるとかではなく
「ただ在る」のだと気づかされたのです。
イエスは、「人は自分に死ななければ神の国に入ることはできない」と言っています。
これが変容であることを認識するのは、
その後イエスと霊的に接触するという体験を得てからのことですが。
・・・・・
ところで、そんな危機的状況の翌年の7月、私は人生を根っこから変える、
師匠・糸川英夫と出会い、イスラエルへの旅が始まりました。
糸川英夫亡き後、高橋恒男というキリストの伝道者に弟子入りし
12年間聖書に学びました。
そしていま、30年間経営した建設会社を手放し、
「人生が変わる聖書漫談師」という誰も知らない、誰もやらない、
誰とも比較のない世界で喜んで遊んでいます。
死ななくてよかったと思いますが、
私もこの世で遊ぶ時間が残り少なくなってきています。
やっぱり死ぬのですが、今度は笑って死ねるようにいつも喜んでいます。
そして、縁あって出会わせていただいたみなさんにも
知ってもらいたいことがあるから、
「無目的サロン」を開催することにしました。
・・・・・
赤塚高仁がガイドとなりますが、
みなさんを導くのは「無目的サロン」の場です。
三重県津市に私が建築したログハウス「無目的サロン(ホール改め)」は、
日常の中で非日常を味わうための研究所です。
これまで約30年の間、5千人を超える人が訪ねてくれました。
映画『1/4の奇跡』の撮影もそこで行われました。
8年間毎月、聖書講義をおこない祈り続けた場でもあります。
私たちは、常に目的を持ち、目標に向かい
絶え間なく頭の中の自我の声を聞き続けています。
何かになろうとして休むことも許さず走り続けています。
しかし、充電が切れた携帯電話が役に立たないように、
私たちの生命エネルギーもチャージしなければならないのです。
それは、不安がいっぱいの未来でもなく、
後悔の海のような過去でもなくて「今に在る」とき
自然に流れ込んでくるものなのです。
・・・・・
多目的ホールは星の数ほどあるけれど、「無目的サロン」は世界でひとつ。
目的を持たない時空で、出会ったことのない自分に出会うとき、
変容へのステップを上がります。
自分の中で「私」がいっぱいのとき外から何も入ることはできません。
でも、自分を放棄して抵抗をやめた時、
驚くべきことに自然に、
勝手に流れ込んでくるエネルギーが安らぎを連れてきます。
それが、聖書にある神のもとでの平安なのです。
それは、教会でキリスト教徒が得るものではないのです。
意識の変容は宗教の外で起きるのです。
・・・・・
変容は急がされています。
人類がいま進化するか、滅亡するか重大な選択を迫られているのです。
旧いエゴの思考パターンは崩壊します。
新しい次元の意識の芽生えが始まりました。
宗教もイデオロギーも信念も終わります。
イエスが伝えたかった事なのに、キリスト教がそれを台無しにしてしまいました。
ジョンレノンはそんな真実を「イマジン」で伝えてくれています。
私たちは、誰しも自分の可能性を恐れます。
自分の力を発揮することに憧れはするものの、
実際にその旅に出ることは稀です。
自分を信じていないからです。
いま、コロナや自粛疲れをしているのは情報量の多さではありません。
自分に内在する力や智慧につながろうとせず、
外側に答えや頼るべきものを求め依存しようとする
自分自身が原因なのです。
いくら知識や情報を詰め込んでも、不安や恐怖を拭い去ることはできません。
そもそも、不安や恐怖は拭い去るものではなく、
それらを抱えながらも進んでいくスタミナを
自分の内に呼び覚ましてゆくものなのです。
・・・・・
「無目的サロン」は、エゴが騒ぎ立てる大音量の「思考」を離れ、
妄想を手放し、自分の内から呼びかける静かな声に心を傾ける時空です。
これが旅の始まりとなるでしょう。
ここがゴールではなく、新しい出発点です。
その静かなる呼びかけを聞いて、自分自身を信じて、
この世のそれぞれの現場を生きてゆくこと。
それがここから始まる新生地球の歩き方なのです。
私たちの思考の枠を超える、思考よりはるかに広い次元が
自分の中にあることに気づき、勇気を出して旅に出る。
そんな気持ちで「無目的サロン」を開催します。
「夢かも知れない。
でも、その夢をみているのは、僕ひとりじゃない。
仲間がいるのさ。」(ジョンレノン・イマジン)
・・・・・
そんな旅の仲間が、ひとりでもできたなら
「無目的サロン」は成功だと言えましょう。
一緒にいこうよ。
無目的サロン代表戸締り役 赤塚サウル高仁